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3/13

家族たちの迎えた朝、そしてやって来る日差し。

プロローグの、家族視点をお届けします。


あの朝から、花びらが空に浮かぶまでの過程を追って書き上げました。


どうか、家族たちの思いがしっかり読者の皆様に伝わることを願って。

 *




 その日、王都からオーディス伯へ宛てた書簡が届いた。


 父宛のその書簡を、朝食の席へ運んできたのは末妹のカタリナ。

 最近はこうして書簡を家族に配るのを、彼女自身楽しみにしていた。

 本来は執事の運んでくるそれを、途中からカタリナが預かって手渡すのだ。

 普段となんら変わらぬ朝の風景。

 それが突然崩れさる事など、どうして予想できただろう。


 その時はまさか、その書簡に書かれている内容を見て父が唐突に走り出すことなど家族の誰もが予期している筈も無い。



「まあ、あなた一体何事です?! 着替えもせずに一体どこへ行かれるつもりですの……!!」



 母の声に、動揺したまま辛うじて足を止めた父。

 そのあまりに尋常では無い様子。

 状況を見て取った自分が、父が握りつぶさんとするばかりに力を込めたせいで変形した書簡を拾い上げて読んだ瞬間。


 文字通り、それはオーディス家の時間を凍りつかせた。



「………貴殿の娘、メリア・オーディス嬢の急逝を書面にてお知らせする……、つきましては数日中に遺体を引き取られに王都へお越し頂きたく………は、何ですか。このふざけた書面は。父さん、まさかこんな文面を真に受けたりなどしていないでしょうね?」


「…………ディル、書簡の上を見ろ」



 父の言いたい事を、本当はもう十分過ぎるほどに知っていた。

 読み上げながら、それが自分の妹の死を知らせる書簡である事を理解していた。

 けれども、それを理解したくなかっただけだ。

 だからこそ、無理にでも否定しなければ冷静でなどいられる筈も無かった。


 妹が、死んだ?

 まだ十六歳のメリアが、死んだというのか?


 こんな書簡が事実である筈が無い。

 悪い冗談だ。

 誰がこんなものを信じるというのか。


 それでも視線はそこから離れない。

 それは、国印。

 到底、偽造など叶わない絶対的な証明の類に使用される。

 書簡の上に押されたその紅に、その事実が冷酷に突き付けられている。



 メリア・オーディス。

 両親の愛する娘であり、自分とエレナの大切な妹。

 そしてミスティ、ロイズ、クリス、カタリナにとってかけがえの無い姉。


 メリアが、死んだ。


 その事実を前にして、家族はその場を動けないままでいた。




 その後は慌ただしく出立の準備が整えられた。

 万が一でも、誤報であったという可能性を胸にどうにか家族は立ち上がった。


 当面の間は、執事頭のフォルトと共に隣の領を治めている叔母たちに後を頼んだ。

 彼らと父が出立のあいさつを交わしている間に、長兄である自分は出来る事を進めておく。

 沈黙したままの弟たちを先に馬車に乗せ、見当たらないカタリナとエレナの居場所を母に確認するとやはり予想した通りだった。

 二人は自室へ籠り、呼びかけに応じないのだと母は力なく呟いた。


 家族でもとりわけ涙脆いエレナ。

 未だに自室から出てくる気配はなく、母の説得にも応じない。

 おそらく誰にも増してすぐ下の妹であるメリアを幼い頃から可愛がってきたエレナ。

 その彼女が受けた衝撃と悲しみは、未だ嘗てない程に大きかった事は言うまでも無いだろう。


 それをディルは誰よりも深く察した。

 彼にとってはエレナが生まれて初めて得た妹だったように。

 エレナにとっての、メリアは物心が付く頃に初めて得た愛する妹だった。


 他の弟妹たちと区別されるものではないにせよ、その愛情は計り知れないほどに深く心に宿っているものだ。

 だからこそ、認めれば折れてしまう。

 それを分かっているからこそ、認めることなど出来ない。


 扉の前に立ち、ディルは向こう側にいるであろう妹たちへ語りかけた。



「エレナ、いるのだろう……? まずは返事をおくれ」


「………兄さま?」



 まず聞こえてきたのは、一番末のカタリナの声だった。

 これを聞いて、改めてこの奥にエレナがいることに確信を持ったディル。

 カタリナはまだ一人では錠を掛ける事が出来ないからだ。



「そのままでいい。聞いてくれ。……エレナ、認められない気持ちは皆同じだよ。僕がそう思うように、誰もがメリアの無事を心の底から願って止まない。……それは分かるね?」



