ハエ追う牛は【黒毛和牛】別居生活
「さてと、あわただしくて申し訳ないけど、仕事の話をしませんかー?」
フードからこぼれる銀色とも真珠色ともつかぬ色をした艶やかな髪を弄りながら、その小柄な少女はあっけに取られているギルドマスターにそんな提案投げかけた。
普段なら、そんな仕切り方は許されない。
いや、させてはいけない。
なぜならここが傭兵ギルドだからである。
いくら少女が身分の高い存在であったとしても、そんな態度を許せば下に示しがつかないのだ。
いつもなら「年上を差し置いて仕切るな、この生意気なガキが!」と、恫喝するであろうギルドマスターだが、このとんでもなく規格外な少女の前ではどうも調子が狂うらしい。
ただ促されるまま、二回の執務室へと少女を案内するべく、夢でも見ているかのような頼りない表情で先に立って歩き出した。
ギルドマスターの気持ちもわからなくも無いのだが、少し尊敬していた相手だけに、その毒気を抜かれた不甲斐ない姿には失望感が否めない。
いや、おそらく周りからしたら自分も似たようなものか。
ヒースリングもまた、我が身を振り返り自嘲の笑みを浮かべる。
さすが召喚師。
そこに存在するだけで傭兵ギルドに多大なダメージを与えてくれる。
心のうちで皮肉交じりの賛辞を贈りながら、ヒースリングもまたギルドマスターに続いて二階へと足を進めた。
そもそも、この少女は違和感だらけだ。
こともあろうか、強面揃いの傭兵達を前にしているのにこの少女はまったく怯えているようには見えない。
空気が読めないのか、よほど肝が据わっているのか。
以前、傭兵達と顔合わせをしただけで失神した神官もいるだけに、その外見に反した余裕は、ある種異常とも思える。
あぁ、やはりこの少女は化け物だ。
予想していたものとは違うが、いや、予想をはるかに上回る手ごわさを感じ取り、ヒースリングは少女の一挙手一投足にいたるまで目を離すまいと心に誓った。
「あと、そこの方」
だが、少女はそんな視線に気付いたのか、階段に足をかけたヒースリングに振りかえると、口元しか見えないその顔に微妙な気まずさを滲ませながら声をかけてきた。
「俺か?」
口に出たぞんざいな言葉にヒースリングは我がことながら一瞬ヒヤリと汗かいた。
つい忘れがちだが、この少女はその辺の貴族など足元に及ばぬVIPなのだ。
不興をこうむれば、物理的にも社会的にも破滅しかねない。
少女の態度が気に障ったわけではないが、傭兵なんかをしていると、どうしてもこんな言葉遣いになってしまうのだ。
「出来れば、何か服を着てくださいませんー? 文化の違いなのは知っているけど、さすがに全裸にベルトのみって人間から見ると恥ずかしいですよー」
何を言うかと思えばそんなことか? と、ヒースリングはホッと胸をなでおろした。
そもそもセントール族には、着衣の習慣が無く、そのことでよく他の種族から破廉恥だと言われることがある。
本当は服を着ると窮屈でしょうがないのだが、
「それは失礼した、 なにぶんこちらは下賎なセントール族なものでね」
つい棘のある口調を返しながらも、ヒースリングはその辺にいた部下のマントを引っぺがすと、自らの体に巻きつけた。
「これでいいのか?」
やはり服を着ると体が布地の感触がチクチクしてしょうがない。
何を隠そう、その無骨な外見に反してセントール族は総じて敏感肌なのだ。
毎日の風呂は絶対に欠かせない習慣である。
「ええ、お気遣い感謝しますわー」
その慣れない感触に苛立っていたのだろう。
「だったら、そっちも顔ぐらい見せたらどうだ?」
ヒースリングはその太い腕を伸ばすと、シアナの顔を隠すフードを一気に捲り上げた。
「あっ……」
少女の口から小さな悲鳴が漏れる。
次の瞬間、ヒースリングは即死した。
いや、正しくは魂を奪われたと言うべきなのだが、その雷鳴に打たれたような感覚を表現するなら、"即死"といったほうが正しいだろう。
路傍の菫よりも愛らしい紫の瞳と、白磁の上に鴇の羽を溶かし込んだような桜色の頬。
単なる造形のレベルを超えた魔力のような愛らしさ。
