第60話 イシュヴァラと皇帝ムーザッファール
悲観的ともとれる現状認識を述べる割に、ジャラールが自信満々の顔をしている訳は、次の発言で直ぐに示された。
「シヴァースを、呼び戻したい。」
「なるほど!御子息殿を呼び寄せ、戦力補強をなさると。それは名案かと。」
「あいつへの連絡は、おぬしに頼むのが最も早く確実だ、とわしは認識しているのだが、どうかな?」
「ええ。私は商人でございますから、顔だけは広いのです。」
「おぬしがただの商人だなどと、今更わしが思うはずがないだろう。」
「いえいえ、滅相もございません。」
「ヒルエジ」星系の最外殻軌道を周回する、第6惑星の衛星の1つを改造した要塞の中で、両雄はモニターを眺めている。画面に映る漆黒の宇宙の深淵の向こうに、「ノヴゴラード」星系の最外殻惑星軌道上のL5-ラグランジュ点に配された、宇宙要塞「シックエブ」がある。
「ヒルエジ」星系と「ノヴゴラード」星系が近過ぎる位置関係にある為に、オールトの雲もエッジワース・カイパーベルトも両星系には無い。惑星形成から漏れた天体がそれらの星系外縁構造物になるはずなのだが、「ヒルエジ」と「ノヴゴラード」においては、2つの星系の作り出す複雑な重力に翻弄された末に、何億年も前にどこかに蹴り飛ばされてしまったものと思われている。
だから「レドパイネ」の作った拠点と「シックエブ」の間には、虚無の空間だけが横たわっている。千分の1光年にも満たないその距離は、タキオントンネルを使えば一瞬で走破できる。いつでも攻撃できる距離であり、軍政には喉元に刃物を突きつけられたような気分のはずだ。
「シックエブ」の置かれたラグランジュ点の小惑星群は、両雄が目にしているモニターの中には見つける事はできない。ジャラールとジャールナガラの見ているモニターは、要塞建設作業を監視する為の近距離用ものであり、たまたま「シックエブ」の方向を映しているだけだ。だが、彼らは、それを食い入るように見ていた。
彼等が見詰める先の暗闇でこれから、「グレイガルディア」の運命を決する死闘が繰り広げられるだろう。多くの命が失われる事は間違いないし、その後に何が始まるのかは分からない。そんな戦いに身を投じる行為を、勇気と称えるべきか野蛮と蔑むべきか、との想いが2人の目をモニターに引き寄せたのかもしれない。
「ところで、ムーザッファール皇帝陛下は、どうあそばされておられるのかな?」
不意に、ジャラールが話の向きを変えた。
「やはり、そこは気になりますか?」
口の端に笑みを浮かべ、ジャールナガラは応じた。
「当然だ。軍政打倒の後に誰が実権をとっても構わん、とは言っても、誰が取るのかは、できるだけ早く正確に予測が付いた方が良い。皇帝陛下の動静からは、目が離せんだろう。」
「私やカイクハルドの古い友人が、今頃『ニジン』星系において、拝謁の栄誉に浴しておるでしょうな。」
「それは、『ファング』の手の者なのか?」
「いえいえ、独立した草の根の支援活動をしている、銀河連邦のエージェントですよ。本来は、政治的には中立の立場なのですが、今のこのご時勢にあっては、軍政の横暴から民衆を守る事を最優先に考えているのでしょう。」
「つまり、そのエージェントも軍政打倒に動いているという意味だな。その為に、『ファング』が影響力を行使し得る『ニジン』星系で蟄居あそばされている陛下の、御傍に向かったというわけか?」
「ええ。『ニジン』星系を脱出するだけなら『ファング』の一存でできますが、その後の行動を考えますと、彼の者の力添えが必要ですのでな。実はその者から、『バラクレヤ』星系というところに来て欲しい、と私にも要請が伝えられております。」
「聞いた覚えもない星系だな?そんなわけの分からぬところに、皇帝陛下をお連れするつもりなのか?」
