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8/13

闇を照らし、訪れるその日。

第8話をお届けします(*´ー`*)


長い苦しみの果てに、何が待つのか。

最終直前。

終わりに向けて、筆を取ります。



長文になりました。

ゆとりのある時に読んでいただくことをお薦めします(^-^ゞ

 *



 月明かりが差し込む、静かな水面を覗きこむようにして。

 樹の上で身を乗り出す少女が一人。

 それは蒼い月を空に見上げる夜半。

 ガサガサと木の枝を揺らしながら指先で摘まんだ木の葉の瑞々しさ。

 自分にはもう流れていない、命の色。

 それを見詰めて、ひっそりと吐息を零した。



「………まるで猫だな」



 まるで少女の感傷を読まない声が響いたのも、丁度その時。



「………見逃して下さい、宰相様」


「………駄目だ。危ない。降りてきなさい」



 こんな夜半にまでも、見つかってしまうとは恐るべき私の不運。

 暫し無言の攻防を経て、とうとう投降した私はふわりと宰相様の隣へ着地します。



「こんな時間までお仕事をされているのですか……?」


「君も見ただろう、あの堆く積まれた書類の峰を。………いくら優秀な人間を集めて来た所で、仕事量がその消化率を越えればこうなる」



 疲れ切った宰相様には、疲労という文字が良く似合います。

 人としてはどうなのでしょう、というレベルの青白さは私と互角だと思うのです。

 幽霊の青白さに匹敵する顔色の悪さ……。



「宰相様、少しでもお休みになった方が宜しいかと………これでは私の様に早死にしてしまいますわ」


「君と話していると………時折訳が分からなくなる事があるな」


「………どういうことでしょう?」


 まさにきょとん、という文字がそのまま嵌りそうな表情のメリアを見下ろした後。

 何を思ったか。

 疲れ切った様子で、そのまま草叢へ座り込んだ宰相様。

 ぽんぽん、と傍らの草を叩きます。


 暫く意図が掴めずに首を傾げていた私。

 けれども諦めた様子で指を差されれば、ようやくその意味も分かります。


 傍まで歩いて行き、示された位置に腰を下ろすとすぐ傍に宰相様の青白い顔。


 あら、光の角度を間違えればそのままホラーになりそうなお顔ですわね………。

 幽霊の自分にそこまで思わせる宰相様は、やはり只者ではありません。



「………今、とてつもなく失礼な事を考えたりはしなかったか………?」


「いいえ。青白さは幽霊並みなんて思っていても口には出来ませんわ……。それにしても先程の訳が分からなくなるというお話は、つまり私と話をしている事で何か悪影響が出ているということなのでしょうか……? そうだとしたら、私ももう少し考えなければなりませんの」