ヒースリングのすべては、その一瞬で奪われた。
別に彼がロリコンだったわけではないが、その刹那の邂逅によって彼の嗜好はこの先大きな変更を迎える事になる。
ヒースリングの動きが止まったその一瞬をついて、シアナは急いでフードを被りなおし、
「あ、あの、早く案内してください!」
「は、はぁ……いった何が?」
「早く!!」
背中を向けていたためにその魔力の餌食にならなかったギルドマスターを急かし、足早に階段を上っていった。
ガチャン。
静まり返ったギルドの入り口で、誰かがコップを落とした音がやけに大きく響く。
「すげぇ……あれが召喚師ってやつか」
誰かが呟いたその言葉に、魂を抜かれた傭兵ギルドの面々は相槌を打つことすら出来なかったという。
「私の顔って、相方と違う意味で話し合いには向いてないんですよねー 慣れない人だと、何も喋ってくれなくなるので、顔は隠してもいいですよね?」
テーブルの向こうに腰を落ち着けながらも、シアナと名乗るその召喚師の少女は目深にフードをかぶったままだった。
その明らかに挙動不審な外見に、ギルドマスターは「……はぁ」と力なく呟いて向かいの席に座る。
ヒースリングは、出来ることならその類稀な美貌をいつまでも眺めていたいところだったが、同時にその顔を眺めながら交渉をするなど絶対に不可能だと心の中で溜息をついた。
彼女のフードを捲った時点で、おそらくこの傭兵ギルドは敗北していたのだと、ヒースリングは後に苦笑いと共に語るようになる。
「今回のミザリーの規模から考えて、具現化した魔物を探索して潰すというやり方は意味が無いですね」
全員が話しを聞く体制を整えたことを確認し、シアナは全員を見回して、開口一番そう言い出した。
この場には、イオン王国の参謀も数人顔を出している。
なぜカルデッサ王国の人間ではないかと疑問に感じる人も多いだろうが、理由は簡単。
先月このカルデッサ王国は、西の隣国イオン王国の侵攻にあい、あっけなく陥落したからだ。
それは、この事件の原因を生み出す大きな原因でもあった。
「意味がないと言われましても、我々としてはそれ以外に方法が無い」
そう苦言を述べたのは、こことは違う傭兵ギルドを運営するギルドマスターの一人だった。
この街には、全部で4つの傭兵ギルドが存在する。
なぜ彼らがここにいるかと言うと、今回の規模の不幸が発生すれば、それは1つの傭兵ギルドで対処できる事態ではないからと言う理由でイオン軍の参謀に呼び出されたからだ。
「いえ、方法はあります。 ただ、やる気があるかどうかです」
答えるシアナは、小生意気な仕草で指を振ると、口元を笑みの形にしてそう言い放つ。
その台詞に、ヒースリングとこのギルドのギルドマスター以外の面子が顔色を真っ赤に変えた。
それは、明らかに彼らより経験の劣る子供が、歴戦の猛者である彼らにやる気が無いと言っているのと変わりの無い台詞だったからだ。
……そういう問題じゃないんだよ。
たぶん、この嬢ちゃんに侮辱しているつもりは無いんだ。
ヒースリングが心の中でげんなりとして愚痴を吐き散らしていると、シアナはその両手をテーブルの上で組みなおし、いっそ楽しげな口調で恐ろしい提案を投げつけた。
「召喚師として、ダンジョンの設営と、イオン軍の方への資金の提供を要求します」
その場の空気が一瞬で凍りつく。
「な!? ダンジョンですと!!」
「何を言っているかわかっているのか!? ダンジョンなど設置すれば、どれだけの費用がかかるか……」
前者は歓喜に満ちた傭兵ギルドの声であり、後者はイオン軍の悲鳴の声だ。
「制作費はイオン軍の治安維持の予算から捻出すればよいでしょ? それに、ダンジョンによる経済効果も小さくは無いわ」
その参謀達の面に指をつきつけ、シアナは女王のごとき威厳を纏いながら一国の軍に資金提供を厳命する。
今までさんざん神官達の命令口調に苛立ってきた傭兵ギルドの面々ではあるが、おなじ命令口調でも横から見ている分にはこれほど愉快な光景も無い。
いつもは神官達に輪をかけてえらそうな侵略軍の面々が、小さな少女にやり込められている姿の、なんと痛快なことか!
