プロローグ その2
数日後に、また“寄せ手”はやって来た。一番初めと同じくらいの数の戦闘艦が、立体的な隊列を組んで進行して来る。やられても、やられても、次々に新手が補充されて来るらしい。だからこそ、“寄せ手”は諦める事無く、甚大な被害を出し続けている宇宙要塞「ギガファスト」の攻略にこだわる事ができる。が、
「人命が、軽んじられていた時代なんだなあ。」
と、エリス少年は、少し目を暗くして呟く。
今度こそ敵は、宇宙要塞「ギガファスト」の発電施設の所在地を突き留めていた。詳しく熱源パターンを精査・照合すれば、発電施設なのか、そうではないのかは、見分けが付けられる。
それをせずに攻撃を仕掛けた前回が拙速だったとも言えるわけだが、あの軌道を回っている衛星が内部熱源を持っていたら、当然それは発電施設だろう、と思ったのは、無理からぬ事だった。内側にあった衛星を運んで来たものだった、などと事前に予測しろ、と言うのは、厳しすぎるだろう。
ともかく“寄せ手”は、今回はしっかりと精査・照合した上で、間違いなく発電施設が置かれている衛星を、特定できていた。環の内側の軌道を周回している、衛星の中だ。
前回同様、環の真横からアプローチし、環を成す微小天体群のすれすれを掠め飛ぶことで、砲台の餌食にもなり難いはずだ。砲台からすれば、環と垂直の方向にある程度距離をおいたものでないと、撃てない。環を成す周りの氷塊や岩塊が、射撃の邪魔になってしまうから。
とは言え、環を横切るからには、“寄せ手”は、どれかの砲台の射撃可能域には踏み込まざるを得ない。“寄せ手”は、砲台の数を把握はしていないが、沢山ある事は察しがついている。その沢山ある砲台の、どれの射撃可能域にも踏み込まずに、環の内側にある衛星にたどり着けるはずはない。
その事への“寄せ手”の対策は、素早く一気に駆け抜ける、というものだ。スピード勝負だ。射撃可能域に留まる時間を短くして、敵に狙いを定める余裕を与えなければ、射撃を受ける事は無い、と考えたのだ。
「“寄せ手”がそう考える事も、“守り手”の計算の内だったんだな。その計算が、次の作戦を可能にしたんだ。」
知識として、次の“守り手”の策を知っているエリスの感想だ。
彼が張り付いている戦闘艦が、惑星の環を掠めて飛ぶ。環は、氷塊や岩塊の集まりなのだが、高速で飛んでいる為に1つ1つの見分けは付かず、白く輝く湖面の上を飛んでいる気分だ。
幻想的だった。環は、自ら発光しているかと思えるほどに、明るい。純白の光にずっと目を凝らしていると、神々しさをすら感じ始める。聖なる泉を、泳いででもいるかのような感覚になる。
前方に見える赤いガス惑星は、既に、視界に収まり切るサイズでは無い。首を左右に振らなければ、その端を捕えられない。前だけ見ていると、ただの壁だった。距離感を喪失する。縞の一つが、すぐ近くにも見え、遥か彼方にも見え、エリス少年は、ただの映像に酔わされた。
少年はここまで、戦況を早送りで見ていたのだが、それでも環のすれすれを掠め飛び始めてから、ずいぶんな時間が過ぎていた。ようやくにして、目標の衛星が黒い点として見えて来た。惑星に比して、あまりにも小さい。環の半ばまで達して、やっと視認可能な大きさだ。
エリスは指を踊らせた。視点は戦闘艦に飛び込んだ。ここからのシーンは、航宙指揮室の中で観察した方が、面白いと思ったのだ。時間の進行も通常速度になっている。
人間は相変わらず、青いシルエットだけだ。その人間が見つめている幾つものディスプレイに、様々な映像やデーターが映し出されている。レーダーや熱源探知で捕えた、天体や人工物の位置や形、通信傍受等で得た情報、艦体や艦隊の状態、等々がそこに表示されているだろう。
が、突如、全てのディスプレイが暗転した。指揮室内が混乱を呈する。青いシルエットだけで示された人間だが、慌てふためいている事は容易に知れた。
