不幸が【黒毛和牛】乙女を背負ってやってきた?
馬か?
牛か?
いや、あれは……
エウロペア湾に面する数多い国の一つカルデッサ王国。
その北の玄関口シトルイユの街の昼下がりに、その奇妙な旅人が現れたとき、街の人がまず最初に行ったことは、頬を抓って自分が眠ってないことを確かめることだった。
街の人々の奇行の原因、トテトテと気の抜けるような音を立てて歩くそれを、もし一言で言い表すなら、ずばり『生きている天蓋つきベッド』。
豪華な淡いピンクのフリルとレースがふんだんに使われた愛らしいそれは、間違いなく高貴なお姫様仕様である。
そして土台は二階の屋根に手が届くほどの巨大なテディ・ベア……という奇妙な組み合わせ。
愛らしいといえば愛らしいのだが、これはあまりにも非現実的過ぎるだろう。
もしこれが夢の産物でないと言うのなら、製作者はよほどぶっ飛んだ神経の持ち主だ。
そして、家具とも生き物ともつかぬこの奇妙な乗り物(?)は、こともあろうか街で一番物騒な連中の集まる場所、傭兵ギルドへと真っ直ぐ歩み去っていった。
神無世界と呼ばれるこの世界には数多くのギルドが存在しているが、多くのファンタジー作品のように『冒険者ギルド』と呼ばれるものは存在していない。
たまに個人で事務所を開いて何でも屋のようなことをするグループはあるが、それは極めて少数派である。
理由は簡単。
そんなものが存在してしまっては、各ギルドの利益が損なわれてしまうからだ。
さらに一つのギルドに異なる専門家を集めれば、おのずと発生するのがその専門分野ごとの派閥。
いくら同じチームに入れたところで、武器を扱う専門家と、魔術を使う専門家では話がかみ合うはずも無く……ようするに、どちらも自分の修めた専門分野が一番だと思いたいのだ。
どれだけ個々の実力が優れていたとしても、足並みが揃わないのであればそれはお互いの足の引っ張り合いにしかならず、故人の曰く、船頭多くして船山に登る。
結果として各ギルドは日本の行政のような縦割り社会を形成し、機能的な冒険者ギルドなど生まれようもなかった。
とは言え、一つの組織だけでは対応できない事例も多々あるもの。
そんなときは傭兵ギルドに依頼をし、そこから各ギルドに協力を要請するという形でチームを作ることになっていた。
「そろそろ客が到着する頃か?」
匂いのキツい煙草を咥えながら、頬に傷のある男がポツリと呟く。
その無精ひげに覆われた四角い顎をポリポリと掻く表情は、なんとも不機嫌で面倒くさげな雰囲気を漂わせている。
パッとみて印章に残るのは、まずその見事な赤毛だろう。
癖のない、人参のような色をした艶やかなそれを、男はろくな手入れもせずに頭の後ろで強引に束ねていた。
「そう嫌な顔をするな、ヒースリング。 向こうは神殿のお偉方だぞ」
その向かいに座った老人が、唇を吊り上げるような皮肉な笑みを浮かべ、ヒースリングと呼ばれた男をたしなめた。
「そうは言ってもな、神殿だの魔術師ギルドだのいった奴らのえらそうな態度見ていると、つい殴りたくなるんだよ。 あんたも傭兵だったならわかるだろ、ギルドマスター?」
唇で煙草をはさんだまま、こもった声で愚痴をこぼす男は、先月も魔術師ギルドから派遣された術師と揉め事を起こしたばかりだった。
実際、この世の真理に携わる彼らの態度は往々にして横柄で、魔術に疎い輩をムシケラの如く見下していることが多い。
ましてや、ヒースリングは人ではなく、彼らが"野蛮"、"粗暴"との偏見を持つ種族、セントールの一人である。
馬の首の部分から人間の上半身が生えたような形をしたこの種族は、その高い運動能力と共に気性が荒いことで知られている。
さらに学問を好まない風潮もあって、魔術師や神官ではなく戦士や傭兵になることが多いことで知られていた。
本来は異世界にすむ神の眷属である彼らだが、召喚獣としてこの世界に呼び出された最初のセントールが人間の女性と交わることで繁殖し、同じような経緯でこの世界に定着した妖精やミノタウロスといった種族と同じように、今では世界中でその姿を見ることが出来る。
ちょっとばかり高度な魔術が仕えるからといって、それがそんなに偉い事かよ?
