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銀河戦國史 (アウター“ファング” 閃く)  作者: 歳越 宇宙 (ときごえ そら)
第3章  攪乱
34/93

第32話 難解に結ばれた紐

 ナジブの頑張りがどれ程の違いを生んだかは分からないが、「フロロボ」星系のエッジワース・カイパーベルトでの隠し集落の建造は、極めて順調に進んでいた。半月としない内に、物資の搬入が可能な状態になる。人が長期に暮らすには、もう少し綿密な措置が必要になるのだが、「ファング」の補給拠点とするには、申し分のないものとなりつつあった。

 L4-ラグランジュ点にある4つの集落も、ずいぶん環境が良くなった。「ファング」がやって来た後の数日で、食料などは十分な量が運び込まれたが、医薬品などの生活に必須のものから娯楽に類するものまでが、その後の十数日で集落内に満ちて行った。

 大勢の若い女達も「ファング」の根拠地からやって来て、パイロット達を喜ばせた。「シュヴァルツヴァール」には1人に付き3人までしか囲えないので、拠点としている集落にいる女というのは、彼等には貴重な存在だった。

 女達は、関係を強要できる存在では無い。暴力は禁止の「ファング」なので、男達は手練手管を繰り出して挑みかかり、口説き落とす必要がある。戦闘では無敵のパイロット達が、女達を前に玉砕を遂げる事態が続発したが、それも含めて、パイロット達には良いレクリエーションになったようだ。

 「ファング」のパイロットの落し胤であろうとなかろうと、彼女達が身籠った子は、この集落の将来を担う貴重な人材となる。多くの若者を失った集落において、送られて来た女達とその(はら)に宿った命は、生き残った住民達の期待を集める存在だった。

 若い男も送られて来ており、彼等は、資源採取や生産活動の即戦力となった。複製したカードキーを使って人工彗星を操作し、十数年かけて採取して来た資源を吐き出させると共に、「ファング」の提供したものとパーツを交換し、より高性能な装置へと仕立てて行く。

 これも、集落の将来を担う、重要な活動だった。

 「ファング」のパイロット達は、4つの集落に散って行った女達を追いかけたり、資源採取活動などを手伝ったり、隠し集落の建設に参加したり、と思い思いの活動を展開していた。

 ヴァルダナのように、過去の戦闘データーを精査して、戦略戦術の理論習得に励むものもいる。新入りパイロットから何人かの有志を誘って、熱い戦略論議を戦わせたり、模擬戦闘による戦術確認に精を出したりもしているらしい。

 しばらく戦闘から遠ざかるこの機会を、パイロット全員がそれぞれなりに、有効活用していた。

 ラーニーもしきりに「シュヴァルツヴァール」から出て、集落の住民との交流の機会を持ちたがった。ヴァルダナが「シュヴァルツヴァール」に籠って戦略談議等に没頭しているので、ラーニーを連れ出すのには問題無いのだが、カイクハルドから離れては「シュヴァルツヴァール」の外を動き回れないラーニーによって、彼も引っ張り出される事になる。

「冗談じゃねえぜ、何で俺が、こんな貧乏で何も面白いものがねえような集落を、飛び回らなきゃいけねえんだ。」

 航宙指揮室で、カイクハルドは愚痴をこぼす。

「嫌なら嫌と言えばよかろう。囲ってる女の言いなりになる必要など、全く無いはずだぞ。」

 トゥグルクの正論に、カイクハルドは口をへの字に曲げただけだった。無重力中では膝の上に乗せても仕方がないのか、いつもの少女が、トゥグルクの肩の辺りに漂っている。トゥグルクの腕にしがみつく事で体を固定しているが、その腕を自らの太腿に導いた状態で浮かんでいる。かくも囲われた状態を楽しんでいる女もいるのだ。

「とりあえず、ラーニー連れて出かけて来るぜ。後は任せた。と言ったって、別段やる事もねえだろうが。」

「ああ、暇だよ、ここのところはずっと・・・と、おや?・・・索敵網に、反応だな。」

 「ファング」が独自にばら撒いている無人探査機や、「カフウッド」のそれらから転送されたデーターによって、彼等は「シェルデフカ」領域に関しては、全く隙の無い索敵網を敷いている。敵が来れば、即座に分かる。

