第26話 錯乱・快勝・強敵
「ファング」の接近に、ジワジワと後退して隊列を変形させる敵。それを見て、また、転進するカイクハルド。別の部分が凹んで行く敵陣。転進する。別の部分が凹む。転進する。また、凹む。転進。凹む。転進。凹む。転進。凹む。転進。凹む。
10回ほど転進し終えると、もう敵は、陣形も何もあったものでは無かった。何の秩序も無く、ランダムに宇宙艇やシャトルが群れているだけの状態だ。
「ヴァルダナ。今の敵の動きで、どこら辺にどんな敵がいるか、見当ついたか?」
「え?・・いや」
カイクハルドはキーボードを叩き、レーダー用のディスプレイ上に、1から5で番号付けされた丸印を出現させた。1つの丸に、百隻程の戦闘艇が収まるサイズだ。
「1の部分の敵が、その他に比べてダントツに、動きが鈍い。ワンテンポもツーテンポも、動き出しが遅れるし、動きが直線的だし、1隻1隻の位置関係もコロコロ変わる。」
そう言った後、更に2回、3回と、カイクハルドは「ファング」を転進させる。
「確かに・・言われてみれば・・そう、思えなくも、ない、か、な・・」
ヴァルダナの、自信なさ気な声。
「まあ、直ぐに分かるようになるもんじゃねえ。だが、何度も見てりゃ、そういうのは、分かるようになる。分かるようになれ、ヴァルダナ。この1番のマークが、敵の最弱ポイントだ。恐らく、シャトルか何かが大半で、それ以外も汎用の宇宙艇で、戦闘に特化された装備は、無いに等しいんだろうぜ。」
「あれに決定で良いか?かしら。」
ベテランのカビルは、心得たような言い草だ。
「合図して10秒で、1の部分に最大加速の突撃をかける。直前で、戦隊ごとに分裂して一定の距離を置き、レーザーを完全自動の5連射モードにして、敵中を駆け抜ける。いいな、ヴァルダナ。」
「あ、ああ。」
完全自動モードならば、相手がほぼ等速直線運動でなければ、当たらない。相手が加減速や転進をすれば、レーダーとコンピュータだけでは、敵位置はつかめない。照射ポイントをずらした5連射モードで、多少のずれは許される事になるが、激しく動く敵には当たらない。
そんなレーザー攻撃の設定で、「ファング」は8千の敵の只中に飛び込もうとしている。
「1の部分以外の敵の動きも、よく見て置けよ、ヴァルダナ。」
低く呟いた直後、いきなり声を高めて。「じゃ、行くぜ、野郎ども!10・・9・・」
カウントダウンが始まった。その間にも、何度か転進するカイクハルド。
「8・・7・・6・・」
転進。
「5・・4・・3・・」
転進。
「2・・1・・」
転進。この瞬間、1とマークされた部分に「ファング」の全戦闘艇の艇首が向けられた。最弱とカイクハルドが断定した敵が、真正面に来る。
「ゼロッ!」
弾丸と化した。並の人間なら、絶対即死の猛然たる加速。ぐんぐん敵が迫る。見る見る近づく。
敵がこちらの急加速に反応を示したのは、加速を始めてから実に5秒くらいも過ぎてからだ。さっきの転進の連続に対しても、全て2秒後くらいには対応していたのに、驚く程反応が遅い。それほどに、「ファング」のこの動きは、敵の意表を付いていた。
幾つかの敵のディスプレイには、「標的ロスト」とか表示されているだろう。「センサー故障」と出ているものもあるだろう。「異常事態発生」もあるかもしれない。索敵システムからして、何が起きたかを解明できていない。それを頼る人間には、何かが起きた事すら察知されていない。
凄まじ過ぎる加速は、レーダーシステムですら見失う、という事が起こり得る。敵の半分は、何が起こったかわからず、もう半分は、「ファング」の急加速には気付きつつも、どこに向かったかが分からなかった。5秒経って、ようやく1とマークされた部分の周囲の敵が、自分達の方を目がけている事実に気付いたらしい。