「この星系は、『カームネー』と申す軍閥が領有している『レベジン』領域にあります。皇帝陛下の蟄居されておられる『ニジン』星系を擁する『スヒニチ』領域に隣接しており、『ニジン』星系と『バラクレヤ』星系も5光年と離れてはおりません」
「その軍閥の名も、聞いた事がないな。わしら『レドパイネ』と変わらんくらいの、小規模軍閥なのではないか?」
「ええ。軍閥としての規模は、『レドパイネ』や『カフウッド』と同じくらいです。が、外国との密貿易で財を成しており、大が付く程の富豪でございます。皇帝陛下の名声と結合すれば、相当大規模な軍を催す事ができるポテンシャルを秘めております。無論、皇帝親政の実現に命を懸ける覚悟も、当軍閥の御棟梁はお持ちであられます。」
「外国との密貿易?・・という事は、お前と同業者という事ではないか。お前が密貿易の手ほどきをして、軍閥としては小規模ながらも富豪と呼べるファミリーに、育て上げたのではないのか?この日を予期して。」
「いえいえ、滅相もございません。何度か協力して密貿易を実行した事はございますが、私が手ほどきしたとか、育て上げたとか、とんでもない事でございます。」
「それで、お前の親交のある『ファング』が皇帝陛下をかくまった『ニジン星系』のすぐ近くに、偶然、皇帝親政の復活に命を懸ける覚悟のある富豪軍閥が育っておったのか?都合の良い話だな。」
「ええ、運命の巡り合わせの妙、とでも言いましょうか。」
「良く言いおるわ。わしなど及びもつかぬほど、そちらこそ、ずっと以前から用意周到に準備を進めておったのではないのか?お前や、『ファング』や、おそらくその背後にも何かあるのだろうが、『グレイガルディア』全域に勢力を伸ばす存在が、軍政打倒と帝政復活に向けた動きをしておった、という事であろう。わしの新鋭戦闘艇の入手を仲介したのも、『カームネー』とかいう軍閥を富豪に育て上げたのも、プラタープ殿が『バーニークリフ』を奪還したのも、お前達一派の周到な準備の一環なのだろう。」
「まさか。私は一介の商人に過ぎません。そんな難しい話は、分かりかねます。」
ジャラールの猜疑の目を意に介する事も無く、ジャールナガラは飄々とした笑顔を見せた。本心でも、それほど嘘を付いたつもりは無い。組織立って意欲的に軍政打倒や帝政復活に邁進して来た、という認識は彼には無かった。カイクハルドにもビルキースにもアジタにも、無いだろう。
アジタは直前まで、軍政を善政に導く事を考えていたはずだ。カイクハルドは、「アウトサイダー」を蔑ろにしたり虐げたりする者に噛み付いていただけだ。ビルキースは、カイクハルドの行動を何でも支援する。
イシュヴァラが、草の根の民衆支援の中でサンジャヤ・ハロフィルドに出会った。そして、彼との話し合いの中で、軍政を打倒して帝政を復活する企てに、「グレイガルディア」を少しでもマシな方向に導ける可能性を感じた。恐らくそれが、軍政打倒への流れの原点だ。
とすれば、彼等はサンジャヤ・ハロフィルドに動かされている、と言っても良いのかもしれない。それを告げればカイクハルドは、へそを曲げて全力で否定するだろう。「何で俺が、あんなキザ野郎に動かされなきゃ、いけねえんだ」とでも毒づくのだろう。
だが、サンジャヤ・ハロフィルドの熱意と誠意に打たれたから、イシュヴァラはカイクハルドに彼を会わせ、活動の支援を要請した。帝政への信頼などは無かったイシュヴァラだっただろうが、軍政の余りの横暴とサンジャヤの誠実な態度が、とりあえず彼をカイクハルドに会わせてみよう、と思わせた。
カイクハルドはサンジャヤ・ハロフィルドに協力して、「グレイガルディア」中の軍閥を巡っての意識調査を実現させた。傭兵として金で雇われただけだ、と彼は言い張るが、サンジャヤの言葉が全く気に入らなかったら、断っていたはずだ。軍政への不信や反発の根深さを正確に把握する事の必要性は、間違いなくカイクハルドも感じていたはずだ。
