結婚指輪
私は結婚した。
「珍しい指輪ですね」
そう言われるのが好きだ。一番。
「結婚指輪なんです。手作りの」
そう紹介する。すると相手は皆口を揃えて感嘆の言葉を漏らす。まあなんて素敵なの、と。素敵なご夫婦ね、と。
誇らしい。本当に。
「そんなことしたら駄目でしょう?」
そう言われるのが嫌いだった。一番。
何故駄目なのか分からなかった。でも幼い頃母や先生はそう言って叱った。いつでも。でもその言葉はいつも私の心に届くことはなく、耳から入っては反対の耳から出て行った。何の実感も沸かなかった。
「そんなことをしたら駄目でしょう?」
先生は言う。
「どうして?」
「お友達が泣いてるわ」
「どうして?」
「悲しいのよ」
「どうして?」
「あなたは悲しくないの?」
先生は泣いている友達の肩を撫で、私を見つめた。それは質問ではなかった。「なんであなたは悲しくないの」と軽蔑していた。
私の気持ちは誰にも分からない。皆が何を感じているのか本当は分からないのと同じ。そう思って来た。
けれど私も大人になり、愛する人が出来た。
彼は、私の唯一の理解者で、「君は君の好きなようにすればいい」というのが口癖だった。
結婚したいと思った。こんな人とはもう出会えないと思ったから。でも、彼は渋った。「どうして?」と。信じられなかった。私の事を認めてくれたのに。
「結婚したいんです。だめですか?」
仕事帰りに待ち伏せをして、薄暗い公園に彼を誘った。彼は突然の告白に驚いているようだった。
「愛してるんです」
はっきりそう言った。それ以外の理由はないから。
「あのね、君は僕の部下だよ? 大事な部下としてしか君を見ていない。それに僕には妻子がいるし、僕たちは親子ほど年が離れているじゃないか」
入社した時からいつも優しくて、私を自由にしてくれた。好きなようにすればいいと。そんな事をしては駄目、という言葉とは正反対の事をいつも言ってくれた。
「君にはちゃんと見合う人が居るよ。僕なんかに恋愛感情を抱いていては駄目だ」
彼が私の背中を押すようにして、公園を出ようとする。
頭が真っ白になった。
私のした事に、駄目だなんて言うのね。
やっぱり、やっぱりそうなんだ。
背中に当てがわれた彼の手を振り返って掴み、傾斜のある木々の間へ放った。公園は少し小高い所にあって、周りを川が囲っている。バランスを取ろうとしてばたばたしている彼の背中を思い切り押した。
落ちた先を覗くと、河原の石に埋もれて微動だにしなくなっていた。自分も転げてしまわないように恐る恐る降りてみる。確認すると、彼は息をしていなかった。血がたくさん出て、足が変な方向へ曲がっている。手指からは骨が見えていた。暗闇の中、赤黒い手から見えたその骨は、あたかもダイヤのように鮮やかに、白く光っているように感じた。
「珍しい指輪ですね」
そう言われるのが好きだ。一番。
「結婚指輪なんです。手作りの」
私はそう紹介する。すると相手は皆口を揃えて感嘆の言葉を漏らす。
「まあなんて素敵なの」と。
「パールでもないし、天然石か何かかしら? 暖かみのある色ね」
ある婦人がそう聞いて来た。私は誇らしげに左手を差し出し、「主人の骨なんです」と言う。
私は幸せ。あなたが居なくても。
私は幸せ。あなたとこれからもずっと一緒だから。
これで良かったの。むしろこれが欲しかったのかも知れない。愛する人の一部を持っていれば、これからも生きていける気がするの。