気付いた者達は、全速力で逃げ出した。加速し過ぎによるブラックアウトで、死人や失神者が続出しているに違いない。そう確信できるくらいの慌てようで、敵は逃げ出した。「ファング」の意表を突く急接近に、敵が思考麻痺を強いられたと知れる。レーダー用ディスプレイを見ているだけでカイクハルドには認識できた。
「ファング」の動きに気付いて逃げ出したものに続き、「ファング」の動きは分かっていないが、周囲で逃げ出した仲間の動きに釣られて逃げ出す、逃走第2波の連中が散見されて来る。そして、そいつに釣られて逃げ出す第3波の連中、更に第4波、第5派、第6・・・。
逃走が連鎖反応を起こし、敵から敵に恐怖と驚愕が伝搬し、規模を拡大しながら伝搬し続け、気付けば、千隻くらいの宇宙艇や戦闘艇が、全速力の退避行動に移っている。
その後に、ポツンと取り残された、100隻程の一団があった。カイクハルドが、最弱ポイントと呼んだ部分にいた敵だ。ほとんどが、鈍重で図体のでかいシャトルだ。まだ、何が起こったか分かっていないらしい。等速直線運動で、漫然と虚空を漂っている状態だ。
索敵システムも貧弱なのだろう。通信機器も劣悪なものなのだろう。敵の動きを追いきれないどころか、身の回りのすぐ近くにいる仲間の動きですら、把握し切れていない。周囲の味方が放っている通信の傍受も、解析に時間がかかり過ぎてしまっている。
味方の兵に置いてきぼりにされ、その事にも気付きもせず、「ファング」の姿も見失い、接近されているなどと思いも寄らず、“何か”が起こったらしい、という雰囲気のみを感じている状態だろうか。カイクハルドは、レーダーなどで捕えた彼等の貧弱な装備から、そんな想像を巡らせていた。戦場泥棒目当ての最貧「アウトサイダー」といった奴等で、多分、武装もこれといって無いだろう、とも。
そんな貧弱で無抵抗な敵だが、「ファング」は容赦しない。5つの隊に分離し、それぞれ距離を置き、第1戦隊が最弱ポイントのど真ん中目がけて突き進む。最弱ポイントの左右を第2・3戦隊が、上下を第4・5戦隊が、少し距離を置いて掠め飛ぶ構えだ。
「ファング」全艇の全レーザー銃が、一斉に火を噴いた。各隊の、ヴァンダーファルケ10隻の5門と、ヴァイザーハイ5隻の3門と、ナースホルン5隻の2門のレーザー、合計75門が、「ファング」全体で275門のレーザーが、100隻程度の敵に、一斉に降り注いだ。
100隻の敵が、ほぼ同時に爆散した。100隻分の爆散が集積した光は、巨大な1個の光球にも見える。まるで、星が一つ生み出されたかのようだ。超新星爆発さながらだ。
この、度が過ぎる程に華やかな殺戮の光景に、敵陣の動揺は、更に広範囲にまで伝搬した。誰も見た事も無い“死の大光球”は、誰にも経験が無いような恐怖の連鎖を巻き起こした。「ファング」からある程度遠くにいて、未だ事態を静観していた連中も、“死の大光球”に弾かれたように逃走を始めた。逃走の連鎖反応も、劇的に勢いを増す。8千の敵の半数が、今や「ファング」から一直線に離れる動きだ。
光球の消え去った直後の、何も無くなってしまった空間を、第1戦隊は突き抜けて行く。第2から5戦隊も、掠め飛んで行く。
一直線に離れて行く敵は、見かけの位置が変わらない。横方向の動きが無いから。つまり、自動射撃モードで確実に命中させられる、という事だ。戦場では、一直線に逃げたらダメだ、という常識を、4千の、逃亡中の敵全員が、忘却してしまったらしい。始めから知らないド素人も、何割かはいるだろう。
逃走の連鎖が恐怖の連鎖になり、発狂の連鎖になり、今、敵兵の半数の4千人が、思考力を持たない下等生物さながらとなって、一直線の逃走を企てている。
その敵に、「ファング」はぐんぐん追い付いて行く。275門のレーザーが、また一斉に火を噴き、ほぼ全てが敵を捕らえた。
先ほどは、「ファング」の手前で1個の大きな光球が出現したが、今度は、「ファング」の前方に、光の半球面が出現した。250以上の爆散の光が連なり、縦横に広がって行って、半球の形状の、1個の面になった。
