第十一章:女神を蔑して【黒毛和牛】ドナドナされる
化け物がなぜ化け物と呼ばれるか?
それは、その存在が常に人の予想の上を行くからである。
最初の実験からわずか3日。
たったそれだけの時間だが、ミノルたちの実験の成果は、すでに空中に浮かんだ半径1kmの巨大なラボという形で実を結んでいた。
いったい何をどうやったら三日でこんなものを作ったのだと言いたくなるが、本人曰く『どこぞの神は7日で世界を作ったらしいぞ?』である。
比較対象が唯一神であるあたりが実に化け物らしい言い分だ。
実際にそれだけの力量を持っている分たちが悪い……
アイの曰く『神は7日で世界を作ったらしいけど、ミノ兄は7秒で世界を無に還すよね』である。
いずれにせよ、周囲の人間にとっては『化け物の感覚はよくわからん』といった感じであり、実際に口にしたドミニオは、ミノルとラメシュワールの二人がかりで十字架にかけられた。
意外とそう言う言われ方を気にするタイプらしい。
器の狭い奴らである。
「ねぇ、コレだけの技術があるなら、わざわざ陸地に国を作らなくてもいいんじゃない?」
空中要塞と化したラボを見回して、この一連の作業の部外者であるタマキが呆れた声を上げた。
慣性制御による無反動の加速や、その動力源である重水素を利用した永久機関、モノポール磁力線による内部の移動機関……その他諸々と知恵の女神である彼女をして溜息をつくしかないようなものがこのラボには所狭しと並べられている。
どのぐらい徹底しているかというと、下水の処理さえ魔術処理をされた細菌類によって十秒以内に飲料可能なレベルの水に変換され、もはや下水道が必要ない状態だ。
ついでにトイレットペーパーは大気の成分から合成されたタンパク質を主成分としており、ほとんど無限に出てくる仕様である。
あまつさえ、ミノルの得意とする空間歪曲構造建築物を多用しているため、その内部の広さの総計は、日本の四国地方がスッポリと入ってしまうほどの大きさになるのだから、ある意味動く国と言って差し支えない。
とにかく、右を見ても左を見ても眼に入るのはオーバーテクノロジーの山。
召喚師ギルドの職員が見たら、即座に世界の管理に支障が出ると言い張って、ラボの機能凍結および半永久的な封印を求めるであろう。
こんなものがその辺にあったら、成果のバランスは木っ端微塵になるに違いない。
ミノルとラメシュワールという、凝り性にして芸術家肌な人間が趣味丸出しで作り上げたその構造物は、軽く一国を滅ぼせるほどの無駄に強力な装備を満載し、現在モスカータの街の東の海上を飛行中であった。
「ちょっと! 話しかけているんだから返事ぐらいしなさいよ!」
モニターを見つめたまま無言を貫くミノルに、タマキはイライラとした口調で詰め寄った。
だが、ミノルはそれをさも面倒そうにチラリと一瞥すると、ボソリと一言呟く。
「くだらないから返事をする必要が無いと思っただけだ」
「く、くだらないですって!?」
「わかってないな、タマキ。 叔父貴の願いはあくまでも自分の民の住む大地だ。 こんなフワフワ浮いたもの押し付けたって喜ばんぞ」
レーダーで予定進路と現在の座標の位置の誤差を割り出すの目は、一秒たりともタマキの姿を映さない。
「自分の大地……ね。 ポセイドン神もあんがい女々しいのね。 わが神アテナに敗れたことを未だに引きずっているなんて」
仕返しとばかりにタマキがそんな感想を漏らすと、ミノルはそれを鼻で笑った。
「女々しいとか執念深いといったら、むしろ女神アテナのほうだろ。 男を知らない永遠のお子ちゃまのくせに」
「ぬぁんですってえぇぇぇぇぇ!?」
ミノルが口にした言葉は、最大の禁句に等しい。
「そもそも、お前のところの女神、気に入らないからって理由でどんだけ呪いで魔物作ってきたよ?」
ギリシャ神話には数多くの怪物が登場するが、その中には女神アテナの呪いによって生まれたとされるものが少なくない。
「そ、それは奴らがあまりにも無礼だから……」
たしかにその原因は被害者にもあるだろうが、現代の観点からすると大概が『それはやりすぎだろう?』と言いたくなるものばかりだ。
その罪状を列挙するなら、舌禍の罪を犯した少女を蜘蛛の化け物にしたり、自分の神殿を浮気現場に使われたというだけでカップルの片割れを蛇の魔物にしたり、女神アテナの行った過剰な罰は枚挙にいとまない。
某アニメのせいか良いイメージのあるアテナだが、その本来の性質は潔癖で気難しく、さらに嫉妬深くて執念深い。
ついでにかなり腹黒い正確だ。