その結果、サンジャヤ・リストが作成され、軍政の威信凋落が形として現され、軍政打倒の流れも明確なものになり始めた。ジャールナガラがイシュヴァラに要請され、サンジャヤ・リストに載っている者の支援に動き始めたのは、それからだった。
その時のジャールナガラには、明確に軍政打倒を目指して活動し始めたつもりはなかったのだが、軍政の横暴への反感は持っていたので、敵対勢力への注力を決断した。しかしその一方で、もし軍政打倒の流れが力強いものになった時には、できるだけ速やかに回天が成った方が民衆の被害は少なくて済む、とイシュヴァラに説明されていた事も、彼がサンジャヤ・リストに名のある軍閥に力をつけさせようと考えた理由の一つだ。
だからカイクハルドもジャールナガラも、以前からずっと軍政打倒を目指していたわけでは無い。可能性の1つとして備えはしていたし、横暴を極める軍政への反発もあったが、軍政打倒の決意は、「カフウッド」や「レドパイネ」の蜂起を見届け、その闘い振りを見る中で徐々に固まって行ったものだ。
ジャラール・レドパイネの視線に、未だに鋭く突きさされながら、ジャールナガラは旧友を想った。
(アジタは今頃、苦しい想いをしているだろうな。軍政を善政に導き得ず、軍政の中に見出した有能で誠意の溢れる若者を、破滅に陥れてしまうかも知れない立場だ。)
カーキ色のローブに包まれた後ろ姿が、脳裏に浮かんでくる。
(ビルキースも、ベッドを共にした男達が、これからも続々と死んで行くであろう未来に、恐々としておるかもな。)
ジャールナガラが覚えているビルキースは、カイクハルドが抱いている記憶と同じく、15歳の時のあどけないものだ。悲しみも苦しみも訪れて欲しくはない、と感じさせる可憐な少女の姿を想うと、苦しい気持ちになる。
(カイクハルドは、帝政への不信や不満を抱えながら、帝政復活の為に命を懸けて戦わなければいけない現実と、向き合っているのだろう。)
猛禽類の鋭さを放つ眼差しを、ジャールナガラは思い出した。本来なら噛み付く相手であるはずの皇帝勢力に力添えしての戦いだが、軍政を打ち倒す為だから、と葛藤を抱えたままでも暴れているのだろう。だが、葛藤程度であの眼光の鋭さが鈍るはずのない事は、ジャールナガラは熟知している。
(私も、帝政には不安を覚えながらも、今は帝政復活に全力を傾けるまでだ。苦しいが、やり抜こう。なあ、カイクハルドよ。)
脳裏に浮かぶ猛禽類の眼差しに、ジャールナガラは語り掛け、そして勇気をもらった。
(イシュヴァラも、迷いや、重苦しい気持ちは抱えているだろう。自分が始めた行動が、多くの者達を巻き込み、数多の命が散って行くきっかけを作ってしまった。サンジャヤハロフィルドを支援する、という彼の決断が、軍政打倒の流れとその中での幾つもの殺戮の原点になったのだ。草の根の民衆支援を志す彼には、重すぎる荷物だ。)
アジタと同じく、カーキ色のローブに身を包んでいる事の多いイシュヴァラだが、その後ろ姿はアジタよりもひょろりと細長く、脆弱なイメージがある。激動の原点となった重圧に、耐えて行けるのだろうか、とジャールナガラも心配になる。
(だが、奴も、やるべき事はやり遂げるだろう。「カフウッド」がド派手な戦果で征伐隊を潰走させ、軍政に大部隊を派遣させて、「カウスナ」領域に釘付けにしている。「レドパイネ」はこうして「シックエブ」の喉元に刃を突き付ける態勢だ。皇太子カジャや名門貴族プーラナ・ミドホルの名声が、「グレイガルディア」各地での反乱蜂起を次々と呼び起こしてもいる。このタイミングで皇帝ムーザッファールが「ニジン」星系から脱出し、軍政打倒を声高らかに呼びかければ、途轍もない規模のうねりが、この星団国家を突き動かすはずだ。)
