第二章:禁じられた祈り【黒毛和牛】禁じられた救い
「び、病魔の長!?」
慌ててミノルの背中から逃げたそうとするモルディーナだったが、揺れ動く牛の背中から降りるのは容易ではなかった。
「落ち着け。 無理に動くと怪我するぞ。 心配しなくても、俺は無差別に疫病を撒きちらしたりしないし、今は病魔のバイトはやってない」
モルディーナが怪我をしないように歩みを止めたミノルは、落ち着かせるように言い聞かせた。
「あの、ど、どういうことでしょう? バイト?」
聞きなれない単語にモルディーナが戸惑っていると、ミノルは前足で器用に頭を掻きながら言葉を補足した。
「バイトってのは、まぁ、気軽に金を稼ぐための臨時職員みたいなものだ。 俺はそのバイトの一環として、召喚師ギルドに所属している。 まぁ、いわゆる召喚獣だ」
本人にとってはあまり名誉なことではないのか、その声にはなぜか苛立ちのようなものが感じられる。
「えっと……たしか、召喚師ギルドって、異世界の神々をこの世界に呼び出すことを許された、神殿の実働部隊ですよね? 神殿がなぜそんな酷いことを!?」
理解できないとばかりにミノルに尋ねるが、ミノルは不機嫌そうに眉間に皺を寄せると、ジロリとモルディーナを睨みつけた。
そしてため息をつくと、恐れおののくモルディーナに、なだめる様なゆっくりとした口調で説明をはじめた。
「仕方ねぇだろ。 疫病の原因となる負のエネルギーの源は、おもに人間の負の感情だ。 どっかでガス抜きしてやらないと、どんどん溜まり込んで、あと取り返しのつかないことになる。 同じ疫病でも黒死病の大流行よりは、軽い風邪のほうがいいだろ?」
そもそも病が発生するのはこの世の摂理だから諦めろ……と、さも面倒くさそうに言い放つ。
牛の顔ではよくわからないが、少なくともその口調は忌々しげだ。
「でも、なぜ私の村なんです? 私達は完全無欠の善人ではありませんが、こんな酷い災厄を受けなければならないほどの罪は犯してないはずです」
憤慨するモルディーナに、ミノルは「そうだろうな」と感情のこもらない声で答えた。
「都合がよかったんだろ。 同じ規模の災害でも、人口密集地で発生させたり無差別に発生させれば被害はより大きくなる。 社会全体に対して深刻な被害を与えないために、人口密度の低い場所へわざと災厄を起こして被害の総量を減らす。 よくある話だ」
胸糞悪いと呟いて、ミノルは眉間に皺を寄せた。
「そ、そんなの、そんなのあんまりです! 私達が何したって言うんですか!? ひどい! 神殿は……神様はなぜそんな私達に理不尽な仕打ちをするんですか!!」
自分達を襲った不幸が、実は神殿によって意図的に行われたと知ったモルディーナは、神と神殿を詰りながらミノルの背中をバシバシと叩き始めた。
「都合がいいから押し付けても構わないんですか!? 薬も買えないほど貧しい私達に、抗う力も術も無い私達に、なぜこんな身に余る不幸を押し付けるんですか!? 摂理だから、地域全体のためだから文句を言わず死ねというんですか!? 熱病で苦しむ家族がいても、神の決めたことだから仕方がないというんですか!? だったら、何のために神様がいるんです! 神も神殿もそれが摂理だと開き直るなら、私達は何に祈ればいいんですか!?」
「俺が知るか。 理由なんざそれこそ、お前の地域を担当している神殿にでも聞いてくれ! 無責任に全能である事を求められたところで、神々も対処しきれるか! 神々だって、自分のできる範囲でお前らのために必死で働いているんだぞ!? できるものなら、お前らの苦しむ顔なんざ見たくないに決まってるだろ!!」
一方的に責め立てられ、さすがに声を荒げるミノル。
そのドスの聞いた声で怒鳴られたのがショックだったのか、モルディーナは急に押し黙った。
どれぐらい時間が過ぎただろうか?
