第三章:バカップルも【黒毛和牛】大概にしろ
「あぁ、そうだ。 これも用意していたんだった」
ズリズリと体を引きずって別の袋のところまで這い寄ると、ミノルはその中から掌に収まるほどの箱を取り出してドミニオに投げた。
「なんでこれは?」
どうやら液体の入った瓶でも入っているらしく、微妙に重心の不安定なその包みを眺めながら、ドミニオば疑問の声を上げる。
「それ、ララエルさんがいつも使ってる香水よ? たぶん知らないと思うけど、それ、ミノ君の作ったやつだから」
疑問に答えたのは、なぜかミノルではなくシアナだった。
「そ、そうなのか?」
無骨な人間にありがちなことだが、ドミニオもまた女性のおしゃれと言うものにはひどく疎い男である。
微妙に困ったような顔で箱の表示を眺めてみるものの、まったく見覚えが無い。
今まで自分のパートナーに贈り物をした事が無いのかといいたいところだが、おそらくは自分の価値観の中で考えたかなり残念なものしか贈った事が無いのだろう。
女というものはこういうものを欲しがるのか? と、その唇から小さく漏れた台詞に、シアナは軽くめまいを覚えた。
「高いのよー それ。 なにせ、ただでさえ少量しか作らないのに、ちょっとでも材料の質が悪いと、その年は絶対に作らないの。 どうせララエルさんほったらかしでここに来ているんでしょ? 手ぶらで帰ったらぶっ飛ばされるわよ」
「うっ……たしかに何か持って帰らないと、確実に腹上死だな。 さすがにまだ腎虚にもなりたくないし……恩に着るぞ」
唯一神の配下らしからぬ生々しい台詞とともに、ドミニオはその箱を大事そうに仕舞いこんだ。
元々、薬物の取り扱いに長けた牛島の家系だが、ミノルの代になった飛びぬけて発達したのが香粧品関連の分野である。
何の事は無い。 シアナの機嫌をとるためにミノルが力を入れて開発したのが原因だが、薬物に関しては希代の才能をもつミノルの仕事である……作り出された化粧品はずば抜けた品質と芸術性を誇り、藍の手によって強引に一部の作品が商品化されると瞬く間に広く神々の知るところとなった。
今では全世界の神々の6割が、男女問わず牛島家の作った化粧品を愛用していると言われている。
もっとも、そんな彼の家には両親と言う名のおそろしい貧乏神がとりついているため、本人が金のなる木であるにもかかわらず生活は一向に改善の兆しが見えない。
「さてと。 そろそろいいでしょ? 今日の特訓はこれでおしまーい。 ミノ君。 せっかく海に来てるんだから、遊ぼ。 ね?」
シアナはミノルの腕を取り、強引に海へ引きずりはじめた。
「お、おい……海になんか入ったら傷にしみるだろ!?」
波打ち際に足をつけながら、ミノルは困ったように顔をしかめる。
「傷がしみるくらい何よー そんなの魔術でパパっと直せばいいじゃない!」
その傷だらけの肩を平手でペシペシとたたいて、痛がるミノルを見てシアナは意地悪く微笑んだ。
「魔術はそんな気軽に使っていいものじゃないっ!! それにこれは、そう、男の勲章だ。 しばらくこのままにしておく!」
くだらない言い訳を口にしているうちに、自分でそのフレーズが気に入ってしまったらしく、ミノルはウンウンと目を閉じて満足げに頷く。
「何が男の勲章よ。 負け犬の噛まれた痕でしょ!!」
シアナはミノルの額にデコピンをかまそうとしたが、60センチ以上の身長差はいかんともしがたく、諦めてその分厚い胸板を爪で弾いた。
その光景をまぶしそうに眺めながら、ドミニオが微笑ましいなーと笑う。
「て、テメェ! 人のトラウマを弄るな!! くそっ、こうしてやるっ!!」
しゃがむのも面倒なので、ミノルは足でシアナな海水をかけようとするが……
べしゃっ。 力あまって砂まで蹴り飛ばしてしまう。
おそるおそる様子を見ると、シアナの顔にべったりと砂の塊が張り付いていた。
その顔についた泥のようなものに指を触れ、シアナはゆっくりと俯いて、その肩を震わせる。