うねりを発生させるべく、皇帝の脱出と挙兵をサポートするのが、イシュヴァラに託された役割だ。軍閥「カームネー」の膨大な財力を味方に付ける算段も付いている。その進捗を、これからジャールナガラ自身が確認しに向かう手筈なのだが、皇帝権威と「カームネー」の財力の結合は、凄まじい軍勢と権勢を生じさせるはずだ。イシュヴァラがこれから取り掛かろうとする仕事は、「カフウッド」「カジャ」「レドパイネ」に続く、軍事政権への強烈な打撃だ。
ジャールナガラを見詰めるジャラールの視線は、いつしか猜疑から畏怖へと変化していた。イシュヴァラを想うジャールナガラの眼差しに、壮大な計画の存在を嗅ぎ取ったらしい。「レドパイネ」ファミリーには決して実行できないであろう策略が、「グレイガルディア」を震撼させようとしている事を、ジャラールは予感させられたらしい。
高貴な身分を象徴するかのような、品よく切り揃えられた長い口髭を指先で弄びつつ、「グレイガルディア」星団帝国の皇帝ムーザッファールは、大きく目を見開いていた。
「朕がこのような辺境に蟄居しておる間に、これほども多くの者達が立ち働き、軍政打倒への道を切り開いてくれたのか。プラタープ・カフウッドが、ジャラール・レドパイネが、プーラナ・ミドホルが、そして我が息子カジャが、なんと力強く勇敢な戦いをしてくれたことか。」
皇帝の眼前に三次元映像を現出させ、近況を報告し終えたイシュヴァラは、点と線だけで構成されたような淡白に過ぎる顔を、皇帝に向けた。
「はい、陛下。百余年に渡ってこの星団を統治して来た軍事政権は、大きな動揺の時を迎えております。各地で続発している反乱も、『カフウッド』や『レドパイネ』の戦果を伝え聞き、加熱の一途を辿っております。今、皇帝陛下がこの『ニジン』星系より脱出あそばし、兵を募り軍政打倒の檄を飛ばされれば、軍政はいよいよ窮地に追い詰められる事になりましょう。」
「そうか。そうか。」
目にうっすら涙まで浮かべて、皇帝は感激を露わにしている。「朕が不甲斐なくも挙兵に失敗し、『カルガ』領域の『マントゥロポ』星系で捕えられるという醜態を曝し、この『ニジン』星系での蟄居を余儀なくされるという体たらくであったのに、我が忠臣達は頼もしい限りであるな。この上は何としても皇帝親政を復活させ、功臣達に手厚い恩賞を授けねばなるまい。「カフウッド」も「レドパイネ」も、朕の側近として高等貴族に遇するのがふさわしいだろう。プーラナ・ミドホルにも、目いっぱいの名誉と財産を手の内にさせねば・・」
「恐れながら、陛下。皇帝親政が復活したとしても、突如として皇帝一族にそれほど巨大な財が生じるわけではありますまい。帝政復活に功のあった者すべてに、それほどに潤沢な褒賞を下される余地などは有りませんでしょう。皇帝側近というポストにも限りがあり、皆を高等貴族に遇するなども不可能です。名誉や財のみで功を賞し切る事は、できかねるかと存じます。」
「確かに。どうすれば良いのだ。これほどにまで朕の為に尽くしてくれた臣達に、朕に身を、心を寄せてくれる者達に、朕はどうやって報いれば良いのだ。何を与えてあげられるのだ。」
「陛下。恐れながら、陛下の御為に功のあった者、陛下に心を寄せる者、陛下の御傍に侍る者の身の上を想うお心は分かりますが、その前に陛下は、この国の頂点に立ち、多くの民を統べる地位にお就きあそばされるのです。陛下の側におらぬ者、陛下の為の功は無い者、帝政とは反する立場に身を置いた者も、陛下の統治のもとで暮らして行く事になるのです。その者達の不安を和らげ、未来への心配を取り除いてやらねば、せっかく皇帝親政を取り戻せたとしても、砂上の楼閣となってしまいますぞ。」
「・・そ、それは確かに、そうかもしれぬが、功のあった者、傍にある者に十分な恩賞を与える前に、傍におらぬ者や敵対する立場にあった者の事などを考える、などというのは、得心の行かぬ話であるぞ。」