「だが、しかし……」
さらに言葉を濁す参謀に、シアナは苛々としながらその指を突きつけた。
「つべこべ言わずに頷けばいいのよ。 自分たちで撒いた種でしょ? 潔く責任を取りなさい! そしてキリキリあたしに金貨を貢げばいいのよ! こっちはね、ミノ君と会えなくて苛々してるんだから! 逆らうならあんたの国全部ミノ君の生贄に指定するわよ!?」
その言葉に参謀達は軒並み顔色を失い、なかには腰を抜かして地面に倒れこんでいるものまでいる。
参謀達の股間を黒く湿らせている臭いに、ヒースリングや獣人たちのような鼻の効く種族の連中は顔をしかめた。
"ミノ君"が何者かはしらないが、参謀たちにとってはよほど恐ろしい相手なのだろう。
「これは決定事項です。 はい、話しはおしまい。 ……なにしてるの? やる事決まったんだから、キリキリ動きなさいっ!!」
シアナがバンっとテーブルをたたくと、腰を抜かした参謀達は、四足の獣のような体勢で、這うようにして部屋から飛び出していった。
ダンジョン……それは守護神が不在な地域の救済策として召喚師ギルドが設置する施設で、周辺の負のエネルギーを収束して、そのエネルギーで暗黒面を司る召喚獣を召喚し、この世界の住人を相手に戦わせると言うものである。
マスターテリオンと名乗る導師が何十年か前に提案した方法であり、設置こそにやたらと金がかかるものの、呼び出された召喚獣は参加料金として様々なマジックアイテムをダンジョン内で作成し、傭兵が召喚獣を倒したときの報酬として支払うために常にこれを携帯するよう義務付けられるため、仕事にあぶれた傭兵たちにとっては、不幸が収束されるまでの間、ほぼ無限の収入源が発生すると言って良い。
まさに『他人の不幸は蜜の味』である。
当然ながらその副次的な需要も発生するため、ダンジョンの稼動している周辺には多大な経済効果が発生するのだが、召喚師ギルドの方は、経済のためにと請われてもこれを行うことはありえ無い。
ダンジョンの建設はあくまでも、非常事態における救済措置なのだ。
それを単独で決定する権限を持つこの少女は、いったい何者であろうか? 少なくとも、この少女が召喚師ギルドを支配する導師達か、それに準ずる地位にあることは間違いないだろう。
ならば、彼女の相方である召喚獣もまた、守護神かそれに匹敵する実力のある神に違いない。
そこまで思い至り、傭兵ギルドのギルドマスターたちは、ようやくさきほどの参謀達の態度に合点がいったらしく、少女に崇拝するような眼差しをそそぎ始めた。
「というわけでー 傭兵さんたちは、ちかいうちにお仕事がどかっと増えると思いますので、依頼の調整なんかをお願いしますね」
そのギルドマスターたちの視線に居心地の悪そうな表情で答えながら、シアナと名乗るその少女は軽やかな足取りで部屋を出てゆこうとする。
「待ってくれ!」
そのシアナの後ろから、不意に呼び止める声がした。
「……?」
振り返ると、そこには燃えるような赤毛を後ろで束ねた精悍なセントール族の戦士の姿があった。
「自己紹介もまだだったな。 俺はヒースリング。 みての通りの傭兵だ」
ヒースリングはシアナに近づくと、自らの名乗りを上げてから膝を折り、シアナのアメジストも霞むような紫の瞳をしたから覗き込んだ。
「はぁ、そのヒースリングさんが何の御用でしょう?」