「来たようだな、『パレルーフ』ファミリーが。本当に一個の軍閥だけで、単独で『シェルデフカ』領域に姿を現しよった。『カフウッド』部隊が腰を据えている『フロロボ』星系第2惑星まで、8時間ほどの距離だな。」

「プラタープの旦那も、まだそこにいるんだったな。どう動くか見ものだぜ。旦那も、『パレルーフ』が一筋縄でいかない相手だって事くらいは、気付いてるだろうからな。俺達は、当分静観だな。」

 そう言い残して、カイクハルドはラーニーを連れて「シュヴァルツヴァール」を後にした。集落内を探訪して回る。いずれは「ファング」根拠地から最新鋭のものが送られて来るはずだが、今のところは、かなり旧式の生産設備を使い、人工彗星などで採取した資源から必要なものを生産している。

 この集落では食料も、9割が化学経路食材ケミカルプロセスフードだ。1割は生物経路食材(バイオプロセスフード)で、生物由来食材(バイオオリジンフード)は全く作られていない。それでも生きて行くには支障はないが、貧しく惨めな生活、と言って良いだろう。

 生物由来食材を生産するには、設備や環境を整えると共に、住民に広範な知識や技術を習得してもらう必要が出て来る。誰かが、時間をかけてそれを指導してやらなければ、生物由来食材を継続的に生産できるようにはならない。惨めではない生活をする為に、この集落に欠けているものは、相当に多いと言える。

 そこまでの支援を「ファング」根拠地ができるかどうかは、現段階では不透明だとのカイクハルドの言葉に、ラーニーは表情を曇らせた。第2惑星軌道上の集落と比べても、相当質の落ちるのが、ラグランジュ点にある集落の暮らしだった。領民の間でも暮らしには格差があり、ここでの暮らしは最貧の部類に属する。

「私達、帝政貴族の不明な統治が、このような格差や、貧困に窮した集落を生み出してしまったのですね。歴代皇帝の中には、豊かな生活の普及に尽力された方もあるのに、帝政貴族の中に、それを妨げ、自身の蓄財や保身だけに邁進した者が多くいた。」

 自戒を込めて呟くラーニーに、カイクハルドは苦笑で応じる事しかできなかった。憂いを帯びた女は、哀れにも見え、美しくも見える。苦笑は、そんなラーニーに、どぎまぎさせられた自身へ向けてのものだったかもしれない。

 3時間もあれば全体を見て回れるほど、集落は小規模なものだった。危険を伴う宇宙遊泳の中でしか実施不可能な作業に、年端もいかぬ少年少女が駆り出される様には、ラーニーは正視し難い気持ちを表情に上らせた。貧困が(むしば)むものの、最も残酷な例が、少年少女の命だった。

 視察を終え、ラーニーを自室に送り届けたカイクハルドは、再び「シュヴァルツヴァール」の航宙指揮室に姿を見せる。

「ちょっと変な軌道で飛んでやがるな、『パレルーフ』ファミリーは。」

 トゥグルクの困惑気味な表情での報告に、カイクハルドもディスプレイにかじりついた。

「真っ直ぐには、第2惑星は目指してねえんだな。周囲を広く偵察しているのか?」

「それにしては、密集して進んでいるぜ。偵察なら、もっと距離をとって部隊を散開させそうなものだが。」

 意図の見えない「パレルーフ」の動きを、しばらく彼等はディスプレイ上で追いかけた。幾つもの無人探査機が捕えたデーターが総合されたものが、ディスプレイには表示されている。

「こっちを、目指してやがるのか?」

 突如、深刻さの色を濃くして、カイクハルドは叫んだ。「この第3惑星のL4―ラグランジュ点を、一直線に目指していると考えれば、敵の行動にも説明が着くぜ。」

「馬鹿な!何の為に?」

 絶大な危機をもたらすその推測に驚き、トゥグルクの声も大きくなる。「こんなちっぽけな集落が4つだけの宙域に、軍閥の本隊が何をしに来るんだ。糧秣の徴発に来るなら、それに見合う小規模の徴発隊だけを差し向ければ、事足りるだろう?全軍で向かって来るなんて・・・」

「確かにここにある食料じゃ、中規模の軍閥部隊を養うにはあまりにも不十分だから、全軍で糧秣の徴発に来る、なんてあり得ねえ。・・・まさか、『ファング』を狙い撃ちにする算段なのか?」

