終焉の始まり‐前章‐
あまりの長さに、前後篇に分けてお届けすることになりました(/´△`\)
最終話になります。
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「明け方に、王の元を訪ねて来た。………想定はしていたが、やはり彼女を死に追いやった起因は王弟シャルル・セストレイだと思われる。あれが、メリア嬢の発言をあの茶会で聞いていたとするならば。おそらくそれを黙って見てはいなかっただろうと王は言っていた」
彼女を後宮へ残し、リーベンブルグ邸を訪れた宰相 ギルバート・フレイメア。
彼は後宮を出たその足で、宰相補佐を叩き起こすところから始め、速やかに情報収集にあたらせた。
王弟 シャルル・セストレイの出生から現在までの記録。
彼女が後宮に来てから今に至る二年余りの期間。
それらを照らし合わせ、編纂を行う。
明け方の空を見上げる頃には、今に至るまでの王弟の遍歴を抱えて王の元に向かった。
現王陛下 リーベル・セストレイ=フレアード。
彼は早朝から面会を申し出た宰相を前に、どこか諦めた様子で笑った。
王は、きっとその時が来るかもしれないと分かっていたのだろう。
王弟の遍歴を前に、訥々と話された内容は国の次席である彼ですら、耳を疑うようなものだった。
それはおよそ一年前の事だったと王は語る。
「陛下。もし我儘を叶えて頂けるなら、一つお願いしたい事があるのです」
十二歳を迎えていたシャルルは、異母兄の王から見ても普段から物分かりがよく、良識に則した手の掛からない子供であったという印象が強かったという。
だからこそ、こうした言い方で切り出した彼に物珍しさを覚えて問うた。
「一体どんな事だ? 話の内容に応じて、出来るだけ考えてはみよう」
季節は初夏の始め。
さわさわと控えの間から吹きこんで来る風に、柔らかな猫毛を靡かせて彼は言った。
「僕に、メリア・オーディス伯令嬢をください」
そのあまりの内容に、束の間何も言葉を返せなかったのだと王は苦笑していた。
もしこれが、成人を迎えた弟の言う言葉であれば王もそれほどに呆けはしなかっただろう。
しかしシャルルはその時まだ十二歳になったばかりだ。
そんな彼が、名を上げた令嬢。
メリア・オーディス伯令嬢のことを、王は一瞬思い出せなかったのだと言う。
何しろ彼女は、自ら自負する通り。
当時の後宮でも片隅と言っていい存在だった。
とはいえ、仮にも現王の後宮に召集された令嬢。
王個人の意向で、王弟へ降嫁させるなど過去にも例がない。
まして繰り返しにはなるが、それを望む王弟は成人を迎えていない。
上の様な事を一通り述べた後、成人を迎えたその時にお前の気持ちが変わることが無ければ件の令嬢に話を通してみようと王は返答した。
この返答に対し、シャルルはそうですかと一言告げたきり、何事も無かったように退室していったのだという。
それが一年前の事。
以来、王はそれと無くメリア・オーディス伯令嬢を気に掛けるようになった。
それも自然な流れと言えるだろう。
その過程で、王の目にも彼女が後宮の不条理に心を痛めている様子は見えてきた。
加えて、彼女自身がその年の若さに見合わず、周囲の令嬢たちと一角をひくほどに良識を持つ人物である事も。
その認識は、王にとって恋愛とまでは至らずとも好意を持つには十分な素養だった。
王は幾度か、メリア・オーディス伯令嬢と接点を持とうと秘密裏に働きかけた。
しかし、王の思惑を知った第三者の手によってそれは尽く潰された。
その第三者というのは言うまでもない。
王弟 シャルル・セストレイは夜半に一度王の元を訪れてこう告げたそうだ。
「陛下。もし貴方がメリア・オーディス伯令嬢を王妃に据えると言うのなら、僕は貴方を殺して王座を得ることにします。他のどの令嬢に手を出しても僕は何も言いません。けれども、彼女だけは許さない。………兄さん、これは僕の精一杯の譲歩です」
その時、初めて自分を兄と呼んだ弟に鳥肌が立ったのだと王は独白した。
わずか十二歳の少年が、ただ一人の令嬢に異常なほどに執着する姿に絶句したのだと。
結局王は、彼女と接点を持つ事を諦めた。
彼の言葉が冗談ではない、本心からのそれであったと感じた為である。
それからも、執着は薄れるばかりか日々増していくばかりであった様だと王は言う。
彼女を害した令嬢たちへ、少量の毒を仕込むことなどまだ良い方であったという。
彼はいつしか、後宮の主とも言うべきエルトリア侯爵家令嬢の懐に入り込んでいた。
そうして彼が密かに進めたのが、メリア・オーディス令嬢の孤立化。
常でさえ、周囲からは一歩引いていた彼女をより一層の孤独に落とそうとした。
全ては、彼女の心を全て彼に向けさせるその為の準備だった。
自分だけが、彼女の心を独占したいが為の歪んだ愛情。
それを察した王は、幾度か忠告を差し挟む事もあったという。
