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1.母娘

 僕は人間曰く『猫』と言う種類の生き物でありますが、僕が常々思う事は、例え僕等が人間とは違う種類の生き物であっても、常日頃から世の中やその他様々な事について思考を巡らせるのは人間と同じと言う事です。

 例えば、僕は先日『理不尽』と言う言葉について考えてみました。というのも、僕はその日、ある不思議な母娘を見たのです。

 母娘は、僕が何時も日向ぼっこをするベンチが在る、ここらで一番大きな公園に居ました。五六歳の娘と若い母親でした。手を繋いで公園にやって来て、ボールを投げ合ったり、砂山を作ったりと、初めの印象は何処にでも居る普通の母娘だったのです。ですから、僕はボール遊びが終わった時分でベンチに上がり、柔らかな日を受けてうつらうつらとし始めました。

 一度眠りに落ちてから浮上する頃、僕は駆け寄る足音で目を覚ましました。瞼は下ろした儘でしたが、足音の主がさっきの娘である事は、「猫ちゃんだ!」と言う可愛らしい声で判別出来ました。

 僕は小さな子供があまり好きではありませんから、その儘眠ったフリを続けました。子供と言うのはどうも予測が出来なくて苦手なのです。そっとしておいてほしい時に撫でくり回される程嫌な事は有りません。逃げようとすると尻尾を掴みます。大人しくしていると毛を逆撫でしてきます。僕は、猫は皆等しく子供が嫌いなのではないかとさえ思っています。

 案の定、娘は僕を撫で始めました。睡魔に身を委ねようとしている僕には、煩わしい以外の何物でもありません。しかも、やっぱりと言うべきか、毛を逆撫でしてきました。僕は辟易して、ぱちりと目を開けると、娘に向けて威嚇の声を上げました。噛む気は無かったのですが、牙を剥き出しにしてやると、娘は酷く怯えた顔をして手を離しました。

 僕はやっと訪れた安穏に再び目を閉じました。暖かな陽光は僕をすぐに眠りへと誘いました。

 ところが、眠る直前、僕は身体に衝撃を受けて咄嗟に目覚めました。驚いて丸く開いた目を向けてみれば、娘が拗ねた表情で僕の身体を平手で打っているのです。僕が呆然としている間にも二度三度と衝撃は襲います。勿論痛みだってあります。僕は身の危険を感じて娘の手に牙を向けました。

 僕の牙は空を噛みました。娘は母親に首根っこを掴まれて立たされていました。

「叩いたら駄目でしょう!」

 母親は眉間に皺を寄せて娘の手を掴み、怒鳴りました。娘は一瞬惚けた後、びゃあと泣き始め、母親は娘の手を引いて隣のベンチに腰掛けました。

 その後母親は娘に何やら説教をしていた様ですが、そんなのは僕には関係が無い事ですから、もう内容はすっかり忘れてしまいました。僕はその後無事眠りにつけた、とだけ報告しておきます。

 僕が次に目覚めたのは、空が赤と青のグラデーションを描いている頃でした。陽光はすっかり建物に遮られて温度を失いつつありました。僕はそろそろ公園近くの集合住宅に移動しようかと立って伸びをしました。住宅の一部屋に、玄関先に毛布を敷いた段ボールを置いている家があるのです。ある程度の広さがありますから、僕や他の何人かの猫達は大抵そこを寝床にしているのでした。

 満足いくまで伸びをした後、僕はふと砂場の方を向きました。そこにはまだあの母娘がいました。よくもまあ飽きないものだなぁと思いながらベンチを降りた時、丁度母親が砂山作りに夢中になっている娘に声を掛けました。

「もう遅いから帰るよ。パパがお家で待ってるよ」

 母親はしゃがみこんでそう言ったのですが、娘の方はまるで応えません。よっぽど砂山作りが面白いようです。それで、しばらくは無言の状態が続きました。

「帰ろうよ」

 反応が無い娘にしびれを切らしたのか、母親が娘の腕を掴んで立たせようとしました。当然娘は抵抗します。「いや!」と母親が引っ張った腕を引っ張り返しながら、頭を横に何度も振ります。引っ張って、引っ張り返して、何度かそれが続きました。

 唐突に、母親が娘の頬を掌で打ちました。母娘と、あと僕以外には誰も居ない公園に、乾いた破裂音が鳴り響きました。

「帰るの!」

 娘は呆然として、母親の手に引かれるまま、半ば引き摺られるようにして砂場を離れました。母娘はそのまま公園を後にしました。その時の母親の表情は、僕を打った娘を叱った時と同じ、眉間に皺を寄せた怒り顔でした。

 そんな事があった訳ですから、僕は『理不尽』について少し考えてみたのです。けれどまあ、僕達が暮らす社会には『理不尽』なんて寝る回数よりも多くありますから、身に纏っているように身近な物を考えるというのも難しい話です。お偉い人間曰く、そう言う物にこそ目を向けなければならないそうですが、僕達はあくまで猫なので関係ありません。僕も結局、堂々巡りに陥って諦めてしまいました。

 僕なりに出した結論は「何処の世界にも『理不尽』はあるものなのだなぁ」と言う事だけです。

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