半球面は、長く存在し続ける。爆散の光が消えても、新たな光が絶え間なく生み出され、光の半球面は維持される。「ファング」のレーザー射程に入った敵は、一つ残らず爆散した。入るや否やの爆散だ。1秒も生き残れない。追い付かれると同時に、全て餌食になる。
「ファング」から見れば半球面だが、外側から眺める敵には、やはりこれも“死の大光球”だ。さっきよりも大きい“死の大光球”を見せられて、いよいよ敵兵の理性は跡形も無く粉砕される。
反撃は、全く無い。逃げるのに精いっぱいで、攻撃など、思い付きもしないのだろう。動転し、我を忘れた敵に、反撃という選択肢はない。
慌てふためいて逃げる味方の姿と、それを追いかける“死の大光球”の疾走を見て、逃げ出さずにいられる者など、寄せ集め兵の中にはいなかった。逃げる敵は6千になり、7千になり、遂に、全ての敵兵がそうなった。潰走だ。
一方的な虐殺を意味する、残酷極まりない輝く半球が、8千の敵を蹴立てながら、「ファング」と同じ速度で宇宙を疾駆している。
お目付け役の戦闘艦ですら、尻をまくって逃げていた。「ファング」のレーザーといえど、戦闘艦には通じない。分厚い装甲は、レーザーくらいでは撃ち抜けない。その、戦闘艦には通じない攻撃を見て、恐れおののき、慌てふためき、ひたすらに逃げる戦闘艦。8千の兵の潰走劇を目撃しなければ、こんな事は、あり得ないだろう。
逃走の連鎖と恐怖の連鎖と発狂の連鎖が、レーザーでは戦闘艦は撃破できない、という知識を吹き飛ばし、論理的思考力を停止させた。敵は、本能の赴くまま動く動物となる。ただただ、逃げなくては、との思いに心を染められる。
膨大な敵を爆散に至らしめたとはいえ、「ファング」が撃破した敵は、2千に満たなかっただろう。100隻の戦闘艇で2千近くの敵を葬れば、多大な戦果ではあるが、敵の2割強でしかない。8割弱の残存兵力を有しながら、「ファング」の50倍以上の兵力を、尚も保持しながら、敵は、逃げに逃げた。そして、二度と戻っては来なかった。
「ファンング」から十分に離れたと見るや、タキオントンネルを使って、更に遠くを目指し、光を超える速さで逃げた。「シェルデフカ」領域からすら、逃げ出した敵も多かった。もう、征伐戦への参加そのものを放棄してしまったのだ。
5万の兵を擁する軍閥の正規部隊は、未だに無傷で健在だ。それが、たった5千の弱小な反乱軍に向かう、という圧倒的優位な状況を、敵は維持している。それにも関わらず、圧倒的に優位な征伐部隊に随伴すれば良いだけなのに、一部の寄せ集め兵は、怖くなってしまい、逃げ去ってしまった。
「こんな勝ち方が、あるんだな。」
驚きを隠せない、ヴァルダナの呟き。
「俺達『ファンング』に限ってはな。」
自慢気な、カビルの言葉。
「元々掠奪目的の、覚悟も意欲もねえ軍勢が、貧弱な装備だけで出てきてるんだ。数がいくら多くても、俺達の敵じゃねえ。」
「しかし」
カイクハルドの言葉に、ヴァルダナは真面目な声で応じる。「あの数の敵に、一斉に包み込まれたら、やはり、まずかった。やり方が大事だった。相手の最弱ポイントを見極めて、そいつらを一斉に爆散させ、敵を瞬時に、圧倒的な恐怖に陥れた。いきなり高加速度で突撃した事も、その前の動きと絶妙に緩急をつけた事も、敵をして冷静を失わせるのに繋がった。それに、何より、あの連鎖反応。あんな、寄せ集め集団ならではの、負の感情の連鎖反応を意図的に引き起こす技術。そういうのが、戦乱の世を生き抜く力になるんだな。」
かみ砕くようなヴァルダナの言葉に、カイクハルドは満足気な笑みを浮かべていた。しかし、
「これで油断するなよ。次が来るぞ。」
と、警戒を促すカイクハルドに、
「やっぱり、来るか。」
と、受け合うカビル。
「今の内に、『シュヴァルツヴァール』に戻って補給をしておくぞ。」
カイクハルドの号令のもと、「ファング」全艇が母艦に引き返す。