だが、それは大様にして逆効果となることが多かったらしい。
彼は、取り分け王が自分の愛する令嬢に関わることを忌避した。
それもその筈。現状では、後宮にいる彼女は現王のものといって間違いない立場である。
そのことへの苛立ちであったのか。
王はいつしか、嘗て彼女を望んだあの言葉へもっと別の返し方があったのではなかったかと悩むようになった。
一方で、あの異常なまでの独占欲が果たして何を起因に生まれたものかを考えてみたのだという。
「メリア・オーディス伯令嬢、彼女はシャルルが幼少で亡くした姉君に面影が似ているようだ。同じ母から生まれた姉君は、よくシャルルを母の暴力から見を呈して守っていた。彼らの母君であった故ナターシャ・シリム侯爵令嬢は遅く生まれたばかりにと、よくシャルルの頬を打っていたからね。………幾度も止めに入ろうとしたものだが、私自身が周囲に止められて儘ならなかった。実際あの場に自分が割って入れば、余計に火に油を注ぐ結果となっただろう。だが、今も後悔している。姉君を喪い、支えも盾も同時に失ったシャルルの洞の様な眼差しは酷いものだった」
「……たしか姉君の死後、僅か数日してシリム侯爵妃は私室の窓から飛び降りて自死したと聞いていますが」
「……疑いを持つのか、宰相? そうだな……それも自然か。だが、あの日シャルルは私の部屋にいたのだ。その時刻に自死した母君を手に掛けることは出来ないだろうね………」
王の言葉に頷きながらも、奥底の疑惑は揺らぐどころか強まるばかりだ。
何らかの形でその死を企てたのではないのか。
王から聞く限り、シャルル・セストレイの内面は年齢に見合わず歪んだ成熟をみせている。
王は宰相から向けられる疑惑を見て取りながらも、何も言わずに話を進めた。
そしてあの茶会の日がやって来た。
以前から彼は自らの息の掛かったものを潜ませるか、もしくは当人が潜んで様子を窺う事があったという。
そして恐らく、あの日も同じように彼の耳目が置かれていた茶会の場。
行われた伯爵令嬢への度を越えた制裁も、彼自身にとっては興味の範疇では無かったと思われる。
しかし、ここでメリア・オーディス伯令嬢が手にしていた扇を放った。
これにより、制裁が中断した。
そして彼女がその場で告げた言葉。
この場を以て、後宮を辞す。
それが全ての引き金となり、彼女は殺されることとなったのであろう。
王は、宰相にそう告げたのだった。
「………王弟殿下の、メリア嬢に対する執着は話してきた通りだ。おそらく、彼は彼女の発言に衝撃を受けたのだろう。このままでは、自領に帰ってしまうメリア嬢を引きとめるが為。……もしくは、自分のものにならないことを認識して殺意を抱いた………おそらく、それのどちらかだ」
話し終えた宰相に、向けられる視線は茫然としたものから殺意に満ち満ちたものまで様々だ。
それを見て取り、思わず一度天を仰ぐ。
ああ、この先が恐ろしい。
まさにそれが内心の呟きだ。
初めに重い沈黙を破ったのは、やはりオーディス家長兄だ。
「………もう、殺していいかな………」
「……物騒な発言は場を弁えて言いなさい、ディル。フレイメア宰相、この事を既に彼女は知っていますか……?」
長兄の発言を諌めながらも、その声に籠る殺気は素人でも分かるものだ。
叔父であるフェリバート・エイデル候は、丁寧な口調を保持しながらも直視するのが恐ろしい表情を張りつけていた。
「いや、まだ知らせていない。内容が内容なだけに、それを知らせるかどうかも含めて話をしておくべきだと判断した。………まずは家族であるあなた方の意見を聞きたい」
「ねえ、母さま? 王族殺しは一族郎党、如何様な理由があっても死刑でしたわね?」
「そうよ、エレナ。……落ち着きなさい。そんな顔をあの子には見せられないでしょう?」
姉であるエレナ・オーディス伯令嬢の蒼白さは、しかしその双眸に宿る怒りによって異様な美しさを醸し出していた。
身を震わせるほどの壮絶な怒りは、おそらく彼女自身が己を責めていることにも由来する。
改めて知ることになったのだ。
他でもない、彼女の代わりに妹であるメリアが後宮へ上がった事。
それによって王弟に目を付けられた。
もし、彼女でなく自身が上がっていれば妹は殺されずに済んだ。
その認識は、耐えがたいものであったろう。
「エレナ、自身を責めるな。過去は変えられない。私たちに出来ることは、最愛の娘にこれ以上の苦しみを与えないただそれだけの為に動くことだ。それが何にもまして優先されるべきところを、履き違えてはならない」
父であるオーディス伯の言葉に、沈黙したまま身をふるわせ続ける長女。
そんな彼女の体を支えたまま、母であるミルドレッド・オーディス夫人は宰相に告げた。
「私は、知らせる事を望みません。あの子はきっとその事実を知れば、今まで以上に深く傷つくことになるでしょう。あの子の母として、既に死した娘にこれ以上の苦しみを与える事を看過出来ませんわ」
