そして精霊たちは【黒毛和牛】宴を開く
「ちょっとー なんでみんな傭兵側についてるよ!?」
シアナが、衣装に合わせて持ち込んだ黒い皮鞭を地面に叩きつけてヒステリックな悲鳴をあげる。
帰ってきたヨートの横には、傭兵達の部隊長であるヒースリングが剣を抜いて立っていた。
「ふっ、俺の敬愛するアニキをたぶらかす魔女め! 今日こそ成敗してくれる!!」
「いや、成敗されては困るんだがな」
意気揚々と爪を光らせるヨートの横から、ヒースリングが余裕の笑みを浮かべて一歩前に出る。
「な、なによその格好! それにすごい臭い!」
ヒースリングおよびその背後に並ぶ傭兵たちの体には、赤や茶色のペーストが、泥のように塗りたくられている。
そのドロドロした液体からは、なんとも形容しがたい"苦酸っぱい異臭"が漂っていた。
「ふ、敵がお子様だとわかれば話は早い。 この体には、ニンジン、ピーマン、トマト、セロリといったお子様の苦手とする野菜のペースト20種類がブレンドされた秘薬『給食の悪魔』が満遍なく塗られている。 いくら魔物の姿をとったところで、所詮は子供。 我らに指一本触れることは出来ぬわ!!」
魔物の大半は獣や子鬼といった姿である。
遠距離で戦えるユニットは少数派であり、接近戦ともなれば、彼らの体から漂う異臭だけで泣き出してしまうだろう。
それが昨日からの異常の原因であると、シアナはその瞬間気がついた。
「ドミニオさんはどうしたのよ?」
ふと、彼らの様子を見に行ったドミニオの事を思い出し、シアナはその疑問を口にした。
彼がいる限り、こんな雑魚がこの場にたどり着く可能性は0に等しい。
「あぁ、あのマンティコアか。 ふっ、いまごろダンジョンのどこかで肉の塊になっている頃だ」
シアナの言葉に、ヒースリングが口元をゆがめていやらしい笑みを浮かべる。
「そんな露骨なウソつくとみっともないわよ? 少なくとも撃破されたならこのダンジョンの負のエネルギーが残らず中和されているはずだから」
今はマンティコアに身を落としているとはいえ、ドミニオは守護神を勤めることが出来るほどのレベルの奉仕者だ。
本来ならば、彼もまた禁止召喚獣として、導師以外の召喚師に応えることは許されない大物である。
それをどうにかしようとするらば、ミノルと同じぐらいのレベルにある奉仕者の助力が必要だ。
倒したなどという戯言は論外として、尋常な方法で無力化できる相手ではないはずなのだが……
「……ダンジョンの外で、傭兵達にプロレスの興行をやらせた。 たぶん、今頃は最前列で野次飛ばしている」
見よう見まねでタラタラとやらかしているそれは、プロレスに命をかけているドミニオからすればどうにもガマンできない代物だろう。
今頃はその傭兵達を叱り飛ばして、地獄の特訓メニューでも施しているに違いない。
なるほど、実に彼らしい弱点だ。
「よ、よくウチの手の内を研究していることで」
シアナは頭を抑えてその場にうずくまった。
「なに、そこのヨート君に全部教えてもらったことだ。 うまい棒10本ですべての情報を提供してくれたよ」
よりによって、うまい棒10本!? この私をたかがうまい棒10本で売っただと!!
シアナはその裏切りに怒りを覚えた。
せめて味は明太子味に限定し、数もその10倍はとってもらわなくては!!