声は聞こえない。だから、例の枠の中の文章を頼るしかない。枠は、どこにいても、どちらを向いていても、エリスの視界の右上に出ている。
「電波バーストだ!強烈な電波バーストで、艦内の電子機器が全て、一時的に使用不能になった!」
青いシルエットは、そう叫んでいるらしい。
一見静寂に包まれているガス惑星の中の、強烈に吹き荒れるガス流同士の衝突や摩擦が、時に強烈なエネルギーの電波を生じる事がある。それが電波バーストだ。その規模や周波数帯はまちまちだが、場合によっては、電子機器を一時的に使用不能に至らしめるのだ。戦闘艦の電子機器が使用不能になれば、彼等は盲目になる。
敵を目前に、突如盲目になったのだから、その恐怖は凄まじい。皆、顔を青ざめさせているはずだ。元々青いシルエットで表示されているが、そう言う意味では無く、艦内の人々は皆、青ざめているのだ。
暗転は、直ぐに解消した。1分とは続かなかった。が、光の戻ったディスプレイに映し出されたものに、青いシルエットの人々は、またしても驚愕させられ、恐慌に陥れられた。
氷塊の群れが、眼前に、無数に横たわっていた。すれすれを掠め飛んでいた惑星の環を構成する天体が、戦闘艦の進路に立ちふさがっている。それも、無数に。艦の進路が変わってしまい、環に突っ込んでしまった、というわけでは無かった。進路が変われば、凄まじい遠心力が艦の乗員を見舞っていたはずだ。
そうでは無く、暗転の間に、環を構成する天体が動いたのだ。それも、無数の天体が、突如として。
人工的な推進機構が、環の天体群に取り付けられていたのなら、動き出すかなり前から熱源を探知できているはずだ。全く熱源が無かったものが、突如動き出した理由を、青いシルエットの人々は理解できなかったらしい。
何が起きたのか、全く分からずにうろたえていた、と枠の中の文章がエリスに教える。
青いシルエットの人々の中の、この闘いで生き延びた人は、後になって知る事になるのだが、電波バーストによってヤルコフスキー効果が生じ、環を成す天体が艦の進路に飛び出して来たのだ。
環を成す氷塊中の水分子が昇華し、水蒸気になった。電波によって振動させられるという、エリスの時代にもある電子レンジという名の機械と同じような作用で、加温された為だ。猛烈な勢いで、氷塊から蒸気が噴き出した。その蒸気の圧力がジェット推進となり、氷塊群は動いたのだ。
天体からの熱量の放射が不均衡になる事で、天体の軌道が変わる事を、ヤルコフスキー効果という。今の場合、蒸気という形で熱量が一方向に強烈に噴射され、反動で、噴射と反対方向に天体である氷塊が動いた。
環を成す微小天体群は、“守り手”によって意図的な細工が施されており、蒸気は計算された通りの角度で噴出した。結果、微小天体群は“寄せ手”の進路前方に立ちふさがることになった。
電波バーストによって、“寄せ手”の電子機器を一時的に使用不能にしただけでなく、環の微小天体群にヤルコフスキー効果を発動させ、“寄せ手”の進路上に移動させることに、“守り手”は成功した。
電波バースト自体も、人為的に引き起こされていた。数百年に渡りこの惑星と生活を共にして来た現地住民は、この惑星においてのみ、電波バーストを思い通りのタイミングと強度と波長で引き起こす術を、身に付けていた。
“守り手”は、現地住民と親密な関係を築いていたので、こんな作戦が可能となった。惑星のガス内の、特定の位置で特定の規模の核爆発を起こせば、そんなことが可能となるらしいが、特定の位置というのは現地住民の経験でしか分からない。“守り手”と現地住民の、信頼関係の強さが、しのばれる事実だ。
ともかく、“寄せ手”の艦隊は微小天体群に突っ込んだ。無数の氷塊が、艦体装甲を打ち付ける。猛烈な速度で突進していた戦闘艦だから、1秒間に何百という氷塊と、苛烈な衝突を繰り返す。
