1、アイロニー(皮肉)を風刺するアイロニスト
お久しぶりでございます、矢暮です。
そうでない方もそうである方も、よろしくお願いします。
今回のエッセイもどきの表題は、
『なぜパプテマス・シロッコは赤い彗星を“ニュータイプのなり損ない”と揶揄したのか?』
なんですが、その表題については順次解きほぐすことにいたしまして、
えー、これを書いている時点でタイムリミットが20分程度しかありませんので、今回は、
『物語のテーマ』について語ってみたいと思います。
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僕もこのサイトなどを利用するようになって早10年近く経つわけなんですが、
ときどき『社会問題』系を扱う、もしくはテーマにする物語を見かけたりします。
僕はそのテーマを主眼とした物語が好きなので、それとなりに目を通してみるのですが、
こう言ってはなんなんですが、
「今ひとつひねりがない」
感じがしてならないのです。
☆☆☆
というのも、僕らが子供時代に育ったサブカルチャーは、そういったテーマ性を持った物語がわんさかありました。
特に藤子不二雄SF短編集や、ウルトラセブン、星新一……などのメジャーな物に限らず、何かしらそういった社会的風刺の効いたテーマをぶち込んだ物語が時代を席巻しておりました。
しかし、その内容には現実には誤解を生むような物も少なくなく、現在のトラウマ商法や、いまでも続く破滅思想系カルトの土台になってしまった部分もあります。
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その中でも、秀逸なものは沢山あります。
どれがどれとは紹介いたしませんが、やっぱり秀逸な作品というのはそれとなく、
『どうしようもない人間の性』
を、的を射たように表現しているので、ずばり読者の心をえぐるような、なんとも切ないオチになっています。
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そういうのを読むと、いつも僕は、
「ああ、人間って何千年も昔から変わらないんだなぁ」
という思いに無意識にふけるのです。
そういう作品が読みたいし、書きたいといつも思っています。