第十二章:新たな魔術と【黒毛和牛】古女房の帰還
その場の空気は一瞬にして凍りついた。
主にミノルの殺気によって。
「俺の方針が気に入らないと言うなら出てゆけばいいだろ? 問題はおまえの個人的な感情じゃなくて、いかに完成度の高い都市を作るかだ」
いっそ笑っているかのような声色が、むしろミノルの苛立ちの激しさを物語っていた。
「それがわからんやつにいられても、迷惑なんだよ」
その大きな手を机をバンと叩き、ミノルが苛々した態度でタマキを睨む。
その突き刺すような視線に晒され、タマキが何かを口にしようとするが、その唇から何か台詞が生まれることはなく、ただ時間だけが過ぎてゆく。
やがて10分ほど経過しただろうか?
「……そんなに私のことが迷惑?」
胸元で手をぎゅっと握り締めながら、タマキは搾り出すようにしたその一言を口にした。
その硬い口調とは裏腹に、その目は不安の色を浮かべて震えている。
――なんて甘い女。
シアナはその台詞をかろうじて心の中に留めた。
潔癖で無垢である事を謳いながら、やっている事は女である事を武器にした姑息な交渉。
そうやって傷ついたことをアピールしてミノルの口から否定の言葉が出ることを願っているだろう。
自らが女である事を武器にする女を最も嫌うのも、また女の性だった。
そんな女についついほだされる男の性もまた愚かしくも憎らしい。
シアナもまた、そのようなタマキの態度に激しい軽蔑の心を抱いていた。
横を見れば、アイもまた細い眉を不機嫌に吊り上げている。
――まさか、こんな事でクラっときたりしないよね?
シアナが疑うような目をミノルに向けると、ミノルはさらに不機嫌な視線をシアナに返してボソリと呟いた。
「迷惑だな。 だいたい監視だけのはずなのに、いつのまにか設計にまで口を出しやがって。 おまえ何様だよ」
ミノルがわざと相手を怒らせるように言葉を選んでいることに気付き、ドミニオとラメシュワールが眉を跳ね上げる。
「そんなに……そんなに迷惑なら、最初から私に優しい言葉なんかかけるな!」
テーブルの上にあったコップを手に取ると、たまきはその中身を容赦なくミノルの顔にぶちまけた。
なんて勝手な言い草! 人の想い人に勝手に付きまとってきて、冷たくされたら逆切れ?
ふざけないで!
たまらずシアナが前に出ようとするが、ミノルの大きな手がそれを遮る。
「最初から優しい言葉なんてかけて無ぇだろ。 単に俺の目の届かないところで変なことされると困るからそばにいても構わなかっただけだ」
気が付くと、ぶちまけられたお茶は、ミノルの顔に届く前に空中でピタリと停止していた。
さらに目障りだとばかりに、ふっと域を吹きかけると、お茶の塊は霧となって虚空に消えうせる。
「そうだね、あたしはあんたの天敵だったわよね。 なら、この先はそれにふさわしい行動を心がけるから、覚悟しなさいっ!!」
その震える手を机に叩きつけると、タマキは怒りにわななく指をミノルに突きつけて宣戦布告をし、激しく足音を響かせながらその部屋を出て行った。
その目から零れ落ちる涙を、ミノルに見られる前に。
「らしくないわね、ミノ君」
「そうよー ミノ兄冷たすぎ。 さすがにアタシも醒めるわー」
タマキが出て行くなり、女性陣からは心にも無い非難が飛び出した。
人見知りの激しいミュシャは、シアナの後ろで「牛さん……ひどいです」と呟いている。
とは言え、本気でそんなことを想ってないのは朴念仁のミノルやドミニオにもなんとなくわかった。
要するに、女としてタマキの気持ちはわからなくも無いが、結局のところ敵に塩を送る気は無いのである。
実に女とは打算的で身勝手な生き物だ。
だが、ミノルは頭をガリガリとかきむしると、
「おまえらも解ってないな。 海神ポセイドンから大地を奪ったのは誰だ? その下手人の契約者が自分の家の創造に関与していると知ったら、あの叔父貴がどんな手に出るか……俺も後から気付いたんだが、考えてから背筋が凍ったぞ」
溜息と共にそんな台詞をはきだした。
「この世界で守護神として働く以上は、学生気分のなぁなぁで仕事をするわけには行かないんだ。 タマキはそのあたりがわかってないとは思えないはずないんだがな」
彼等が学生として振舞ってよいのは、あくまでも自分の住んでいる世界においての話しだ。
この世界の住人にとっては、ミノル達が学生であろうが無かろうがなど、はっきり言って関係の無い話である。