「………色々なところが根本的にずれている。いや、君自身に悪い所は無い。寧ろそこが自分にとっての違和感なのかもしれない……」



 まるで心の内側を、覗きこむような深淵の色。

 それを宰相様の双眸の奥に見た瞬間に、何かほんの僅かに過ったものがありました。

 それは掴み取る寸前に、手の中を擦り抜けて行ってしまいます。

 一人首を傾げる私に対して、やおら諦めた様子の宰相様。

 けれどもそれは、問い掛け自体を諦めたのではなく。

 言葉を、選べないまま率直に口にするしかなかったことへの諦めだったようです。



「………君は、憎しみをもたないのか?」



 ……こういうところは、本当に恐ろしい人だと思います。

 普段は策を巡らせて、その中に囲い込んだ上でじりじりと答えを待っている様な方なのだとそう思えば。

 一方で、唐突と言っていいタイミングで真正面から切り込んでくるのですから。


 私は思うのです。

 家族だけにしか見せない一面がある一方で。

 家族にだけはけして見せない一面も存在すると言うこと。

 霊魂だけになった今だからこそ、よく分かります。

 その両面があってこそ、人はバランスを保って生きていけるのです。


 善行だけの善人が存在しない様に。

 悪行だけの悪人はそもそも存在する事すら出来ないのは。


 それは、バランスが悪過ぎるからです。


 バランスをとれなければ、人は生きられません。

 どちらかへ傾き過ぎて自分の精神を保てなくなってしまえば、自滅するだけなのですから。



 普段は目を背けていることへ、躊躇わずに踏み出せる人というのは。

 まるで諸刃の刃のよう。

 少し、危いなとそう感じてしまいます。

 今の宰相様に、その危うさを見て取った私。

 せめて、この人の助けになれる事があるとするなら。

 それはきっと……



 ふ、と肩の力を抜いて意識して微笑みを形作る私。

 ここを踏み誤れば、きっとこの人は躊躇えなくなる。

 それは、避けなければなりません。



「それは、死した私には意味の無い質問です。………死者の思いなど、生きている人のそれに比べれば時を止めた時計並みに役に立たない物ですわ」


「……メリア嬢? 君は何を言って……」


「宰相様? 人は本来、真昼の下で生活する生き物です。宵闇には適しません。そろそろお休みになることをお勧め致しますの」



 沈黙し、草叢を立った宰相様を見送った後。

 どれほどの時間が立ったのでしょう。

 そろそろ宰相様は眠りに付かれたでしょうか………?


 ゆっくりと辺りを照らしていく朝焼けの色の下で、頬を伝う一滴。

 きっと樹の葉から、朝露が零れ落ちて来たものだと思います。


 私はもう泣いてはいけないのです。

 忘れられる筈の存在として、その在り方をこれ以上歪めることは望みません。

 正直、気付くのが遅すぎた感も否めませんが。

 死の境を、これ以上無いほどに歪め続けた私の業は。

 きっと、私だけではなく関わった全員に影響を与えてしまうものです。


 物事には常に二面性が伴うことで、バランスを保っています。

 それでは私はどうなのでしょう……?

 それを考えた時、私は唐突にその恐ろしさを自覚したのです。


 その因果を、自分でも分からないままに歩み続けている私と言う存在。

 消えゆくものに、責任はとれません。


 家族たちは私の姿が見えない分、日常へ帰依するのはそれほど問題にはならないと思います。

 けれども、宰相様はどうでしょう?

 私だけが見えるようになったというのは、少し考えにくいのです。

 文字通り、私と言う存在を起因に死者との意思疎通を自覚した以上は。


 きっとこの先も、死者に遭遇する可能性は否めません。


 その為、宰相様は日常的に『死』を垣間見る事になるでしょう。


 これは正直、あまり良い事では無いです。

 死に慣れてしまうということ。

 それ即ち、バランスを取り辛くなるという事に変わりありません。



 とても、優しくて素敵な方。

 生前は愚かにも気付けなかったそれにも、気付けた今。

 出来る事なら私の様に早々とこの世界からいなくなって欲しくない。

 天寿を全うして欲しいのです。


 だからこそ、私は必要以上に宰相様と関わってはいけないのだと。

 分かっているのです。

 境界をこれ以上曖昧なものとして、かの人に認識させてはいけないと。

 そう、心に言い聞かせて。

 けれども、人は感情という儘ならないものを常に伴う故に。

 一度死した身であろうと、そのくびきからは逃れ得ないようです。


 駄目ですね、私は。

 この抉られるような苦しさは、何処から齎されているものなのか。

 目を背け続けること以外に。

 直視しないで背け続ける以外に。

 方法が見当たらないのです。

 弱くて、脆くて、頼りない。

 頬を伝わっていくそれを、止める術も無い。



 不思議ですね。

 一体この思いはどこから来るのでしょう。

 肉体が無くなって、どうしてまだ苦しいのでしょう。

 教えてくれる人は誰もいません。

 答えてくれる人は、存在しないのです。


 私は、もう死んでいるのですから。



 月明かりが、太陽の日差しに掻き消されていくように。


 私は、埋もれてしまう筈のものでした。


 再び開いた意識があったとしても、認めてもらえなければ失われていたでしょう。


 私に、再び心をくれたのは家族でした。


 そして、私を再び私として認めてくれたのは。


 私と視線を合わせ、気遣い、ここまで寄り添ってくれたただ一人。



 認めてしまえば、終わってしまいます。

 身分差など笑ってしまえそうなほどに、横たわるのは深い谷。

 それを覗きこんでしまったら、きっと私はもう戻れないのでしょう。


 生と死は、隣り合わせでありながらもけして越えることは叶わない一と零。

 時に混じり合いながらも、けして同様では無いように。



 憎しみをもたない………?

