第九章:ただの船に【黒毛和牛】興味はありません
その日、ミノルたちの元に数人の客が訪れた。
「まーたけったいな事してんなぁ」
その怪しい関西弁と共にやってきたのは、少し前までミノルの下で神官として働いていた犬獣人、アンソニー。
一見して飄々とした性格だが、その腹黒さと残酷さから、その本性を知る者からは悪魔の如く恐れられている腕利きの魔術師である。
濃いこげ茶の髪の髪を潮風に撫でられながら、作業中のミノルたちをぐるりと見回すその目には、隠しようの無い好奇心が見え隠れしている。
だが、そんなアンソニーよりさらにテンションの高い人物が一人。
「こんな楽しい事をしているのなら、もっと早くから声をかけてほしかったものだ」
そんな不満を口にしながら、アンソニーの後ろから顔を出したのは、浅黒い肌と金属質な銀の髪の青年。
その名をラメシュワールと言う。
こう見えても都市の守護神を勤めるほどの召喚獣で、その身にまとう神性はインドの創造神にして工芸神たるトゥラヴィシュトリであり、頭にマッドと付くタイプの魔道研究者である。
その出会いは。どちらかといえば不幸なものだったが、同じ魔道の研究者として意気投合したミノルとラルシュワールは、今では頻繁に威厳を交換し合う友人であった。
もっとも、今回アンソニーはこのラメシュワールの付き添いだけで、本人はすぐに帰る予定だ。
本来ならば、大神官と守護神が二人揃って外に出るなどありえない事態なのだから、顔を出してくれるだけでも感謝すべきではあるのだが。
「久しぶりだな、ラメシュワール。 当代きっての魔道工学の権威が来てくれたからには百人力だ」
笑いながらミノルがその分厚い手を差し出す。
「君が呼ぶなら私はどこにでも駆けつけるよ。 それに、君の案件は非常に私としても興味深い。 手紙を見たときは、おもわず背筋が震えたよ」
銀フレームのメガネを指でくいっと押し上げると、ラメシュワールはいっそ冷ややかと表現したほうがしっくりくる顔に知性的な微笑みを浮かべ、ミノルの手を力強く握り締めた。
ちなみに彼らが挨拶を交わしているのは、人の寄り付かない寂れた海岸に作られた造船所である。
もともと何もない岩場であったこの静かな場所は、ミノルの規格外の魔術によって一夜にして巨大な実験場に姿を変えた。
しかも建物の中は簡易的な神殿化を行っており、おかげでミノルは不自由な牛の姿から解き放たれて、効率よく研究にいそしんでいる。
よほど研究が楽しいのか、手入れを忘れたその顎には黒々とした無精ヒゲが生えて粗野なことこの上ない。
ついでにミノルに構ってもらえないシアナのオーラも黒々として険悪なことこの上なかったりするのだが。
本人は髭面もなかなか気に入っているのだが、シアナが『キスするときに痛いからイヤ』という理由で反対表明を出しているので、形が揃う前に、八つ当たりを金で強制的に剃り落とされるだろう……とは、アヤモリの予測である。
そしてその一角にあるミノルの研究室の、緑に染められたリノリウムの床の上には、ずんぐりした円盤状……というよりも、電気炊飯器のような形をした代物がどっしりと鎮座していた。
よく見ると、なにやら座席が取り付けられているが、少なくともこれが乗り物だと思う者は一人も居ないだろう。
ミノルは、その奇妙なオブジェの前にラメシュワールたちを招き入れると、ソファーとテーブルを持ち込んでお茶と茶菓子を振舞った。
だが、彼らは茶菓子にも飲み物にも手をつけず、興奮した面持ちで奇妙な物体を食い入るように観察すると、おもむろにこう切り出した。
「で、それが例の船か?」
「あぁ、まだ小型の試作型だが、起動実験の手前まではこぎつけている」
そう告げるなり、ミノルは手近にあったスイッチに指を走らせる。
ブゥン……
