第三章:お茶をつついて【黒毛和牛】鬼が出る
なんだか、別の世界に紛れ込んだみたい。
それがモルディーナの正直な感想だった。
シアナに手を引かれ案内されたのは、見慣れない木造建築の建物。
踏むとキュイキュイと小鳥の鳴くような音を立てる廊下や、草を編んで作られた分厚い床板など、石造りの建物に慣れ親しんだ目にはとかく新鮮なものばかりだ。
靴を脱いで家に入る習慣も、窮屈さがなくてなかなかに心地よい。
通された部屋には真ん中に火を使う設備が取り付けられ、シアナは部屋に入るなりそこに炭を足してお湯を沸かし始めた。
「とりあえず粗茶ですがどーぞ」
小型のポットに茶葉とお湯を注ぐと、シアナは取っ手の無い卵型のカップに、緑のかかった薄黄色のお茶を入れてモルディーナに差し出した。
「ど、どうも」
茶葉の生産できないこの地方で"茶"といえば、完全発酵された赤黒い茶が主であるせいか、モルディーナは見慣れないそのお茶をドキドキしながら一口啜る。
「あ、おいしい」
初めて口にする茶はほんのりと穀物のような香ばしい味がした。
「玄米茶って言うんだよー おいしいでしょ?」
笑いながら、シアナも自分のカップに同じお茶注ぎ、猫舌なのかふぅふぅと口で冷ます。
「はい。 こんなお茶があるって初めて知りました。 どこで売ってるんですか?」
ふと興味を覚えて聞いてみると、シアナはなんとも微妙な笑顔を浮かべた。
「これ? ミノ君が知り合いから貰った非売品。 なんでも、異世界の味をこちらで再現した試作品らしいよ?」
「えぇっ!?」
驚いて、カップを落としそうになる。
いったいどこが粗茶だ。
「い、いいんですか? そんな貴重なものを出してきたりして」
「さぁ? 本人は大事にちびちびと飲んでいたみたいね。 文句いわれたら面倒なんで勝手に取ってきちゃった」
悪びれもせずに盗みを告白すると、ちょうどいい温度まで冷めたお茶を一口啜る。
「ひどいなーシアナさん」
結局はシアナを許してしまうであろうミノルの仏頂面を思い浮かべ、モルディーナはクスリと笑った。
「いいのよ。 お茶なんておいしいうちに飲みきったほうがいいんだから。 保存しておいたって味が落ちるだけでしょ? 文句を言われたら『おいしかったです。 ご馳走様でした』って言えば、たぶん照れながらそっぽ向くわよ」
ずいぶんふてぶてしい台詞ではあるが、きっと誰よりも理解しているからこそ言える台詞なのだろう。
ちょっとうらやましいなと思いながら、モルディーナは残ったお茶をさめないうちに喉に流し込んだ。
「それにしても、ミノルさんってお茶飲むんですね。 なんか想像してみたけど、茶葉を飼葉みたいにバリバリ噛み砕いている姿しか想像できなくて」
そもそも牛の手足ではカップを持つことも出来まい。
浅い皿にお茶を入れて飲むのだろうか?
「あはは、それいい! こんど本人の前で言ってやって!!」
同じことを想像したのか、シアナが笑い転げる。
シアナの笑いの発作が一通りおさまった頃、『噂をすれば影』とばかりに部屋の外から低い声が聞こえてきた。
「おい、シアナ! お前、また俺の秘蔵の茶葉持ち出したな!? こっちじゃめったに手に入らない貴重品なんだぞ!!」
――常習犯だったのか。
微妙に納得しながらも、牛が屋敷の中を歩き回って良いのだろうか?と、モルディーナはふと考えた。
たしか、この建物の中は土足厳禁だったはずなのだが。
まぁ、あれだけ人間くさい牛なら、専用のスリッパでも履いて家の中を歩き回りそうだ。
「お茶ぐらいでケチケチしないのー」
「そう言って、先月俺のお気に入りの梅昆布茶を全部かっぱらって行ったのは誰だ!」
太い声と大きな足音が、地鳴りのような震動と共に近づいてくる。
「昆布茶は残してあげたでしょ?」
その批難を笑顔で聞き流し、シアナは盗人猛々しい台詞を返す。
「梅が入ってないんじゃ意味がねぇんだよこの暴食魔人!!」
その瞬間、凄まじい威圧感が廊下の方から吹き付け、モルディーナの体はしびれたように動かなくなった。
その気配の主は、モルディーナ達のいる部屋の前で止まると、その薄い紙で出来た扉に手をかける。
「あ……あぁ……」
恐怖のあまりモルディーナは悲鳴を上げそうになるか、体がガチガチに固まって声にならない。
だめだ、コレはダメだ。
何がダメかはわからないが、 人としての本能がソレを恐怖し、拒絶する。
ガラガラと音を立てて扉から顔を出したのは、見上げるほど巨躯を誇る……鬼。
浅黒い肌と五分刈りより少し長いぐらいに刈り込まれた黒い髪。
筋肉の盛り上がった腕はモルディーナの腰よりも太いのではないだろうか?
刃物と形容することすら生ぬるいその相貌は、三白眼を通り越して四白眼。
よく見ると端正な顔なのだが、そのせいで威圧感が2割り増しという残念っぷり。
その恐怖の大魔王が、事もあろうにモルディーナにその顔を向ける。
「よぉ」
なぜか、表情を緩めて親しげに挨拶をされたのだが、その瞬間、溜まっていた悲鳴が一気に噴出した。
「き、き、きゃあぁぁぁぁぁ!?」
喉が裂けるかと思うほどの絶叫と共に、意識が急速に失われてゆく。
――あれ? そういえばこの怖い人……誰かの声に似ているような気がする。
背中支える誰かの大きな手を感じながら、ふとそんなことを考えた。
いったい誰に似ているのだろう?
答えが出るより早く、意識が闇に落ちた。
「あーあ、ミノ君また気絶させちゃった。 顔が殺人的に怖いんだから自覚したほうがいいよー?」
倒れたモルディーナを介抱する鬼神に、シアナは呆れたように声をかける。
「……余計お世話だ!」
シアナをジト目で睨みながら、黒牛と同じ名前で呼ばれた鬼神は押入れから布団を取り出してモルディーナを横たえた。
「とりあえず神主を呼んでこい。 これからのことを相談する必要がある」
「はいはい。 人使い荒いなーほんと」
肩をすくめたシアナが、トテトテと軽い足音を立てて部屋を出てゆく。
「けしかけたのはお前だろうが。 ……ま、少しは感謝してやってもいいがな」
口にしてからハッと目を見開き、廊下から顔を出して左右を確認する。
シアナが聞き耳を立てていないことを確認し、ホッと息をつくと、鬼神は自分の湯呑みを取り出してまだ暖かい玄米茶を飲み始めた。