繰り返す【黒毛和牛】これは訓練ではない
深き大地の底深く、漆黒の闇の中に青黒く輝く祭壇がある。
その祭壇の前に、揺らめく青い炎に照らし出されるのは……所狭しと立ち並ぶ魔物の群れ。
その祭壇の上で両手を広げ、漆黒衣装に身を包んだの司祭が一人。
司祭は地上からの侵入者を皆殺しにすべく、並み居る魔物にむかい、戦意を鼓舞すべく弁舌を振るう……といいたいところだが、その様子はちょっと違っていた。
「というわけで、傭兵さんたちはこの最深部には一歩も入れないでください。 出来るだけ死人は出さない方向でやって欲しいところですが、赤毛のセントール族はブッ殺してでも阻止するようにお願いしますねー」
にこやかな顔で物騒な言葉を吐くのは、言うまでも無くこのダンジョンのダンジョンマスターに就任した召喚師シアナであった。
今は雰囲気造りのためにいつもと違う衣装に身を包んでいるのだが、その凹凸に乏しい体を覆うのは、なんと風俗店で鞭を振るっていそうな黒光りするラバースーツ。
彼女の計算ではこの上もなくばっちり決まった"悪の大魔女"の格好になるはずが、どう見ても学芸会の発表で無駄に凝った衣装を身に着けた小学生。
ダンジョンマスターである彼女を倒そうとやってきた傭兵たちも、大人の魅力でみんなメロメロ……になるはずなのだが、どう考えても幼女趣味をこの世に蔓延させる方向にしか作用しないだろう。
ある意味恐ろしい魔女なのだが、コンセプトに拘るご本人は、その評価にかなり不満足らしい。
「はーい」
そんなロリ魔女の呼びかけに応える魔物の声も微妙に軽い。
それもそのはず。
魔物の中身は呉田島第一小学校から第六小学校までの軍神科の児童達約6000人。
引率の教師も含めると、その数はさらに200近く増える。
呉田島の小学生達は、やがて本格的に召喚獣としてデビューする日に備えて子供の頃からこうして学校行事で実践式の戦闘訓練を行っているのだ。
倒した傭兵の数が成績となるため、みんな殺る気まんまん。
傭兵を倒すことでも、それは「犠牲」とみなされ、負のエネルギー緩和のカウントになるので、万が一傭兵が死ぬようなことがあってもこちらの世界からも文句は出ない。
そもそも、不幸を生み出すのはこちらの世界の都合だし、傭兵達だけでそれをなんとかしようとすれば一方的に殺されるだけなのだから、解決の手段を提供するのだから文句を言うなというのが神有世界の言い分だ。
さらに傭兵の命を省みような政府は、この神無世界においては極めて稀である。
子供達に殺人を犯すかもしれないような授業を行うなんてとんでもない教育もあったものだが、それはあくまでも"人として"の教育を語る場合であり、最初から人を超える目的の教育しかしていない彼らにとっては必要事項に過ぎなかった。
なぜなら神の世界は人以上に殺伐としており、彼らは一人一人がきたるべき神々の戦争に備えた戦士なのだから、この程度のことで根を上げるぐらいならばさっさと死んでしまえというのが魔術師達の教育方針だ。
なお、歴代でもっとも大量の殺人を行ったのがシアナと出会う前のミノルである。
9歳の時に、戦争に明け暮れる小さな国の名前を2つほど地図から消したのは、今でも召喚師ギルドの伝説だ。
ちなみにその時使用された反陽子圧縮砲の術式は、使用禁止の制限をかけられて召喚師ギルドの地下深くに封印されている。
「では、我々も仕事に移りましょう。 すべては臨時ボーナスのために!!」
魔女の主神山羊頭の悪魔に扮した男性教師が、手にした大鎌を片手に鬨の声を上げると、それに続いて他の教師達も力強く腕を振り上げる。
「まぁ、頑張るのはいいんですけど、あまり死人は出さないでくださいねー」
シアナがその様子に苦笑をこぼす。
ダンジョンで倒された傭兵達は、すべて彼ら教師とシアナにポイントと言う形で計上され、週末にはそのポイントに応じて召喚師ギルドから臨時ボーナスが支払われるのだ。