 いいえ、けしてそんなことはありませんわ。

 憎いです。

 そうです。これは、紛れもない怒りなのです。



 私に、果たして殺される程の理由はあったでしょうか………?


 考えても、考えても。


 その帰結に救いなど、おそらく用意はされていないのです。

 憎しみはあります。

 ただ、それはほんの少し殺意には届かないだけで。

 私は、全くの善人などではありませんわ。

 十六歳の、まだ大した事も知らないままに生きていた一人の娘に過ぎませんでした。

 心が、追いつかないだけなのです。

 憎しみに、染まりきれないだけなのです。


 家族を止めるのもまた、根本を辿れば。

 全ては私の弱さ故なのです。

 見たくない。

 もう、これ以上残酷なものを目にしたくない。

 そんなエゴが、善いとされるなら。

 それが例え誤ったそれでも、構わない。


 私は、もう死んでいるのですわ。


 だから、私はもう私であって、私では無いのです。

 この我儘が、例え心を苛んでも。

 家族が、壊れなければそれでいい。

 家族が、その手を血に染めなければそれでいい。

 家族が、未来に向けて進んでいけるのならそれでいい。


 例え、その未来に私が在れる筈がないと分かっていても。


 そう、思って。

 そう、言い聞かせて。


 それなのに、ですわ。


 あの方は、私を認めようとする。

 私が残れる筈も無い、この世界の中であの方だけが私をその目に映してくれるのです。


 これに、どうしたら甘えずに済むでしょう……?