トロイの木馬の説話でも、ギリシャ軍の入った木馬をアテナの捧げ物としてトロイの町の中に引き入れた際に、疑いを持ったトロイの住人が木馬を槍で突いたと言う理由で大激怒している……と言うのは建前で、そもそも女神アテナはギリシャに肩入れしていたが、パラディオンと言う偶像がトロイの街にあったために、嫌々守護していたと言う経緯もある。
ようするに、面子が立たないから嫌々味方していた勢力に荒さがしをし、見つけたとたんに意気揚々として敵に寝返ったのであるのだから、やっている事は、古狸の政治屋とまったく同じだ。
酷い神もいたものである。
……仮にも神を名乗るなら、罪人にも対しても己の罪をしっかり反省をさせ、しかる後に良識を持った人物となるよう導くべきだろう。
アテナにまつわる逸話をきくたびに、ミノルは己の短気な行いへの戒めしか感じない。
はっきり言えば、「なにこのいけ好かない女。 正直見ていて痛いんだけど?」といった感じのイメージしかミノルは持っていないのだ。
もつとも、その大きな原因が、女神アテナの契約者であるタマキとの確執であることは誰の目から見ても明らかだったが。
「他の神々と比べてもなぁ…… ドミニオ、ヨシュアの兄さんはどうだった? 弟子のすべてに裏切られたときも、神に死を定められたときも、結局は受け入れてすべてを許したよな」
さらに追い討ちをかけるべく、ミノルは隣で十字架に縛り付けられているドミニオに声をかける。
「ふむ。 お前もようやく我が主の偉大さを理解したか? ……然り。 主は悔い改める者すべてをお許しになる」
いきなり話を振られたドミニオは、前後の会話を理解しないままミノルの問いかけに即答した。
「大切なのは罪に憎しみをもって報いることに非ず。 ……と言うわけで、そろそろこの縄解いてくれんか? この縄えらく傷に染みるんだが。 それどころかドンドン力が抜けてゆくのだが、いったいこの縄は何で出来ている?」
「あぁ、死の神ヤーマの毛髪を培養して出来た繊維で出来たやつだな。 他人のエネルギーを吸い取る呪具を作りたいからといってラメシュワールが作っていた試作品だ。 ちょうどいい実験台が居て助かってる」
「そ、そんな物を人で試すな!」
顔を青くしながら喚くドミニオに、ミノルに意地の悪い笑みをうかべてラメシュワールを振り返ると仕方ないといわんばかりに肩をすくめた。
「そうだな。 そろそろ解いてやってもいいんじゃないか?」
ミノルがラメシュワールに話しを振ると、ラメシュワールは傍らの計測器に視線を移し、首を軽く横に振り、
「ラボのサブタンクのエネルギーが満タンになるまであと少しだから、魔力絞り終わってからにさせてほしいな」
「そうか、じゃあ……まだしばらくそのままでいいか」
「鬼! 悪魔! 黒毛和牛!!」
微妙に人権を無視した発言を放ってドミニオに悲鳴を上げさせた。
そしてミノルは改めてタマキに向き直ると、
「ということだ。 アテナもお前も器が小せぇんだよ。 悔しかったら、その代理人として女神のかけた呪いを解いてまわったらどうだ?」
「あんたももいいかげん器が狭いとおもうんだけど?」
急速に魔力を吸い取られ、悲鳴を上げるドミニオをちらりとみながら、タマキは不機嫌そうな声でミノルに答えを返す。
「ちゃんと許される条件は与えただろ? あぁ、嫉妬に狂った呪いのお子様女神にゃそれすら無理な話だったな。 これはすまないことを言ってしまった」
タマキが十分に傷ついたことを確認してから、ミノルはさらに傷に塩を塗りこむような言葉を選んでわざとらしい笑顔を浮かべる。
「ち、ちがう。 女神アテナは知性と技術を愛する女神であって、人々に科学の恩恵を……」
「その結果、人々は大地を汚し、海に毒を流し、大気を変質させてなお自らの行いを改めないよな? 英知の女神としてそこのところどう思ってるんだ? 言ってみろよ」
「お前こそ、破壊神の化身だろ! 呪いどころか殺略を繰り返す野蛮な神の癖に!」
「それがどうした腹黒女神。 野蛮こそ我が誇り。 雄雄しき殺略こそ我が誉れ。 俺にはお前と違って、みっともなく取り繕うような後ろ暗さは無いね。 恥じ入るべきはどっちだよ?」
タマキの反論をミノルが嘲笑で押しつぶすと、タマキはその視線に耐えかねたようにミノルに背を向け、無言のままその部屋から駆け出した。
「あーらら、ミノ君。 今のは言い過ぎじゃない?」
「……俺は悪くないぞ。 全部真実だ」
横で黙って見ていたシアナが、ころあいと見てミノルのそばに擦り寄ると、ミノルの良心をチクチクと突付いてイジメはじめた。
結局のところ、今の会話は売り言葉に買い言葉と言った感じで、双方神々の代理人としてはあるまじき大人げなさである。
「ほんと、しょうがない人」
