第八話
俺たちがとった宿は、そこそこ高級でもなく、かといって安すぎるわけでもないふつうの宿だった。
スス=ンマイの街中の一角、裏路地にほど近いところにあるその宿は、魚人が経営するごくごく一般的な宿だった。俺は店主に、二部屋続いている部屋がないかと問いかけた。
この宿だけは、二部屋続きの部屋がとれるのだ。
ロレッタは別に同じ部屋でもいいと言っていたのだが、なんとなく気恥ずかしいせいで広い部屋をとることになった。一泊で銀貨一枚半。別にこの程度なら、安い方だろう。
俺はとりあえず三泊分、部屋を予約した。
部屋の構成は、リビングルーム、互いの部屋くらいである。
日本でいう安いマンションという感じだ。
キッチンがないことが、マンションとの大きな違いでもある。
食事に関してはこの街では、屋台にいけばいいだろう。もしくは、この宿の階下にある食堂を利用してもいい。ロレッタは、その食堂が安く、量も多いことを教えてくれた。
屋台で食べるごはんとはまた違った旨味があるのだろう。夜ごはんはそこでとることに決めて、俺は部屋に入っていった。
どちらの部屋もとくに何か違いがあるわけでもない。
風呂は狭いものがリビングの先にあった。
「先にお風呂とか入りますか?」
「いや、いい。聞き込みにいこう」
俺は黒いコートを翻し、部屋を出た。
少しの間本拠地となるその部屋は、異世界はじめての夜を過ごすにはぴったりな場所に思えた。
薄暗がりの夕闇の中、部屋に供えられた魔法ランタンが青緑色の炎を夜の中に溶かしていた。
魔法ランタンは隣の街、カムーアの名産品でもある。
各種色が取り揃えられており、俺の部屋に置いてあるランタンの光は青緑色で、ロレッタの部屋にあるランプの中では桃色と橙色の炎が踊っているらしい。
ランプの中にある炎は触っても熱いわけではなく、床に落ちたとしても燃えることがない。
水のようにどろりと床の上に広がるだけである。
魔法ランタンはともしたまま、俺たちは街中に出る。
街の中は予想以上に混みあっていて、どことなく乱雑だった。
その乱雑さの中でただただ冒険者たちの怒声が混じっている。その怒声は、街の雑踏の中でとがって消えていく感触があった。
「さて、どこから聞き込みをするか」
「夕暮れ時ですしね。酒場に誰かいるかもしれません」
「酒場か。行ってみよう」
軽く飲み食いするのもいいかもしれない。
ロレッタがとことこと横を歩きながら、闇のせまる街を案内してくれた。
しばらくしてついたのは、魚のマークを掲げた酒場だった。
ほどよく良い香りと、酒で焼けたような男の声が聞こえてくる。
「私の知り合いの魚人が経営している酒場です」
「そうか、ならここにしよう」
ドアを開けると、ドアベルの音が心地よくからんころんと鳴り響いた。
中から屈強な魚人の男が俺たちに視線を投げかけた。どうやらこの男がロレッタの知り合いらしく、ロレッタが彼に駆け寄っていく。
男は俺の元に昼間に飲んでいたアイスティーを差しだし、そしてそのどんよりとした魚の瞳で俺を見つめた。
「で、どういう用だい兄ちゃん」
「単刀直入に言うと、勇者の情報が欲しい」
「何故?」
魚人の男はそっと目の前の酒を煽った。
表情を動かさないせいで何を考えているのかがわからない。
確かにロレッタの知り合いではあるはずなのだが、それでも、この男が魔王側かどうかはわからないのだ。
もし勇者側の人間であったとしたら。
魔王である俺たちは、どういった扱いを受けるかは想像できる。
この国では魔王を倒す風潮があるのだ。魔王の親衛隊がこんなところにいると知られたらきっと、憲兵に捕まるだろう。
俺はごくりと生唾を飲み込んだ。
これは賭けだ。
たとえ憲兵に捕まりそうになっても、逃げる自信はある。ロレッタがいたとしても、きっと逃げられるだろう。
しかし、逃げてどうする?
まだ情報は何も手に入れていない。
俺はカルネテルをそっと指でなぞった。
黒いその魔剣の冷たさが頭を冷やしてくれることを祈りながら。
そっと唇を舐めて、乾いた唇を湿らせた。
そして口を開く。
「俺は魔王親衛隊隊長、カナメ。
打倒勇者のために情報を集めている」
魚人の男が、にやりと笑った気がした。