戦闘艇を降りる手間も省き、カイクハルドは航宙指揮室のトゥグルクと連絡を取る。
「どうだ?来そうか。」
「ああ、タキオン粒子が観測され始めた。集落の連中や『カフウッド』のばら撒いていた、複数の無人探査機が同じ兆候を捕えたから、間違いない。軍閥部隊クラスの戦力が、この宙域に向かって来ている。」
「この状況で出て来るとしたら、あいつらしかいねえな。」
「ああ、一番血気盛んだ、とビルキース達が報告して来た軍閥『オーヴァホール』に、間違いねえな。一刻も早く手柄を立てたがってるんだ。中堅規模の似非支部を潰し、今8千の寄集めどもを蹴散らした俺達を討ち取れば、『オーヴァホール』にとっては、良い手柄になる。名を上げるチャンスを、見逃すはずがない。」
「旦那の部隊は、首尾良く敵を追い返せたんだな?ここ以外の、4つの集落を狙っていた敵は。」
「うむ。戦闘艦の2・3艦で向かったら、敵は戦いもせずに、あっさり逃げ出したらしいぜ。数では圧倒的に優勢と言っても、戦闘艦の装甲を撃ち抜く装備なんて、何も持ってない連中だ。当然の結果だ。」
「となれば、『シェルデフカ』での戦いが始まって以来、目立った戦果を挙げているのは、『ファング』だけだ。『オーヴァホール』は必ず、俺達を討ち取りに来るはずだな。」
そんなやり取りから十数分もした頃、
「大型戦闘艦1、中型戦闘艦4、小型戦闘艦9、空母3、なかなかの陣容だぜ。『カフウッド』ファミリーより少し大き目くらいの軍閥だな。功名心に駆られて、死に物狂いで来るぞ、こいつら。」
と、トゥグルクから連絡が入った。「ファンング」は既に、全艇が出撃を完了し、所定の配置に付いている。
「良いか、ヴァルダナ。今度の敵は、名を上げるという目的に一致団結して、命知らずに向かって来る奴等だ。『カフウッド』陣営で一番手柄を上げていて、手強い事が知れている俺達に、一個の軍閥だけで、いち早く、まっしぐらに向かって来た。覚悟や度胸も、半端なく強いはずだ。こんな敵が、一番怖いんだ。怪我無しで済ませられる敵じゃねえ。だが、こんなんをどうにかしなきゃ、『ファング』の存在価値は無くなる。少々痛い思いもするかもしれねえが、コイツには、意地でも噛み付くぜ。」
「分かった。心してかかるぜ。」
そう言ったヴァルダナの声に、怯えは一切ない。むしろ、闘志を燃やしている感じだ。本当に強い敵に対した時にこそ、怖れを見せず、果敢に向かって行ける。そんな資質が、ヴァルダナにはあるらしい。
「トゥグルク。敵の動きは、完全に把握できているか?」
「ああ、『ルティシュチェボ』星系第3惑星に、徐々に近づいている。艦隊を分散して、球状に惑星を包む配置を取って、確実に俺達を追い込み、探し出し、叩き潰すつもりらしいな。」
「シュヴァルツヴァール」でのデーター収集と解析に基づく情報だ。「フロロボ」星系と同じく「シェルデフカ」領域の中にあるのが「ルティシュチェボ」星系であり、比較的に“肥えた星系”で古くからの人の集住が知られている。
「警戒している様子は、あるか?」
「そうだな。動きは、慎重だな。だが、あれだけ不用意に艦隊を分散させるあたり、こっちを舐めている感じもあるな。この惑星の軌道上にも幾つも集落があり、住民が設置した施設が無数にある事くらい、敵は分かっているはずだ。だが、それが自分達にとって脅威になるなんて、まるで考えていないのだろう。領民が民生用に設置した施設が、戦闘において、戦闘艦の部隊に害を与える存在になり得る、と考える脳味噌は無いらしい。」
敵は、「ファング」が、この惑星の周囲にある衛星のどれかに潜んでいる事は、知っている。ここに逃げ込む姿が、敵のレーダーに捕えられるように、「シュヴァルツヴァール」も「ファング」の戦闘艇も、わざと敵の索敵圏内に身を曝しながら移動した。
