春に生きる
その日朝の8時に目覚めた事をぼんやりと覚えている。
遮光カーテンの閉塞的な重量がとても憂鬱で
あまり良い目覚めとは言えなかった。
その憂鬱を払いのけ、窓を開けると
春の残酷なまでに無邪気な朝日と開放的でとりとめのない春風が一切合切に飛び込んできた。それらは、世界をどこまでも明るくさせ
また、僕を過去の住人に位置づけた。
昨日、サークル仲間と深夜近くまで
天神で新入生のいない新歓パーティーを
開催していて、珍しく悪飲みしてしまい
体が怠い。
台所に行く足どりも重く、倦怠感が酷い。
水を3杯飲んでひとまず息をつく。
頭はやっと正常な機能を取り戻し
昨日からテーブルに放置していた
ケータイに目を通す。
LINEが10件、メールが2件通知されていた。
メールは、くだらないメルマガ
LINEもサークルの連中が昨日のノリを
引きずって新歓での、ふざけた写真を添付
していた。それが8件。
それから先輩からLINEがきていた。
「昨日すごく酔ってたけど大丈夫?」
「起きたら連絡ちょうだい」
通知は一時間前になっていた。
そのLINEを見たとき僕はようやく
自分がどのように家にたどり着いたのかを
思い出した。
昨日珍しく酒が進み完全に泥酔しきった
僕は、とても一人で家路に着く事ができる
状態ではなかった。そこで現在交際中と
いうこともあって、自然な流れで先輩が
僕を連れて家に帰す役目を買って出て
くれたのだった。(先輩は下戸だった。)
彼女の肩にもたれながらフラフラと痴態を
晒していたのかと思うと急に赤面して
しまった。
僕は急いでLINEを返した。
「今起きました、
昨日はご迷惑おかけしました。」
すると待ってましたと言わんばかりの
速さで返信がきた。
「結構起きるのはやかったね、
かなり酔ってたから笑
今から会える? 」
その返しには驚いたが、別に断る理由も
なかった。
「ええ今すぐに笑」
すると直ぐに
「じゃあ10時に桜公園で」
先輩の即レスには、ほとほと呆れる。
9時50分に桜公園に行くと既に先輩は
桜の木の下の木製のベンチに腰掛けていた。
白いシャツに青いカーディガン
紺のスカートに薄いベージュのヒール、
先輩の装いはいつも清潔さを感じさせる、
余計な主張がなく、よく場に馴染む。
その名の通り桜公園の桜は
見頃ということもあって、それは見事な
ものだった。けれど平日の午前中
のためか、公園にいるのは僕ら二人
だけだった。
「すいません待たせましたか?」
「さぁ?」
なんて可愛げの無い人だろうか。
「珍しいですね前振りもなく呼びだすなんて
よっぽど大切な用件ですか?
それとも衝動?」
すると先輩は後ろを向いて少し笑った。
これは先輩の常套手段だった。
「やっぱり男は後者の方が嬉しいものなの?」
「さぁ?」
僕の性格がひねくれているのは認めよう。
「なんて可愛げのない」
こういったやり取りを僕らが楽しんで
いるのを周囲はめんどくさいカップルだと
非難した。
少しの沈黙の後、先輩はいつにもなく
哀しい声で喋りだした。
「あのね、私言って無かったよね君に、、」
こんなに勿体振った話し方をかつて
聴いたことがあっただろうか
「例えば先輩のカップサイズ?」
弁明しておくと普段僕はこんなくだらない
コミュニケーションは取らない。
「ふざけないで」
空気が張り詰めて行くのが分かった
「すいません。もしかして春からの事?」
彼女は今年で大学を卒業した。
そして彼女は春からの就職先を
ずっと周囲に隠していて恋人の僕にさえも
教えてくれなかった。
「私ね東京に行くのアパレルショップに
勤めることになってるの。」
その時僕はあまり驚かなかった、
想定内というか、予想通りというか
正直そんなことをわざわざ
隠していたなんて、ガッカリした。
「なんだ、そうだったんですね
おめでとうございます。
早く言ってくださいよ。僕も来年卒業したら
東京に行きます。そしたら一緒に暮らしましょうよ、夏休み行きますよ引っ越し先教えてください。」
その時の彼女の顔を僕はずっと忘れないだろう。これから先僕が無くなるまで。
彼女は静かに泣いた、僕の目を見て
ただ静かに。僕は彼女の意図する全てを
悟った。
「もう君とは会わない
もうこの街には戻らない
もう君の知る私は無くなるの。
だからね今日が最後なの。今日の昼向こうに行くの
。」
体の力が不意に抜けて僕は崩れ落ちた。
全部がどうでもよくなった。
今までの思い出とかそんなものが、
遠くで何かが壊れる音がした。
そして泣きながら言った。
「なんだ、よくある別れ話じゃないか
ずっと一緒にいればいいじゃないか!
なんだよ急に僕の何が不満なんですか?
あなたは僕に何がしたかったんですか?」
一人ごとのように無気力に地に吐いた。
彼女はかがんで僕の顔を覗いてそれから
抱きしめて言った。
「私は明日を見てる、ずっと明日を見てる
未来が欲しいの。君はずっと昨日のまま
君はずっとそこにいるの?」
それが彼女の最後の言葉だった。
今でも聞こえるのは彼女のヒールの音
見えるのは醜悪な桜の木。
春は僕を過去の住人に位置づける。