 あの人は、毒です。

 塞いでいた筈の痛みを、思い起こさせる残酷で途方も無く優しい毒です。


 痛みを塞げば、私はもうこの世界に留まる術を失ってしまいます。

 だからこそ、私は認めるわけにはいかないのです。

 あと少し。

 もう少しで、訪れるその時まで。



 柔らかな日差しから、目を背けながら。

 私は何度も自分に言い聞かせるしかありません。

 どちらも選べない中途半端な私。

 それでも、最後まで見届けるその為に。

 ただ、その為に。



「………どうか、これ以上私を暴かないでくださいませ………」



 少女は、独り肩を震わせて囁く。

 その声は、ただ一人に向けられながらも。

 それは、けして届けてはならない声。


 朝靄に包まれながら、零れた独白。

 それは誰の耳にも届かぬまま、泡沫のようにふっつり消える。















 クリスタ・エルトリアはその日、久しく失われていた日課に取り掛かっていた。

 水を汲み、適温になるまで湯を沸かし。

 ストックしておいた茶葉数種を独自の割合でブレンドした。

 さらさらと茶器に茶葉を入れた後にゆっくりと湯を注ぐ。


 ほわり、と香り立つそれにひっそりと微笑みを零す。

 彼女自身、それには気付いていない。


 支度を終え、こつこつと扉をノックした。

 中から、聞こえる筈の無い声を望んでいたことへ思い至った彼女。

 やれやれと首を振りながら、入室した。

 無人にしか見えない主の私室。

 けれどもひらひらと、カーテンが左右に開いていく。

 歯痒いほどに少しずつの動作。

 けれどもそれが今の主の精一杯であるとクリスタは察することが出来る。


 茶器をテーブルに一旦置いて窓際へ歩み寄る。

 カーテンの生地に見て取れる指先の形に、薄らと眦が熱くなる。



「メリア様、朝食前のお茶をお持ちしました。……残りの窓は私へ任せて、どうぞ席へ」



 ふわり、と前方で何かが揺れる。

 それがきっと他でもない、主が頷いたのであろうと。

 ただそう考えただけで、クリスタは切ない気持ちになる。


 生前、主は私がお茶を用意すると嬉しそうに微笑んでくれていた。


 今も、見えなくとも主は同じ表情をしてくれている様な気がして。


 確かめようも無いそれに、けれども確信に近い思いを抱いて。


 クリスタは自分が救われていることに気付く。

 再び凍りつき、二度と元には戻らないと諦めていたそれを。

 いとも容易く、包み込んでみせる。

 霊魂だけになっても、変わらない主への思いに自身が苦笑するクリスタ。


 ふわり、と茶葉の香りが漂う静かな私室。

 まるでそれにつられる様にして、柔らかな風が舞っていた。





 数刻後。

 同室内にて、ようやく念願叶って一日ぶりにペンを手にした指先。

 そこから紡ぎだされる主の言葉に、視線を落とす侍女。




 クリスタ、またあなたに会えて本当に嬉しい。




 かりかり、かりかりと。

 室内に響くのはペンが紙を擦るその音のみ。





 メリア様、それは生憎と私の台詞です。

 まさか今生で再び言葉を交わせる機会を持てるなど、想像もしておりませんでした。



 まあ、そうなると私たちは両思いですわね。






 主の筆致を前にして、クリスタは言い様の無い懐かしさを覚えていた。

 あまりの驚きに、冷静でいられなくなってもおかしくない。

 そう予想していた自分を笑いたくなるほど。

 それは、ただ彼女の心を慰めるばかりで。



 それから幾つかの言葉を、互いに文字を綴って交わした。

 主の生前の柔らかな筆致はやや震え、掠れていた。

 それでも、それは間違いなく彼女のもので。


 時折休憩を挟みつつ、とうとう用意していた紙の上下が文字で埋まる頃。


 ふと、クリスタは主に聞こうと思って聞けずにいたことに思い至った。

 それを文字にして、紙の空いた部分に綴る。





 メリア様、安置所に花を贈られたのは王弟殿下だと聞きました。いつ頃から、あの方と交流を持たれていたのですか?



 王弟殿下が花を? それは本当に?






 まさに疑問そのままの返答として綴られた文字。

 そこには純粋な驚きだけがあった。

 それを読み取ったクリスタ。

 彼女はこの時を境に、不審を抱き始めたのだと後に語ることとなる。



 やはり休憩を挟んでとは言いながらも、長時間の筆記は主の体力を削る。

 それを認識していたクリスタは、お茶を入れ直してくると言い置いて私室を出た。


 主に休息を与える為である。

 しかし、それだけでもない。


 彼女は茶器を抱えたまま、控えの間から自室へ戻った。

 そして窓枠に歩み寄る。

 そこに吊るされているのは鳥呼びの笛である。


 今朝ほど、宰相様からの連絡用として受け取ったばかりの物だ。

 早速それを使うべく、唇へ笛を当てて吹く。

 人の耳には聞こえぬ音域のそれでも、伝令用に訓練されている『紙鳥』には全く問題が無い。


 暫くして窓枠へ降り立った真白の鳥に、手紙を持たせて送り出す。

 俊敏に飛び去って入ったそれを見送り、再び茶器を手にクリスタは控えの間へ戻った。

 勿論お茶を入れ直す為だった。




 クリスタが送った手紙を手に、宰相その人が姿を見せたのは夕闇が迫り始めた頃。


 ノックの後、クリスタが確認して室内へ招き入れるなり。

 宰相様はテーブルの上を見て、呆れた声を出していた。



「………メリア嬢。君は加減と言う文字を知らないのか………?」



 どうやら、テーブルの上で疲労の限界を迎えていたらしい主。

 沈没していても気付かれない人物相手ならば誤魔化しが効く。

 しかし見えている相手には、意味がない。


 宰相様はまさにこの後者に当たる。



「……クリスタ・エルトリア。少し君の主を借りても構わないか?」


「……ちゃんと送り届けて頂けるのでしたら」


「………一体君の中で、自分はどんな評価を受けているのか………」



 肩を落としつつ、必ず無事送り届けると宣言して部屋を出て行く宰相様。

 その背を見送りつつ、心の中だけで主へ呟く。



 どうか、その心を偽らずに。と。




 それは、分かり易過ぎるほどに顕著な反応だった。

 宰相様に関して、協力を仰ぐに至った経緯を訪ねた途端。

 文面が見事なまでに迷走していた。

 きっとクリスタでなくとも一目瞭然であっただろう。



 先程までのやり取りを思い出し、クリスタは視線を伏せる。




 なぜ、影響を与える事を恐れるのですか?