「そもそも、ここの神殿に頼み込んだところで、自分の教区以外での活動は基本的に認められていない。 俺達にできるのは、せいぜいお前を村まで安全に送り届けるぐらいだ」
沈黙に耐えかねたようにミノルが呟くと、
ぽたり。
不意にその背中に水滴が落ちた。
「…………くやしい」
ぽたり ぽたり
次々と背中に落ちてくる水滴に、ミノルはただ黙って立ち尽くすしかなかった。
その数滴の涙が、今は滝行の水よりも重く冷たく感じる。
神に祈ることすら許されなかった少女は、ただ自らの境遇を呪いながら泣くしかなかった。
人気の無い社に、少女の押し殺した嗚咽だけが流れる。
「え、えぇい泣くな! くそ、だから女は面倒なんだ」
涙に濡れる少女を扱いかねて、ミノルが対処に困っていると、
「いーけないんだ。 ミノ君がまた女の子泣かしてるー」
突如、茂みから間延びしたソプラノが、歌うように野次を飛ばしてきた。
「また……とか人聞きの悪いことを言うな、シアナ。 お前こそ立ち聞きしてただろ、悪趣味だぞ」
ミノルは、ばつのわるそうな声で答えながら傍らの茂みに目を遣る。
モルディーナがその視線をたどると、頭からスッポリとフードを被った、白いローブ姿の子供がガサガサと音を立てて茂みから出てくるところだった。
全身をゆったりとした衣服で覆っているため性別はよくわからないが、声からするとおそらく少女であろう。
飾り気の無い格好ではあったが、恐ろしく人目を惹く子供だった。
顔の下半分しか見えないが、その陶器のようにきめ細かく白い肌、ぷっくりとした桜色の唇、フードからこぼれる絹糸のような長い銀の髪、そのどれもが神の手による芸術品かと思うほど美しかった。
その無粋な布を取り除いたら、いったいどれほどの美貌が現れるのかと想像せずにはいられない。
「はい、立ち聞きしてましたよー? 困ってる女の子がいても何も出来ない、ミノ君の情けないところをバッチリと」
クスクスと笑いながらミノルをからかう声に、台詞とは裏腹に責める感じは微塵もない。
「何も出来ないのはお互い様だろ。 人をからかう前に自分を責めろ、そこの見習い召喚師」
なじるような口調と裏腹に、なぜか諦めたようにため息をつくミノル。
「本当に何も出来ないか、考える前から結論出してもしょうがないでしょ?」
そのため息を、シアナと呼ばれた少女は何でもないかのように笑い飛ばした。
「無責任なこと言ってるんじゃねぇぞ、シアナ。 誰のせいで俺が我慢しなきゃならんと思ってるんだ」
再度ため息をつくミノルを見ると、その眉間にはクッキリと皺が寄っている。
「何も出来ないんじゃなくて、何もしないほうがいいんだ。 相方の俺が問題起こしたら、またお前の見習い期間が延びるんだぞ? わかってるのか!?」
困った声でそう言い含めるが、シアナは返事の代わりに思いっきりミノルの足を蹴り飛ばした。
「痛ぇぞ、何しやがる!」
文句を言うミノルの腹に、シアナはもう一度靴のつま先をめり込ませた。
「ミノ君がおバカな事言ってるからでしょ? そんな我慢されて、私が喜ぶとでも? アラ嬉しい。 感謝感激雨あられだわ。 ……ナメんじゃないわよ、黒毛和牛!」
「何……だと……」
ふんぞり返って放ったシアナの台詞に、ミノルの額に血管が浮きあがった。
「目の前にいる勘違い野郎の事よ、黒毛和牛」
「誰が黒毛和牛だ! 俺をそのおいしそうな渾名で呼ぶんじゃねぇ!!」
「あーら、おあいにくさま。 そんな筋肉ダルマの硬そうなお肉誰も食べませんわよーだ。 体脂肪率一桁で筋肉だらけの赤身牛なんて、舌の肥えた私の口には到底合いませんわ、おーほほほほ」
口から唾を飛ばして抗議するミノルに、シアナは口元に手を当てて芝居のかかった調子で切り返す。
プチッ
「この俺様の鍛え上げた体のドコがわるい、この妖怪つるぺったん!!」
不吉な音と共に、ミノルはある種の悩みを抱える女性に対する禁句を迷わず投下。
ミノルの背中の上で、モルディーナもまた顔を赤らめて胸元を隠した。
「つるぺったんじゃないもん! ちゃんと去年より0.1mm大きくなってるもん!!」
「誤差の範囲内だな」
希望をバッサリ切り捨てる無慈悲な黒牛。
「悔しかったら、バストサイズで俺に勝ってみるがいい!!」
そしてこの勝ち誇った笑みである。
「そんな筋肉だけでバストサイズ2m越えるような体、全然羨ましくなーい!!」
「そうだな、お前みたいなチンチクリンにはどれだけ鍛えてもたどり着けない境地だったな。 いやぁ、すまん」
