プロローグ
人生のうちで一体何人の人が車に轢かれるのだろうか。
いや、何人の人が車に轢かれて死ぬのだろうか。
そんなことを考えつつ、俺、神崎要は目の前に迫るその大きな物体を見ていた。
最後に考えたのは、まだやってないゲームがあるなとか。
ゲームの中で倒し切っていないボスがいるなとか。
まだやっていないクエストがあるなとか。
そんなことばかりだった。思い出す必要もないような、そんな日常の些細なことを思いだしてしまった。
今日はテストで学校が早く終わったせいで、俺は親友と会話しながら帰り道を歩いていた。
どうせ冴えない高校生で、これから先も何か面白いことがあるような人生でもない。親に言われたように入れる範囲で大学に入って、そして就職して、なんとなくのままで人生を送っていくのだろう。
それをつまらないと思いながらも、それを覆すことはできない。
「あーぁ。テスト返し面倒だな」
「あ、土日終わったらテスト返却だっけ」
そんな会話をしながら俺は足元に転がった石ころを蹴った。
天才にもなれないせいでテスト返しはやっぱり憂鬱でしかたがない。月曜日が来なければいいのに、なんて。普通の男子高校生みたいに思ってみたりもする。
「日曜日の夜に世界が終わったらいいのに」
「隕石とか落ちてきて?」
「ううん。魔王の軍隊とかが攻めてきてさ」
魔王の軍隊とかに心が躍ることだってある。
そんな軍隊が襲ってきたら、俺だってゲームの主人公みたいに大剣を抱えて飛び出してみたいし、敵の軍隊の前に立ちはだかって不適に微笑んでみたい。
毎日が退屈で仕方ない。
その退屈な毎日を壊してくれる何かが欲しかった。
「アンタたち、そんなこと言ってる暇あったら勉強したら?」
そんな風に声をかけてきたのは、幼馴染の保坂恵利奈だった。
いつもこんな風に絡んできて、昔の可愛かった頃とは大違いになってしまった恵利奈に視線を向ける。こいつも、昔はほんとうに可愛かったのに、中学に入ったころから変わってしまったような気がした。
「俺、恵利奈みたいに頭よくないし」
「勉強する気がないんでしょ。おばさん怒ってたよ?」
「うるさいなー恵利奈は」
ゲームの中の世界に入っていきたかった。
ゲームの中では自分の自由になれるし、退屈な日常なんてそんなものは存在しない。
手に持ったスマートフォンに視線を向けた。そこには、俺の大好きなMMORPGの新しいステージの予告が出ている。今日、新しいステージが解放されるのだ。
テスト中からずっと気になっていたそれを見ながら恵利奈と親友と並んで歩いた。
勇者よりもずっと、俺は魔王になりたかったし、勇者を倒してみたかった。
勇者はいつだって最強だし、なんだかそれは、ズルをしている気分になっていた。
絶対に勝つことが決まっているのならば、つまらないなぁ、と。
俺のあこがれはいつだって敵キャラクターだった。なんだかかっこよくて、いつもいつも、それになってみたいと思い続けている。今回ゲームで実装された敵の中ボスの死霊使いのデザインもかっこよかった。
銀色の髪に黒いコート。真っ赤な瞳。
大振りの派手な装飾のついた杖に、なぜか剣を持っていて。
あこがれてしまう。そういうのになりたいな、なんていう意志がどこかにあるから、俺は死霊使いになりたかった。
まあ、なれないのだけど。ゲームも実際の人生でも。
俺は誰かを救うヒーローにも悪役にもなれないで中途半端に生きていくのかもしれない、と思うと寂しくなった。
魔法使いとかなってみたかったなぁ、と思ったとき。
「っあ……!」
恵利奈が小さな悲鳴を上げた。
それに釣られるように俺は視線をスマートフォンから離した。
小さな白くて丸い物体が、道路を駆け抜けようとしているのが見えた。
その小さくて白い丸っこいものは子猫で、確かそれは恵利奈の家で飼っている猫だった。外で飼っていると危険なのにと何回か注意したことがあるような気がする。
子猫が道路に飛び出していた。
猫は驚いても後ずさりはできない。その白い子猫は、轟音に驚いて立ち止まっていた。トラックが走ってきていたのだ。トラック。白いあの子猫にとってその大きさは結構な驚きだったのかもしれない。俺も、トラックが走って来たら驚くことしかできないだろうし。
そんなことを考えるよりも先に、俺はかばんもスマートフォンも全部投げ捨てて道路に走り出していた。
あの子猫は恵利奈が大切にしていたものだ。恵利奈の家に行ったとき、恵利奈がほんとうに大事なものに触れるようにあの子猫を扱っていたのを知っている。そのせいで、俺は走り出してしまっていた。
恵利奈と親友の声が聞こえたような気がする。
俺は猫を掬い上げて、そして道路の端に放り投げた。
きっと何かを救ってみたかったのだ。
主人公にはなれなくても、良い悪役みたいな。そういうポジションに。
トラックから自分は逃げきれないということに気が付いたのは少しあとだった。轟音が迫ってくる。夕方になったせいで点けられていたライトがただ眩しかった。
最後の瞬間に考えたのは、あの死霊使いと戦えなかったのが残念だな、なんて。
そんな単純なものだった。