「そ、そんな・・、そんな馬鹿な!」

 同じ叫びを繰り返したトゥグルク。それは、彼等の確実な破滅を示すものだ。「たかが盗賊団兼傭兵団を1つ潰す為だけに、あれだけの規模の軍閥が全軍を差し向けて来るなんて、考えられねえぞ。それに、ここに俺達がいる事が、敵に分かるはずもない。」

「これまでの戦闘データーを精査して、俺達がただの盗賊団兼傭兵団じゃねえって、推測したんじゃねえか。反乱側の作戦面でも精神面でも、『ファング』を真っ先に潰すのが一番合理的だ、とこれまでの戦闘データーから判断した可能性は、無いとは言えねえ。それに、俺達がここにいる事も、分かってるわけじゃなくても、読んだ可能性はある。強力な戦闘艇団が、『エッジャウス』や『シックエブ』からの通り道にある集落に潜み、後方攪乱を企んでいる、って事を、断片的な情報から読み切ったのかもしれねえ。」

「そ・・そんな事、あり得るのか?たった百隻の戦闘艇団だぜ。いくら戦闘データーを広く集めて徹底解析したって、たった百隻の戦闘艇団の撃破が反乱鎮圧の決め手になる、なんて結論はあり得ねえ。それに、それを潰す為に全軍を繰り出すとか、居るかもしれねえと読んだだけで、はっきり居ると分かってもいねえちっぽけな集落に向けて、全軍を差し向けるとか、考えられる話じゃねえぜ。しかも、確実に第2惑星に駐留していると分かっている『カフウッド』を差し置いて、なんて。」

 「パレルーフ」が「ファング」を潰す為にL4-ラグランジュ点を目指す、などとは想像もできい事態だったからこそ、今の今まで彼等は、その可能性を考えていなかった。「パレルーフ」ファミリーは当然、「フロロボ」星系第2惑星を目指すものだ、と決めつけていた。しかし、カイクハルドの表情は、既にそれを可能性では無く現実として受け止めているものだ。

「どういう情報をもとに、どんな考え方をしやがったのか分からないが、今の『パレルーフ』艦隊の動きを見れば、このL4-ラグランジュ点に全軍で直行しようとしているのは、間違いないし、その目的は、『ファング』の撃破以外には考えられない。」

 カイクハルドの表情から、深刻さが消滅し、達観したような笑みに取って代わられた。

「やはり、恐ろしい敵だったな『パレルーフ』は。」

 笑顔のまま、話を続けるカイクハルド。「大規模部隊に先駆けて、単独で突出して来て、ちっぽけな集落に駐留している百隻だけの戦闘艇団を、潰しに来たんだ。それだけなら、確かに大部隊は必要ない。中規模の軍閥が全軍を繰り出す必要すら、全く無い。だが、奴等はそれをやろうとしているんだ。」

「何の為に?」

 トゥグルクは、まだ納得できないらしい。「百隻の戦闘艇団を潰して、どんな効果を期待しているんだ?」

「具体的に何を期待しての行動かは、はっきりとは分からねえが、『パレルーフ』は、真っ先に、確実に『ファング』を潰す事が、反乱鎮圧に繋がると判断したんだろうぜ。奴等の動きは、そう考えると説明が付くんだ。」

「それで、ここにいるはずだという予測だけで、全軍を差し向けて来るのか。」

「こっちが予測もできねえ不思議な判断をして、あり得ねえほど思い切った決断を下す。それが正しいかどうかに関わらず、そんな事をやれるってのは、極めつけの難敵だ。それが『パレルーフ』だったって事だ。」

「・・で、どうにかできるのか?カイクハルド。」

「できねえよ。こんなちっぽけな集落に身を寄せている時に、あれだけの艦隊に狙い撃ちにされたんじゃ、たった百隻の戦闘艇団に、なす術なんぞあるはずもねえ。まあ、何もしねえでやられる気はねえが、最後まで盛大に暴れて見せるつもりではいるが、『ファング』は、ここで終わりそうだな。パイロット達があっちこっちに散ってて、敵が来る前に、全戦力を集結する事もできねえし、全戦力で束になったところで、敵の包囲は抜けねえだろうぜ。」

「・・・そうか。ここまでか、『ファング』は。」

 トゥグルクにも、達観の笑みが伝染した。

 いつか終わりが来る事は、「ファング」のメンバーであれば全員が覚悟している。トゥグルクも、終わる、とカイクハルドに断言されれば、今更騒ぎも恐れもしない。彼の腕にしがみついている少女の眼には、涙が浮かんでいるが。

