第二章:数少ない友人は【黒毛和牛】変態でした
「ぶはははは! いいザマだな、ミノル」
少女の振り回す消毒剤を避けようと逃げ惑う青年の横で、ミノルと呼ばれた青年よりもさらに体格のよい金髪の青年が、その分厚い鎧のような筋肉に覆われた腹をかかえて笑い出た。
一言で言うと、この金髪の青年……変人である。
その顔には常人なら身に着けるのをためらうような真っ赤なマスク。
何か薬物でも使っているとしか思えない無いほどゴツい体を覆うのは、露出度の高いビキニパンツ一枚という暴挙。
彼もまた、シアナやミノルとは別の意味で目のやり場に困る存在だ。
ミノルとふたり並ぶと、閑静なビーチが一気に暑苦しくなる。
ちなみにお得感は無い。
「う、うるさいドミニオ!! お前のやった事だろうが!!」
「そーよ、ドミニオさん。 ウチのミノ君の顔がこれ以上怖くなったらどうするのよ!!」
二人から恨めしげな視線を送られた金髪の青年は、その傷一つ無い顔にニヤリとした笑みを浮かべ、
「それを言うならお前の望んだ事だろう? ミノル」
腰に手を当ててふんぞり返る。
「……」
実際にそうなのだから、文句も言えない。
「にしても、まさかこの短期間でこれほど実力をつけるとはこの私もあいた口がふさがらんぞ」
褒めているのかけなしているのかわからないドミニオのコメントに、稔は眉間の皺をぎゅっと寄せた。
「そこ、単語の使い方が微妙に間違ってるぞ!」
さきほどまでミノルがズタボロになって倒れていたのは他でもない。
この青年にコテンパンにされたからだ。
「それに訓練を押し売りしてきたのはお前だろ!!」
つい1月ほど前、ミノルはこのドミニオと名乗る青年と、格闘技のみで戦ったのだが、試合には勝利したものの内容は完膚なきまでの敗北。
都市の守護神を退官する事で時間が出来た事をいいことに、自らを省みてふがいなさを認識した結果、南の海でバカンスを楽しむはずだった予定を途中で変更し、美しい砂浜で地獄の特訓を開始したのが3週間前。
ちなみに、一人ほっとかれる事になったシアナの機嫌が、一気に奈落の底まで急降下したのは言うまでも無い。
そんな最中、突然フラリと現れたドミニオが、「強くなりたいなら鍛えてやろう」とミノルに申し出たのが2週間前。
倒すべき目標にそんなことを言われ、「誰が貴様の手を借りるものか!」と当然の如く突っぱねたミノルだが、「強くなるチャンスがそこにあるというのに、あえて手段を選ぶというなら……お前は一生この私には勝てないだろうな」と煽られて、売り文句に買い文句。
そのまま昼夜を問わぬ、組み手オンリーの二週間に突入したのである。
ついでに都市の守護神であるドミニオがそんな暇な訳も無く、ミノルに構いたくて仕方が無いから仕事をサボって遊びに来ている事は明白だった。
「それにだ、そこは普通"感心したぞ"とか、"奇跡をみるようだ"とか、もっと嬉しくなるような言葉を使う場面じゃないのか? 言葉の表現方法が間違ってるぞ」
どうせならもっと手放しで褒めろといわんばかりに不満を口にするミノルだが、
「別に言葉の使い方はいいけどさ……それ以前にミノ君、まだ一度もドミニオさんに勝てないよね」
「ぐ、ぐおぉっ!?」
直後に放たれたシアナの台詞がプライドを木っ端微塵に粉砕。
シアナが軽くツンと指で突付くと、ミノルはそのままヨロヨロと膝を突き、冷凍マグロのように砂浜に突っ伏して動かなくなった。
よく耳を済ませると、グズグズと鼻を鳴らしている音が聞こえる。
普段の傍若無人で倣岸不遜な彼を良く知る者が見れば、思わず頬をつねりたくなるような光景だ。
