初めての契約は【黒毛和牛】甘酸っぱい苺味
「まったく……なんでこの俺がこんな面倒なことを」
そう呟くと、その少年は重さ1tはあろうかという岩を軽々と持ち上げ、陥没した石畳の上に置いた。
歳はおそらく10歳ぐらい。
短く刈り込んだ黒髪に、彫りの深い顔立ち。
何のことはない。 人の姿を取り戻したミノルである。
見た目としてはかなり整っているのだが、刃物のような目と意思の強そうなくっきりとした眉が、まだ幼いはずの顔から全ての甘さを奪い去っていた。
「いやー すげーな坊主。 さすが異世界から来ただけあるぜ」
見物にきていた野次馬からそんな声がかかる。
その声の主を興味がないと言わんばかりの憮然とした表情で無視すると、別に穴を埋める石材を運ぶべく作業を黙々と再開した。
昨日の夕方からミノル一人で開始した街の復旧作業は、翌日の昼になった今もなお続いている。
さすがにこんな子供一人に重労働の土木作業をやらせるのは気が引けるのか、市民の中からも手伝いを申し出る者もいたが、その全てをミノルはにべもなく断った。
曰く「足手まといだから」である。
はじめは生意気なガキがどこまで出来るのかを見に集まった見物客だったが、その仕事振りをみるにつれて評価は劇的に変わりつつある。
まず人々が最初に驚いたのはその測量技術であった。
異世界から持ち込んだ『デジカメ』『ノートパソコン』という魔道具を用い、オン・バサララタヤ・ウン・ナム・アーカーシャ・ラバオン・アミリキヤ・アリボ・ソワカと虚空蔵菩薩の真言を唱えながら『キャド』と呼ばれる魔法の巻物を行使すると、複雑な図形が黒い板の上で細かく記されてゆく。
その作業が終了すると、今度は資材の確保である。
ミノルはその人並みはずれた腕力で、砕けた資材を一箇所にまとめると、近くの酒場からくすねてきたワインを目の前に置き、複雑な印を切りながら耳慣れない異界の呪文を唱えだした。
「南斗北斗、讃歎玉女、左に青竜、右に白虎、善に朱雀、御に玄武。 恐れおおくも牛頭天王、武荅天神、婆梨妻女、生広天王、魔王天王、倶摩羅天王、達你迦天王、蘭子天王、徳達天王、神形天王、三頭天王、諸方位より御恵み給う神の御前に、神酒奉りて申しあげる。 地より成る物は百姓形を同じくをもって我が前にあり、万象悉く我が意のままにあらんことを。 急々如律令、勅!」
するとその呪文に反応し、瓦礫の山がみるみる一塊の黒い粘土の固まりに変わり果てる。
しかも、その粘土の塊を崩れた場所にちぎって投げると、あっという間にもぞもぞとアメーバーのように動いて元の建物の形となり、気が付くと色も材質も元の建物と同じになってしまっていた。
興味を持った学者たちがミノルから聞き出した話によると、「錬金術で言う第一物質、死体置き場の理論の応用で作り出した材質に、設計図のデータと地面に蓄積された残留思念のデータを注入して、さらに式神の技術で造形してから具現化させた」との事だが、その意味を正しく理解できるものは誰もいなかった。
これには魔法に慣れ親しんだこの世界の住人も度肝を抜かれ、かくして珍しい魔法による建築を見ようと、大勢の見物客が訪れるようになったのである。
だが困ったことに、住人の中にはもともと壊れていた壁や痛んだ柱の再生までもを、被害としてミノルへの要求書へ盛り込んだものがいたらしく、修復の途中で資材が切れてしまった。
いくらなんでも材料がなくては修理ができず、一人憤慨しながら近くの岩場まで資材を切り出しにいったのが昨日の夜のことである。
「まったく、難儀な仕事押し付けやがって…」
かくして、ブツブツと文句を言いながらこの時間まで作業を続けていたわけであるが、さすがのミノルも疲れてきたのか額に汗が浮かんでいる。
目に入らないように、首にかけたタオルで額の汗をふき取ると、どこからかミノルの名前を呼ぶ声がした。
あたりを見回すと、遠くから小柄な人影が近づいてくる。
「シアナか。 ジャマだから向うに行ってろ。 岩の破片が飛んだら怪我するぞ」
十分声が届く距離まで来たことを見計らうと、挨拶もせずに開口一番そんな台詞を口にする。
「ミノ君、がんばるねー昨日寝て無いんじゃない?」
だが、そのぶしつけな態度を意にも介さず、少し心配そうにその作業を覗き込むシアナ。
なかなか図太い神経をしている。
「そこらの人間と一緒にすんな。 俺の頭はイルカとおんなじで、右と左を交互に寝かせながら動かせるから、その気になれば寝なくても生活できるんだよ……っと。 まぁ、集中力は落ちるけどな」
微妙に嬉しいのか、鼻を擦って照れをごまかそうとするが、周囲の野次馬の視線は非常に生暖かい。
「それはいいけど、少し休憩しない? お弁当作ってきたんだけど」
手にしたバスケットを差し出すと、シアナはニッコリと微笑んだ。
一瞬にしてミノルの心拍数が跳ね上がり、魔力によって重力をコントロールされていた岩がズズンと音を立てて落下する。
「う、うぉっ!? べ、弁当!? 貴様何を考えている? いや、すげー嬉し……違う、お、落ち着け俺! そ、そうだ! ……ど、どうしてもとお前が言うなら、し、仕方なく、く、食ってやらん事もない!!」