 カイクハルドは、「ファング」の全員に向けた通信を開いた。腕には常に端末を着けて置くように全員に言ってあるので、確実に全員に伝わるはずだ。

「俺だ。カイクハルドだ。済まねえが、『パレルーフ』に意表を突かれちまった。『ファング』は、ここで終わりそうだ。ひと暴れしてから終わるつもりだが、『パレルーフ』に勝てる見込みは万に一つもねえ。まず間違いなく、壊滅させられる。

 運の良い奴は、上手く逃げ延びられるかもしれねえし、この集落に隠れていれば、やり過ごせる確率もゼロじゃねえ。降伏すれば、命ばかりは助けてくれるかもな。逃げるも隠れるも降伏するも、各自の好きにしろ。『ファング』を裏切って敵に寝返り、俺の首を取りに来たって構わねえし、殺されても恨みはしねえ。

 だが、『ファング』の壊滅は避けられねえし、俺は逃げも隠れもせず、当然降伏もせずに、盛大に暴れて華々しく散るつもりだ。後4時間ほどで、『パレルーフ』はこのラグランジュ点の包囲を完了しそうだ。その後に『ファング』は終わりを迎えるから、それまでに思い残す事がねえように、最後の時間を有意義に過ごせ。

 それと、これが言葉を伝えられる最後の機会になる奴もいるだろうから、挨拶だけしておくぞ。お前らと戦えて、楽しかったぜ。ありがとな。じゃあ、あばよ。」

 ちょっとした業務連絡のように、それだけを告げ、カイクハルドは通信を閉じた。

「てなわけで、俺は今からラーニーを抱いて来る。重力の方、頼むわ。」

「それがお前の、最後の晩餐か。」

「応よ。もう、熟成とか言ってられねえからな。死ぬ前に、抱くわ。じゃあな。」

 トゥグルクとも最後になるかもしれない会話を、そんな感じであっさりと片付け、カイクハルドは自室を目指して飛翔した。

「じゃあ俺達も、最後の晩餐と行くか。移動する時間も惜しいから、ここで構わんだろ?」

 トゥグルクの言葉に涙ながらに頷く少女を、カイクハルドは閉まる扉の隙間から、チラリと一瞬だけ見た。

 自室に着く頃には、「シュヴァルツヴァール」の艦内には重力が生じていた。港湾施設の無い集落に横付けになっていた艦を、目指す先も無いままに発進させたのだ。加速による重力が、カイクハルドを床に押し付ける。

 ラグランジュ点の中をグルグル回るだけなので、あまり強い加速重力は生じさせられず、ポーンポーンと大きく弾むような移動で、カイクハルドは自室に到着した。

 食事や睡眠など、生物として必須な活動に、重力はとても大切なものだった。無くても何とかなるが、色々な器具や設備の力を借りてようやく成し遂げられるものとなり、重力下でのそれと同等の快適性は、到底望み得なかった。

 男女の営みも、そうだった。重力無しとなると、特殊な補助器具を使った実に滑稽で、色気も味気も悲惨なくらいに損なわれた行為になってしまう。それでも、「それなら、やめておこう」とはならないのが人間の(さが)で、困難が大きければ大きい程、人は夢中になり、何としてでもやり遂げようとするのだ。

 カイクハルドも、生まれてからずっと宇宙空間で生きて来たので、無重力での男女の交わりは何度も重ねて来ている。その為の補助器具も多種多様に、自室に取り揃えている。それでなくても不格好な行為を、補助器具を使って更に輪をかけて不格好になって執り行うのにも、もう慣れたものではあった。

 が、やはり、重力はあった方が良い。重力下での方が、不格好さは軽減されるし、何と言っても、快適だ。こんな行為は、快適じゃ無ければ意味がないようなものだ。それにも関わらず、快適でなくても何とかしようとするのだが、だから色々な補助器具を保有しているのだが、それでも快適にできるのならば、快適にしたい。どんな苦労や犠牲を払っても、快適さを追求したい。

 特に今は、人生最後の機会かも知れないのだ。最後の晩餐かもしれないのだ。十分なものは得られないとしても、やはり、重力は是が非でも欲しい。

 そんなわけで「シュヴァルツヴァール」は、その為だけに膨大なエネルギーを消費し、巨大な重量の艦体を加速させるべく、イオンスラスタ―を噴射させているのだ。1Gという、もっとも快適な重力を発生させるほどに加速したら、ラグランジュ点に大量にある障害物に危機的な激突を遂げる可能性が出るので、控え気味にならざるを得ないのだが、可能な範囲で加速重力を発生させた。