こんな子供みたいなところも含めて好きなのだから仕方が無い。
スネた表情が妙に可愛くて、了承も得ぬままシアナはミノルに抱きついた。
「おわっ、なにして……人の尻を撫でるな!」
「何をおっしゃるミノルさん。 召喚者たる私には、ミノ君のお尻をいつでも自由に撫で回す権利が……」
「あるわけ無ぇだろっ!!」
「ミノ兄から離れなさい、この淫婦!」
「おのれ、先輩を汚すその手を切り落されたいですか!」
「お前ら! どさくさに紛れて俺にくっつくな!」
見ていると楽しいか疲れるかのどちらかの感想しか出てこない光景であるが、やっているのは腕利きの魔術師と召喚獣である。
普通の人間ならば、近づくだけで魔力に汚染されて変異を起こしても仕方が無い異常空間が出来上がりつつあった。
巻き込まれないうちに逃げようかな……と横で見ていたミュシャが脱出経路を模索する中、ようやく拷問台から開放されたドミニオが、微妙に空気を読まない能天気な声で二人の会話に割ってはいるる
「なぁ、ミノル。 これ、使い終わったらウチの神殿に譲ってくれないか? 写メ贈ったらうちの大将がえらくお気に入りでな」
「あー ヨシュアの兄貴になら譲ってもいいぞ。 中のデータとかも好きに弄っていいけど、壊しても修理はできんから何か考えないとな」
その発言を助けの船とばかりに、ミノルはまとわりつくシアナを強引に振り払ってドミニオのほうに向き直った。
そしてキャスター付きの椅子にすわったまま、そちらに移動してシアナから逃げようとするが、
「そうだね。 さすがに他所の教えの所有物になったものに手を出すわけにいかないだろうし、ここはこの僕がなんとかしよう」
いつのまにか隣に移動していたラメシュワールにがっちりと背もたれを掴まれる。
「とりあえずミノルはそんな心配よりもシアナ君とちゃんと話しをしたまえ。 ここ数日ほったらかしにしたのだから、それなりの誠意は必要だと思わないかね?」
そのまま椅子を180度回転させて、シアナの方に向けた。
「おわっ? ラメシュワール、お前裏切るつもりか!?」
「僕はむしろ善意のつもりなんだがね」
ラメシュワールは、その表情に乏しい冷ややかな顔に薄く笑みを浮かべると、銀縁のメガネをくいっと押し上げてから、ミノルの乗った椅子をシアナのほうに蹴り飛ばした。
「ちょっ! うちにミノ兄をどうする気よ!」
「そうです! そんな雌猫に先輩を渡すわけには……」
ジャコーン!
目の色を変える二人の周囲に、突然金属製のフェンスが形成される。
おそらく物理的な衝撃と音声を遮断する効果があるのか、中の二人がどれだけ暴れてもささやきほどの音も聞こえない。
犯人は言わずと知れたラメシュワール。
ここまで華麗に物質創造の魔術を操る術者は、この男とミノルぐらいだ。
「じゃあ、すいませけど、コレ借りてゆきますねー」
満面の笑みでミノルの乗った椅子をキャッチすると、シアナはその後ろに回りこみ、椅子を押してミノルを別の部屋へと運ぼうとする。
「ま、まて! 俺にはこの部屋でやるべき事が!」
「1時間ぐらいは帰ってこなくていいから。 安心して絞られてきたまえ」
ラメシュワールは、この男でもこんな表情をする事があるのかといわんばかりの満面の笑みを浮かべ、呪力の檻でアヤモリとアイを拘束したままミノルに手を振った。
「どなどなどーなーどなー」
シアナが上機嫌で童謡を口ずさみながらミノルを部屋の外に運び出す。
「何をする気だ、お前、目が据わって……」
バタンと大きく扉の閉まる音と共に、ミノルの声は聞こえなくなった。
数時間後、顔をツヤツヤにしながらシアナがミノルを引きずって作業場に戻ってきた。
何があったかは知らぬが花である。
「ミノ君。 とりあえず仕事に戻ったらこっちのデータ見てくれる? 結局珊瑚と相性のいい精霊が見つからなくて、神有世界の神々との相性を調べた結果報告なんだけど」
「手間をかけたな……ふむ。 だいたいが予想通りだが、俺のほうのプランもあるから、ポセイドンに縁があって、女性の神格で絞り込んでみてくれ」
研究を再開するミノルの顔は、心なしかゲッソリとしており、頬といい首といい小さなキスマークが所狭しと付けられていた。
当然、周囲の視線はこの上なく冷たい。
「とりあえず結果は出たけど、該当はたったの1件ね」
「ミノ兄、これって……」
シアナのはじき出したデータを覗き込み、アイが恐る恐る振り返る。
「ちょっと、これって私へのあてつけ?」
そこには、いつの間にか戻ってきたタマキが目を吊り上げながら仁王立ちになっていた。
データに引っかかったのはメドゥーサ。
女神アテナの呪いによって醜い怪物にかえられた美女の名前であった。