「………… 分かるわ、兄さま」



 それは耳を澄ませなければ拾えないほどに、小さな小さな囁き。

 それを拾い上げたディルは泣きそうになりながら、慎重に言葉を紡ぐ。


 それは、普段彼が無意識に語る様な言葉では無い。

 本心を隠し、相手をこちらのペースに乗せるための話術を一切排して。

 辛抱強く、ただ心掛ける。

 本心を、語ることに慣れていない兄が妹に紡ぐ素直な感情だった。



「エレナ、君に対して……そして家族全員に対してあの書簡が真っ赤な偽物だと言い聞かせる事も出来た。でもね、それで果たして本当に救われる時が来るんだろうか……? メリアが死ぬはずが無い。あの穏やかで、争いごとを好まない、そして大らかで柔軟な妹がどうしたら後宮で死ぬなんて恐ろしい事になるだろう……。けれど、それが事実なら? ねえ、エレナ。君は今僕の事をなんて酷い事を言う兄だろうと思うだろう。それでも今は構わない。それが僕の早計で、何事も無く後宮でメリアが僕らを呆れて迎えてくれるなら、その後で君は僕を好きなだけ罵倒することもできる。酷い兄でしょう、とメリアに君から言ってくれるのでも構わないよ。

 ただ、それが事実だったなら? メリアが……メリアは何れにせよきっと僕らを待っているに違いない。そうだろう、エレナ? ………あの子に、メリアに僕ら全員で会いに行くんだ」



「………兄さま? 私、兄さまのように強くあれないわ。だって見てよ、この手。あの知らせを聞いた時から震えが止まらないの。そんな筈ないと思いながら、私の体は恐怖を感じてるの。こんな姿でメリアに会いに行ける筈が無い………!!」



 魂を揺さぶる様な、悲鳴じみたその叫び。

 妹が泣きながら紡いだそれに、ディルは扉の前で天を仰いで瞑目した。



 彼の内心も同じだった。

 少しも違わない。

 ただ、それを覆い隠すことに身体が慣れているだけの違いに過ぎない。



 自分とて、泣き叫んで目を背けたい。

 こんな知らせはあり得ないと、断じて。

 全てうやむやのまま真実を確かめもせず。

 そんな選択を、どれだけ願っているか分からない。

 怖いのだ。

 恐ろしい。

 事実を、目の前にすることが。

 妹の待つ王都へ向かう事が。

 そこで目にするであろう現実から、出来るだけ遠ざかっていたい。


 それでも。

 それを選べない自分を、人は強いと称するんだろうか………?

 馬鹿みたいだ。

 こんなにも内心は震え、怯えているというのに。



 遣る瀬無さに似た、その心。

 抑えていたそれが、唐突に砕け散る。



「……… っ、お前だけが悲しんでいると思うのか?! 父さんを見たか、あの人が今までにあんな風に取り乱した所を少なくとも僕は一度も見たことはない!! 母さんの、あの途方に暮れた様子に気付かなかったとは言わせないよ?! 立て、エレナ。君は……… 君が立たずに誰が立つんだ?!! 君は、あの子の……… メリアの姉だろう?!!」



 部屋の奥から、駆け出してくる音が聞こえた。

 それは確かな激情を持って、ドアノブを回したのだろう。

 今まで見た事が無いほど、荒々しくあけ放たれた扉の先で怒りに震えるエレナが立っていた。



「……… っ、兄さまの馬鹿!! 分かってるわよ?!! 父さまがあんなに狼狽した姿なんて見たこと無い。母さまが今にも倒れそうな事も気付いていたわよ?! それでも!! それでも………!! 怖いの。あの子を永遠に失うかもしれない事が、こんなにも怖い。どうして逃げてはいけないの?! 嫌よ、見たくない!! 私は、あの子を愛しているから!!!」


「それなら、余計に行くんだ!!! 君が、メリアを愛しているというのなら、迎えに行かなければならないよ。違うかい?!! 違うなら、僕を納得させる形で言ってごらん?! さあ、言うんだ。エレナ!!!」


「……… っ、う………兄さまあ!! ごめんなさい、辛い事を言わせてごめんなさい………!!