「陛下は、この国の統治者という特別な責任を負う立場に、お就きになろうとしておられます。統治者には、自分にとって身近な者も遠い者も、自分への功のあった者にも無かったものにも、遍く平等にお心を配って頂く必要があります。そうでなければ、統治者の配慮から漏れた者達が、統治者への不満や怨嗟を募らせ、国の骨格を揺るがせるに至りましょう。誰かを褒める事より、誰も置き去りにしない事が、統治者には求められます。」
「・・何やら、どこかで聞いたような言葉だな。・・そうか、朕が軍政に捕らわれの身になる時、いや、朕を捕えた者が朕の身柄を軍政に引き渡そうとした時、そのような事を申しておったな。朕が、『アウトサイダー』や軍政に属する者も含めた、全ての者を平等に扱う統治を成し得ぬのなら、皇帝親政には復活させてやる値打ちは無い、とかなんとか。」
「その者は、こうも申し上げたでしょう。自分の身近にいる誰かにばかり気を配り、それ以外の『アウトサイダー』等を蔑ろにしたり、虐げたりしている権力者には、その誰かの喉元に『アウトサイダー』の牙が閃く事になるって思い知らせてやる、と。」
「おお、それは、確かに、一字一句その通りの発言をしておったように、記憶しておる。銀河連邦エージェントのイシュヴァラとか申したか、その方、彼の者と面識があるのか?」
「はい。古い友人です。この星団で盗賊の子として生まれ育った彼が、連邦支部に拾われて星団の外の世界を見分して回り、この星団に舞い戻ってくる時に、同じ宇宙船に私も乗り合わせていたのです。その縁で、『銀河連邦グレイガルディア第1支部』でしばらく共に生活し、この国の行く末やあるべき姿に付いても、何度も議論を戦わせました。私は草の根の民衆支援、彼は横暴に振る舞う帝政や軍政の権力者に噛み付く活動、と進む道は違えましたが、今は軍政打倒と皇帝親政の復活という目標を共有しております。」
「そうか。あの者も朕の為に戦ってくれておるのか。いや、朕の為では無いな。『グレイガルディア』に善政をもたらす為、か。朕がそれを成せぬようなら今度は、朕が彼の者に噛み付かれるのか。」
「彼らだけではありません。陛下が統治者として自覚を持った政治を行わねば、多くの者が、次は陛下に刃を向けるでしょう。かつてそうやって、帝政は軍政に統治権を奪われました。そして今、軍政が反乱を起こされておるのも、同様の理由です。」
「今、朕の為に、いや、帝政復活の為に戦ってくれている者達も、朕が別け隔てのない平等な治政を行わねば、朕の敵になりかねぬ、という事か。しかし、朕の為に戦う者とそれ以外を対等に、というわけには・・。蔑ろにしたり置き去りにしたりは、せぬよう心掛けるが・・」
納得が行かない様子の皇帝は、口の中でぶつぶつ言っている。確かに、国中の全員を対等に、とはいかないだろう。誰も、蔑ろにしたり置き去りにしたりしない、という意識だけでもしっかり持ってくれれば、少しはマシな治政になるか、ともイシュヴァラは思う。
だが、今はこうして辺境で蟄居している立場だから、イシュヴァラなどにも皇帝に意見を献上する機会を持てたが、再び権力の中枢に返り咲けば、状況は一変するはずだ。横暴な貴族達に周囲を固められ、それ以外の者には皇帝への意見献上の機会など、訪れぬようになるに違いない。
多少の差別は仕方ない、などという考えを皇帝が持ったままそんな状況になれば、そこに貴族達が付け込むだろう。一握りの者達が栄華を極め、その他は貧苦に喘ぐ国に、直ぐにでもなり果ててしまうのではないか。
近しい人間よりも遠くの者達の言葉に耳を傾ける、という意識を皇帝に、もっと強く持ってもらいたい。そうでないと、命懸けで軍政を打倒し帝政を復活させる難事業も、全く甲斐無しという結果になりかねない。
サンジャヤ・ハロフィルドは、長い時間を掛けて「グレイガルディア」を回って軍閥達の本音を聞いて回り、その果てに軍政に捕らわれ、刑死という最期を迎えた。カイクハルドも多くの仲間を失いながら、「ファング」として戦い続けている。アジタもラフィー・ノースラインを破滅に追いやるという苦渋に耐え、彼らの活動に協力してくれている。ビルキースも、日々体を穢され弄ばれながら、情報収集に精を出してくれている。