ほんの数秒の間のみ奇妙な音を立てると、その炊飯器もどきは音もなくゆっくりと地面から浮かび上がり、ミノルの操作にしたがって前後左右に動き始めた。
「信じられないぐらい滑らかな動きだな。 ほぼ無音か。 推進力は何を使っているんだ?」
食い入るようにその動きを目で追いながら、ラメシュワールがミノルにその原理を尋ねる。
ミノルはその逞しい肩をすくめると、
「残念ながら正体は不明だ。 先日、ミスリルの同位元素体に電圧を流したときに、一定方向に流れる力場が生まれる現象を確認したんで、実験的に推進力と使用している。 正体はイオン化したミスリル原子の奔流だと思うんだが、詳しい調査にはまだ時間がかりそうだ。 確定ではないが、この力場が慣性の法則を無視しているらしきデータも出ている。 ……面白そうだろ。 動物実験も今のところ異常が確認されていないし、人体にも影響はなさそうだからこのまま正式に動力として使用しようかと思ってる」
机の引き出しから、わかっているだけのデータを纏めた紙束を取り出し、ラメシュワールに差し出した。
「使えればそれでよいか。 まるで技術者の意見だな。 君には研究者としてのプライドがないのかね?」
その冷ややかな台詞とは裏腹に、ラメシュワールの声は興奮で完全に上ずっている。
そして文句をつけながらも、レポートをめくる指はせわしなく働いていた。
一文字たりとも読み飛ばそうとしないその目はまるで麻薬中毒患者。
口からハァハァと荒い吐息が聞こえないのが不思議なぐらいだ。
「悪いが、面白そうなことが目白押しでな。 そこまで手が回らねぇんだよ」
実験機を定位置に戻すと、ミノルは苦笑を噛み殺してスイッチを切った。
同時に、手近な机の引き出しから、昨日から今日にかけて得られたデータの山を取り出すと、ラメシュワールはそれをひったくるようにして検分を始める。
「おーい、ラメちゃん。 聞こえとるかー?」
もはや完全に一人の世界に入ったのか、横でアンソニーが声をかけてもまるで聞こえて無いようだ。
瞬きすらせずに紙面を読むこと1時間。
彼が現実世界に戻ってきて最初に呟いたのは、
「ふむ。 あれが慣性制御フィールド発生装置か。 頼む、一度中を見せてくれないか? いや、ここまできて見せないなどという事は言うまいな?」
やけにドスの聞いた"お願い"だった。
ついでにミノルの許可も得ずに実験機の周囲に設置された、4本の奇妙なアンテナを物欲しげな視線で撫で回し、時折小さく真言を呟いてはその中身を探査する。
そのエサを見つけた狂犬のような有様に苦笑しながら、ミノルは快く許可を出した。
「もちろんだ。 たぶん構造にもまだ無駄が多いだろうから、何か気付いたことがあれば遠慮なく聞かせてほしい。 これがマニュアルだ。 基本はニコラ=テスラの実験装置と同じだが、動力源を魔術ベースのものにアレンジしてある」
ニコラ・テスラは第二次世界大戦のさなかに活躍した天才的な電子工学博士の名である。
空間を捻じ曲げる実験の結果、「フィラデルフィア実験」と呼ばれる事件を引き起こし、不遇にも闇に葬られたと噂される人物だ。
ミノルがまるで電話帳のような冊子を手渡すと、ラメシュワールはその上に手をおいて中のデータを分析魔術で読み取る。
「一言いわせて貰おう」
そう前置きをいれると、
「さすがミノルだ。 狂ってる。 ……いや褒めているんだぞ。 こんな研究、普通なら10年単位の計画で開発しても成果が出るかどうか怪しいものだ。 やはり君は世界最高の抽象魔道理学者の名にふさわしいよ」
すべてのデータを頭の中で解析し、ラメシュワールは感動に震える声でそう評価を下した。
抽象魔道理学とは、ちょうど物理学の魔法版といった感じの学問で、並外れた感性を必要とするため、若年層で才能を開花させるものが多い。