悪びれもなく放たれたミノルの台詞に、シアナの手がワナワナと震える。
「あ、あの」
危険な雰囲気を感じたモルディーナがおずおずと声をかけようとするが、二人の耳には入らない。
「一度誰が主人かキッチリと教える必要があるようね。 この不良召喚獣!」
「はっ! たかが召喚主と言うだけで俺の主気取りか? 一億年早いわ!!」
一陣の風が砂埃を舞い上げ、ザザァ……と、不安をかき立てるような音を立てて二人の間を流れる。
「いい度胸ね。 覚悟しなさい!」
「つべこべ言わずに、かかってきやがれ!!」
その台詞の応酬が終わる前に、シアナは懐から何か細長い針のような物を取り出すと、猫のような身のこなしでミノルの頭に取りついた。
「な、なにっ!?」
その瞬間、ミノルの体がガクっと沈み込む。
「きゃあっ!? なに、何なの!?」
上に乗っていたモルディーナはたまったものではない。
幸いミノルのシャツにしがみついていたことで転げ落ちずに済んだ。
ミノルが膝を折ったのでずいぶんと地面が近い。
モルディーナは、これ幸いとばかりにミノルの背中から飛び降りた。
そして、そこで見たものは……
「くっ、卑怯だぞシアナ!」
「ふふふ……ミノ君ここ弱いよねー」
横倒しになり、シアナの膝で気持ちよさそうに耳掻きをされているミノルの姿だった。
「こ、こんなものでこの俺をどうにかしようなど!」
「ほれほれ、ここ? それともここかなー?」
シアナが耳掻きを動かすと、ミノルの体がビクンっと震える。
「あっ……よせっ、シアナ、うっ、そ、そこはもうちょっと……優し……く……うっ」
「うふふ、たっぷりと可愛がってあげるわ」
目を輝かせながら、シアナが耳掻きを動かすたびに、ミノルの口から「あっ……」「おぅっ……」と、とてもお子様には聞かせられない声が漏れる。
「あら、こんなに湿っちゃって。 しょうがない無い子ね」
「や、やめろ! 俺の、そんな汚いところを覗き込むな!!」
粘液質の糸を引く耳掻き棒をミノルの(耳の)穴から引き上げると、シアナは鞄から消毒した脱脂綿を取り出して、そっと撫でるように動かした。
「さぁ、仕上げよ」
「くうぅぅぅっ……うっ……あっ……!?」
歯を食いしばるミノルの全身の筋肉が強張ると、次の瞬間その四肢がだらしなく地面に落ちる。
「どう? ミノ君、降参する?」
「だ、誰が……」
かなりいかがわしいが、その正体はただの耳掃除である。
「なっ、何やってるんですか!!」
顔を真っ赤にしてモルディーナが叫ぶと、一人と一匹はキョトンとした表情で向き直り、
「何がって、自分の召喚獣と親睦を深めている?」
「召喚主から耳掃除の奉仕を受けているだけだ。 べ、別に悶えてなんてないぞ!」
むしろ邪魔するなと言わんばかりの態度である。
「もういいです。貴方達のやることにツッコム気力がありません。 で、私の村は助けていただけるのでしょうか。 それとも見捨てられたのでしょうか。 それだけハッキリ言ってくださると、非常に助かるのですが」
気力を振り絞り、疲れきった声でモルディーナが尋ねると、シアナは肩をすくめてミノルの顔を見た。
「なんだよ、俺に決定権を押し付ける気か? ずるいぞ!」
「そもそも規則だからと割り切れるほど頭よく無いくせに、私に気を使って無理しようとするのが間違ってるのよ」
ミノルの非難がましい視線を鼻で笑い、シアナはミノルの尻を遠慮なく蹴り飛ばした。
諦めたようにため息をつくと、ミノルはゆっくりと起き上がり、鼻面で木造の建物を指し示して、
「ここで話をするのもなんだ。 中で茶でも飲んで行け」
荷馬車を牽いてさっさと歩き出した。
「あ、あの、どういうことでしょう?」
困惑するモルディーナの肩を軽く叩くと、シアナはその手を引き寄せて微笑んだ。
「ようするに助けてあげるって事。 大丈夫。 あれで結構頼りになるから」
そのまま、モルディーナを社の奥へと誘う。
そのとき、分厚い雲が割れて、地上に一筋の光が舞い降りた。
「……きれい」
思いがけない光景に、気がつくとそう呟いていた。
その光がまるで希望の象徴のように感じられ、モルディーナは思わず跪いて祈りを捧げようとしたが、自分が神に見捨てられた存在であることを思い出す。
「そっか。 私が祈るべき神は、もうどこにも無いのね」
明るくも、どこか悲しげな声で呟くと、少女は手を引かれるままに歩き出した。