だが、相手は氷だ。頑丈な装甲の艦体には、大した損傷は生じない。氷の方が一方的に砕けて行くだけだ。環には岩も含まれていたが、ヤルコフスキー効果で動かす事はできないので、艦隊の進路を阻んだのは、全て氷だ。何千個と衝突しようが、戦闘艦はびくともしない。
びくともしないが、眼を開けられない状態にはなる。レーダーシステムや通信に障害が生じ、周囲の状況が分からなくなる。盲目となったのだ。
電子機器の暗転でも盲目となった“寄せ手”は、氷の礫に見舞われている間にも盲目となり、盲目の時間は相当長くなっている。そこを“守り手”が見逃すはずはない。と言うか、攻撃を効果的なものにする為に、計画的に“寄せ手”を盲目状態に陥れたのだ。
遥か彼方の基地から、ミサイルが発射されていた。数分をかけて“寄せ手”にたどり着く。普通なら、簡単に迎撃されるはずのミサイルだ。何百発撃っても、一つ残らず、レーザーで叩き落されるだろう。
が、盲目の“寄せ手”にとっては、このミサイル攻撃は最悪だった。ミサイルの接近に気付いた時には、既に迎撃も回避も不可能だった。中には、命中されて初めて、ミサイルの飛来に気が付いた奴もいた。
1発2発のミサイルでは、戦闘艦は大破まではしないものだが、多くの艦が5発6発のミサイルを撃ち込まれる。不幸な艦は、20発ほどを一斉に浴び、瞬時に原形を喪失した。
またしても、破壊と殺戮の大花火大会が開幕した。そこここに、数百の人命を飲み込んだ光球の花火が咲いた。環を成す氷塊が、ミラーボールよろしくその光を乱反射する。
海原のごとく無限に広がる、細かな光が散りばめられたディスコティックなステージで、“寄せ手”の兵達は、死の舞を踊り狂った。光球が花開くたびに、氷塊はキラキラと輝き、無数の氷塊の放つ夥しい反射光のシャワーが、地獄絵図をすら純白の衣に仕立てる。
エリス少年は、漂白され清浄化された残虐行為を、慄然として見つめた。その外観が美しければ美しい程、少年は恐怖を感じた。死を美化する行為程、残酷な事は無い、と少年は思った。
“寄せ手”の兵達にも、故郷で待つ家族はあるはずだ。巨大権力に、無理矢理に連れ出された戦場で、芥のごとくに命を散らされて行く。遠い時代の一幕とは言え、少年の胸は痛む。
「こんな事は、二度と繰り返しちゃいけないんだ。」
バーチャルリアリティーコンテンツで、歴史に名だたる「宇宙要塞ギガファストの攻防戦」を疑似体験し、かつての武将の、英知や工夫や勇気を見て来た末の、エリス少年の結論だった。
この数日後、“寄せ手”はもう一度、突撃を、それも、これまでより更に、遥かに無謀な突撃を繰り返す。
巨大な権力を振りかざす彼等の支配者が、幾度もの敗戦を罵倒し、絶対の攻略を厳命し、勝利を得られぬ場合は家族の命は無いものと思え、と“寄せ手”の将官達を脅した結果だった。
既に信頼を失いつつある支配者は、その失望が権力基盤を脅かすものだ、とは考えもせず、配下の者を酷使した。この時代に頻発し、支配者を悩ませた盗賊が、実は自分の配下の者達の密かな行いでもある事にも、気付いてはいなかった。配下の離反や反抗にも気付かずに、無謀な戦争に駆り立て、多くの命を浪費していた支配者は、自身の寿命を日々削っていた。
支配者の威圧的な命令で、進退窮まった“寄せ手”の将兵は、作戦も何も無く破れかぶれの突撃を敢行し、潮汐力発電ビーム砲台の一斉射撃の前に、虚しく命を散らせた。虚空に吸われた数万の命の、帰りを待っていた家族の気持ちを、少年は想わずにはいられなかった。
それでも「宇宙要塞ギガファストの攻防戦」は、終わりはしなかった。巨大権力は使い捨てにできる命を、まだまだ持っていた。
補充の兵が送られて来て、体勢を立て直した“寄せ手”だったが、すぐに突撃は仕掛けなかった。さすがに、度重なる大打撃に、軽はずみな突撃は控えるようになり、戦況は膠着状態に陥った。戦闘は、鳴りを潜めた。
だが、その膠着状態にあっても、寄せ手は多くの犠牲を出し続けていた。糧秣が尽きたのだ。数十万に及ぶ多くの兵を養うには、食料だけでも相当大量に必要になるが、それを“寄せ手”は、全く調達できなかった。