一瞬索敵圏に入り、直ぐに飛び出したので、敵はこの惑星の、どの衛星に「ファング」が逃げ込んだかは分からない。探さなければいけない。だが、領民が民生用に設置した施設しか無い惑星周辺など、恐れるようなものは何もないはず、と軽はずみに艦隊を広く散開させた。
どこから「ファング」が飛び出して来るか分からないから、慎重にゆっくりと、全ての艦を進めている。だが、艦と艦の距離が開くのは、問題としていない。
戦闘艇相手に、戦闘艦がそう簡単に撃破されるはずはない。距離が離れたとしても、他の艦が駆けつける前にやられてしまう、なんてことは無い。そう確信して、艦と艦の距離を大きくし、広く展開して、惑星を球状包囲しつつある。
そして敵は、少々の犠牲は覚悟している。犠牲を出してでも、必ず名を上げる。その為に、「ファング」を仕留める。怪我を覚悟で一旦食い付かせ、血を流してでも「ファング」の全艇を誘き出し、その上で、取り囲んで叩き潰す。そんな作戦を考えているであろう「オーヴァホール」は、強敵だと言える。
「ルティシュチェボ」星系第3惑星には、環もあるが、薄っぺらい。人工物を設置できるサイズの天体は存在しない。1mにも満たない氷塊が大半だ。一方で、衛星は100個以上ある。直径数百mのサイズから、1万km以上の、人類発祥の惑星くらいのサイズのものまである。
大きな衛星には、孫衛星を伴っているものまである。軌道が不安定で、そんなに長く孫衛星であり続けられるわけではないらしいが、今のところ、ふらつきながらも、なんとか巨大衛星の周りを回っている。
そんな衛星や孫衛星などの表面や周回軌道上に、集落民達は様々な施設を作っている。居住施設もある。だが住民は、今は「ファング」根拠地に避難させてある。最初に、敵の8千の寄せ集め部隊がここに近付いて来たところから、住民の避難は開始されていて、もう既に完了している。
居住用や資源採集用や物資生産用など、民生用に設置したものとはいえ、「ファング」の戦闘艇が身を潜められるものも、沢山ある。数千の民の数百年に渡る、この惑星軌道上での生活の跡だ。
つまり、ここには隠れる場所が、無数にあるわけだ。収束性の高い電磁波を使った通信施設も備えていて、敵に傍受されずにやり取りもできる。カイクハルドとトゥグルクが、敵の接近にも関わらず会話ができたのも、それらを使ったからだ。
「第2戦隊、出るぞ。」
隊長のドゥンドゥーから、声が掛かる。これも、敵に傍受される危険がなく、「ファング」全艇に確実に伝わる通信だ。
第2戦隊は、潜んでいた小さめの衛星から、民生用の施設にあった、物資輸送用の電磁式カタパルトを使って飛び出した。その動きは熱源を生じただろうが、熱源は他にも、あちこちにある。民生用の施設が無数にある事が初めから分かっている宙域なのだから、その熱源が敵の注意を引く事は無い。
第2戦隊の発進は、敵に気付かさせずに実施され、なおかつ、大き目の衛星の重力で軌道を捻じ曲げ、つまり、スィングバイを実施した上で敵に身を曝した。そうする事で敵には、遮蔽物から飛び出して身を曝す瞬間まで、こちらの存在に気付かせなかった。
突如至近距離に現れた戦闘艇に、敵は度肝を抜かれたはずだが、怯む様子もなく立ち向かって来た。やはり、怪我は覚悟で、確実に仕留めに来ている。肝は据わっている。
散開弾を、第2戦隊に見舞う。第2戦隊は、難無く突破。いつも通りだが「ファング」は、散開弾くらいではやられない。
敵は、それを読んでいた。突破して来るのを予期して、狙いすまして待ち構えていた。これまでの敵と、明らかに一味違う。一枚上手だ。だが「ファング」は、その上を行った。
突破する事は予想通りだったが、突破して来る場所の予測は、外れた。狙いすましていたが、その狙いが、外れていた。
敵は当然、艦への攻撃が可能となる位置から突破して来るものと思っていたが、「ファング」は艦への接近軌道を大きく逸脱し、離れた位置から、離れて行く角度で突破した。そしてそのまま、どんどん離れて行く。