ヒースリングの目に浮かぶ鬼火のような光に不気味なものを感じながらも、シアナは用件を問いただす。
周囲のギルドマスターたちが、下がるようにと命令を下すが、ヒースリングの耳にはまるで届いていないかのようだった。
「そのダンジョン、君がダンジョンマスターを勤めるのか?」
ヒースリングの口から飛び出した言葉に、なにやら挑戦的な響きを感じ取ったのか、シアナはムッとした顔で胸をそらし、
「もちろんです。 私が発案者ですから、最後まで責任をとるのが普通でしょう?」
やや強い口調でそう言葉を返す。
その返事を受けて一つ頷くと、
「ならば……俺は君に勝負を申し込む!!」
ヒースリングは立ち上がってそんな台詞を叩きつけた。
「はぁ?」
シアナが、何を言ってるんだこの男は? と言う表情で男を見下す。
そのドン引きの視線をまるで無視するかのように睨み返すと、ヒースリグはさらに言葉を続けた。
「もし、ダンジョンの最深部までたどり着き、君を捕らえることが出来たなら……」
「ちょっとまて! 別にダンジョンは制圧する必要ないだろ!!」
横で見守っていた傭兵の一人が思わず台詞に割ってはいる。
ダンジョンを作り出す術式には、ダンジョンを主催する『ダンジョンマスター』と言う役職にある召喚師を倒した場合、その時は褒美としてその集めたすべての負のエネルギーが相殺され、ダンジョンは消滅すると言うシステムが組み込まれている。
なぜそんなことになっているかといえば、開発者である導師マスターテリオンが『そのほうが面白いからに決まっているだろう? この世はすべからくドラマチックにあるべきだ。 すべての男と女は星なのだよ』と、魔術師にしかウケない冗談を理由に強引にそう決めたからである。
だが、そんな無理をしなくても負のエネルギーそえ相殺できればそれですむのだ。
さらに、必要も無い無茶を言い出して導師レベルの聖職者を敵にまわしてしまったら、こんな中規模の都市など蟻を踏み潰すより簡単に潰されてしまう。
ヒースリングを止める傭兵も必死だった。
だが、ヒースリングはそんな同僚を後ろ足で蹴り飛ばすと、
「俺が君を捕らえたなら、その時はその……こ、こ、こ、こ、この俺と結婚してくれ!!」
周囲の空気が真っ白になるような台詞を吐き出した。
……これって、プロポーズ?
思わずすべての人間が心の中で呟いたが、相手はどうみても10歳前後の子供である。
ロリコン?
ロリコンだな。
そうか、ロリコンだったか。
たちまち周囲を満たす生暖かい空気。
「なっ!? ちょっと、何いってるんですか!! さっきのアレで当てられちゃったんですか!? 念のために言っておきますけど、私には好きな人がいますし、そもそも美人なんて三日でなれてしまうらしいですよ?」
この場において唯一の当事者であるシアナは、必死でその言葉を撤回させようとする。
自分の歳を『実は10歳でしたー』と偽って断ることも考えたが、彼女のプライドと『それでもいい。 いや、それがいい!!』なんて答えられそうな気がして必死に思いとどまった。
「何と言われようと、俺はお前を諦めない。 かならずお前を手に入れてやる!!」
そんなシアナに、そう力強く宣言すると、今年35歳になる歴戦の傭兵は、真っ赤な顔で足取りも軽くその部屋を出て行く。
「ちょっとー なんでこんなことになるの? 迷惑なんですけどー」
その後姿を見送るシアナの声に、その場にいた全員が深く頷いた。