まぁ、こんな姿を見せるのも相手がシアナだからなのだが。
この二週間、何度も勝てそうな所まではゆくのだが、そこは踏んできた場数が違いすぎるというべきか、最後に地面に倒れるのはいつもミノルのほうだった。
いままでずっと自分の力に自信を持っていただけに、精神的なダメージはわりと洒落にならない。
悔しさのあまり、ミノルの涙と鼻水が白い砂の中に染み渡る。
女々しいと言うなかれ……外見こそ二十歳前後だが、これでもミノルは傷つきやすい15歳の少年だ。
普段がちょっと意地っ張りで外見が強面なせいで、精神面にまで過剰な評価受けがちではあるが。
もっとも、ドミニオに勝てないのは実力だけではない。
彼はちょっとしたズルをしているのだが、ミノルは未だにそれに気付いていないようだ……というか、最初からまっとうな勝負であることを毛ほども疑っていない。
そんなミノルの馬鹿正直な部分を、ドミニオはいたく気に入っていた。
「まぁ、お前が落ち込むのも無理は無いが、ちゃんと自分の実力が上がっていることぐらいおまえにもわかっているだろ。 それに……そのうちお前に実力で叩きのめされるんじゃないかと、この二週間私も怖くて仕方が無かったぞ」
実際、ミノルの動きはこの二週間で見違えるように進化している。
それはミノル自身もはっきり自覚できるほどだ。
何度も殴り倒され、涙を飲みながらも、ミノルが一つずつドミニオの動きや技術を体で学習した結果である。
その点については、ミノルも素直にドミニオに感謝していた。
彼の真意がどこにあるのかはわからないが、すくなくとも善意であることには間違いない。
「じゃあ、そのドキドキ感が現実になるまで訓練を続けるということで。 いい気になるなよ、ドミニオ!! その面をボッコボコにして足で踏みつけてキューキュー言わしてやる」
すかさず、顔をあげたミノルが図々しいことを口にする。
実に珍しいことだ。
普段が神様稼業を行っているせいで大人びた言動を取る事が多いため、歳相応の軽い口調に戻る事はほとんど無い。
おそらく、それだけ相手に対して親しみを持っているという事だろうが……
横で見ているシアナとしては、彼の貴重な話し相手を歓迎したい気持ちの反面、自分以外の人物に心を開くのが面白くなくもある。
実に微妙な心情だ。
「アホか。 さっさと指導料を払え。 あぁ、お前がウチの団体に選手として参加してくれるというならチャラにしてやってもいいぞ?」
そんなミノルに対し、ドミニオはふたたび人の悪い笑みを浮かべてそんな応えを返した。
「断固として断るっ! というか、お前の真の目的はそっちか!? 指導料なんて聞いてねぇぞ!」
別にドケチだとか守銭奴ということは無いが、ミノルは支払いと言う言葉があまり好きではない。
原因は彼の父親の作る借金のせいである。
ついでに支払いといわれても、先日まで父親の作った家計の穴を埋めるべく牛馬のごとき労働にいそしんでいたミノルや、ミノルを召喚するための料金が滞っているシアナにそんな余裕があるはずもない。
明らかに故意犯と言うヤツだろう。
ましてや、一都市の守護神から個別で格闘技をレクチャーなど、金を払ったとしても適う願いではない。
今更ながらに思い出すが、武人としては尊敬に値するドミニオには、プロレス馬鹿と言うおそるべきもう一つの顔があった。
思い返せば、この二週間で身に着けた動きはレスリングのソレである。
ようするにこの男は、最初からミノルをレスリング付けにして、プロレスに引きずり込むためにこの地を訪れていたのだ。
脳筋ならではの、まさに恐るべき策略である。
