第六章:お約束って【黒毛和牛】あまりおいしくないと思うんだ
……見つけた。
遥か上空に転移を果たしたドミニオは、深い森の木々の隙間から、不信な人物がうごめく姿を見つけてニヤリと笑った。
この守護神たるドミニオの血を熱く滾らせる強者ならばよし。
雑魚ならば軽く追い払うまで。
……たぶん雑魚だろうけどな。
ドミニオの目の前にいるのは、金属の鎧を身に着けた騎士らしき男達。
銀色に輝く鎧のあちこちには、太陽を形どった金細工の装飾が入っている。
無駄にキラキラした走行には傷一つ無く、男たちがほとんど実戦を経験していない事は一目瞭然だった。
なんだってこんな箱入りの騎士モドキがこんなところへ?
いずれにせよ、わざわざ人の意識を反らすような結界まで張ってあるのに、わざわざそれを無視するような輩だ。 ロクな奴ではあるまい。
いまり期待できない胸のうちを抱えたまま、ドミニオはその背に生えた鷲の翼を畳んで、音も無く地上に舞い降りた。
「何用かは知らぬが、ここは禁足地だ。 お引取り願おう」
地面に足をつけたドミニオが後ろから声をかけると、その侵入者達は驚いて文字通り腰を抜かす。
うわ、やっぱり雑魚だ。
「な、何ヤツ!?」
返ってきた台詞もオリジナリティーがないばかりか、声が裏返って甲高く耳障りだった。
こいつらの相手をするのもめんどうだな。
ミノルに押し付けてこのまま帰ろうか?
目の前の男たちの情けなさに、思わず役目を放棄したくなる。
いやいや、そんなことをすれば後で何を言われたものじゃない。
なにより、自称兄貴分として、たまには弟分の露払いもしてやらねばなるまいて。
……果てしなく面倒だけど。
「この先への立ち入りはご遠慮願おう。 そもそも"何奴"とはこちらの台詞ではないかね? ここには人払いの結界が張られているのだが。 それでもここにこなければならなかった理由があると言うならば、その理由をお尋ねしたい」
あくまでも紳士的な態度をとりながら、ドミニオは男達の来訪の意を尋ねた。
「我々はイオン王国騎士団である。 この地を治める王の命で、この森にいるであろう魔術師を探しに参った。 貴様が件の魔術師か?」
紳士的なドミニオとは対照的に、男達は虚勢を張り上げて高圧的な態度を取る。
……弱い犬と同じだな。
心の中で呟くも、いくら取るに足らない小物とはいえ放っておくわけにもいかない。
「私がその魔術師であるなら何とされる?」
さらに面倒なことになりそうな予感を感じながら、ドミニオは丁寧な口調で男達にそう答えた。
「我らが女王ラメディア様と、この国の守護神であるアポロン様が、力ある魔術師をお望みである。 我らについてまいれ」
「この国の守護神……か」
男達の人を見下した台詞にもうんざりだったが、この国の……のくだりで、ドミニオは思わず苦笑をもらしてしまった。
「き、貴様何がおかしい!!」
「いや、失礼。 たかが元々この地を治めていた王族を追い払った程度ですっかり自国の領土を気取る貴殿たちがおかしくてな」
そもそもこのカルデッサ王国は、つい2月ほどまでアポロンを信奉するイオン王国の勢力下ではなく、水神オケアノスの守護下にあった場所だ。
民の心も未だオケアノスとカルデッサ王家にあり、それをアポロンが支配しているなど……同じ守護神であるドミニオからしてみれば頭の可哀想な戯言にしか聞こえない。
ましてや、このあたりは大型の肉食恐竜に似た生き物が多数生息しているために住む者もおらず、アポロンを信奉する民など望みようも無い。
その妹神である月と狩りの女神アルテミスならいざしらず、森の神でもないアポロンが支配を主張するなど、何か悪いものを食べたのかと思うほど思われても仕方が無い妄言だ。
大方、先の戦いで有能な魔術師が何人も倒れてしまったので、人員の補充をしている所なのだろう。
神官と違い、魔術師たちの中には国や世俗というものを嫌ってこのような人の通わぬ場所で生活をするものが少なくない。