付近にある集落から徴発すれば、簡単に入手できる、と“寄せ手”も、背後の支配者も、安易に考えていた。しかし、どこの集落に行っても、空っぽの食糧庫とよぼよぼの老人しか見かけない。食料は全て、既に“守り手”の軍に徴発され、持って行かれたのだ、と老人だけの集落の者達は、口を揃えて言った。
その老人たちも、もはや飢え死にを待つしかない状態だ、とも聞かされ、“寄せ手”の者達は、糧秣の現地調達を、あきらめざるを得なかった。
本国からの糧秣も、輸送する部隊がことごとく途中で、盗賊と思われる何者かに襲われ、壊滅したので、“寄せ手”のもとには届かない。そして糧秣不足は当然の結果として、彼らに大きな犠牲を強いたのだ。
餓死者が続出した。栄養不足による病死でも、兵達は次々に斃れた。戦う事すらなく命を落とす、という、ある意味兵にとっては最悪な死を、“寄せ手”の部隊は大量生産し続けた。
そして、極度の空腹と、仲間の相次ぐ餓死や病死という過酷な現実が、“寄せ手”部隊の兵たちの思考を暴走させた。もうこれ以上の糧秣不足には、耐え切れない、戦って死んだほうがましだ、と三度の強引な突撃が敢行され、過去2回と全く同じ阿鼻叫喚を、“寄せ手”の部隊は虚空に描き出した。潮汐力発電ビーム砲台の3度目の大虐殺が、漆黒の宇宙と純白の環の間で展開した。
戦いが終わって数十分も過ぎたころには、そこには酷薄な静寂が満ちていた。赤いガス惑星は、ただ黙然と存在し続けている。虚空に吸いつくされた命も、甚大な破壊も、巨大惑星には取るにも足らない、小さな出来事のようだ。
「ふうっ」
と、溜め息をついたエリス少年は、真っ暗な殺戮の宇宙から、陽光溢れる温かなリビングへと戻って来た。指先の動き一つで、コンタクトスクリーンは透明な膜と化し、少年は、少年の周囲を普通に眺められるようになった。
エウロパ星系第3惑星の、青々と澄んだ海と空が見えるリビングで、ティーカップの紅茶を口に運ぶ母と、その隣で読書に耽る父が、エリスの目に飛び込んだ。
セイリングハウスは海上を疾走しているが、この時代の技術は波の揺れを、完全に消去する事に成功している。母が置いたティーカップの中は、数秒で波紋を消失し、鏡のような澄んだ表面を見せている。
30時間近い自転周期のこの惑星の、1日を無理矢理24時間にする為の疾走を続けるセイリングハウスの中で、家族はのどかな午後の一時を満喫している。数百年前にテラフォーミングが完了したのは良いが、手違いで水浸しになってしまった事を逆に利用して、こんな生活スタイルが定着している。
「凄い闘いだったんだね、『宇宙要塞ギガファストの攻防戦』って。いっぱい人が死んで行って、見ていて怖くなっちゃった。」
父の隣にダイブしたエリスは、ソファーの柔らかさを尻で楽しみながら、脚をピーンと前に投げ出した。
「そうか。そうだな。たった千人程の兵力で、数十万の敵に対する事になったからな。将軍プラタープ・カフウッドも、手加減はできなかっただろうな。」
「守る側はそうだけどさ」
本に視線を落とし続ける父を仰ぎ見た少年。「攻める側は、直ぐに諦めれば良かったのに。プラタープが強いって事は、直ぐに分かったはずなのにさ、あんなにも突撃を繰り返すんだもの。」
区切りの良いところに行き着いたのか、父は視線を上げ、本をテーブルに伏せて置きながら、愛息に目を移した。
「軍事政権側も、かなり必死だったのだろうな。国家をひっくり返されてしまっては大変だ、と思ったのだろう。この戦いの2年前にも、軍事政権はプラタープに手こずらされている。彼の動きを見過ごしていては、自分達の権力が奪われるかもしれないから、何が何でもやっつけようと思ったのさ。」
「その軍事政権だって、元々は皇帝が支配していた国をひっくり返して、権力を握ったんでしょ?」