自分がサンジャヤとカイクハルドを会せた事から始まった、それらの犠牲や努力や忍耐が、目の前の男の気の持ちよう一つで無駄になりかねない。そう思うとイシュヴァラは、まだまだ皇帝ムーザッファールに言っておかなければいけない事があるような気になって来る。
だが今、口先だけで何を言ったところで、帝政復活後の彼の心も発言も大して変わらないだろう。一度貴族達に周囲を固められる生活を始めれば、こんな辺境で初対面の連邦エージェントに聞かされた言葉など、綺麗さっぱり忘れ去るに違いない。
それでも、帝政が復活すれば、現在のファル・ファリッジが実権を掌握する軍政よりは、マシな治政が行われるのではないか。皆が命を懸けて戦った成果が、その程度のものだと思うと情けなくもなるが、それでもやらなければ、軍政の為に多くの者が犠牲になり続ける。
様々な迷いや苦悩を心中に抱えながら、イシュヴァラは皇帝に告げた。
「陛下に脱出して頂く為の手筈は、すべて整っております。陛下の監視に付けられている衛兵達は、この『ニジン』星系の住民が騒ぎを起こす事で身動きがとれぬようにします。その隙に、陛下は我等の手配した宇宙船でお逃げ下さい。案内も、ここに駆け付けて来た住民が致しますので、その者の誘導に従って下さい。」
「お前が、同行してくれるのではないのか?」
少し不安気な表情を、ムーザッファールは見せた。
「私は連邦エージェントなので、こうして陛下への拝謁が比較的簡単に叶う分、軍政の方も警戒し、監視の目を強くしております。私がいないときの方が、衛兵達にも油断ができやすいのです。脱出の成功確率を高める為にも、私はここにいない方が良いでしょう。」
皇帝というのは、貴族や連邦エージェントといったそれなりの肩書を持った者が傍に居ないと、不安で仕方がないものらしい。生まれてからこれまで、そういった者達に周囲を取り囲まれ傅かれる暮らしを送って来たからなのだろう。せっかく威厳を高める為に蓄えた口髭も、泣き出しそうに細められた眼によって台無しになっている。
「大丈夫です」
という宥めの言葉を掛けると、子供をあやしているような気分だ。「宇宙船の停泊所にまで来て頂ければ、そこで私も合流致します。ほんの少しの御辛抱です。」
周囲に貴族や連邦エージェントなどが居ない、というだけで“辛抱”が必要になる。それが、皇帝という厄介な身分だった。カイクハルドなら「やれやれ」とでも言って適当にあしらうところだろうが、イシュヴァラは粘り強かった。
「住民の案内で移動するのは、ほんの数百mのことです。数分の出来事です。それに宇宙船にまでおいで頂ければ、御正室様やマッカリ・キロシード卿とも再会できます。」
「おおっ!キロシードも、共に脱出するのか。妻とも会えるのだな。そうか、そうか。」
ようやく、皇帝の顔に安堵の色が浮かんだ。「ニジン」星系での蟄居に同道した唯一の側近貴族であるマッカリ・キロシードは、皇帝には最も頼もしく、安心感を覚える人物だったようだ。彼や正室も、共にこの「ニジン」星系に押し込まれていたのだが、いつでも自由に会えるという状態ではなかった。数日に一回、衛兵の監視の下で数分間の対面ができる程度だった。
上記の2人に会えるというのは、皇帝をかなり勇気づけたようだ。
「分かった。案内に来た住民の言葉に、従えば良いのだな。」
「御意にございます。」
慇懃丁寧に皇帝に頭を下げて見せながら、イシュヴァラの心は乱れていた。
(ついに解き放つぞ、皇帝を、カイクハルド。もう、後戻りはできない。とてつもないうねりが、「グレイガルディア」を包み込むぞ。)
皇帝脱出が、どれ程大きな衝撃をもたらし、どれくらいの数の人々がどれくらい激しい動きを見せるか、正直イシュヴァラには予測し難いものがあった。彼等が企図した方向に事態が進むのかも、やってみなければわからない。軍政打倒や帝政復活に繋がるのかも、保証の限りでは無い。