 分かってるの、あの子を迎えにいかないといけないこともっ………うう、でもね。あぁ、……メリア。ごめんなさい、こんな弱い姉で、ごめんなさい………!!」


 ドアの前に崩れ落ちた妹を、両腕で支えた兄がそのまま崩れ落ちた。

 その兄の腕もまた、震えているという事実がエレナをどうしようもなく泣かせた。

 嗚咽を零すメリアを抱きしめたまま、悲痛な表情を隠さないディルは残りの力を振り絞り、懸命に語りかけた。



「君の思いを、僕は聞こう。それは僕だけの思いじゃない………ご覧よ、エレナ。君を待っている君の家族全員が君の弱さも我儘も、その優しさもひっくるめて支えてくれる。だから僕らは弱くても、きっとメリアの元に辿りつけるよ。……違うかい?」


「…… っ、兄さま、兄さまあ!! 私が間違っていました……私も、会いに行きます。きっとメリアも私たち全員を待っていてくれる筈ですもの……!!」


「ああ、そうだ。きっとあの子は僕らを待っている……」



 いつしか彼らの後方に佇んでいた父と母。

 父が、カタリナを呼び。

 母と共にエレナを支えて立ちあがった僕らはこうして領地を出立した。




 馬車の中、幼い頃のメリアの様子をぽつぽつと語る父に、薄らと微笑んで相槌を打つ母の隣。

 眠るカタリナを腕に寄りかからせながら、窓の外の景色が映り変わっていく様をぼんやりと見詰めていたエレナ。

 その表情には、未だ痛ましさと脆さが垣間見えるものの何処か穏やかで。

 向かいでその様子を見守りながら、自分はいつしか回想していた。



 春の原を、馬で遠乗りに行っていたあの頃。

 おそらく今より二年ほど前で、自分が貴族社会への諦観を抱き始めた頃だった。


 普段はあまりそういった誘いをしないメリアが、自分を遠乗りに誘って領地の東の端にある静かな平原まで馬を走らせた事があった。

 暫く馬に乗ることなど忘れていた自分に、その平原を渡る風は心地よく吹いていて。

 柔らかに微笑むメリアに、追いつきながら語りかけた。



「いつの間に、こんなに上手くなっていたんだいメリア?」


「ふふ、兄さまにそう言って頂けることを目指して頑張ったのです。ミスティの厳しい指導のお陰とも言えますわ、これで大手を振ってあの子に報告できます」



 メリアとミスティは年が近い事もあり、言いあう事も多かったがそこはメリアだ。

 柔らかな口調ながら、冷静な着眼点でもって普段から弟に引けを取らない。

 その姿に父の後ろ背を見て内心苦笑していたディルは、正直その言葉に驚いた。



「ミスティに、指導を頼んだの?」


「ええ。だって、この家で兄さまに次いで馬術に優れているのはあの子ですから。ふふ、最初はそれはもう面倒くさいと突っぱねたのを拝み倒して、ようやく指導に漕ぎ着けたのです。姉の粘り勝ちですわ」