要するに、逃げた。突如至近距離に現れ、突撃を駆け、散開弾の突破まで敢行しておきながら、尻尾を巻いて逃げたのだ。当然敵は、追いかけて来る。せっかくやる気満々に戦意を高めたところを透かされて、じっとなんて、していられるわけがない。
追うが、直ぐに見失った。環を利用すれば、敵の目をくらますのは簡単だった。1m以下の小さな氷塊が集まった、薄っぺらい環ではあるが、索敵を困難にする効果くらいはある。環によって「ファング」の眼も潰され、飛翔が危険なものになりそうだが、その心配はなかった。
環には、天体密度の濃い部分と、“間隙”と呼ばれる薄い部分がある。百余りの衛星の重力が、複雑な濃淡を環に描き出している。「ファング」は、領民からの情報提供を受けて、濃い部分と、薄い、“間隙”の部分を知り尽くしている。間隙を通れば、眼はつぶれない。間隙を通るや否や転進、というのを繰り返せば、安全に飛翔しつつ敵の眼をくらませられる。
敵は、環の濃淡に関する情報を持たないから、濃い部分に突っ込み、索敵システムに支障を来し、「ファング」を見失うハメになった。
敵の目を完全にくらませたところで、第2戦隊は、もとの衛星施設に再び身を隠した。
「第3戦隊、行くぜ。」
隊長のパクダが、低く告げた。第2戦隊とは別の衛星から出撃し、敵に身を曝し、敵への突撃の構えを見せ、敵を引き付け、敵の眼をくらまして逃げ切った。
第4戦隊も、同じ行動を繰り返した。隊長テヴェの指揮のもと、巧みに敵を翻弄した。
第2・3・4戦隊が、何回かそれを繰り返した。敵戦闘艦は、何度も「ファング」を見つけ、追いかけ、見失った。それを繰り返すうちに、敵艦隊は、「ファング」の狙った通りの位置関係になって行った。
敵艦隊には1艦だけ、大型戦闘艦がある。それが、敵の旗艦に違いなかった。最も頑丈な艦に、一番重要な人物が乗っているに決まっているし、通信傍受からも、それが旗艦であるのは明らかだった。無数にある領民の民生施設が、敵の通信を余すところなく傍受して、敵には傍受されない通信手段で、「シュヴァルツヴァール」にデーターを転送していた。
一つ残らず筒抜けの会話をトゥグルクが解析し、1艦だけの大型戦闘艦が旗艦に間違いない事を、完璧に突き止めていた。
その大型戦闘艦が、いつの間にか孤立していた。小型戦闘艦2艦と空母1艦のみを従えただけで、他の戦闘艦は、惑星の反対側に引き寄せられていた。最低でも1時間くらいかけないと、駆け付けられない程の距離が、全ての艦との間に開いている。
「ファング」が意図的に、敵をして、そういう状態に誘導した。第2・3・4戦隊の、出たり隠れたりは、この状態を作る為の作戦だった。
今回の敵ならば、そのくらいの策略は見抜いているだろう。だが、何も心配はしていないに違いない。大型艦の周囲には、隠れ蓑になるような天体は、一つも存在しないから。突然近くに戦闘艇が飛び出して来る心配など、全く必要ない、と考えるのが自然だ。
衛星も環も、惑星の赤道面に集中している。衛星の9割はそこにあるし、環も、赤道面に沿って存在してる。だから、惑星の自転軸上、つまり、環や衛星から最も離れた位置にいれば、周囲に隠れ蓑が全く無い状態を確保できる。
大型戦闘艦は、初めから敵の奇襲を警戒して、その位置にいた。だから、味方の艦が離れて行ったとて、何も心配する必要はない、と考えているだろう。「ファング」が味方の艦を引き付け、引き離している事くらい、とっくに承知しているのだろうが、意に介していなかったはずだ。小型戦闘艦2艦と空母1艦を護衛に付けていれば、それで十分だ、と。
「ファング」が襲って来ても、十分に離れた位置からそれを認識できる。大型戦闘艦がしっかり対処すれば、戦闘艇などが勝てるはずはない。味方の集結までに撃破されるなど、万に一つもあり得ない。多少の怪我を負うかもしれないが、そんなのは覚悟の上だ。