「なんとでも言え! この私が見込んだからには、なんとしてでもお前をルチャの道に引きずり込んでやるっ!! ふははは、楽しいぞぉー プロレスの世界は!!」
ミノルの肩をに手を置いて、満面の笑顔で執着を示す。
この二週間ミノルと拳を交えてきたが、これほど戦っていて楽しい相手は他に無い。
なにより、唯一神の配下で武器を持たずに戦うなら最強と名高いドミニオが、全力で戦っても壊れない相手は貴重だ。
もはや惚れ込んでいると言ってもいい。
本音を言うなら、シアナさん、これうちの弟にしたいんで譲ってくださいと言いたいぐらいだ。
「断固として断るっ!! と言うか、報酬はちゃんと支払うぞ」
そう告げるなり、ミノルは荷物をごそごそとかき回し、背負い袋の中から不透明な青白い石を取り出した。
「おい、それ翡翠じゃないのか? いいのかそんなものを人に渡して」
翡翠とは、特に中国を中心とした東アジアで重宝される宝石で、その特性として持ち主の徳を溜め込む性質がある。
"徳"とは、いわばRPGゲームの経験値のようなものだ。
ミノルやドミニオと言った奉仕者は、この"徳"を溜めることで自らの霊格を成長させる事を目的として、この世界で活動を続けている。
この世界に呼び出される時に支払われる金品もまた、召喚師ギルドに寄付することで"徳"を強化するための材料にすぎないのだ。
そもそもこの世界の金品を、自分達の住む世界……神有世界に持ち帰ることは出来ない。
物理法則の違う世界から形あるモノを持ち込むことは、その世界に少なからず歪みをもたらすからだ。
結果、彼らにとっての報酬は、"徳"や"経験"といった形の無いものに限られてしまう。
わけても"徳"の詰まった翡翠の塊は、彼らにとって金品や宝石よりはるかに価値のある代物と言って良かった。
いや、むしろ自らの善性の結晶である"徳"は、金銭に例えるよりも自分の心の一部といったほうが正しい。
そのため、翡翠は家族か恋人、もしくは師弟関係にある人物や親友と呼べるような人間にしか渡さないのが普通だ。
「背に腹は代えられんだろ。 プロレス漬けになるよりはマシだ」
視線を合わせず、鼻を指でこすりながらその結晶をドミニオに差し出す。
本当は、特訓に付き合ってくれた感謝と、親愛の印として渡したかったのだが、それを素直に口に出来ないのが実にミノルらしい。
「……なにもそこまで嫌がらなくていいだろ? プロレスは楽しいぞ?」
横でシアナが刺し殺しそうな目で睨んでいるのを感じながら、ドミニオは笑顔でそれを受け取った。
触れた瞬間に、ミノルの人柄というものがイメージとして頭に流れ込んでくる。
このあたりのパーソナリティーが駄々漏れになるのも、翡翠を渡す人物が限られてしまう理由だ。
「やっぱりプロレスはダメだ。 個人的にプロレスが嫌いなわけではないが、シアナや妹が嫌がる」
ドミニオが、受け取った翡翠を大事に仕舞いこむのを眺めながら、ミノルはふとそんな言葉を呟く。
「そうよー 男なら狙うは一・撃・必・殺! なんで相手の技をわざと受けてみたりするのよ? そんな無駄な戦い方って、ぜんっぜん理解できない」
さらにミノルの言葉を補足するように、シアナが容赦ない台詞を口にする。
「……な?」
ほら見ろといわんばかりの表情でミノルが溜息をつくと、
「……ジーザス」
ドミニオは両手に顔に当てて天を仰ぎ、そのままミノルの横へ大の字にひっくり返った。
彼女が口にした一言は、おそらく全てのプロレスファンを否定する禁断の言葉だ。
心からプロレスを愛する彼としては、この上もなく大きなダメージだったらしく、完全に落ち込んでいる。
結局のところ、この三人の中で最強なのはシアナなのかもしれない。