 今になって思えば。

 ああ、本当にこの妹には叶わないなと感じられた瞬間だった。



 常に本心を隠し、周囲の利欲に根幹を置く動向や、貴族らしい側面に目を配ること自体に疲れ始めていた自分。

 そればかりに目を向けて、視野がいつしか狭まっていた自分の姿に気付かされた。



 意思を貫けず、苦々しい思いばかりを内心に押し込めて悪態をつくばかりの自分。

 自分自身が醜いと断じていたそれに、足を取られていたことにふと気付けたその時。

 まさに目の前が開けた気がした。


 メリアがそんな自分に気付いていたかどうか、その辺りははっきりとは分からない。

 それでもあの子は意図せず、周囲を救う力に長けていた子だった。



 そんな掛けがえのない妹。

 王都で自分たちの到着を待つあの子へ、向かう馬車の中でそっと語りかける。


 どうか、無事でいてくれ。

 それ以外には何も望まないから。















 けれども、現実は何処までも時に無情で救いがない。


 迎えた現実の冷酷さに、身震いを覚えた自分。

 父が衛兵に掴みかかって入った姿を、視界の端で捉えながらも一歩も動き出せずにいた。







 王都につき、後宮の裏門から人目を忍ぶように迎え入れられた時から予想は出来ていた。

 しかし家族誰もが、口にはしなかった。


 ただ職務に徹する様に、馬車から下りた自分たちを迎え入れた衛兵たち。

 彼らの案内で辿りついた先。

 それは後宮の端、ひっそりと佇む小さな塔。

 螺旋階段を上った先で、自分たちは最悪の再会を迎えた。



 それがまぎれも無い妹だと、どうしてか布を被せられていても分かってしまう。



 父が歩み寄り、はぎ取った布の下にメリアの姿を認めた時。


 誰の叫びだったのか、それも分からずに鼓膜を震わせたそれに茫然と立ち竦んでいた。


 殴りかかる父の、その背も。

 泣き崩れた母とエレナの支えあう姿も。

 ミスティが近くにいたカタリナを抱き寄せ、その二人に抱きつくようにして身を震わせる双子の弟たちが零す嗚咽も。


 全てが、すり抜けていくかの様に現実味が無く。



 いつしか歩きだしていた自分の足が、メリアの傍で止まった時にも。

 そうしてようやく近くで見下ろした最愛の妹の姿。真白い血の気のない肌を。


 それを視界に捉えて、もはや認めざるを得なかった。

 頬を伝うその熱さに、辛うじて理性を留めながらも。



 妹が、死んだ。

 自分の掛けがえの無い妹は、もうこの世界のどこにもいない。

 人一倍、曲がった事象が嫌いでそれでいて思慮深く、安易に人を責める言葉さえ口にすること自体躊躇うような優しくて、温かくて、時々抜けていて。不安になる位に人を疑うことに不得手で。だからこそ、僕らが気を付けてあげないといけない。

 それを――――――――分かっていた筈だったのに。



 後宮など、行かせるのでは無かった。

 初めから、行かせてはいけなかったのだ。

 たとえ王命のもと、王都周辺から地方領に至るまで招集を受けていたからと言っても。

 そんなものは最早何一ついい訳にならない。

 たとえ反意を疑われるにしろ、あの子を後宮などに送り出すことなどなかった………!!



 頬を滴り落ちるそれが、メリアの髪を濡らしていく。

 亜麻色の柔らかなそれを、指先で梳きながら呟いた。



 只管に遅すぎた懺悔を紡ぐ兄を、お前はどう思っているのかな、メリア……?



 家族の誰もが、その場を動けずにメリアを失ったという自覚に喘いでいた。

 その悲しみに心を押しつぶされぬよう、互いの体に寄り添って一晩を過ごした。











 翌日を迎えても、その悲しみは少しも薄まるものでは無かった。

 むしろ涙を出し切り、蟠った思いはその濁りを増しているようにさえ感じられる。



 後宮持医が、父と自分を呼んでいるという知らせを受けて控えの間を出た。


 寄りにも依ってメリアの傍らで、その医師を名乗る青年は何処までも人を馬鹿にしたとしか思えない説明を重ねた。

 慣れぬ環境における心労が祟った故の何らかの発作としか考えられない、と。


 そんな曖昧な説明で、その首筋の注射痕を誤魔化せるとでも思ったのか……?