そう心の中で叫び、拳を握り締める。
その裏切りの代償がなんで"うまい棒"なんだよという優秀な突っ込み要員はここにはいない。
「さぁ、そろそろ覚悟を決めてもらおうか? かわいい魔女さん。 そのアダルトな姿もなかなかそそるぜ」
床に突っ伏したまま動かないシアナを、降参と判断したのか、ヒースリングがさらに一歩前に出る。
「うふふふふ…… あーっはっは! このお馬鹿さん!!」
だが、シアナは急に笑いながら立ち上がると、見下したような視線をヒースリグたちに向けてマントを翻した。
実はシアナ、結構ノリがよくて自分に酔いやすい性格である。
「何がおかしい!! これで詰みだよ! 大人しくそこのオッサンに貰われちまいな! それとも俺に刻まれたいか!?」
その余裕のある態度にイラっときたのか、ヨートが叫びながら、野獣のようなスピードでシアナに切りかかる。
だが、突如床から伸びた無数の薔薇の蔓が触手のようにうねり、シアナとの間に立ちはだかった。
「ちっ! 薔薇の淑女か!!」
それはミノルの配下において、『木』の属性を与えられた精霊の1柱の名前だった。
深い緑の衣装に金色の髪、無数の白い薔薇を冠のように巻きつけた姿は、シアナの隣にあってなお色褪せない。
「奉仕者ヨート。 シアナ様に手を挙げるとはなんたる無礼。 ミノルさまに代わって血祭りにしてあげます」
その衣服から黒光りする蔓を生み出しながら、エグゼビアと名づけられた精霊の少女は無機質な声で殺意を告げる。
さらにその後ろには、銅無垢のようなオレンジを帯びた髪を蜜網にした少女が、水面から湧き上がるようにして地面から顔を出す。
それは、つい最近ミノルの元に生まれた『金』の属性を持つ精霊だった。
「くっ、変幻する霊窟まで!!」
ヨートの声に焦りが混じる。
まさかシアナがこれだけの精霊をあらかじめ呼び寄せていたなど、その近くにいたヨートですら予想もしていなかったのだ。
「……ごめんなさい。 シアナさんのこと、あの方からよろしく頼むって言われてるんです」
穏やかな声でそう告げるモルディーナが、指をスッと突きつけると同時に、その場にあったすべての金属が水銀となって地面にこぼれ落ちた。
一瞬で武装解除された傭兵達が、混乱して騒ぎ始める。
甘かった。
ヒースリングは、シアナの力をかなり軽く見ていたことに気付き、愕然とする。
まさか、彼女一人でこれだけの戦力を持っているなど、常識外にもほどがあるだろ!?
あらためて、魔術師や神官の上に君臨すると言うその称号を思い出し、唇をかみ締める。
召喚師……神と言葉を交わすことを許された者であり、その代行者。
まさしくその通りであった。
「ねぇ、ヨート。 このダンジョンで、今日までにどれだけ収入があったと思う?」
二柱の精霊を従え、女王の如く周囲を睥睨するシアナが、ニヤリと笑ってヨートにそんな問いかけをする。
「ま、まさか!?」
その意図を読み取り、ヨートの顔色がめに見えるほど青ざめた。
二本に分かれた尻尾もパンパンに膨れ上がる。
「そう、召喚師ギルドとの前借交渉に成功したから借金は昨日の時点で全部返済完了したのよ!! そして、今日もあなた達が暴れてくれたおかげで、わたしのお財布は十分に潤った」
魔女の女王を気取っても所詮はシアナなのか、その言葉の端々に微妙な緩さが漂う台詞である。
だが、その内容はしゃれではすまない恐ろしい意味を持っていた。
「くっ……まずい! オッサン、逃げろ!! いますぐに!!」
恥も外聞もなく、背中を向けて走り出すヨート。
成り行きについてゆけないヒースリングは、シアナの後ろの壁が砂のように崩れ落ち、四本の腕を持つ異形の神像がせり出してくる光景を、ただ呆然と見ながら立ちすくんでいた。
「なんだ……あれは……」
ダンジョンに満ちる負のエネルギーを喰らい尽くし、それは深い眠りから目覚めようとしていた。
牛の頭の下は、同性から見ても見惚れるほどに美しく鍛えられた男の体。
四本の腕に槍と矛をもち、堅固な鎧に身を固め、それだけで死人が出そうなほどの濃厚な殺気を放つ。
蚩尤……その姿が、魔王とも呼ばれる古き神のものであることをヒースリングは知らないが、到底人の手におえるものでない事は、はっきりと理解した。
「時はすでに来たれり!! 蘇れ!!」
魔神がその4つの瞳を開き、周囲に真紅の光を投げかける。
シアナはその魔神の名を高らかに叫んだ。
「魔王ミノルンルンっ!!」
え……その魔神、そんな可愛い名前なんだ?