ちなみに彼らの経済理念は人と大きく異なるため、支払いのほとんどは"徳"と呼ばれる魔術の源のようなものである。
「特にドミニオさん、ミノ君がいない現在ではあなたが最強の駒ですので、期待してますよー それにしてもライオンさんが好きですね」
シアナが視線を向けると、そこには蠍の尾を持つ巨大な獅子が、ナイフのような牙を口から除かせて獰猛な笑みを浮かべていた。
いつもは暑苦しい……いや、神々しい天使の姿をしている彼だが、天使がダンジョンを徘徊して人を殺しているとなると風聞が悪いと言う理由により、現在はプリニウスの著書に記された人食い獅子としてシアナの召喚に応え、このダンジョンにおける最強のモンスターとして君臨している。
「まかせておけ。 いたいけな少女を悪漢から守るのは戦士の仕事だ」
その笑顔は歴戦の戦士でも泣いて逃げるほど危険な空気を纏っていたが、普段からミノルの殺気になれているシアナにとってはむしろ微笑ましく、むしろ心温まる笑みに過ぎない。
「うーん、別に悪漢ではないんですけど…… まぁ、個人的には害虫ですね」
シアナは苦笑いを浮かべて、水晶球にダンジョン入り口の様子を映し出し、このイベント開催までの経緯を思い返す。
ダンジョンが開催されるや否や、ドミニオはシアナにダンジョンへの参加要請の手紙を送りつけてきた。
戦闘狂いのドミニオにとって表立って命のやり取りの出来るこのイベントは、絶対に見逃せない代物である。
しかも主催がシアナとくればこれは自分好みの戦場になりそうだ。
そう考えたドミニオは、しあなが返事の手紙よりも早く現場に押しかけたのである。
同じように血を見たくてどうしようもないと言う、物騒な性癖の持ち主が多数オファーを寄越してきたが、シアナはドミニオの参加のみを受け入れて、残りには丁重なお断りのメッセージを送っていた。
殺人狂の召喚獣でも参加させ、傭兵の無用な被害を与えた日には、あとでミノルから白い目で睨まれること請け合いだからだ。
別にシアナも好き好んで死人を出したいわけじゃない。
むしろ死人を出さずにすんだらそれにこした事は無いのだが……彼女は現在、多額の資金を必要としていた。
原因は、ミノルの召喚に支払うべき報酬の支払いが滞っていたからである。
先月、自分の管理していた地域で起きた事件により発生した多額の人件費は、シアナの財布にとんでもない大穴をあけていた。
さらに最上級の奉仕者であるミノルに支払う額は天文学的な数字であり、もともとそれをツケにしていたシアナは、ミノルの妹から召喚禁止の通知を言い渡されてしまったのである。
彼女はその【ミノル召喚禁止】のおふれを撤廃するために、普段ならやる気も起きないような血生臭い仕事に手を出したのだ。
「さーて、そろそろ開戦ですね。 向こうはどうでるのかな?」
水晶の中に映し出した外の映像を、映画のプロジェクターのようにダンジョンの壁面に投射すると、シアナはどこからともなくポップコーンの袋を取り出し、まるで映画でもみるかのように事の経緯を見守り始めた。
「くそっ、甘く見ていた……」
折れた剣を地面に投げ捨てて、ヒースリングはポツリと呟く。
周りを見回すと、そこには見渡す限りの死体、死体、その上に折り重なるようにまた死体。
シアナの呼び出した闇の召喚獣は圧倒的な強さを見せつけ、まるで雀の群れでも追い払うかのように傭兵達を蹂躙していた。
「いいかげん死体に戻りやがれ!!」
裂帛の気合とともにブロードソードを振り下ろすと、その頭蓋骨の化け物は恨めしげな低い声で呪いの言葉を呟くと、真っ黒な塵になる。
その隣では、同僚が同じ化け物の麻痺をもたらす視線にやられて地面に転がっていた。
「くそっ、きりがねぇ!!」
彼の目の前で、塵に帰ったはずの骸骨が粘土をこねるような動きで再生を始める。
その魔物は『目くらべ』と言い、睨み返すことでしか追い払うことが出来ないことを、魔術師や神官を伴わない彼らが知る由もなかった。