襲って来ても怖くは無いどころか、そうしてくれれば好都合だ。確実に、一方的な勝利に持ち込める、と敵は考えているだろう。
1割ほどだが、赤道面に垂直に回っている衛星もある。が、それは遥か彼方だ。それ以外には、資源採取用の長楕円軌道の人工衛星が、幾つかあるだけだ。それは、この時代の者には、見慣れたどころか、見飽きた光景だ。
長楕円軌道の、最も惑星中心に近づく位置では、人工衛星は惑星のガス雲に飛び込み、ガスを取り込み、必要な元素を採取して行く。ガスとの摩擦で失う速度は、スラスター噴射等で補いつつ、資源採取用人工衛星は飛び続け、半永久的に資源採取を続ける。ガス惑星の軌道上にある集落には、絶対に必須の設備だ。
だから、人の集住するガス惑星には必ずあり、それが飛び回る姿は、この時代の人間にとって余りにも当たり前の光景で、いちいち気にかけたりしない。衛星等にぶつからないよう、赤道面からは離れて、つまり、惑星の自転軸方向に長く伸びた長楕円を描いて飛翔するのも、ごく当たり前の事だ。
今もまた、敵大型戦闘艦の傍を、一機の資源採取用人工衛星が飛び過ぎて行った。もう、それを見送るのも、十数回目だ。戦闘艦乗組員の誰一人、気にも留めない。次の資源採取用人工衛星も、惑星のガス雲から飛び出して来て、惑星上空へ飛び上がり、大型戦闘艦の方向目がけて飛翔しているが、誰も気にしない。誰も気に留めない。その、誰も気にしない資源採取用人工衛星から、「ファング」第1・5戦隊が飛び出した。
外見上は、資源採取用長楕円軌道人工衛星と全く同じ、ラグビーボールのような形状で、中身は戦闘艇の隠れ家となるもの、そんなものを、「ファング」は保有していた。それを、資源採取用人工衛星と同じ軌道に投入し、この奇襲を成功させた。
からくりを知る者から見れば、そんな罠に引っかかるものかと思うかもしれないが、仕掛けられる側にとっては、完全に意表を突かれる奇襲攻撃だった。見慣れた当たり前の光景から飛び出す脅威を、人は、予測できる生き物では無かった。
飛び出すや否や、ミサイルを放った。第1・5戦隊に合計10隻ある「ヴァイザーハイ」の内、5隻が戦闘艇搭載型の対戦闘艦攻撃用徹甲弾「ヴァサーメローネ」を、残りがプラズマ弾「ココスパルメ」を敵戦闘艦3艦と空母に撃ち込んだ。
今回の投稿は、ここまでです。次回の投稿は '18/7/28 です。
8千の敵を「ファング」が蹴散らす場面は、人間の集団が1匹の蜂に翻弄されるイメージです。前作「ウォタリングキグナス」にも似たシーンがありましたが、今回は、前作以上に少数が多数を圧倒しました。チクッ、とした痛みを極度に恐れる100人の人間を、死をも恐れない1匹の蜂が逃げ惑わせ、勝利を収める事もある。個人的に興味深いイメージで、今後もまたどこかで、こんな場面を書くかも・・。ガス惑星の周辺を舞台にした戦闘も、プロローグに出てきた「カフウッド」の戦いに続いて2回目で、ワンパターンの誹りを受けてしまいそう。でも、本作ではガス惑星の衛星軌道上は、人が集住する最も一般的な環境で、そこが戦闘の舞台になるのは、自然な流れなのです。実際の歴史でも、何もない大洋のど真ん中での海戦より、人の施設がある島やら港やら海峡やらの近くが、大半の海戦の部隊でしょう。本作の中でも、ガス惑星の近辺を舞台にした戦闘は、これからも出てきます。物語の設定上そうならざるを得ないわけで、ワンパターンとか言わないで下さい。戦いの内容は、バラエティーに富んでいる、ハズ、です。というわけで、
次回 第27話 熱闘・致命・伏兵 です。
中規模軍閥の艦隊が相手の戦いが始まります。それだけでも、100隻だけの「ファング」には、荷が重すぎる筈です。それに敵は覚悟も気合も生半可ではありません。普通にやれば、まったく勝ち目がない、と言って良い相手と戦うのだ、というのを念頭に置いて、次回をお待ち頂きたいです。タイトルにもありますが、"熱闘"が展開します。