興奮を抑え切れずに、少年が脚をピョンピョンと跳ねさせるから、母は紅茶が飲みづらい。1つの長いソファーに、家族3人が座っているから。
「じっとしなさい、エリス。」
「じっとできないよ、母さん。凄かったんだよ、戦闘艦が、バババババーんって爆発して・・」
「軍事政権が、皇帝政府から統治権を奪って百数十年、」
父は愛妻と愛息の会話を、軽やかに無視した。「統治がほころびを見せ、民衆に不満が高まった『グレイガルディア』は、再び体制転換の時を迎えた。政権奪還をもくろむ皇帝勢力と、権力維持を画策する軍事政権は、どちらも死に物狂いだったのさ。多くの兵が戦場で命を落とし、多くの民衆が戦いに巻き込まれて、苦しんだだろうな。」
歴史家の父は、講釈を始めると周りが見えない。
「民衆も、ただ黙っているだけじゃ、無かったんだよね。『ギガファスト』の戦いだって、民衆がプラタープに協力したからできた作戦が、あったもんね。」
「ちょっと、エリス、じっとしなさい、紅茶が・・・」
「でもさ、あのさ、『グレイガルディア』ってさ、」
「だから、エリス、紅茶・・・」
興奮が高まる一方の少年は、母の抗議もどこ吹く風で、脚をピョンピョン。
「銀河連邦に加盟していた国なんでしょ?父さん。」
「そうだよ、エリス。よく覚えているな。」
「えへへ、まあね。だったらさあ、国の最高権力者だからってさ、そんな勝手な・・・」
「ちょっと、二人とも、歴史談義は、あっちでやりなさい!」
彼等の家庭の最高権力者に、父と少年は、リビングからの追放に処されてしまった。
「最高権力者だからって、勝手な事は、できないはずだよね。」
母の事では無く、「グレイガルディア」の話をエリスはしている。ダイニングへの流刑の身の父と子は、テーブルサイドの椅子に腰かけ、歴史談義を続けた。
「銀河連邦ってさ、加盟している国にさ、法の支配とか、人権尊重とかを義務付けているんでしょ。それを守らないとさ、貿易とかで、ちゃんと相手にしてもらえなくてさ、色々損をしたんでしょ。」
「うん、良く知っているな、エリス。」
10歳の少年の知識の披瀝に、眼を細める父。「連邦の規約を遵守しないと、加盟国は経済的な不利益を被るのだけど、それだけでなく、特に宇宙系人類が作った国々は、十分な技術供与が得られずに、苦しい立場になりがちだったようだな。」
「そうだろうね。宇宙系人類ってさ、1万年前の、人類発祥の惑星で起きた大きな戦争から逃れて、宇宙に散って行った人達の末裔だから、宇宙を放浪する間に技術や知識を沢山無くしちゃってさ、自分達だけじゃ、まともな暮らしができなかったんだよね。」
「うん、まあ、まともな暮らし、ってのが、どういうものかにもよるが、地球系人類と再会するまでは、それがまともだと思っていた生活が、地球系人類と再会してからは、惨めな生活だと思うようになり、地球系の技術を導入して、暮らしを良くしたい、って思うようになったという事だね。」
10歳の少年に、どこまで深入りした歴史談義をして良いのか、と父は手探りで掘り進めている。少年は、それには構わず話し続ける。
「とにかく、『グレイガルディア』はさ、宇宙系人類の作った国で、地球系人類から色んな技術を教えてもらえないと、暮らしを良くして行けなかったんだよね。」
「地球系人類の生活水準を知り、それに少しでも早く追いつくには、地球系の技術を導入するのが、一番近道だと考えただろうね。」
微妙な認識の違いを理解したかどうかはともかく、少年は納得顔だ。
「でもさ、じゃあさ、銀河連邦は地球系人類が中心になって作ったものだから、地球系の技術を教えてもらうには、連邦の言う事を、聞かなきゃいけなかったはずでしょ。」
「うん。連邦規約の順守が、技術支援の条件になっていたね。」
「それなのにさ、『グレイガルディア』の支配者が、大勢の命をあんなに軽く扱うなんて、おかしいじゃないか。人権尊重が連邦の規約でしょ?」
遥か昔に散った命の為に、怒る少年。