 そんな自分の問い掛けに、初めの内は本心を語らずにいた主。

 けれども同じ文言を十行ほど繰り返した所で、とうとう綴られた言葉。



 辛い思いをして欲しくないのです。



 余程に言いたかった。

 それは、きっと。



 辛うじて言葉にするのを躊躇ったクリスタ。

 ふわりと吹いた風に主が首を振っているのが分かった。

 それを、頬に感じた時。

 ああ、きっと言われるまでもなく主はそれを分かっていて。

 分かった上で、伝える事を望まないだけなのだと。


 十分過ぎるほどに伝わる。

 それが、主に出来得る限りの優しさである事も。

 それが、けして報われることの無い現実も。

 それが、過ちでは無い事も。



 これほどに報われない想いを、自分は知らない。

 だからこそ、沈黙を選んだ主の心を。

 だからこそ、想いを殺した主の意思を。

 尊重こそすべきであれ、否定することなどどうして出来るだろう。


 そう、思いながら。

 けれど、それを選ばなかった自分は嘗ての自分ではなく。

 我が身を省みる前に、綴る事を止めなかった自分の中には。

 もう、欠片ほどの氷も残されてはいない。





 メリア様、恐れる事はありません。

 私たちは、皆貴方に救われたのです。

 考えてみてください。

 貴方の家族を。

 国の次席にある彼の人を。

 彼らは、貴方を前にしてどんな表情をしていましたか?

 一度救われた人間は、誰にも救われていない人間よりかずっと強いのです。

 それは、救われた心に救いになった存在が在り続けるからです。

 例え現実から喪われようと、心の中からも奪われるものではありません。

 人は守りたいと思えばこそ、人としての芯を得るのです。

 芯を得た人間が、その芯を疑うでしょうか。

 それを支えにこそすれ、後悔などする筈もありません。

 出会えなければ、別れは無いのかもしれません。

 それでも人は、出逢うことでしか救われないのです。

 自分では、自分を救えないほどに不器用な生き物なのです。


 信じて下さい、メリア様。

 きっと貴方が恐れる必要など何処にもないのです。



 最後に付け足した二行に、長い沈黙を経て帰って来た主の筆致。

 そこに綴られた意思に、クリスタはその眦を濡らした。



 主との手紙を、胸に抱えて俯く彼女。

 それは、彼女にとって何物にも換えられぬ絆そのもの。

 その絆を抱え、辿り着いた答え。

 ただ、主の幸福を願う。

 その意思が、彼女を突き動かす。

 やがて俯けていた顔を上げ、部屋を出た。

 その双眸が向けられる先に、闇が在る。

 その闇へ向け、彼女は躊躇わずに踏み出した。
















 月明かりが差し込む、静かな水際。

 樹の下で、隣り合うようにして立つ。

 その内の一人の姿を、周囲は見る事も叶わない。


 それは朧月を空に見上げる夜。



「君に謝罪したい。………昨夜は、配慮が足りなかった。反省している」



 ゆらゆらと微かな月明かりを纏う水面。

 それに視線を落としていた少女は、ゆるゆるとその双眸を合わせて微笑む。



「私らしさ、というものを考えていたのです。……周囲の幸福と、自分の幸福はけして伴うことはないのだと……ずっとそれが私にとっての日常でした。死んで尚もそれに縛られ続けていた私の意識は筋金入りですわ」



 視線を交わし、ようやく互いに肩の荷を下ろしたような表情に戻ります。

 樹を背に座り込んだ宰相様の傍。

 今度は指を差されずとも、同じように膝を下ろします。



「………先の、宰相様の質問への答えとして改めてお伝えするなら。それにはいいえ、と。私の中には憎しみもちゃんと存在します。月の宮の騒動でも垣間見えたとおりですわ」



「………そう、か。そうだな。あの花瓶は確かに……」



「そこはあえて気に掛けないところです、宰相様……」



 私が零した呟きに、楽しそうに笑う傍らの表情を見ていたら。

 いつの間にか、抱いた不安は消えていました。

 問題は変わらずに在り続けているというのに。

 何故でしょう。

 心が、軽くなった気がしました。



「正直に言おう………私から見て、君は浮世離れしている。普通、殺された現実を前にして自らよりも周囲を優先させるというのはあくまで理想論。君は今までにも何度となく踏みとどまっているだろう……? それが私には不思議でならなかった」