「どういうわけか自分の関わるべきでない部分にホイホイと頭を突っ込みやがって。 今のところバレてはいないが、叔父貴の目をごまかすのもそろそろ限界だ。 それに、あぁやって怒らせでもしない限り、あいつは何を言ってもずるずると居座るだろ」
それに、今から他の方法を探すというのも面倒だしな……と付け加えてミノルは深々と溜息をつく。
タマキがなぜ敢えて愚かな振る舞いをするのか、それがミノルには理解できない。
客観的に視野と冷静な判断力があいつの持ち味だろ……とミノルは苦々しく呟くが、その言葉にアヤモリが嫉妬混じりの顔で鼻白む。
タマキのことを天敵と呼びながらも、ミノルがその能力については認めているのが気に入らないのだ。
もっとも、彼女からその冷静な思考を奪っているのが自分自身であることに、ミノルはまるで気付いていなかった。
「でも、あんな怒らせ方したら、あとあと面倒になるっスよ? タマキさんを勝手に出て行かせてよかったんですか?」
そんなミノルに、どうせならここにいる全員でどこかに幽閉すればよかったんじゃないか? と言外に匂わせてアヤモリが苦言を申し立てる。
「その時は正々堂々と叩き潰す! いい加減、あのアマにも誰にナメた口叩いているのかきっちり教えてやるべきだ」
だが、ミノルはふんぞり返って横柄に顎をしゃくってみせると、鼻息も荒く好戦的な台詞を口にした。
「や、野蛮です、牛さん。 こ、言葉で和解するという選択肢は無いのですか?」
その猛々しい様子に、アヤヤモリの後ろからミュシャが恐る恐る苦言を申し立てると、
「俺があいつをうまく説得できると思うか?」
ミノルはまるで開き直りのような台詞を返す。、
「極めて不本意だけど、納得だわ」
シアナとアイがしみじみとため息をついた。
「で、タマキさんを追い払った本当の理由は?」
ポセイドンに対する配慮と言うのも嘘ではないが、ソレが全て出来ない。
わざと言わないもう半分の理由が聞きたくて、シアナはウリウリとミノルの背中を肘でつつく。
そんな女性陣の方をジロリと睨みつけると、
「それにだ。 女はすでにお前らで間に合っている。 これ以上、俺の周りに女っ気はいらん」
この上もなくキッパリと言い放つ。
思わぬタイミングで飛び出した意外な言葉に、シアナとアイが目を見開き……その意味を想像し、二人ともが顔を赤く染めて俯いた。
「う、牛さん、大胆ですぅ」
アヤモリの後ろで縮こまっていたミュシャも、誰にも聞こえないほどの小声で顔を真っ赤にしながらそう呟く。
「なんだ、先輩気付いていたんだ」
まさかミノルがタマキの気持ちに気付いていたとは、その場の誰にとっても予想外だった。
アヤモリもまた驚いた顔をうかべ、にっこりと笑みをうかべて意外だといわんばかりにミノルに話しかけるが、
「なにがだ? ただでさえうるさいのが二人もいるのに、これ以上騒がしくされたらたまらんだろう?」
結局のところ、ミノルはシアナやアイの好意に配慮したわけではなく、単に女が面倒なだけであった。
所詮、ミノルはミノルである。
「……結局、肝心なところには気付いてないのね。 あたし、少しだけあの女が哀れに思えてきたわ」
アイがボソリと感想を述べると、
シアナのみならず、いつもは大人しいミュシャまでが溜息をつく。
「「ダメだこりゃ」」
ドミニオ、ラメシュワール、アヤモリの三人もまた、口をそろえてそう呟くと、とばっちりを恐れてそそくさとその部屋を後にした。
「ミノ君の……」
シアナが手近にあった、製図用の文房具を握り締めると、危険を察したミノルが無言でジリジリと後退る。
「朴念仁! 少しは女心を理解しなさいよ、お馬鹿ぁっ!」
逃げ出す間もなく、シアナの手から凶器に雨が降り注いだ。
「さて、話しを続けようか」
額に刺さったコンパスを、キュポンと引き抜きながらミノルが話題を元に戻す。
「知っている者も多いと思うが、メドゥーサは女王の意味であり、本来はポセイドンの伴侶として崇められていた大地の女神だった」
脱脂綿をオキシフルに浸しながら、ミノルはゆっくりと計画の内容の説明を始めた。
震える手でピンセットを使い、傷口に綿を押し当てるたびに、その顔に苦痛が走る。
他人の治療は得意なミノルだが、なぜか自分の治療になるとえらく手際が悪い。
「あぁ、もぅ! 何してるのミノ君! 貸しなさい!!」
その不器用な手つきを見かねたシアナが、ピンセットと脱脂綿を取り上げて消毒の作業を代わると、ミノルは顔を赤らめながら逃げようとするが、そのまま地面にひっくり返ってシアナにのしかかられてしまう。
