第三話
絹を裂くような女性の叫び声。
俺ははっと顔を上げると、先ほど女性が走り去っていった方向を見た。
たしかあっちの方から聞こえてきたと思う。
俺の頭の中を嫌な想像が駆け巡る。
先程のリザードマンたちは、なんとなく盗賊のような恰好をしていた。
あのリザードマンたちに、あの女性が襲われているとしたら?
ファンタジーの世界だからこそあんな山賊とか、盗賊みたいな恰好をしていても大丈夫、安全な人なのかもしれない。
そう思うこともあるのだけれど、それでも俺の足は、彼女が逃げて行った方向に向いていた。
転生してから身体能力も強化されているのか、少しずつ彼女の声が聞こえてくる。
聴覚とかも、転生前より鋭敏になっているのかもしれない。
「っ、や、やめてください!」
あの、若草色をした少女の声が聞こえた。
それとともに言い争うような声。
俺は杖を持つ手にぐっと力を込める。
今の俺は転生したばかりで、自分にどんなことが出来るのかも想像できない。
しかし、それでも助けにいかなくてはいけない。
彼女はきっと困っているのだから。
俺はすうっと息を吸い込んだ。
「待て!」
「…ああ?」
リザードマンのうちの一人が彼女の手を掴んでいた。
メイド服をまとったその少女は、怯えたような目で俺を見ていた。
心臓がどくどくと強く打っている。
「どうしてその子に手を出す?」
「こいつ、俺にぶつかっておいて謝りもしねえ」
「ち、違います!謝りましたですよ!」
慌てたように叫ぶその子。
彼女を庇うように、俺はリザードマンと彼女の間に割り込んだ。
「謝ったと言っているじゃないか」
「は?助かりたいがために嘘ついてるんだろ?」
「そんなことないです!」
背中から聞こえてくる女の子の声は今にも泣きだしそうだ。
俺はリザードマンを睨みつけた。
いかにも不気味な外見をしているが、なんとなく、俺よりも弱いんだろうなと思ってしまう。それはこの姿になってから得た全能感のようなものに後押しされているのかもしれない。
「ンだよてめえ!」
リザードマンが俺の胸倉をつかむ。俺はただそれを見ていた。
身体を動かされたせいか、片目を隠していた長い前髪がさらりと揺れて金色の瞳が露出する。それを見たリザードマンが、低く声をあげた。
そういえば、周りを見ている限り、俺と同じようなオッドアイの魔族というものは見ていなかったということに、今更気付いた。まだ召喚されて間もないからこそそういうものなのかもしれないと思っていたけれど、もしかしたらこのオッドアイは珍しいのかもしれない。
そんなことに今更、今になってやっと気が付いた。
リザードマンがあわてたように手を放す。
そして、二、三歩後ずさった。
「まさかこいつ…『傍えの魔眼』…!?」
「なっ…なんで魔王親衛隊のトップがここにいるんだよ…!」
よく意味がわかっていないのは俺だけなのかもしれない。
そんなことを考えていると、リザードマンたちは何やら捨て台詞を残して消えていった。
「…あっ…ありがとうございます…!」
「…礼には及ばない」
俺はなるべくクールな感じを装ってそう答えた。
あの死霊使いのイメージを壊さないように、っていうのと、俺のあこがれていたものになってみたいという意志があった。一度はなってみたかった、敵方の最強クラスの、クールでかっこいい男に、今俺はなっているのだ。
「本当に…殺されちゃうかと思いました…」
「…俺がいてよかったな」
「はいっ、ありがとうございます、魔眼様!」
少女はそういうと、はっとしたように顔をあげてあわてたようにまわりを見渡した。
「あぅ…そうだった!私、今日から魔王城に住むことになってるんです!
もしどこかで会ったら…またきちんとお礼させてください!」
そういうと彼女は風のように走り去ってしまった。
俺はへなへなと壁に寄りかかる。
「あ~…よかった…」
助けられてよかったという思いを胸に、そういえばとポケットにいれていた手紙を取り出す。
赤黒い封蝋で封のされた手紙だ。
それをそっと開ける。
中には流麗な文字で何かが書かれていた。
『親衛隊隊長、死霊使い、カナメ
魔王城への登城を命じる。
第182代魔王、エリザベス・L・クロディヴァイツ』
俺もどうやら城にいかねばならないようだ。
俺はあわてたように体勢を立て直し路地裏から出る。
見上げた先には、雪で作られたように真っ白な城がそびえたっていた。