 重力の下での快適な行為を求めて、カイクハルドは自室の扉をくぐった。ラーニーは、リビングルームで突っ立って、待ち構えていたかのように彼に視線を向けて来た。

「聞いただろ?さっきの通信は。」

 ラーニーの端末からも、先ほどの彼のスピーチは流れたはずだ。何も操作しなくても、強制的に彼の言葉を伝えたはずだ。

「はい。壊滅が、避けられない状況になってしまったのですね、『ファング』は。」

「そうだ。『パレルーフ』に、完全に意表を突かれちまった。想像もしなかった動きで、気が付いた時には、手の打ちようも無い状況に追い詰められた。まあ、お前は上手くやれば、生き残るチャンスもあるかもしれねえが、俺は、ここで死ぬわ。」

「・・そうですか。やはり、盗賊団兼傭兵団ですものね、『ファング』は。いつかは、こんな日が来るものなのですね。」

 その眼に哀惜の潤いは満ちているが、恐れも後悔も、微塵も無い。全てを受け入れる覚悟と共に、カイクハルドを見つめ返している。

「ああ、そうだ。いつかこうなるのは、分かり切っていたんだ。今日こうなるのは、ついさっき分かった事だが、こんな日が来る事は、ずっと前から分かってた。ま、予定通りって話だ。」

 ラーニーはカイクハルドを見つめ続ける。同情も憐憫(れんびん)も、彼女は感じてはいないだろう。生きたいように生き、やりたいようにやって来た男は、たとえこれから殺されるとしても、大切な仲間が皆殺しになるとしても、そこに憐れむべきものは無い。惨劇は起こり得ても、悲劇は起こり得ない。

 ただ、この男との「シュヴァルツヴァール」での生活が終わるのを、ラーニーは少し寂しく感じているらしい。

「もうじき死ぬから、お前の熟成も、もう待っていられねえ。抱くぜ。」

 無言と不動を同意と解して、カイクハルドはラーニーに魔手を伸ばした。肩を抱く。寝室へ(いざな)う。乏しい重力下の、2人並んでのポーンポーンと弾むような間の抜けた動きが、ロマンティックであるべき今のこの雰囲気に、致命的な水を差した。

 彼が肩を抱いていれば、寝室に入っても、ラーニーの腕輪は電流を見舞わない。ラーニーは2年目にして、初めて寝室に入った。

 入るや否や、壁に押し付けられたラーニー。カイクハルドの手が、ラーニーの服に伸びる。コットンという素材の呼び名は知らないカイクハルドだが、薄紫に染めらた布地に、ラーニーの気品や清楚な温もりが蓄えられているように感じつつ、それの剥奪を試みる。

 首元から下に20cmほど、切れ込みがあり、それが同質の素材の紐で閉じられ、縛られている。結ばれた紐を(ほど)かねば、それの剥奪は成就(じょうじゅ)しない。が、結び方が、複雑怪奇だった。

「なんちゅう、ややこしい結び方してんだよ、これ。」

 ぶつぶつこぼしながら、結び目と格闘し始めたカイクハルド。解き方云々(うんぬん)の前に、指の入る隙間が、どこにも見い出せない。一塊(ひとかたまり)となった結び目の、どこにも、僅かにも、隙間が生じない。カイクハルドの野太い指は、(かたく)ななまでにシャットアウトを食らい続けた。

「全然・・解けねえじゃ、ねえかよ。・・何だよ・・ちっ・・くそっ、何なんだよ、これっ。」

 毒づくカイクハルド。

「あの、自分で、解きましょうか?というか、自分で脱いだ方がはや・・」

「うるせえ!黙って、じっとして、されるがままになってろ。」

「・・はい。」

 それから1分経っても、結び目は、結び目のままであり続けた。

「あの、やはり、自分でやった方が・・・」

「うるせえんだよ!女なんぞ、こんな時は、されるがままになってるもんだ。じっとして、黙っていろ!」

「・・はい。」

 不満気な表情で、しかしラーニーは、辛抱強く待ち続けた。ラーニーの19年の人生の中で、最も忍耐の必要な待ち時間かもしれない。

「ああっ・・もうっ・・なんだよ・・ちくしょうっ・・ああっ・・」

 一か所が緩んだと思ったら、別の部分がきつく締まる。あっちが解けかけたら、こっちが固まる。同じことを繰り返す。何度も何度も、同じ現象が起こる。

 指に紐が絡みつく。結び目を解く以前に、指が絡み付いた紐から抜けなくなる。指がきつく締められて、先端が鬱血(うっけつ)で変色して来る。無理矢理指を引っこ抜いてみたら、結び目は、さっきより強固になっていた。

