第十六章:突然ですが【黒毛和牛】隣に島が出来ました
その島はある日突然と現れ、沿岸諸国の人々を心から驚かせた。
もっともその島に近い沿岸から見た人々の報告によると、島は毒々しいまでに色鮮やかな大地に覆われており、時折凄まじい音と共に山の一部が削れたりするので、怖くて近づけないらしい。
……実に荒唐無稽な話である。
その逸話の多くを単なる噂話として片付けるのは簡単だが、事実、その余波で沿岸の波は荒く、近頃は多くの漁師が漁に出る事が出来ずにいた。
人々は噂する。
曰く、あの島は太古の魔王が封印されていた場所であり、その封印が解けた。
曰く、あの島は空から落ちてきた巨大な岩である。
曰く、あれは信じられないぐらい巨大なドラゴンの背中である。
曰く、あの島は宝石で出来ており、島が現れた翌日から、砂浜に高価な宝石珊瑚の破片が多数打ち寄せられていた。
様々な情報が飛び交い、そして否定される。
結局のところ、その島についての真実を知る者は誰もいないということだけが、正しい情報として人々に認知されていた。
そして、その島で何が行われているかというと……
「ふぅ……このぐらいでいいかな?」
砕けた珊瑚の破片をさらに細かく砕き、粒の大きさによってより分け、大きくえぐれた大地の上に散布する。
ミノルは島が海の上に顔を出してからというもの、この作業を延々と行っていた。
正直な話、この世界への干渉としては異例の規模の話であり、はっきり言えば違法行為である。
ついでに当事者は無理を押し通す気満々なので実に性質が悪い。
当然ながら召喚師ギルドのほうからは連日召喚状と状況説明を求める声が届いているが、ミノルはその悉くを無視し、彼等が簡単にこの島を消せないように街を作って住人を招いて既成事実を作ってしまおう……と、日々精力的に働いている。
「しぬー 死んじゃいますー! ミノルさん、もう限界ですー!」
そしてその傍らでは、淡い銅色の髪をした三つ編みの少女が顔を青くして地面にしゃがみこみ、ぐずりながら泣き言をこぼしていた。
「その程度じゃ死にはしない。 キリキリはたらけモルディーナ!」
「……あンっ!?」
ミノルが、風車から伸びた電線のようなコードをモルディーナの背中に差し込むと、その背中がピクッと動き、モルディーナと呼ばれた少女は弾かれるように起き上がった。
「うぅっ……ミノルさん冷たいっ!! 私、もぅ、3日も寝てないんですよぉぉっ!」
手で涙をぬぐうと、モルディーナは風車から流れ込むエネルギーを自らの魔力に変換し、地面にばら撒かれた土の成分を別のものに変換する作業を再開する。
「泣いても無駄だ。 時間が無い。 召喚師ギルドの本格的な干渉が始まるまでに、奴らが簡単に"無かったこと"に出来ない状態にしねぇと、この島海に沈められっぞ! ほら、泣きべそかいてないではやく仕事しろ」
頭をかきながら、自らも魔術を行使して土の成分を調整するミノル。
二人が何をしているかというと、島の地形を改造し、さらにその土壌を作物の栽培に適したものに変更するという、大規模な土壌開発の作業である。
一般的に、実り豊かなイメージのある珊瑚礁だが、実際には保水力に乏しい砂地が多く、乾燥もしやすいために植物にはかなり過酷な環境である。
さらに、出来たばかりのこの大地には多量の塩分まで含まれており、今現在は飲み水すら存在しないという死の島であった。
そんなわけで、ミノルとモルデイーナは、二人で協力しながら島の土壌を生物の住みやすい環境にすべく、日夜働き通しなのである。
モルディーナの背中に付けられた風車には、少し前にこの地で発生した戦乱で生み出された負のエネルギーが封印されていた。
そして、風が風車を回すたびに、中に刻まれた真言が回転する事で、負のエネルギーを分解し、モルディーナでも使用可能なエネルギーに変換した上で魔力を供給すると言う仕組みだ。
故に、ラメシュワールが作ったこのエネルギー供給装置のおかげで、精霊に過ぎないモルディーナも、ミノルと同じペースで馬車馬のように働くことが可能であった。
実に画期的な発明である。
……本人はいささか不満があるようではあるが。