その極限状態にあってなお、ヒースリングの目は点になった。
「誰がミノルンルンだ!! 人と神の名前を勝手に改ざんするな! この不心得者!!」
その、どこか諦めにも似た怒鳴り声とともに、魔神はシアナの横にどっかりと胡坐をかいた。
「ぱぱー!」
「ミノルさんっ!」
エグゼビアとモルディーナが、感極まった声を出して駆け寄ると、魔神は諦めた顔でその抱擁を受け入れる。
恐ろしく威圧感のある姿だが、なぜか愛嬌のある、どうにも奇妙な存在だった。
「……ヨート」
不意に魔神はその視線を、隣でもじもじと人差し指をもてあそんでいるヨートに向ける。
「は、はうっ!?」
その万年雪のような冷たい視線を浴びて、ヨートの体が鍋にいれたエビのように震え上がった。
「ハウス!」
ただ一言告げただけ。
それだけで、ヨートの姿が一瞬でその場から消え去る。
魔力の動きすら感じなかった。
己の魔力すら使うことなく、威厳だけでそれだけのことをやってのけるこの魔神は、はたしてどれだけの力を持っているのだろう?
「おい、そこの傭兵」
恐怖すら通り越して、魂が抜けたようになっているヒースリングに、魔神はぶっきらぼうな声でそう呼びかけた。
「ご苦労だったな。 このダンジョンのエネルギーはすべて俺が中和した。 すぐに撤去作業に移るから、手下を連れてとっとと帰れ」
意外にも人情味のある声で魔神がそう告げると、シアナが少し維持の悪い顔をして魔陣の耳元で囁いた。
「ねー ミノ君。 わたし、あの人にイヂメられたんだけどー」
そのシアナの台詞に、モルディーナとエグゼビアが同意を示す。
「まぁ、たしかになにやら揉めてましたね」
「あのオヤジ、シアナ様に色目使っていたんですよ? ミノル様」
その言葉に、魔神の眉がピクリと動く。
ヒースリングは、自分の命運が尽きたことを悟らざるをえなかった。
「ほほう?」
魔神の目がヒースリングを射抜く。
なぜか怒りではなく、試すような視線であると感じるのは気のせいだろうか?
「おい、そこの傭兵。 お前、シアナが好きなのか?」
純粋な疑問だけで効くような調子で、魔神はヒースリングに問いかけた。
ここで正直に自分の気持ちを告げれば殺されるだろう。
だが、金に汚い傭兵風情にも譲れない意地はあるのだ。
「お……俺は……彼女のことを心から愛している。 この気持ちだけは偽れない」
途切れそうになる声で、搾り出すような思いをこめて、ヒースリングは涙ながらに自分の思いを静かに告げた。
……かっこ悪ぃな。
人生最後の台詞がこんな噛み噛みかよ。
自分の情けなさにウンザリしながら、ヒースリングは目を閉じて、人生最後の痛みを待った。
「よし、気に入った」
だが、魔噛みの口から出たのはそんな意外ともいえる台詞だった。
「は?」
30年を越える人生で、こんなマヌケな声を出した覚えはかつてないだろう。
唖然と言うよりは呆然。
呆然と言うよりは混乱……いや、もはや混沌とした頭の中でふとそんなことを考える。
「お前、俺の精霊になれ」
そんなヒースリングに向かい、魔神はニヤリとわらってそんなことを言い出した。
「「ええぇーっ!?」」
たちまち三人の乙女から避難するような悲鳴が上がる。
いったいどういう展開を期待していたのだろうか?