心の中で呟きながら、ヒースリングは指先で宙に火の精霊の印を描くと、指先に灯った赤い光を煙草の先に押し付けた。
たちまち葉巻から濃い紫煙が立ち上る。
この程度の生活用の魔術ならさして学の無いヒースリングにも使うことは出来るのだが、今回の問題を解決するには、もっと高度な魔術が必要だった。
「不幸か。 厄介な」
ギルドマスターと呼ばれた老人が、苦々しく呟く。
それは、この世界に発生する災害の中でも、もっとも忌避すべき現象だった。
精神のエネルギーが物理的に効率よく変換されるこの世界では、人々の負の感情、怒りや悲しみといった精神エネルギーは形ある物として累積される。
通常ならばその負の精神エネルギーは、守護神の管理の下で軽い疫病や小規模な天災という形で消化されるのだが、それがままならない場合に発生する深刻な災害の一つが不幸。
濃縮された負のエネルギーは魔物という形をとり、何の前触れも無く人々に襲い掛かり、その苦痛や恐怖といった負の精神エネルギーを喰らいながら、際限なく巨大に成長してゆく。
小規模な不幸ならば、現れた魔物を斬って倒してそれで終わりだし、それが傭兵たちの主な収入源でもあるのだが、稀に発生する中規模な不幸になると話しが変わる。
まず影響の範囲が広すぎて魔物がどこに現れるのかが解らない。
不幸の正体とは、形あるものではなく、魔物を生み出すエネルギーフィールドなのだ。
さらに魔物の強さも跳ね上がり、中規模に突入した不幸になると通常の武器では傷をつけることも出来ないような敵まで現れる。
つまり、中規模以上の不幸が発生すると、傭兵達はいつ敵が現れるか解らないストレスと、広域をカバーするために戦力を分散するリスク、さらに高価な魔術武器の必要性に晒されるのだ。
そうなったが最後、彼ら剣を振るうしか出来ない傭兵たちだけは対処のしようがなくなる。
さらに今回の不幸の規模は"大型"と呼ばれる規模。
こうなると、魔術師や神官でも対応が不可能になり、召喚師ギルドにお声がかかる。
「召喚師か…… 神にもっとも近く、神と言葉を交わすことを許された者達だったっけな。 いったいどんな化け物が来るのやら」
地位の高い魔術師や神官ほどそのプライドは山のように高くなり、去年仕事で一緒になった河神オケアノスの神官など、その眷属である下級のオレアノスを呼び出せると言うだけ貴族のように振舞っていたものだ。
召喚術はすべての魔術の中でも難易度の近い魔術であり、家畜程度の召喚獣なら神殿の許可をとるだけで限定的に使用できるものの、何らかの魔力を持つような召喚獣と契約を結べるのは、ほんの一握りの上級神官だけだった。
ましてやその召喚術を専門とし、あらゆる術師の頂点と呼ばれる召喚師。
どんな恐ろしい性格の相手が来るのか想像するだけでも寒気が走る。
「さぁなぁ。 なんでも、相当な変わり者らしいぞ。 ちなみに、神殿のやつらはその名前を聞いただけで卒倒しおった」
肩を抱えて身震いしたヒースリングから視線を逸らし、ギルドマスターは遠くを見るような目でポツリとそう漏らした。
「はぁ? なんだよ、それ。 そんなとんでもないのが来るなんて聞いてねぇぞ!!」
ヒースリングはこの世の終わりのような顔してテーブルの上に前脚を乗せ、身を乗り出してギルドマスターの胸倉を掴み揚げる。