一人、また一人と、無限に湧き出す髑髏の視線にやられて、傭兵達が地面に倒れる。
そんな彼らの耳に、敵の援軍を告げる足音が聞こえてきた。
このままでは、なし崩しに自分達の命で不幸のエネルギーを中和するハメになる。
残念ながら、金で動く傭兵達にそこまでの自己犠牲の精神はなかった。
「おい、地上に戻って体制を立て直すぞ。 戦えなくなった奴は全員離脱して先に地上に帰れ」
かすれた声でヒースリングがそう告げると、彼に従う傭兵達は、力なく顔をあげてその指示に従う。
「ぎ、ギブアップ」
足を骨折して動けなくなった傭兵がそう宣言すると、その体が黒い闇に覆われてその場から消えうせた。
およそ他のダンジョンと比べてもハイレベルな魔物の徘徊する、まるで地獄のような場所ではあるが、たった一つ慈悲深い点がある。
それは、ギブアップ宣言をすれば、地上まで一瞬で移動できることだ。
おかげで死人こそあまり出ていなかったが、怪我人は山のように発生するし、心が折れる者も少なくない。
しかも、ギブアップをするとこのダンジョンで得られた報酬が没収されてしまうのだ。
なかには、あまりにも多大な経済的な痛手を被って、このダンジョンから撤退したギルドすらあると言う。
「動ける奴は俺に続け。 なんとかこの魔道具を地上まで運ばないと、あいつらの治療費払ったあとでメシを喰う金もなくなるぞ!!」
ヒースリングは、先ほどの戦闘で手に入れた魔槍を杖のようにして体を起こす。
すでに体は満身創痍だ。
疲れのあまり耳鳴りの聞こえ始めたその耳に、ふとキャッキャッと子供のはしゃぐ声が響く。
「くっ……全員走れ! 追いつかれたら、化け物共のおもちゃになってなぶり殺しにされるぞ!!」
迫り来る殺気に背筋が寒くなるのを感じながらヒースリングは味方を叱り飛ばして避難を急がせる。
……ちりっ。
その鼻腔に、ふと火薬のような匂いがよぎり、背中に焼けた火箸を頬に押し付けるような感触が走る。
「くそっ、奴がきたのか!?」
それは、彼らがマッドリッパーと呼んでいる、その尻尾が二本に分かれた猫型の魔物が現れるときの感触に良く似ていた。
ギリッ……
絶望とともに、ヒースリングはこの部隊からまた一人死人が出ることを予感して、悔しげに奥歯を鳴らす。
「ぐあぁっ!?」
ヒースリングの隣で屈強な鬼族の戦士が悲鳴を上げた。
濃厚な血の匂いに気が狂いそうになりながらも、ヒースリングは同僚を振り向きもせずに、ひたすら地上を目指して走りつづける。
もし振り返れば、次は彼が同じ運命を辿ることになるだろう。
甲高い音で勝ち誇る子供の声を聞きながら、ヒースリングは唇を血が出るほど強くかみ締めた。
「……くそガキ共が!!」
どんなに姿が異形であろうとも、斬り合いをすればイヤでもわかる。
あいつらの中身はほとんどが子供だ。
人殺しを当たり前のように行うガキも不愉快だが、その環境を作り出す召喚師という存在に、ヒースリングは苦々しい思い出吐き気を覚えた。
ならば自分のやるべき事はただ一つ。
ヒースリングは心の奥で誓いの言葉を叫ぶ。
彼女と幸せな家庭を築いて、召喚師なんて仕事からは足を洗わせるのだ!
……子供は3人ぐらいほしいかな。
この緊張した場面でそんなことを考える彼を、さすが歴戦の傭兵と称えるべきか、それとも現実逃避に走ったか? と哀れむべきか。
結局、その後二人の犠牲者を出しながらも、ヒースリングは命からがらダンジョンを出ることに成功した。
そして息も絶え絶えの状況でギルドに帰還した彼らを待っていたのは、『忘れ物しちゃだめですよー』と言うメッセージカードと、リボンでぐるぐる巻きにされたまま気絶している、彼らがダンジョンで見捨ててきたはずの同僚の姿だった。
その後で、ダンジョンで犠牲になった同僚達の亡骸も、わざわざ棺桶にいれられて次々と贈りつけられてくる。
「俺達……なめられてる?」
誰かの呟いた声に、ヒースリングはポッキリと心の中の何かが折れた気がした。