「あああっ・・解けねえ・・何で・・時間ねえのに・・こんな事に・・こんなに・・時間かけなきゃ・・」

「ですから、自分で・・・」

「うるせえっ!」

「・・はい。」

 1つだったはずの結び目が、なぜか今は、3つある。イライラが募る。焦りはもっと募る。行き場を失った欲情が、脳内におかしな激流を生み、目に映る結び目がぼやけて見えて来る。ちゃんと見えても解けないものが、ぼやけてしまっては、解ける気がしない。

 いっそ、ナイフですっぱり切り裂いてやろうか、と思った時、何も考えないで手当たり次第に紐を引っ張った途端、するするする、と一気に解けた。5分に及ぶ格闘を嘲笑(あざわら)うかのように、何の抵抗もなく結び目は消え去った。

 喜びより、怒りが込み上げる。

「何なんだよぉっ!」

 怒りと共に、コットンの服をむしり取り、頭上目がけて投擲(とうてき)する。その下に見出した布製のもの共も、次々にむしり取り、投げ付ける。いわれのない怒りを向けられた、布製のものどもが、ラーニーの体温を残したまま、壁に天井にと無残に叩きつけられる。

「ようしっ、へへっ、ざまーみろっ!」

 全裸に剥いた事を殊更(ことさら)に勝ち誇って見せる事で、生意気だった結び目への憤怒を発散したカイクハルドは、ラーニーを横向きに抱き上げ、ベッドの上の空間に勢い良く開放した。

 貧弱な重力の下で放り投げられたラーニーの裸体は、大きな放物線を描いてゆっくりと飛翔する。クルクルと回転しながら、じわじわと上昇し、天井すれすれにまで到達した後、徐々に軌道を捻じ曲げて行き、ベッドを目がけてスローモーションで落下して行く。

 回転は止まらず、あらゆる方向にあらゆる部位を曝しながら、ノロノロと落下して行く。姿勢が定まらず、手足をばたつかせてしまうので、隠したい部分を隠す事もままならない。

 30秒間以上にも渡って、全裸で空中を泳ぐ事を余儀なくされたラーニーは、極限までの発色に至った赤面と共に、ベッドに抱き止められた。

 幸い、と言って良いのかカイクハルドが、自分の服を脱ぎ捨てるのに夢中だったので、ラーニーの全裸での空中遊泳という醜態(しゅうたい)は、誰の眼にも触れずに済んだ。

「とうっ!」

と、服を脱ぎ終えたカイクハルドも、ベッドに飛び乗ろうとする。が、興奮の為に勢い余ったのか、彼の裸体も、天井に届きそうな程の大きな放物線を、ゆっくりと・・馬鹿みたいにゆっくりと描く事になった。

 全裸でベッドに横たわり、天井を見上げるラーニーと、空中で、全裸で、手足をばたつかせながらゆっくりと落下して来るカイクハルドが、30秒以上に渡って無言のまま互いを見つめ合った。救いようのない程に気まずい時間が、長々と流れた。

 永遠とも思えるような落下時間の後に、やっとの事でカイクハルドは、ラーニーに馬乗りになった。これから始まる事に緊張するより、ラーニーは、気まずい時間が終了した事に安堵の表情を浮かべている。

「ふんっ!」

と、気合を込めた強烈な鼻息と共に、カイクハルドの両手がラーニーの攻略に取り掛かった正にその時、通信機が、無粋な電子音を響かせた。

 ピクリ、と反応したカイクハルドは、小さく頭を揺らしてその電子音を振り払い、ラーニーの攻略に全精力を振り向ける。が、けたたましい電子音は、カイクハルドの脳内で精密に練り上げられたラーニー攻略の方程式を、修復不能な程に攪乱した。