「ひ、ひどいぃぃぃぃ ミノ君が苛めるうぅぅぅぅ」
そしてそのまま両手で顔を覆い隠すようにしてグズグズと鼻を鳴らし始めた。
「う、うわっ!? 今のは俺が悪かった! 謝るから泣くな! おいっ! 人の話を聞け!!」
泣く子と地頭には勝てないとは誰の言った言葉か知らないが、地頭を瞬殺出来ても泣く子には勝てない男……それがミノルである。
大きな体を丸めて必死になだめようとするが、ここぞとばかりシアナはミノルへの愚痴をぶちまけ始めた。
「ミノ君ってば、せっかくの休みなのに自分の事ばっかりでぜんぜん構ってくれないし、一人で遊んでも楽しくないし、ミノ君、きっとわたしのことなんてどうでもいいんだぁぁぁぁぁっ!!」
しごくもっともな意見だが、それならそうだと早く言えというのが男の本音である。
そして言っても聞かないのが、男というどうしようもない生き物の特性でもあるのだが。
「ど、どうでも良くないっ! たしかにほったらかしは悪かった。 今日はずっとお前に付き合うから! な! な!?」
膝を砂について、頭の高さをシアナよりも低くすると、ミノルはシアナを見上げるようにして、その顔色を窺う。
「今日だけじゃダメ。 せめて一週間は構ってくれなきゃ許さないから!」
「うっ……うぐっ。 わかった。 特訓はもうやめるから、とりあえず機嫌直せ」
ミノルもまた俯いて、搾り出すようにそう呟くと、
「……なーんてね」
シアナは突然ミノルを仰向けに蹴り飛ばした。
「う、うわっ!?」
たまらずで波打ち際にしりもちをつくミノル。
「私はそんなウザい女になれるほど我慢強く無いの。 あんまりほっとくと逃げちゃうよ? あたしのこと、本当に大事に思っているなら、言われなくてもちゃんと見ててよね」
腰に手を当ててそう言い切ると、
「……ばーか」
ニヤリと笑うと、シアナはキツネにつままれたような顔をしたミノルの顔に手ですくった水をビシャリと浴びせた。
次の瞬間、ミノルの顔が真っ赤に染まり、肌にまとわり付く水滴が一種にして煙に変わる。
「て、てめぇっ! このっ!!」
盛大に水しぶきを撒き散らしながら、ミノルは浅い水底から立ち上がり、その太い手を伸ばしてシアナに掴みかかろうとする。
その手をスルリと潜り抜けると、シアナはクルリと向き直り、
「やーい、黒毛和牛。 ここまでおいでーだ」
べーっと舌を出してからかい、シアナは波を掻き分けてキャアキャアわめきながら海岸線を逃げ回りはじめた。
傍から見ていると、なにこの馬鹿ップル。 死ぬの? 爆発するの? と言いたくなるような光景だが、シアナが遊びで逃げているにもかかわらずミノル一人が本気で追いかけている分、ある意味で救いようが無い。
「ゴルァ! やっと捕まえたぞ、ちょろちょろと逃げやがって!!」
やがて体力の無いシアナがへたばりこむと、ミノルはシアナの腕を掴み、その上に覆いかぶさるようにして地面に押し倒した。
その拍子に、水着の肩ヒモが解けてその白い肩にしたに胸元がチラリと覗く。
僅かな沈黙が二人の上に訪れる。
ハァ……ハァ……
走っていたせいもあり、お互いの息が荒い。
胸にかかるシアナの小さな吐息が、甘い痺れを伴ってミノルの獣性をくすぐった。
肌が泡立ち、腰骨の辺りからざわめくような感触が背中を突き抜ける。
『つり橋効果』というものをご存知だろうか?
恐怖による心臓の鼓動の早まりを、恋愛感情と勘違いしてしまう現象であるのだが、追いかけっこの興奮もまたドキドキには違いない。
その感覚は、15の少年にとってあまりにも刺激的過ぎた。
「いやっ……だめ、ミノ君。 恥ずかしいから見ないで」
慌てて隠そうとするが、その仕草の艶かしさにミノルの理性が焼ききれそうになる。
「な、な、な、何がダメだ、言ってみろ! 据え膳喰わねばッて言葉しってるか、コンチクショウ!」
だめだ、だめだ、だめだ!