「それがいつの間にか石化の力を持つ怪物に変えられたんだが、今回の案件において、珊瑚の形成にこの石化の魔力は非常に有利に運ぶものと考えられる。 石化した場合の成分を珊瑚の形成に必要なカルシウムに設定すれば、島を作る材料の調達が極めて容易になるだろう」
逃げることをあきらめたミノルは、床にひっくり返ったまま、その高度な魔術理論に基く計画にメドゥーサの力を用いる論拠を示す……が、周囲野視線は妙に生暖かい。
さらに一呼吸おいてから、ミノルはゆっくりとした口調でさらに大胆な台詞を口にした。
「そして、都市全体を支配するシステムには風水の技術を適用しようと思う」
その瞬間、ミノルの発言に誰もが驚き、わが耳を疑った。
ギリシャの神を祭る島を作るのに、道教を源とした魔術を用いるなど、本来はあってはならない背神行為だ。
下手をすれば天罰を喰らう。
いや、世界の宗教を見ればそう珍しいことでは無い。
ヒンズー教では仏陀をヴィシュヌの化身として扱っているし、ブードゥー教ではアフリカの神々とイエス・キリストを同時に祭っている例もある。
だが、通常は他所の宗教の神々を異教の術式に組み込もうとはおもわないものである。
少なくとも、それは数十年単位の時間をかけてすり合わせを行うべき内容だ。
それを事前のすり合わせもなくいきなり行使する……そんな奇天烈な真似を考え付くのは、様々な宗教をハイブリットに改造しつづけてきた陰陽師ならではの思考と言えるだろう。
いや、たとえ陰陽師であろうとも、普通はもっとまともなことを考えるはずだ。
「しつもーん」
ミノルの頬に絆創膏を貼り付けると、シアナが緊張感の無い声を上げながら、質問の手を挙げた。
「なんだ、シアナ。 言ってみろ」
床に寝ッ転がったまま、えらそうに質問を許可するミノル。
「風水とポセイドンではカルトが違うから、都市としては安定しても、神にとっては居心地悪くならない? 神の恩恵の無い街も教えも栄えるはずが無いんだけど」
シアナの質問は、魔術師としてしごくもっともな質問だ。
当然のことだが、システム的に優れていたとしても、当の神にとって居心地の悪い島では意味が無い。
宗教など、神の恩恵あっての存在なのだから。
「いい質問だ。 もちろんそこについても考えがある」
そのまま腹筋だけで体を起こし、バランスを崩したシアナを腕に抱きとめたまま、ミノルが不敵に笑う。
「ポセイドン縁の女神をエネルギー源とした、ギリシャ版の風水、それもポセイドン専用の術式を作るつもりだ。 多少システムに違和感があっても、女好きな叔父貴の事だ。 ハーレム状態ならば毛ほども気にしないだろう」
ミノルの言葉にその場にいる面々がなるほどと頷いた。
神々を他の宗教の中に放り込むのは色々と大変だが、神を祭る礼式に異教のほうほうを取り入れる事は難しくない。
それに厳格なイメージのあるポセイドンだが、その神話の浮名の多さは、かの主神ゼウスに次ぐ数に上る。
「なるほど、それならば実現の目処も立つだろう。 だが、ミノル。 それはすでに新種の魔術だぞ? 君は島一つ作るのに、あたらしい宗教でも立ち上げるつもりか!?」
照れて暴れるシアナに殴る蹴るされながら笑っているミノルを、呆れたような目で見つめながら、ラメシュワールはその荒唐無稽な計画に驚きの声をあげた。
その台詞の途中で、ミノルのセクハラを見かねたアイが、布団たたきを手にシアナの加勢に入る。
「その通りだ、ラメシュワール。 やるなら徹底的でなければ面白くない。 そうだろ?」
二人がかりでもみくちゃにされながらも、ミノルは楽しそうに親指を立ててそれに答えた。
「ジーザス。 ミノル、お前は狂っている。 いや、さすがは破壊神というべきか」
結局は趣味と好奇心を優先させた、ミノルのとんでもなく非常識なやり方に、ドミニオが天を仰いで神に祈る。
もしかしたら、タマキを追い出した最大の理由は、この非常識な計画を実行するためだったのではないだろうか?
アヤモリはふとそんなことを考える。
彼女がここにいたら、こんな型破りな計画は絶対に許さないはずだ。
智の女神の名にかけて、もっと常識的な代案を用意するに違いない。
「俺が狂っているかどうかは別にして、説明を続けるぞ」
その視線に気付いたミノルが、シアナとアイの二人を腕に抱えてニヤリと笑った。
ミノルによる規格外なプロジェクトの説明は、白熱した議論と共にその日の夜遅くまで続いたという。