 父と二人、その猛り狂った胸の内。

 それを正確に言い表せる言葉は、恐らくこの世のどこにも存在しなかっただろう。


「……貴方に妹の真っ当な検死が出来ないのであれば、王宮監査に依頼を出す他に選択はありません……」


 怒りに身を震わせながらも、滔々と零れ出た言葉に。


 まさか、あのタイミングで口を挟んでくる愚者がいるとは思いも寄らなかった。



「お待ちなさい」



 居丈高な、情の籠らぬ響き。


 父に遅れて振り返った先で、数人の令嬢を伴った高位貴族の令嬢二人が立っていた。

 彼女たちが其々に言い差した言葉に、すんでのところで叫ばずに済んだのは。

 ふと兆した天啓のようなそれが、彼女たちが後宮の闇である事を。

 そしておそらく、この二人に関わる何かによってメリアの命が断たれた事を理屈でも何でもない奥底から感じ取ったからだった。

 それは父も同じだ。

 交わした目の中に、明らかに灯っていた憎悪の炎。

 それを見て、自分は少しも躊躇いを覚えなかった。


 自分が殺した者の、血縁を前にして欠片の道徳心も恥ずべき心も、良心と呼べる何かさえ持ち得ていない事を自ら晒して来たこの二人だ。


 例えこの場でその命を断たれようと、構わないということだろう。


 張り付けただけの微笑を浮かべたまま、距離を縮めて踏み出そうとしたその間際。



 背後から銀色の飛翔体が、すぐ横を通り過ぎて令嬢たちの背後の窓へと放たれた。

 過たずに飛散した窓ガラスの破片に、背後にいた令嬢たちも悲鳴を上げて右往左往している。

 肝心の二人の頬には、その飛翔体の通り過ぎる間際に切り裂かれたのか血が滲み出ていた。

 たかがそれだけの事に、茫然としたかと思えば悲鳴を上げて腰を抜かした彼女たち。

 それを見ていたら、芽生えていた殺意が萎んでいくのを感じざるを得なかった。



 その、突然の出来事によって強制的に遮られることになった動作。

 踏み出しかけた足を、辛うじてその場に留めたまま。

 銀の燭台が置かれていた台の周囲に目を凝らしたが何かしらの仕掛けらしきものも、ましてや人影さえ見当たらない。



 我に返った令嬢たちがその取り巻きを連れてその場を後にした後、ようやく静けさを取り戻した安置所。


 父は、今までの次第を話してくるといって控えの間に戻った。

 自分はもう暫くメリアの傍に付いていたいと告げ、そのまま静寂の中でメリアの傍に立つ。



 込み上げる思いに、辛うじて歯止めを掛けながら。

 せめても最愛の妹が静かに眠れるようにと。

 今はただ、そればかりを願う。


 気付けば、溢れ出ていた言葉。


「メリア? ……君は昔から、とても不幸な星回りをもった子だった。それでも、君はいつでもしなやかな心根で受け止めて、弱音を吐く事も無かったね。ただ穏やかに笑うばかりで。そんな君を、僕はとても愛していた。いずれはそんな君に、今までの不幸が馬鹿馬鹿しく思えるほどに幸福な未来が訪れる事を少しも疑っていなかった。……愚かだね、まさかこんな……君が僕より先に逝ってしまう未来など……メリア、どんな事をしても君を死に追いやった者に生きてきた事を後悔するほどの報復を。君の兄の名に誓って、果たしてみせるよ」



 妹の前で、報復を誓う兄を生前の君はきっと望まないのかもしれない。

 それでも、見過ごすことなど絶対に出来ない。


 例えその先で、この手を血に塗れさせることになろうとも。

 例えその結果、死後の世界で君と二度と間見える事が出来なくなろうとも。


 仄暗い思いに、全身を浸して立つ。

 その決意はもはや何者の手によっても、断たれることはない筈だった。



 その、微かに指先を掠めた感覚に振り返るその時までは。




 そこには、一枚の紙片が触れていた。

 風に吹かれて飛んで来たという訳ではなく、そこに浮遊したまま揺らがぬそれに。

 思いがけない筆跡を認めて目を瞠る。



 それは掠れていても、間違いなく妹の筆致。



 指先で摘まんだそれに書かれていた内容に文字通り、絶句する。




 親愛なる父さま、兄さま。

 その手を汚さないで。

 彼女たちの事は、私が自分で報復してみせる。

 だからお願い、どうかその怒りを納めて。




 あり得ない、なんだこれは………。


 まさか、生前にこの事態を予期して………?!

 いや、でもそれならこの浮かんでいる仕掛けは……?




 馬鹿馬鹿しいと自分でも思いながらも、思わず何も無い空間へ呟きが洩れる。



「………そこに、いるのかい………メリア?」


 暫くは、こんなつぶやきを洩らした自分への自虐くらいしか思い浮かばなかった。


 それを、目にするまでは。



 メリアの傍らに、生けられた花の束からずるずると引き抜かれて空へ浮かぶ一輪。


 その花びらが、間違いなく自分へ向けられていることに。


 そこに、あの子が確かにいる事に。


「………ああ。メリア信じられない。君なんだね? 待ってて、父さんたちを呼んでくる」



 空へ浮かんだままの花びらに向けて、そう言い紡ぐ事に欠片の躊躇いも無かった。




 螺旋階段を駆け下りて、控えの間へノックもせずに飛び込んできた自分へ流石に家族たちも顔を上げてまじまじと見詰めてきた。


 それを見ていたら、いつの間にか自然に込み上げた笑い。


 とうとう気が狂ったのかと、嘆く母の背を押して。

 父の痛ましげな視線を真正面から受けながら。

 弟妹たちには一旦待つように告げ、二人を連れて螺旋階段を登り切った。



 その扉の先で、変わらずに浮かぶ花びらに込み上げた思いはきっと生涯忘れ得ぬものだ。



 母が駆け寄り、父が僅かに遅れて歩み寄ったその先で。

 確かに今、メリアは自分に向けて微笑んでいる。


 例え見えなくともそれだけは、はっきりと分かった。


 メリアは自分の妹だ。

 兄として、それくらい分からなくてどうすると苦笑しながら。



 こうして齎された奇跡を、噛み締める兄の背に暖かな日差しが差していた。


読んで頂いた方々へ、感謝を込めて。



次回から、再び本編に戻って綴ります(*´ー`*)

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