「・・ああっ、くそっ、なんだよっ!」

 片腕を伸ばし、通信機のスイッチを殴り付ける。もう一方の腕は、ラーニー攻略の途を歩み続けている。ディスプレイの表示が、通信の相手はトゥグルクだと告げている。

「おい、カイクハルド。」

「なんだよ!今、良いところなんだよ。」

「聞け!『パレルーフ』が、引き上げて行きやがるんだよ。」

「そんなつまらん話で人の楽しみを・・・って、ええ!? 何ぃっ!引き上げるだとぉっ!? どういう事だ?」

 態度と表情が、くるりと反転、ベッドの上を這って行って、カイクハルドは通信機にかじりつく。

「どいういう事かは知らんが、連中の艦隊が、ここから離れて行ってるんだ。最初に見つけた位置に、かなりの速度で向かってる。そこにタキオントンネルのターミナルを設置してあるんだろうから、本拠地にまで引き上げて行くつもり、としか思えん動きだぜ。」

 ポカァン、と気の抜けたように口を開け続けたままの数十秒を過ごしたカイクハルドだったが、何かを思いついた瞬間、苦笑を浮かべ、全身の緊張を解き、ベッドに仰向けに倒れ込んだ。

「おい、トゥグルク。『カフウッド』の旦那の動きはどうだ。」

「は?ええ?『カフウッド』の旦那、だと?」

 少し間を置いて、トゥグルクが答えた。「・・旦那も、撤収しているな。何の連絡も受けてねえが、旦那の艦隊が続々と第2惑星から離れて行って、『カウスナ』領域方面を目指している。何が起きてるんだ?」

「どっちが先に動き出したと思う?『パレルーフ』と旦那と。」

「状況から見ると、旦那が先に動いたみたいだな。って事は、『パレルーフ』はそれを見て、引き上げを決断したって事か。」

「決断って事もねえだろう。自分達が集落の一つに全軍を向ければ、旦那は撤収の動きを見せるはず、って初めから読んでいたんだろうよ。あいつらの動きは、『ファング』を潰すつもりのものでも何でもなかったんだ。ただ、『カフウッド』の旦那に、撤収のきっかけを作る為だけのものだったんだ。」

「・・よく分からんな。」

 トゥグルクは、当惑気味な声を響かせる。「集落を襲う事が、なぜ『カフウッド』を撤収させる事になるのだ?」

 首を捻る彼の顔を天井に思い描きながら、カイクハルドは淡々と説明を始めた。絡まり合った理屈を解きほぐす作業に面倒臭さを感じてはいるが、ラーニーの服の結び目を解く作業ほどの苛立ちは無かった。

今回の投稿は、ここまでです。次回の投稿は、'18/9/8 です。

ラーニーの全裸空中遊泳のシーンは、かなり早い段階から思いついていたアイディアでした。「ファング」の構想を練るはるか以前から、こんなシーンをいつか書いてやろう、と思っていました。出すべきものを出せて、実にすっきりしています。別に、エロいシーンを書くことが目的ではありません(きっぱり!)。重力状態が色々に変化して行く日常生活、というものを描きたくて、その代表例が、弱い重力下でのベッドシーンだったわけです。地球上での生活ではあり得ない現実離れした重力状態だったり、重力状態に変化があったり、という日常を描かないと、未来の宇宙が舞台の小説としては不十分だと思うし、けれども従来のSFにはあまり見かけないと思えるので、是非自分はそれを描こう、と思ったわけです。特に、"従来のSFで見ることのない現実離れした重力状態の日常生活"というものを徹底追及すると、"弱い重力下でのベッドシーン"に行き着いたわけで、エロいシーンを描く意図は、全く無かった(きっぱり!)のです。読者様にはとっくにお気付きとは思いますが、ストーリー上は全く不要で、ただ世界観を構築するためだけのシーンでした。こういうシーンを楽しんで頂ける読者様がおられましたら、作者には無上の喜びです。というわけで、

次回 第33話 牙が閃く訳 です。

「パレルーフ」の奇妙な動きが、ただラーニーに全裸で空中遊泳させるためだけのものだったわけではなく、この物語の下敷きにしている古典の流れに合わせた展開です。その中で、古典には無い要素であるラーニーや「ファング」がどうなるか、どうするか、成り行きを見守って頂きたいです。第3章も始まり、「攪乱」の章タイトルにふさわしい派手な戦闘シーンが、間もなく登場する予定ですが、その前に、踏まえておいて頂きたい事情などもありますので、よろしくお願い致します。

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