おおよそ彼らは、ミノルの結界から漏れた魔力を元に、この場所にそんな魔術師が住み着いたのだと思ったのだろう。
それが厭世の魔術師ではなくカルデッサの残党ならば、そのまま捕縛してしまえばよい……そう考えたに違いない。
だが、こちらとしては実に迷惑な話しだ。
ましてや、派遣されたのがこんなザコでは遊び相手にもならない。
「よいか、もう一度しか言わぬから良く聞け。 我らが主アポロンさまは、有能な術者を求めておられる。 忠誠を誓うならばよし。 従わぬなら……」
「寝言は寝てから言うがいい」
男達に皆まで言わせず、ドミニオは毅然とした口調ではっきりと拒絶の意志を示した。
こちらも、これ以上この茶番に付き合うほど暇ではないのだ。
「き、貴様!」
「まぁ、いい。 我らの申し出を断ると言うなら、切り捨てるまで!!」
男達がカチャリと音を立ててその武器を抜いた。
剣ではない。
それは繊細な装飾を施されたメイスだった。
……儀杖兵か。
それは戦意を盛りたてる式典を取り仕切る役人であり、同時に最前線で魔術を振るう魔法戦士のことである。
刃物を持たぬと侮る無かれ。
その魔力を帯びた一撃は岩をも容易く粉砕し、守りの魔術は生半可な刃を逆にへし折る。
なるほど、これだけの技術があるなら実戦経験がなくても自信があるわけだ。
だが……それは人間が相手の話。
「申し出か。 ものは言いようだな。 頭の悪いお前らに教えてやるが、これは強制というのだ。 手っ取り早くはあるものの、後々禍根を残す頭の悪いやり方だ。 交渉のやり方としてはせいぜい100点中10点ももらえればいいほどだろう。 わかったか? 一つ賢くなったな。 では、その賢くなったことを神の御前に報告しにゆくがよい!」
流れるような口上とともに嘲笑いながら、ドミニオはその背中に背負った剣を抜く。
「なっ、貴様……たたが在野の魔術師風情が我らを侮辱するか! 死ね! この道化が!! 変なマスクなんぞつけおって!!」
激昂した騎士が、大きく剣を振りかぶる。
ダメだな。
よりによってこの男達はルチャドールの魂たるマスクを侮辱した。
100回殺してもその罪は贖いきれぬと知れ!
ドミニオがその気配を変え、本来の力をわずかに解放した瞬間、男たちの顔が一気に青ざめた。
「しょ、召喚獣!?」
ようやく男たちは、目の前の相手が魔術師どころか神の眷属である事に気が付いた。
愚かな。 今頃気付いても遅いというのに。
……謝罪の言葉は、せめて地獄の悪鬼にでも告げるがよかろう。
ドミニオはゆっくりとその剣に神気を集め、万物に死を与えるその力、火星の魔力と共に刃を振り下ろし―
ぽーん
ドミニオが男の体を真っ二つにする前に、どこからともなく黒い布の塊が放り出された。
「な、なんだ?」
意外な成り行きに、ドミニオは剣を振るのをやめ、慌てて距離をとる。
騎士風の男達もまた驚いて動きを止めたが、なぜか彼らはそのまま口を開いて呆然と立ち尽くした。
その手から次々に、力なく武器や盾が落ちる。
「い、いったいなにが?」
唖然とするドミニオだったが、その背後から流れてくる、クスクスと聞きなれない少女の声に思わず振り返る。
「こんにちわ、派手なお兄さん」
ドミニオが見守る中、森の中から悠然と現れたのは、長い髪を左右に分け、二本の尻尾のように束ねた少女。
「ほぅ? これは愛らしいお嬢さんだ。 私はドミニオ。 お名前を窺ってもよろしいかな?」
ドミニオが膝を折って恭しく挨拶をすると、
「ミノルの妹でアイです。 お噂は兄からかねがね」
そう言って、ごく自然に右手を差し出すと、ドミニオはその手を恭しく手にとって、手の甲に軽くキスを落とした。
「ま。 握手のつもりだったのに、欧米の方ってほんとうにそういう挨拶するんですね」
唇に触れる長い毛のような感触にドミニオが目を見開くと、そこには白魚のようになめらかな手ではなく、剛毛が密集する獣の腕があった。
「なっ……」
おもわず固まったドミニオから手を引くと、アイはクスリと笑って、