「……宰相様? 人は必ずしも予想したとおりに納まらないからこその人であると。私はそう思いますわ。時と場合。まさにそれです。……私が踏みとどまれたのは、守りたいものがあったからなのです。………クリスタと話をして、私自身ようやく気付く事が叶いました」



 時と場合。

 それを聞いて、頬を緩ませた宰相様。

 きっと宰相様自身に、思い当たる節があったのでしょう。



「宰相として、周囲を様々な人間に囲まれているからかもしれないが………いつしか柔軟な発想を失っていた自分に気付かされるな」



 やはりどこか疲れた様子で微笑む宰相様。

 そんな表情もまた彼の人らしいと、今は静かな気持ちで見詰める事が出来ました。



「………君にもう一つだけ問い掛けをしてもいいだろうか」



 そんな静けさに、投じられた一声。

 その双眸に再び灯った色は、昨晩とは違うものも僅かに含んでいて。



「……君が、守りたいと思うものの中に、自分は入っているのか?」



「……宰相様?」



 その真意を問う前に、ふわりとのばされた指先が触れる筈の無い頬を掠めて。

 籠った指先の熱に、私の決意など脆く崩れ去っていくのです。



「………君のその涙が、答えだと。私はそう判断するが構わないのだな………?」



 指先に落とされた熱一つ。

 赤面することもあり得ない筈の頬に、集まるそれは。



「………貴方はやっぱり私にとっての毒です」



 俯かせた顔を、覗き込むようにして。

 まるでその涙を指で掬い取ろうとするように。

 息が掛かるほどに近くに寄せられた、想いの熱。

 きっと触れれば、離れる事など敵わない。

 双眸に籠る色に、金縛りにあった様に動けない。

 触れられぬ互いの身体が、辛うじて現実を忘れさせないまでも。


 まるで夢幻の様な、ほんの僅かに許されたその一時。

 きっとこれが、最初で最後。

 だからこそ、涙を止めて。

 許されるなら、彼の人の顔を覚えておきたい。

 この先は無いのです。

 彼の人は躊躇いませんでした。

 私が愚かにも、弱さから目を背けたそれを。

 気付かなかった筈もありません。

 想いが、報われることはない事も。

 私が、もうあと僅かでこの世に留まれなくなるほどに脆弱な存在である事も。

 こうして暖かさをくれるのは、いつでも宰相様の方です。


 クリスタ、貴方の言ったとおりでした。

 私が心を砕く必要など、初めから杞憂に過ぎなかった。


 今は、確信を持って言えます。

 私の愛する家族は、きっと私がいなくなった後も互いの手を取りながら進んでいけるでしょう。

 一度は壊れかけたそれも、二度の過ちは繰り返さない。

 それだけの強さと、賢さを備えた私の家族たちなのですから。

 今年、新しい命が加わるオーディス家。

 それを私は見る事は、叶わないでしょう。

 けれども、分かるのです。

 きっとその新たな命は、祝福を持って迎えられることも。

 その時に、家族全員が喜びに顔を輝かせる瞬間も。

 直接見る事が出来ないことは、残念ですわ。

 けれども、それで良いのです。




 針が、再び動き出したと言っても。

 その針はけして同じ時は刻めない。

 くれぐれも誤解はされませんよう。

 けして、悲観して告げていることではないのです。


 この奇跡を感謝こそすれ、恨むことなどありえません。

 喪われた後に、残された魂一つ。


 私が、間違っていましたの。

 それに気付く機会を与えられた。

 どうしてそれに、今まで気付く事が出来なかったのかと。

 生きている間に、気付く事も叶わなかった自分。


 私を愛し、今も走り続けていてくれる家族を思えば。

 答えはこれほどに明らかで。

 それはいつも目の前に、在ったのに。



 私は、けして不幸などではありませんでした。



 彼らの様な家族に巡り合えたこの今生を、どうして不幸などと思ったのでしょう。

 私は、幸福でした。

 向けられる想いの全てが、私を幸福にしてくれたのですから。






 それは、今も同じです。


 木陰で寄り添えるこの刹那。

 互いの姿が辛うじて見えるか見えないかの宵闇の中で。

 それでも指先を探し当てる彼の人の、不思議。



「………毒でも構わない。メリア嬢、君を失わずに済むのなら。……分かっている。君はきっと全てを終えたらこの世を去るのだろう。だが、私はそれを永遠の別れだとは思わない」