その眼差しを受け、娘を思う母の強い思いを感じ取った。
そして、その眼差しを見詰めていたのは、言葉を向けられた当人だけでは無い。
「私は、孫娘に選ばせる道を勧める。……生前会った事の無い身でおこがましいのは承知の上で敢えて言おう。お前たちの愛した娘は、姉は、妹は、姪は……メリア・オーディスは何も知らされぬままに死を迎え、今こうしてお前たちの元へ再び戻ったという。果たしてその意味を考えた上で、考えねばならぬ。………確かに我々の意思一つ、隠し遂せる事は出来よう。しかしそれは誰も救われぬ茨の道よ。私の様な老いたものはまだ幸いだ。しかし、子供たちはその若さの分、苦しみに長く苦しむこととなろう。たとえ、善き心の下で秘された事も当人を苦しめるとなっては報われまい……」
祖父であるグイード・リーベンブルグ侯爵の言葉に、進み出たのは長兄のディルだ。
「おじい様、そのお気持ちだけで十分です。……これ以上、大切な妹を苦しめることになる位なら、たとえ妹自身に恨まれることになろうと僕は沈黙を選びます」
長兄に続いて立ち上がったのは、長女のエレナとその下の弟ミスティである。
「私も同じ気持ちです。元はと言えば、私があの子に背負わせた運命です。出来る事なら、あの子の代わりにこの命を差し出したい………。けれど、それをあの優しい妹は望まないのでしょう。ならばせめて、それ程の苦しみ程度背負えなくては。そうでなければ、この先を生きていく資格は私にはありませんわ」
「……メリア姉は、時々不安になる位に優しい。馬鹿みたいに、優しくてどうしようもない姉だ。だから、伝えればきっと憎み切れない。それできっと苦しむだろう。だから俺は伝えたくない。ディル兄と同じだ。……それで憎まれても、構わない」
初めて祖父の前で口調を本来のものに戻し、言い切った眼差しは清廉で迷いが無い。
それをじっと見詰めた祖父は、目に涙を溜めたまま残る孫たちの言葉に耳を傾けた。
「僕は、メリア姉さまの強さも信じたい。……でも、姉さんが傷つくならそれは嫌だ」
「姉さまがこれ以上泣くのは、見たくない。もう十分に傷ついた姉さまにこれ以上の苦しみは必要ないと僕は思う」
双子たちは、其々片方の目から一筋の涙を流した。
それは姉を思う心。
これほどに純粋なものはない。
それを見詰めていた祖父の頬を、同じように涙が伝った。
そうして最後に残ったカタリナは、周囲の様子を見上げながら不思議そうに問い掛けた。
その声が、結果として全てを決めることになるとは。
その時は、その場の誰もまだ知らぬことであった。
「どうして、ないしょするの………?」
その言葉に、どう説明したものかを長兄が迷った僅かな間。
カタリナは、その瞳に純粋な疑問を湛えたまま拙い言葉で告げた。
「メリアねえさま、うそ嫌いって言った。わたし、オーディスのひとり。だから、うそは言えないって。…ねえさまがそう言ったから、わたしもうそつかない、きめたの!!」
まるでカタリナの後ろに、メリアがいるかのように思えたと。
随分後になって長兄は、成長したカタリナにそう告げることになった。
「ふ、そうだな……わたしもカタリナの意見に賛成だ。確かに、善い嘘も世の中には沢山ある。だが、先程リーベンブルグ候が言ったように。きっとメリアが戻って来た事にも意味がある。それは我々では預かり知れぬものだ。……ここはひとつ、彼女自身に選択して貰うのが最善では無くとも次善の策ではないだろうか? 全員の気持ちを、あの子には察せるだけの器がある。少なくとも叔父として、私は姪のあの子を信じてみたい」
家族と弟の言葉を受け、オーディス伯は束の間瞑目する。
その様子を見守る宰相の前で、次に目を開いた時には決断が告げられることとなった。
その決断に頷いた宰相は、その場で立ち上がった。
それに続いて立ったオーディス伯は時の声を上げる。
「さあ、後宮の闇を打ち払う時が来た。例え真実の闇に手が届かぬとも、この先行く度でも立ち上がって見せよう。全ては我が娘の為に」
「私の愛する娘の為に」
「僕の愛する妹の為に」
「私の愛する妹の為に」
「俺の大切な姉の為に」
「大切なねえさまの為に」
「優しいねえさまの為に」
「メリアねえさまの為に」
「……愛しい姪の為に」
「愛しい孫娘の、その断たれた思いの為に」
声を揃え、宰相の導きの下で歩き出した『彼ら』。
行く先に恐れるものなど最早何一つ無かった。
しかし、現実はおよそ想像もつかない形で人の心を揺さぶるものである。
後宮を目前にして、彼らが走り出した理由。
それは遠目にも見える炎と立ち上る黒煙。
後宮は、炎に包まれて今や燃え盛っていた。
後章にて、終焉に至ります。
ここまで読んで頂いた方々へ、感謝申し上げます(*´ー`*)
※7/22 誤字訂正致しました。