視線を合わせないまま、ミノルは差し出されたバスケットを奪い去るようにして受け取った。
その日に焼けた浅黒い顔は、トマトのように赤い。
判りやすすぎる反応である。
「はいはい、まずは手を洗ってからね」
シアナが笑いかけると、ミノルはいそいそと地面を蹴って手桶ぐらいの穴を作り出し、その中に水を呼び出した。
「便利ねー いいな、ミノ君は魔術つかえて」
その様子を羨ましそうに眺めると、シアナは拗ねたような表情で溜息を吐く。
「なんだ、おまえ魔術使えないのか? まぁ、俺もこっちの世界の魔術は無理だが」
この世界には二種類の魔法が存在する。
一つは異世界の神の力を借りる神性魔法。
もう一つは、この世界のエネルギーの管理を神から任された、精霊と呼ばれる存在を源とする精霊魔法。
一般的にこの世界における魔法とは精霊魔法であり、召喚術をはじめとする神性魔法の使い手は神殿の関係者に限られている。
「パパが『お前みたいな跳ねっかえりが魔法なんて覚えた日には、どんな無茶をやるか想像もつかん』って言って反対するの」
シアナは寂しそうにポツリと呟いた。
「ふぅん……お前なら、召喚獣でも精霊でも契約したがる奴はいくらでいると思うけどな。 ま、お前と契約したらロリコンかと思われるか」
「ひどい! ミノ君!!」
不機嫌に頬を膨らませたシアナは、鼻息も荒くミノルからバスケットを取り上げようとするが、ミノルはしっかりとバスケットを抱え込んで手放さない。
「お、サンドイッチか」
ミノルはバスケットをあけると嬉しそうにパンを摘み上げて噛り付いた。
「うまそうな玉子サンドだな。 んむ……けっこうイケるな」
「そのバスケット返しなさい、ミノ君! そんな意地悪言う子にはお昼ごはんあげませんっ!!」
バスケットを引っつかむと、ミノルの胸板を足蹴にして奪い返すシアナ。
「べ、別にいいじゃねぇか。 お前が魔法使えなくても、魔法使えるやつがいつも近くにいれば」
横を向いたまま、真っ赤な顔をしたミノルが囁いた言葉に、思わずシアナの動きが止まる。
「えっと……ミノ君。 今何って言ったの?」
「だ、だから……お……俺がいるだろ!!」
「……え?」
「何度も言わせるな! 俺がお前の守護神になってやる。 そうすれば、いつでも俺をこっちに呼べるし、俺の眷属をいつでも召喚できる。 お前に魔術が使えないなら、俺が代わりになってやる!! だから、お前は召喚師になれ!!」
守護神とは召喚獣でも最上位の存在であり、この世界において一国を守護する者を示す。
禁止召喚獣とも呼ばれ、最高位の召喚師である導師以外が召喚することは固く禁じられているほどの存在だ。
その役目は、その国に存在する全ての無属性魔力を統括し、その地に生まれる精霊の性質に根本的な部分で影響を与える魔術の根源。
もはや世界を構成する重要な因子と言ってよい。
むろん、個人が守護神を持つなど言語道断にして前代未聞である。
「ほんとに、ほんとにそんなことできるの?」
嬉しいのは確かだが、あまりにも突拍子のない話ゆえ、シアナは何度も聞きなおした。
「馬鹿にするなよ。 この俺に二言は無い!!」
むろん当人同士が良くても周りが良くないのだが、ミノルは何があっても周囲を押し切る覚悟を決めていた。
いざとなったら、国の一つや二つ更地に変えても構わない。
「契約の代償は…? まさか私の命とか!?」
勘繰ったシアナがおびえた表情を見せたが、そんなシアナにミノルはニヤリと笑いかけ、シアナに奪い返されたバスケットを開いてサンドイッチを取り出した。
「ふん…そうだな、このサンドイッチで十分だ。だからまずその手を離せ。 俺は契約の証として、そのバスケットに入ったサンドイッチを所望する!」
そう告げると、ミノルはシアナお手製のサンドイッチを口の中に放り込んだ。
のだが、次の瞬間、その顔色が急激に青ざめる。
「ごふっ……こ……これは!? な、何を入れたシアナ! お約束か! お約束なのか!? 」
まるで毒を含んだかのように悶えるミノル。
震える指で凶器を指し示し、白目をむきながらシアナに問う。
「えっと、ミノ君が好きだと聞いたから、パンの間にゴハンをはさんで、そこに苺と生クリームと、あと色々とその辺にあった物をトッピングしたんだけど、もしかしてマズかった?」
予想外の反応に、悲しげな顔をするシアナ。
こちらも顔面蒼白である。
「た、確かに米は好きだが……」
「あ、あの……マズかったら吐き出していいよ」
泣き出しそうなシアナの顔を見て勇気を奮い起こすと、ミノルは意を決してそれを飲み込んだ。
……ゴクン。
一瞬、フラフラと膝が崩れたものの、ミノルは見事その試練を乗り越えた。
「だ、大丈夫? ミノ君」
「ふ、ふん! ちょっと斬新だったから驚いただけだ! な、慣れればなかなかに美味しい……ぞ。 たぶん」
「えっと……か、かなり無理したんじゃ?」
「む、無理などしていない!! だから、その……そのバスケットの中身を全部よこせ…」
悲壮な笑顔を見せるミノルの姿に、その場にいた野次馬全てが涙した。
最強の魔王を使役する銀髪の美幼女……もとい美少女がいる。
世間でそんな噂話が流れるのは、それから数年後のことである。