 その大きな手のひらに、指先を包まれながら。

 まるで約束をそこに込めるように。

 紡がれた言葉に、目を瞠る。



「今は、与えられたこの能に感謝している。……確かに今後、面倒事も増えて行くのだろう。君が危惧する通りだ。けれども、それを君が病む必要など何処にもない。これは私に与えられたもので、それには意味がある。生かすも殺すも後は私次第ということになるだろう。……ただ、一つだけ言えることがある」


 一度言葉を切って、真っ直ぐに向けられた視線の先で。

 告げられた言葉のその意味を改めて知った時。


 ああ、この人には敵わない。

 そう、思わせられましたの。



「君に逢う事が出来た。それだけでも、この能を殺して生きていく未来など選ぶ筈もない」



 宵の静けさの中に、響いたその声に込められた想い。

 それを受取れた自分ほど、幸福な人間はいないでしょう。



 瞬く星を見上げて、心の底から思えました。






 ぽつ、ぽつと。

 まるで見上げたその時を見計らったように雨粒が降り注ぎ始めたのは丁度その時です。



 木陰では凌げない事を、察した宰相様に手を引かれて私室へと戻ります。

 そうして足早に戻った先で、私はそこにクリスタの姿を探しました。


 けれども、彼女の姿が在りません。


 その時に感じた違和感は、言い様のない不安を心に兆します。


 それは宰相様も同じだったようです。

 考えられる範囲の探索後、戻って来た宰相様は私にこう告げました。



「……彼女が書き置き一つ残さずに、近くを離れることは考えにくい。……だが、争いの気配も見えない。おそらく彼女自身が、自ら何処かへ向かったのだろう」


「………まさか、単身で」



 言いながら、言葉を切る。

 きっとそれは無いと、断じたからであろうと宰相は察した。

 そう。後一人、残る侯爵令嬢の元へ行ったと考えられなくもなかった。

 けれども、普段の彼女を見れば浅慮を嫌う性質であることは言うまでもなく分かる。

 きっと、そうではないのだ。



 そこまで考えた宰相の脳裏に、ふと過った今朝の繋ぎ。

 書かれていた一文。



「そう言えば、君は本当に王弟殿下とは面識はなかったのか……? クリスタから送られてきた連絡にはそのように書かれていたが」


「……王弟殿下、シャルル・セストレイ殿下のことですわね? 今朝、クリスタから安置所へ花を送って頂いたことは聞きました。けれども、私は生前面識というほどの面識は………言葉を交わしたのもおそらく一度あったか無いか程度だと思いますの」