女という生き物は、時にとんでもなく残酷である。
「ここで自分の言葉を翻すような奴なら、記憶を消して地上に放り出すつもりだったんだがな」
ふん。 と鼻息を飛ばして魔神が膝に片肘をついて面倒くさげに耳をほじる。
「今からでもやればいいじゃないのー もー せっかくミノ君が嫉妬するところ見たかったのにー」
恐ろしい女のロマンを振りかざすシアナと、それに同意する精霊たち。
いったい彼女達はどこまで本気なのだろうか?
ヒースリングとしては、せめて50%ぐらいに留めて欲しいところだ。
「アホか。 これだけ純粋な愛情、神としても男としても気軽に消去するわけにもゆかんだろ。 男には男の決着の付け方があるんだよ。 いきなり力ずくで排除なんてまね、恥ずかしくて出来るか!」
微妙に顔を赤らめて、魔神がそんな台詞を口にする。
見かけに反してわりとロマンチックなやつらしい。
「えー なんでそんな面倒なのよ、神様ってー 神様にも、恋愛したりヤキモチやいたりする権利と義務があるとおもいまーす」
「「おもいまーす」」
その完全にふざけた口調に、ヒースリングはようやく悟る。
単にこいつら、この魔神にかまって欲しいだけじゃねぇかよ。
「どんな権利とどんな義務だよ! ……というわけで、お前は今日から俺の配下である精霊だ。 言っておくがこれは命令だからな。 貴様程度が俺に意見できるとは思うなよ」
絡み付く乙女三人を牽制しながら、いきなりこちらに話題を振る魔神。
笑ってはいるが、どうにも逆らえる雰囲気ではない。
「ぎょ、御意」
乾いた声でヒースリングがそう答えると、魔神は満足そうに頷く。
「で、こいつ何の精霊にする? みたところ、人間にしてはなかなかいい素質持ってるんだが。 火か金あたりが適当だとは思うんだが」
「……こんなのニンジンでいいわよ。 ニンジンの精霊」
ヒースリングの見事な赤毛に目をやりながら、エグゼビアが愚痴るようにそんな提案を口にする。
ちょっとまて! いくになんでもニンジンの精霊はないだろ!?
ヒースリングが反論する暇もなく、魔神の腕がヒースリングを容赦なく捕らえ、その存在に自らの魔力をねじこむ。
そして、圧倒的なその魔力と共に、肉体を、精神を、その存在を新たなものへと変化させ、この世界に定着させた。
ほとんど何の感傷を覚える暇もなく、ヒースリングは人であることを超えた。
……よりによってニンジンの精霊として。
「あ、あんまりだ」
あまりにも傲慢なその行動に、ヒースリングは膝を折ってその場に崩れる。
後日、実は彼が精霊にはなったものの、実はニンジンの精霊ではないことが告げられることになるのだが、それはかなり先の話だ。
「では、お前にシアナの守護を命ずる。 とは言っても、その精霊としての存在は仮初のものだ。 お前が精霊としてふさわしくないと判断したらねすぐにもとの姿に戻ると思え。 あと言っておくが、シアナに手を出したらひき肉にするからな」
不遜な態度で見下しながら、魔神はヒースリングに命令を下す。
さきほどから度量の広い振りをしているが、実際は生殺しの状態でこき使う気だ。
格好をつけた台詞を口にしてはいるものの、実はしっかりヤキモチを焼いていたミノルであった。
「し、しかと肝に銘じます」
その威厳に気圧されるようにヒースリングが跪くと、魔神はふいにその表情を緩めて一言告げた。
「で、聞き忘れたんだが、お前名前は?」
どうやら扱いはあまり期待できないらしい。
ヒースリングはその夜、親交を深めるためと言う理由で魔神に連れて行かれた酒場で、それこそ浴びるように酒を飲み、シアナに酔った振りをして抱きついて、危うく一日目にしてひき肉になりかけたという。
ミノルが、後に彼を精霊にした事を悔やんだかどうかは定かではない。