心の中で必死にそんな言葉を叫びながらも、ミノルの手がシアナの水着の下の部分に伸びる。
だが、
「だって……パットがズレちゃったんだもん」
その胸を覆う小さな布地からは、少なくとも10枚以上の丸い詰め物がはみ出していた。
「……」
それを見瞬間、ミノルの中で何かが崩れる。
同時に、その下半身で水着からはみ出んばかりに堅く熱く滾っていたものが、一撃で見事に鎮火した。
「な、なによー! そんなにおっきな胸がいいのか! このおっぱい星人がぁっ!!」
「痛い! 痛い! 痛い! 許せ、シアナ! これは男の本能であってだな!」
たちまち今度はミノルがシアナかに逃げ惑う羽目になり、それを見ていたドミニオは笑いすぎて呼吸困難を引き起こしていた。
「うるさーーーーい!!」
怒鳴りながら砂を投げたシアナだったが、急にフラフラとめまいを起こして座りこむ。
「シ、シアナ?」
慌てて駆け寄ったミノルが、シアナの体を抱え上げる。
「まさか熱中症か!?」
水も飲まずに炎天下の浜辺を駆けずり回ったのだから、こうなっても無理は無い。
ミノルは力なく暴れるシアナを急いで木陰に運び込み、クーラーボックスから冷たいペットボトルを取り出して飲ませようとする……が。
「口……移し」
荒く息を吐きながら、シアナは飲み物を指差して息も絶え絶えにそんなことを要求する。
なかなか良い根性だ。
「だとさ、ミノル。 ここは男の見せ所だぞ!」
いつの間にかニヤニヤと笑いながらこちらをジッと見ているドミニオに、
「こっ、こっち見んなぁっ!!」
「うぐはぁぁぁぁぁっ!」
容赦なく目潰しをお見舞いすると、
「こっ、これは人命救助だ! これは人命救助なんだ!!」
理論武装と言う名の呪文を唱えてから、ミノルはその口に飲み物を含んだ。
「ふと思ったが、なんで口移しなんだ?」
飲み物の冷たさに、ミノルがふと我に返る。
そして、おもむろにシアナの小さな鼻を指でつまむと、
「ひぎゃっ!」
思わず口をあけたシアナの口に、その飲み物を流し込んだ。
「けほっ……けぷっ……ミノ君のイジワル」
少し気管にはいったのか、シアナがむせながら涙目でミノルを睨みつける。
「……ったく。 しょうがねぇな」
そう言うなり、ミノルは全身に強大な漆黒のオーラを纏い、おもむろに右足を後ろに振り上げ……
「せいっ!!」
目潰しの痛みで地面をのた打ち回っているドミニオを、筋力増強の魔術をかけた上で、全力をもって彼方へと蹴り飛ばした。
「知ってるか? 人の恋路を覗き見するヤツぁ、牛に蹴られてあの世行きだ」
言うまでも無いが、そんな言葉あるはずもない。
どすっ……ばすっ……2度ほどバウンドし、砂浜の上で完全にドミニオが動かなくなったのを確認すると、ミノルはふんっと鼻を鳴らした。
普通の人間なら内臓破裂で即死だが、ドミニオならばせいぜい5分も意識を刈り取れれば御の字と言うところだろう。
ミノルは、呆然としているシアナに急いで向き直り、
「飲み物がほしいんだろ? 飲ませてやるから……その……目を閉じろ」
真っ赤な顔をしながら、歯でキャップをこじ開けると、その冷たい飲み物を口に含んだ。
「うん。 優しくしてね?」
そっと微笑むと、シアナは瞳を閉じるて、その小さな唇を突き出した。
ドキドキと暴れだしそうな心臓の痛みをこらえながら、ミノルはそっとその唇を近づけた……
ピリリリリ ピリリリ
唇が触れる寸前に、いきなりミノルの手元で携帯電話が鳴り響く。
どこにいても連絡が取れるように異世界仕様にした電話だが、こうもタイミングよく邪魔をされると正直粉々に砕きたくなる。
ミノルとシアナは、どちらともなく白けきった表情で目を開くと、溜息をついて体を離した。
「もしもし、叔父貴か? どうしたんだよ、急に……」
電話の主は、ミノルが叔父と慕う海神ポセイドンのようだった。
なにもこんな時にかけてこなくてもいいだろう? と、不満タラタラなミノルだったが、そんな様子に海神が気付くはずもなく、怒涛のように不満をぶちまける。
ちなみにシアナは隣で砂を蹴り飛ばし、やり場の無い怒りをぶちまけていた。
かつてギリシャがまだ神話の時代だった頃、海神ポセイドンは自らの支配する陸地を求めて他の神々と争ったことがある。
特に有名なのは女神アテナとアテネポリスの支配をかけて争った逸話であり、その時ポセイドンは飲むことも出来ない塩の泉をアテネ市民に贈ってしまった。
そのためオリーブの樹を贈った女神アテナに惜敗し、腹いせにアテネの町を水浸しにした過去がある。
そのほかにも、デメテルやアポロン、主神であるゼウスなどとも同じように領土争いを繰り広げており、そのたびにポセイドンの望みは無残に打ち砕かれていた。
そのため、かの神の陸地への執着は、それはそれは根深いのだ。
仕方が無いな……ミノルは心の中で苦笑した。
かの神にはオリハルコンの製造方法で世話になったばかりでもある。
それ以上に、なにかと不遇な役回りの多いポセイドンの喜ぶ顔が見てみたい。
「任せろ叔父貴。 俺があんたのために最高の国を作ってやる!」
ミノルは、自分の楽しみを邪魔されたことを忘れ、力強く頷き……
次の瞬間、シアナに思いっきり足を踏まれた。
「この、馬鹿牛!」
「ぐはぁぁぁぁぁっ!?」