その分野において、ミノルは他の追随を許さぬほどの成果を上げているのだが、同時にその理論が突飛過ぎて実証不可能なものばかりであることも有名だ。
「や、やめてくれラメシュワール。 背筋が痒い」
過大な評価にむずがゆそうに顔をしかめながらも、ミノルの顔には笑顔が浮かんでいた。
やはり同じ道を歩く同士に認められるというものは、たまらなく嬉しいものらしい。
ましてや、同じレベルで語り合える人物もほとんどいないため、ミノルにとってその言葉はこの上もない賛辞であった。
だが、
「ねぇ、黒毛和牛。 やっぱり、あの飛空挺のデザインかっこよくないわ。 戦闘機みたいな形にリフォームしない?」
そこに水を差すような台詞が割ってはいる。
「やかましい、このミリタリーオタクが。 今の理論だとあの形がいちばん安定するんだよ。 それにお前の目的は観察だろ!? こっちの作業に口を出すな!!」
後ろから物欲しげに口を挟むタマキに、ミノルは青筋を立てて怒鳴り散らした。
「ミノル、ここの回路なんだが……エネルギーの伝達は共振魔術より接触型感染魔術をベースにしないと、余計な部分で共鳴を起こして故障や誤作動の原因になるぞ?」
だが、ミノルがタマキを追い払うよりも早く、ラメシュワールから鋭い指摘が飛んでくる。
「うぐっ!? だが、接触型感染魔術では情報の伝達速度が……」
接触型感染魔術とは、『一度接触した物質は、距離が離れてもお互いに影響しあう』という理論であり、呪いの儀式に爪や髪の毛を使うのと同じ考え方だ。
とうぜんその開発者であるミノルも、その課題については気付いていたが、糸を媒介にした魔術では糸同士の接触を避けるために内部の構造が複雑になりすぎて、メンテナンスのたびに糸をひっかけ大修理に発展。
次に試みた水を媒介にした方法では、一つの信号が装置全体に及んでしまい、情報のオンとオフの制御に失敗して制御不能になった挙句、機体がネジを撒き散らしながらミノルに衝突。
タンコブを作ったミノルは、こんどはチェーンを周回させて、その構成パーツに情報をインプリントして制御しようとしたのだが、そのやり方ではあまりにも伝達速度が遅すぎて、結果は試作機に死にかけた蝿のようなダンスを躍らせるのが限界だった。
ちなみにその日、いじけたミノルは晩御飯も食べずに不貞寝をして、シアナにこっぴどく叱られている。
「君とあろうものが何を迷っている。 媒体を流動体ではなく、光粒子にでもすれば解決する話しではないか」
やれやれといわんばかりに肩をすくめて、ラメシュワールがその解決策を提示する。
「其の手があったか!?」
頭の中で電球が光ったような感覚を覚えながら、ミノルがポンとその手を打つ。
「収束したコヒーレント光と、効率の良い反射体を用意すれば……」
ラメシュワールがその原理について深く考察しようとしたとき、またもやタマキが後ろから口を出した。
「ねぇ、それだったら電流媒体でもよくない? 電線を使用すれば直線じゃなくてもいいぶんスペース的にも色々と余裕が出るし、黒毛和牛の術性ならば光より電気のほうが相性いいわよ?」
「おお、そういえばそうだね」
ラメシュワールがポンと手を売って同意を示すが、
「おまえは口を出すなって言ってるだろ!?」
額に青筋を立てると、ミノルはタマキの襟を掴んで、子猫のように持ち上げる。
「まぁ、そう怪訝に扱うこともあるまい。 それに彼女の意見は間違ってないぞ」
大人気ないミノルの態度に苦笑いを浮かべながら、ラメシュワールは冷静になるようにミノルに呼びかけた。
「ラメシュワール、言っておくが、こいつは敵だぞ」
あんたはこいつの本性を知らないからそんな事がいえるんだ……と、タマキに指を突き詰めながら、ミノルがツバを飛ばして反論する。
「青いな、ミノル」
だが、ラメシュワールはタマキの視線でその真意を感じ取り、ニヤリと笑ってミノルをからかった。