「加盟国と言っても、『グレイガルディア』という星団帝国のある場所は、連邦にとっては遠すぎたから、十分に目を行き届かせられなかった、という事だね。現代ではワームホールジャンプとう移動手段があるから、その場所には簡単に行くことが出来るけど、当時はスペースコームジャンプとタキオントンネル航法だけが、光の速度を越えて移動できる手段だったからね。」
「そうか。現代なら、ワームホールを好きなところに作って、それがあるところには一瞬で行けちゃうけど、当時は違ったんだよね。スペースコームジャンプは使える場所が限られているし、タキオントンネルじゃ、遅いもんね。」
「ああ、まあ、遅いと言っても、当時でも光の千倍くらいの速度は出せたけどね。でも宇宙を渡るには遅いな。10万光年の銀河を端から端まで行くのに、百年もかかってしまうものな。」
「そんな遠くにある国だから、支配者が、人の命を捨て駒みたいに使ってても、それを止める事ができなかったの?支部とかおいて、監視をしようとはしてたんでしょ?銀河連邦は。なんとか、ならなかったのかな?」
はるか昔に苦しんだ人の為に、食い下がる少年。
「連邦支部は、『グレイガルディア』中にたくさんあって、住民の保護や生活向上に貢献しようと努力はしていたみたいだけど、その努力が仇になる事もあったらしいな。」
「努力が仇に?どういう事?」
「いわゆる“似非支部”ってのが、沢山出来てしまったんだな。」
「似非支部?」
「銀河連邦とは何の繋がりも無い団体が、連邦支部だって偽って、民衆に近付いて、財産を奪ったり、人を奴隷にしてしまったり、ってことがあったらしい。そんな似非支部が、本物の支部より遥かに沢山あったようだよ。似非支部同士が戦争して、庶民がそれに巻き込まれて死んだり、というのも、珍しい事では無かったらしい。」
「そんなあ。そういうのってさ、『グレイガルディア』の皇帝政府や軍事政権に、似非支部をちゃんと取り締まって、人権も大事にしないと、技術支援してやらないよ、って言ってもダメだったの?」
「技術支援をしなかったら、結局、一番困るのは、庶民だったりもするからね。でも、軍事政権にも皇帝政府にも、『グレイガルディア』の庶民の為に頑張ろうとした人も、いた事はいた。一番ちゃんと庶民の事を考えている人に、連邦は、技術を教えようと考えていたみたいだけど、それが軍政と帝政の抗争に拍車をかけた部分もあるし、難しい問題だったんだね。」
「長い関係なんだよね、連邦と『グレイガルディア』って。それなのに、支援するのがそんなにも難しいんだ。」
「そうだな。銀河連邦の前身である地球連合や宇宙保安機構の時代から、『グレイガルディア』とは関わりがあったから、プラタープ・カフウッドの頃には既に、数百年に渡る付き合いって事になるかな。」
「なのに、銀河連邦の『グレイガルディア』への支援って、上手くいかなかったんだ。それで、軍事政権と、その支配体制をひっくり返そうとするプラタープ・カフウッドの戦いが起こって、多くの血が流れたんだね。結局、宇宙要塞『ギガファスト』って、どうなったんだっけ?プラタープ・カフウッドは、勝ったのだっけ?」
「うん、『ギガファスト』やプラタープが勝ったとか負けたとかより、『グレイガルディア』全体の、この時代の動きを把握しないとね。」
「そうだね。プラタープも、『ギガファスト』にやって来た軍事政権の征伐隊をやっつけるのが目的じゃ無くて、軍事政権を打倒して皇帝に政権を取り戻すのが目的だもんね。自分や『ギガファスト』の勝ち負けなんて、考えて無かったんだろうね。」
「よく分かってるじゃないか。そういう事だね。軍政と帝政の行く末をしっかり見ないと、『ギガファスト』やプラタープの戦いがどうだったか、なんてことは判断できない。」
「じゃあさ、父さん」
少年に瞳に、燦然とした輝きが灯る。「話してよ、『宇宙要塞ギガファストの攻防戦』に関わる、『グレイガルディア』星団帝国に起こった出来事を。」