「話をしていたら、おぬし逃げていただろう?」
「当たり前だ! ただでさえ神殿の人間なんざお断りだっつーのに、そんな奴の相手してられっか!!」
歴戦の勇士であり、"荒駒ヒースリング"の二つ名を持つヒースリング・ストラディンガー34歳。
傭兵の一部隊を率いる彼は、その二つ名と同じぐらい神官や魔術師と言う人間が嫌いなことで知られていた。
「で、どんな奴が来るんだ? 来るのは仕方が無いし、おれも仕事だから出来るだけは我慢する。 だが、せめてそのクソったれの名前ぐらい教えてくれてもいいだろ。 それとも、下賎な傭兵ごときには名前も教えられねぇって言われたのか?」
完全に機嫌を損ねた顔で、どっかりと床に座ると、鼻を鳴らしてギルドマスターを横目で睨む。
その視線をうけとめながら、ギルドマスターは、なんとも奇妙な顔でかれの知りえた情報を口にした。
「うむ。 姓は不明だが、名はシアナ。 まだ15歳の少女だという話だ」
「は? ……マジで?」
ヒースリングがマヌケな声を上げた頃、傭兵ギルドの入り口で奇妙な騒ぎが起こっていた。
悲鳴を聞きつけ、お互いの視線だけで会話を打ち切ることを示し合わせると、ヒースリングたちは蹄の音も高らかに、現場へと足を急がせる。
そして奇妙なざわめきが支配する入り口で、ヒースリングとギルドマスターが見たものは……玄関に体が挟まって身動きが取れない巨大なテディ・ベア。
「な、なんだこりゃあぁぁぁぁぁぁ!?」
普段の精悍な立ち振る舞いからは想像も出来ない、ヒースリングの気の抜けた悲鳴が、その場にいるすべての人間の気持ちを代弁していた。
「あー ごめんなさいねー ついうっかり中に入ろうとして体がつっかえちゃったみたい」
「く、クマのヌイグルミが喋った!?」
不意にテディベアから愛らしい少女の声が聞こえてきた事に驚き、ヒースリングは無意識に腰から剣を引き抜く。
「あ、ごめん。 少し下がっててー この入り口、一旦破壊するねー エグゼビアちゃん、やってちょうだい」
その声と同時に、ヒースリングたちの返答を待たず床のフローリングからニョキニョキと太い薔薇の蔓が生えてくる。
さらに驚き慌てふためくヒースリングたちの目の前で、その蔓は緑の大蛇の如く蠢くと、凄まじい音を立てて入り口の壁を破壊した。
「な、なんだとぉ!? ……ぷぇっ、ぺっぺっ」
驚きのあまりあんぐりと開けた口に、壊れたドアの破片が入り込む。
そのささくれ立った木片を吐き出しながら、ヒースリングは近くのテーブルをひっくり返し、ギルドマスターの腕を引いてその陰に避難した。
「ふー 脱出成功。 はい、こんどは修理ねー ノウマクサンマンダボダナン・オン・マケイシバラヤ・ソワカ」
あっけにとられたヒースリングの目の前で奇妙な言葉の羅列が流れる、今度は時間を撒き戻しているかのように入り口が再生されてゆく。
「神性魔術か!?」
目前で起きている状況を分析し、ヒースリングが驚きの声をあげる。
それは守護神の属する宗教の力を借りた魔術であり、神殿に仕える神官たちが好んで使う技法だった。
だが、これほどの力をもった神官は初めてお目にかかる。
間違いない。
この気の抜けた声の主こそが、自分の待ち人である召喚師シアナなのだ。
たしかにいろんな意味で規格外の人物らしい。
ヒースリングは、ゴクリと唾を飲み込んだ。