別の軍閥による新軍事政権が誕生するかもしれないし、「グレイガルディア」が長期の無政府状態という混沌に陥る事態もあり得る。そんなリスクを承知しても、もうイシュヴァラには作戦を中断する術は無い。皇帝脱出の計画も、今この瞬間に不可逆的な発動状態となった。
これまでに「グレイガルディア」に起こったものを上回る、更なる激闘が繰り返される可能性も高い。多くの兵が死ぬだろう。庶民も多く巻き込まれ、犠牲になるだろう。数え切れない命を漆黒の宇宙に吸い取らせるうねりを、自身の行動が巻き起こす事になる。
イシュヴァラは震えた。戦慄した。動悸が止まらない。連邦エージェントとして、草の根の庶民救済活動をする為に「グレイガルディア」に来たはずの彼が、もしかしたら、それとは正反対の活動をやろうとしているのかもしれない。それでも、軍事政権をこのまま野放しにすれば、悲劇も惨劇も止めどもなく続くだろう。
不安も迷いも絶大な程あるが、もう進むしかない。一歩も退かない決意を固めつつもイシュヴァラは、皇帝という巨大過ぎる権威と権力を、不安気に見つめていた。
今回の投稿は、ここまでです。次回の投稿は '19/3/23 です。
話が拡散しまくって、ややこしさを極めて来ました。作者も書いていて混乱しましたし、何に対してどんなタイミングや順番で言及すればいいのか、迷走や煩悶の連続でした。読者様の中にも把握しづらく感じておられる方がおられるかもしれません。一応、整理しておきます。かつて「銀河連邦グレイガルディア第1支部」で出会った五人が、カイクハルド、ビルキース、アジタ、ジャールナガラ、イシュヴァラです。カイクハルドは、軍事政権への反抗の急先鋒であるプラタープ・カフウッドや皇太子カジャと共闘してきました。ビルキースは、大規模軍閥の棟梁であるターンティヤー・ラストヤードの傍に一時期侍っていて、この後にも侍ることになりそうです。アジタは、軍事政権の名目上の総帥ラフィー・ノースラインや大規模軍閥の棟梁アウラングーゼ・ベネフットと親しく通じ、軍政の実質的最高権力者のファル・ファリッジに苦言を呈したりもしています。ジャールナガラは、軍政の重要拠点「シックエブ」へと進軍したジャラール・レドパイネの兵器取得に協力し、進軍にも同行していて、今や「シックエブ」の喉元ともいえる「ヒルエジ」星系にたどり着き、肉薄を果たしています。そしてイシュヴァラは、皇帝ムーザッファールの「ニジン」星系脱出作戦を発動させました。互いに十~数十光年も離れた場所にいる、壮大な戦略や譲れない想いや責任の重圧や勇猛な闘志や絶大な権力を抱えた者たちと、「第一支部」で出会った五人は行動を共にしているわけです。これまでは、「カウスナ」領域や「シェルデフカ」領域といった。「グレイガルディア」の片隅ともいえる場所での戦いばかりが描かれてきましたが、ここからはそうはいかないことが、上記の現状からもご認識頂けるかと思います。「盗賊兼傭兵の武勇譚」から「一国の回天物語」になっていきます。その一方で、「ラーニーやビルキースとカイクハルドは?」とか「ヴァルダナとナワープは?」といったところに興味をお持ちの読者様にも、それなりの何かをお届けできるのではないか、と作者なりに考えてはおります。それぞれなりの、色々な視点で、是非読み進めて頂きたいです。というわけで、
次回 第61話 「ファング」の転戦 です。
何話かぶりで「ファング」に話が戻ってきます。そして、戦いの広域化をさんざん主張しておいて、上記のタイトルです。彼らがどこへ向かって、どんな戦いに臨むのか、それに伴って、どんなことが起こるか、想像を巡らせて欲しいところです。戦いや国の行く末に限らない変化にも、想いを巡らせて欲しいです。