そのほかの面子が何をしているかというと、島の地形が出来上がって今は、それぞれの専門分野を活かした方法で、島を人の住む場所に作り変えている真っ最中である。
シアナとアイは二人揃って都市計画の草案造り。
二人は、ミノルの作り上げた術式に沿っていかに効率よく魔力が流れる街を作るかで、お互いの意見を交換しながら製図を書き続けている。
ラメシュワールはその技術力を活かし、島を警護する防衛システムの構築と、土木作業用の機材の開発を手がけていた。
アヤモリは土壌の改良の終わった部分から順に、この亜熱帯の気候に適した植物の植生を行い、すでにパイナップルやマンゴーと言った果実の収穫にまでこぎつけている。
そして一人やることの無いドミニオは……島の一部に勝手に教会を作ろうとしてミノルに蹴り飛ばされ、現在はお仕置きとしてラボでお留守番をさせられていた。
そんなドミニオから緊急の知らせが入ったのは、ミノルとシアナが仲良くサンドイッチをつついていた時だった。
「おい、ミノル。 この島に船が近づいているぞ!」
落ち着いてはいるものの、明らかに緊張を孕んだその声に、ミノルはアネルにレタスを食わせる手を止め、「来たか」と呟いて立ち上がる。
この島は、現在ポセイドンの結界によって覆われており、近づく船があれば問答無用で暴風と高波の攻撃、さらに裏鬼門に祭られたカリュブデスの引き起こす大渦潮などと言った様々な障害が立ちはだかっており、通常の船は進入できない。
例外はただ一つ。
この島の主であるポセイドンの加護を受けた者が乗っている場合だ。
それはつまり……
「ウチのアネルを殺しに来たポセイドンの眷属か。 いい度胸だ」
現在、自分がそのポセイドンの化身である事を完全に忘れた台詞を吐きながら、ミノルが奥歯をギリギリと鳴らす。
その隣では、シアナがアネルの頭をその小さな手で撫でながら、気だるげに海の彼方を見つめていた。
「ウチのかわいいアネルちゃんに手を出す子には、きっちりお仕置きしないとね」
緩い台詞だが、目が完全に笑っていない。
おそらくその脳裏では、生け捕りにした上で、自ら死を望むほどの責め苦を与えるにはどうすれば良いか考えているのだろう。
ちなみにアネルは体長7mちかくもある巨牛である。
その姿に怯える人間は山ほど居るが、これを可愛いと言ってのける猛者は、ミノルとシアナを含めてほんの数人程度であった。
「ねぇ、主人。 どうせならば、船の材質に干渉して着岸する前に沈めてしまいませんか?」
眉間に皺を寄せながらそう囁くのは、シアナ付きの精霊であるエグゼビア。
召喚師や魔術師たちの間では"薔薇の淑女"と呼び習わされる精霊であり、植物を自在に操る事が出来る。
主にシアナの護衛が目的で、シアナの髪と野薔薇を融合させて生み出された精霊だが、その可憐な外見にもあわず極めて好戦的であり、敵とみなした相手は有無を言わせず皆殺しにするという困った性格の持ち主である。
シアナに言わせれば、ミノルに似て血の気が多く、ミノルに言わせれば、シアナに似て容赦の無い性格であり、そう言われても『お二人に似ているなんて光栄ですわ』と感想を述べるあたり、かなり終わった感じが強い。
ちなみに今はアネルのエサとなるクローバーを異常繁殖させる作業の真っ最中であり、どうやらその単調な仕事に飽きがきているようだ。
もしも彼女にこの件を任せたならば、一瞬にして船の材木がバラバラに分解されるか、棘のついた海草に巻きつかれて海の底に沈められるか……あるいはその両方の結末が待っているだろう。
「お前らは何もしなくていい。 俺が片をつける。 ……くそっ、叔父貴め。 なにが7日の余裕だ!? まだ5日目だぞ!!」
そう毒付くなり、ミノルは三叉矛を片手に船の現れた浜辺へと駆け出してゆく。
ミノルの後を追おうとしたアネルを、シアナはそっと手を伸ばして押し留めた。
「も゛ー(なんでとめるの?)」
首をかしげるアネルに、シアナは優しく落ち着かせるように笑いかける。
「パパは大丈夫だから、あなたはここにいなさい。 あまりウロウロしていると攫われちゃうわよ?」
そうたしなめられると、アネルはただ口惜しげに地面を蹄で掻き、じっとミノルの去った方向を見つめ続けた。