「幻術です。 ごめんなさいね。 本当に兄と雰囲気が似ていたからちょっとからかいたくなっちゃった」
無邪気な微笑みとともにそう告げると、アイは地面に落ちた黒い布の塊――黒い牛の人形を拾い上げ、
「はい、ものすごーく凶暴な犯罪者だから、ちゃんと逃げないように気をつけてね?」
クスクスと笑いをこらえながら、そのヌイグルミを騎士風の男に差し出す。
「ふんっ! 最初から大人しく言うことを聞けば痛い目にあわずに済んだものを」
「よし、このまま引きずって隊長に報告だ」
男達は口々に罵り、その人形を荒縄で縛り上げ、乱暴に引きずりながら意気揚々と帰っていった。
「あいつら、人形引きずって、何を嬉しそうにしているんだ?」
その様子を呆然と見送りながら、ドミニオがぽつりと漏らす。
「本人はちゃんと仕事をしているつもりなのよー もしかして幻術を見るのは初めてなのかな?」
振り返ると、ミノルとシアナがいつのまにかそこに立っていた。
「人の意識に隙間を作り出し、そこに都合のいい情報を真実として刷り込み、一瞬で現実と虚飾を入れ替える……さすがは果心流幻惑術といったところか。 久しぶりに見たが相変わらず見事だな。 22代目果心居士を名乗る日も近いんじゃないのか?」
ミノルが腕を組んだまま、その手際を賞賛する。
「やだ、ミノ兄。 悔しいけど、その名を名乗るにはまだまだ腕が足りないわ」
アイがまんざらでもないといった顔で頬にかかる髪の毛をかき上げる。
「挨拶はいいんだけど、とりあえず邪魔がはいりそうだから場所を移さない? 私も知り合いと合流する予定だし」
そのまま談笑に入りそうな気配を失して、シアナが兄妹の会話に口を挟む。
「そうね。 あいつらが自分の本拠地に戻ったのはいいんだけど、そのあとであいつらの仲間がくるかもしれないし」
やや不満げではあるものの、アイもまたその意見に賛同を示した。
別に来たところで蚊を殺すより容易く始末できるのだが、なにかと煩いのは避けたいのである。
「で、どこへ行くつもりだ?」
腕を組んだままドミニオがそう尋ねると、
「街へ。 そこで後輩と待ち合わせの約束を取り付けたから……あ、ミノ君もよく知っている子よ?」
ミノルに視線を移しながら、シアナは邪気の無い顔で笑った。
そしていきなり指をパチリと鳴らすと、周囲に張っておいた結界を消しさる。
「う、うわっ!? いきなり結界をとくな!!」
ミドルが焦るのも無理は無い。
なにせ、本来は牛の姿で召喚されているところを、結界の力で無理やり人型を取っているのだ。
いまさら結界を張りなおす暇も無く、ミノルの体が変異を始める。
……ビリッ
膨張する体によって身に着けていた服が音を立てて引き裂かれ、前のめりに倒れるように四つんばいになると、みるみる胴体が長く伸びはじめる。
全身にふさふさとした黒い獣毛が生えそろい、その額からは三日月形の巨大な二本の角が延び、その姿は見間違いようも無く黒毛和牛。
裸を見られるのが嫌なのか、蹄のついた足で器用に股間を隠しながらミノルがジリジリと後退ると、シアナはその角をつかんでニッコリと笑った。
「と言うわけで、ミノ牛君移動よろしく」
荷物の中から、ミノル(黒牛形態)専用のニットパンツとニットシャツを取り出すと、シアナはそれをミノルに放り投げてから、傍らにたたずむ馬車の荷台を指で示す。
「なんで俺が馬車馬の代わりなんだよ!!」
不満げに声を荒げるミノルだが、シアナとアイは二人そろって「だって、ねぇ?」と頷きあいながら、ミノルの質問に答えることなく荷台に乗りこんだ。
「諦めろ。 もはやこれは世界の摂理だ」
ミノルの尻をぽんぽんと軽く平手でたたくと、ドミニオもまた御者台に乗り込み、頑丈なロープと轡を投げてよこした。
「そんな摂理、大嫌いだ!!」
天を仰いで叫ぶミノルだが、結局周囲の無言の圧力に耐えかねると、自らその轡を銜えて馬車を引っ張り始める。
げに恐ろしきは、悪魔の原理『お約束力』。
「ちくしょう、誰だ俺をこんなキャラにしたやつは!?」
ミノルの問いに答える者は誰もいなかった。