父の語る歴史物語ほど、エリス少年の心を踊らせるものは無い。
「はいはい」
割り込んで来たのは、母だ。「しゃべってばかりじゃ、疲れるでしょ。」
テーブルの上に、紅茶とアップルパイが登場した。立ち上る湯気が、それらと母の温度を物語っている。彼の家庭の最高権力者は、流刑者達にも慈愛を惜しまない。
「うわっ、美味しそう!」
左手でアップルパイを掴み、右手で角砂糖を摘んだエリス。アップルパイを口に、角砂糖を紅茶に、器用に、同時に投げ入れた。
「まあ、お行儀の悪い。」
「さあ、始めようか。」
母は、小言の一つも唱えるつもりだったかも知れない。が、少年の瞳の輝きが、それを封じた。父の歴史物語が始まると、もう、この少年には、何も聞こえない。母も、十分承知だ。
「『宇宙要塞ギガファストの攻防戦』に先立って、『宇宙要塞バーニークリフ』での戦いがあったんだ。そこは、間もなく陥落してしまうが、それはプラタープ・カフウッドの計算通りの事だった。『バーニークリフ』は、軍事政権側の戦力をおびき寄せるための、餌でしか無かった。」
「プラタープ・カフウッドは、自分から、大軍が攻めて来るように仕向けたんだね。それが、軍事政権の打倒と、皇帝権力の復活に繋がると信じて。たった千人での、数十万の敵との戦いを、自ら仕掛けて行ったんだ。すっげえ!」
「その2年前にもプラタープ・カフウッドは、彼の領内の要塞である『バーニークリフ』を軍事政権に攻め落とされた。」
右手のフリップで、父はバーチャルキーボードを呼び出した。彼の装着するコンタクトスクリーンにのみ、半透明のキーボードの映像が映し出されている。それを叩く指の動きが、ハウスコンピューターへのコマンド入力になる。家のどこにいても、彼等は手や指の動きでハウスコンピューターを操作できる。音声入力もできるが、彼はこちらが好みだ。
「プラタープが、2年の潜伏期間を経て『バーニークリフ』を奪還するところが、軍事政権打倒への戦いの出発点と考える人が多いから、そこから話を始めようかな。」
キーボード操作の指の動きを検出したハウスコンピューターが、父の前に資料映像を並べて行く。全て、コンタクトスクリーンに映る映像だ。父にしか見えていない。
父は、きちんと資料を見ながら話しを進めるつもりだ。愛息に、正確な知識を提供する為に。大切な息子の大好きな歴史物語を語るのだから、最大限に正確を期さなければならない。父の矜持だ。
歴史物語は、幕を開けた。
角砂糖が紅茶に溶けるように、少年の心も時空に溶けた。
今、数千年も前の、数万光年も彼方の物語は、少年の心と、混然一体になる。昔日の英雄の、呼吸の音すらも、この瞬間、少年は、感じ取っているかもしれない。
今回の投稿は、ここまでです。次回の投稿は '17/12/9 です。
やはり2週間で1話のペースだと、全然前に進まない感じがあります。が、一方で、早く物語を完成させないと、という焦りも生まれます。遅々とした投稿の進行にもかかわらず、追われている感じがいっぱいの作者です。あまり話が前に進む前に、完成させたいのですが、なかなか執筆も前に進まない・・。
とにかく、プロローグがここで終わり、いよいよ次回から本編です。エリスの時代から数千年の時を遡り、主役である「ファング」が活躍する時代の描写が始まります。エリスがバーチャルな世界で見た、"寄せ手"や"守り手"がどんな人々で、どんな運命を辿るのか、などに思を馳せて頂ければ、作者としてはとても助かります。というわけで、
次回 第1話 宴席・臨戦・奇襲 です。
エリスの父が言っていたように、宇宙要塞「バーニークリフ」奪還戦の場面から始まります。奪還するのはプラタープ・カフウッドという将軍のはずですが、物語の主役は「ファング」という名の盗賊や傭兵を生業にする戦闘艇団です。どういうことだろう?とか思いながら、次回を待って頂きたいです。