 困惑と言っていい表情を浮かべた彼女を見て、それは事実だろうと察した。

 けれども、感じている違和感はむしろ膨らむばかりだ。


 現王には、腹違いの弟が一人いる。

 本来ならば、継承問題の事も含めて城外に出されているであろう立場だ。

 けれども彼はまだ幼い。

 国では十四が成人に当たるが、王弟殿下はまだ齢十三。

 一年後には正式に出されることが決まっているとはいえ、加えての病弱。

 万一にも現王が死去する様なことがあれば、直系で残されているのは現段階で王弟ただ一人。


 取り急ぎ、後宮へ令嬢たちが召集されるに至った経緯もそこに付随している。

 血筋の存続を危惧した高位貴族たちが、強制の形を取った書簡を各領地へ送った。

 従わなければ、反意を示すことになり兼ねない。

 それを察した家々の中には泣く泣く適齢期の娘たちを送りだした家もあっただろう。


 当時から、今に至るまでそれが芽を結ぶ気配はない。



 それもこれも、あの王の気質を見抜けなかった事が全ての起因であろう。

 当時から後宮の在り方に、自分は疑問を抱き続けていた。


 有効的に血筋を残せる方法として、嘗てから存続を許され続けて来た後宮。

 しかし、そこはいつしか王宮の管轄を離れて独自の規律を作るようになった。

 そこに歪みが伴うのも、必然だ。

 力のある令嬢が、他を統べるその形は愛憎を伴って歪な世界。

 一見すると、絶対的に見えるそれも一夜にして入れ替わり得る。


 涙と憎悪、時に人の血を吸いながら作りだされたその土壌。

 まともな人間が生まれても、成人まで育つことは並大抵の事では無い。


 現王は、様々な辛酸を他でもない後宮で味わいながら育った人物だ。

 そんな彼が、本質的に後宮を忌避する部分を誰が責められるだろう。




 王の責務として、通いこそすれ。

 心を切り離したままの逢瀬に、生まれ落ちる子を僕は愛せない。




 いつだったか、他でもない王がそう呟きを漏らしていたことがあった。

 あの時から、今に至るまで。

 後宮の存続に疑問を感じ続けているのは事実だ。

 そして今回の、後宮内での令嬢殺害。

 王に内密で告げた時、どこか彼の表情に暗い何かが過った様な気がしたのは。



 まさか、という思い。

 しかし兆したそれは、確信に近い形で心を揺さぶる。


 確かめなければならない。

 目の前で、不安に顔を曇らせたままの少女を見詰めて決意も固まる。



「メリア嬢。私はこれからある人物に関して、早朝を待って王に確認を取る。おそらく、君を実際に死に追いやることになった人物は、あの二人以外にもう一人いる。そして、クリスタ彼女もまた今の私と同じ結論に達したのだろう。……その上で君に頼みたいことがある」


「………何でしょう?」


「私が、君の家族を連れてここに戻るまで。君にはこの部屋で待っていて欲しい。クリスタの安否を気遣う君にとっては辛い時間になると思うが、それでも君がここで待つと約束してくれたなら、必ず真実を携えてここへ戻る。……約束する」



 じっと、見詰めるその双眸に頷く。

 暫くして、少女は微笑んで告げた。




「お任せします。………お帰りを、ここで私は待っています」




 その言葉の重みを、頷き一つでその背に負う。

 翻した背は扉の向こうへ消えた。


 見送った少女の目には、ただ信頼だけが残される。



 人が迷い、悩んでいる合間もその針は止まることはないように。

 例外なくその刻は迫る。



 もう守るものはとうに決まっている以上。

 後はそれを守りぬくために、自分に出来ること。



 残された約束に、耳を澄ませるようにして。

 窓から見上げる空には、薄れつつある闇がある。











 *















「ああ、美しい夜の色。………あれが朝焼けに染まる頃に、きっと私の悲願も成就の時を迎えるの」



 心の底から幸せそうに微笑んだその顔は、どこか作り物めいた美しさを纏う。

 やはり窓枠に令嬢らしからぬ所作で座る彼女。


 フランティーヌ・エルトリア。

 エルトリア侯爵家、唯一無二の純血を引く娘。

 笑みを刷くその唇は、まるで血を含んだように艶めいて。

 豊かな金糸の髪は闇の中でも美しい。



「貴方の夢が叶うその時を、僕も最後まで見届けましょう」



 窓枠に身を預ける彼女を見詰めながら。

 双つの藍色を瞬かせ、微笑む王家の子。

 シャルル・セストレイ。


 現王の異母弟。


 今、彼のすぐ足下には横たわる一つの身体がある。

 意識を失ったまま転がされているクリスタ・エルトリア。



 王弟の私室へ潜入を図り、潜んでいた鴉によって捕らわれの身となった彼女。



 そんな彼女を見下ろしながら、二人の思惑は交差する。

 彼らは互いに望むものを知っていた。

 例えそれが、傍から見てどれほどの歪みに満ちていようと。

 ここまで、その歩みを共にした彼ら二人は微笑みを交わす。



 望みも、あと僅かで成就の刻を迎える。

 宵闇が薄れ、薄紫に染め上げられた空の色。



 熟し過ぎた果実が、自ら地へ向けて墜ちて行くように。

 二人はその時を、ただ静かに待っていた。


これまで読んで頂いた方々へ、改めて感謝申し上げます(*´ー`*)



照らし出された闇との決着は、次回。

本編最終話を予定しております。


今暫くお付き合い頂ければ幸いです(^-^ゞ

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