気分上々【黒毛和牛】仕上げは同情
おい、聞いたか? 牛島家の当主、今度はミスリルを作るなんて言い出したらしいぞ?
はぁ? とうとう頭がおかしくなったか?
まぁ、あそこは親があんな感じだから、仕方が無いさ。 そのうち首でも吊るんじゃないのか?
借金のせいとは言え、そんな惨めな最後は迎えたくないものだ。
昔はあんなにも立派な家だったのにねぇ……
稔の家にラメシュワールがやってきた翌日から、島はそんな噂で持ちきりだった。
だが、稔をよく知るものは、口をそろえてこう答える。
あの化け物が、そんなヤワな根性しているわけないだろ?
そのうち、とんでもない結果を出してくるぞ。
その噂の中心である稔は、学校に顔を出すことすらなく、自宅に篭ってひたすら研究を続けていた。
まるで噴火する前の火山のように。
栄華諸島には、「ミスリルを望むような者」という言葉がある。
ミスリル……それは、銅のように引き伸ばせ、ガラスのように磨く事ができ、銀のような光沢であり、空気中の酸素と結合しない物質だといわれているが、登場する物語によっては、それ自体が魔を祓う力を纏っていたり、魔力と反応して不可思議な力を発揮することも多い。
もしそんな物質が存在したら便利だね、と魔術師達に尋ねる者がいたとしたら……おそらくかわいそうな者を見る目でポンポンと肩をたたき、「ナイスジョーク」と言われるだろう。
なぜなら、彼らにそんなものは最初から必要ないからだ。
そもそも金属というものは、それだけで魔力を帯びている。
錬金術の分野の話しをするならば、鉄は火星の力を帯びる金属であり、銅は金星の力を帯びる金属だ。
魔術師達は、その金属の帯びる属性を引き出すだけで、魔術の触媒としてそれを使用することが出来るので、わざわざミスリルなどというものを必要としないのである。
そんなものがもしあったとしても、彼らにとっては子供が自転車を乗る時の補助輪のようなものにしか思えない……ゆえに「ミスリルを望むような者」とは、「学の無いアホ」という意味になり、早い話が侮蔑の言葉であった。
硬度が欲しければタングステンでもまぜればいいし、魔力の増幅を図るならオリハルコンを混ぜれば良い。
およそ大雑把であるが、魔術師達にとってはそれが常識なのだ。
「この島の住人はなかなか面白い事を言うね。 なるほどその通りだ」
稔からそんな逸話を聞くと、ラメシュワールは子供の見た夢の話しでも聞いたかのように肩を震わせて笑い出した。
「笑ってるんじゃねぇぞ、ラメシュワール。 たぶん、外の奴らは俺のことを気がふれたと思っているって話だ」
その態度をたしなめる稔も、同じように笑いながら肩をすくめる。
「言わせておきたまえ。 この有意義な研究の前に、そのような噂など実に些細なことだ」
おそらくそれが癖なのであろう……ラメシュワールは銀縁の眼鏡をくいっと持ち上げると、不要な研究データを処分するために選別作業を再開した。
「違いねぇな。 まったく、俗世の住人でもねぇだろうに。 この島の住人はいつからそんな下種に成り下がったのやら」
稔も軽く皮肉を口にすると、噂への興味を失ったかのような顔で自分の作業に取り掛かる。
頭にMADとつくタイプの研究者二人にとって、しょせん外の住人の噂など瑣末な事象に過ぎないということだ。
「とりあえず、ベースはイリジウムにする。 これでいいな?」
しばらくして、稔は儀式の順番を記したリチュアルシートと呼ばれる一覧を書き上げて、ラメシュワールに確認を取った。
「あぁ。 我々の考えるミスリルの器として、これ以上のものは無いだろう。 こっちの作業はすべて完了したから、あとはそっちの作業の出来栄え次第ということになる」
宇宙から飛来する金属として知られるイリジウムは、その多彩な色調変化ゆえに、虹の女神イリスにちなんだ名前が与えられている。
その幻想的な名前に反して魔術に使用されることはまず無い素材だが、その名の由来が神にちなんでいるだけに、そこには言霊という力によって神の力と結びついていた。
そのあたりの部分に、どうやら稔たちも何らかの霊性を期待しているようだ。
「任せろ。 すでにレシピを検討しおわって、下拵えも万端だ。 あとはいくつかの儀式を行うだけで夢の金属の出来上がる」
稔は力強く頷くと、研究が最終段階に入ったことを告げ、その儀式の準備を始めた。
「ねぇ、ミノ兄。 結局どんな金属作る予定なの? それがわからないと、こっちも売り物にならないんだけど」
横でその研究を見守っていた藍が、不安げに口を挟む。
出来上がったミスリルの技術を資金に変える役割を負かされた彼女としては、その部分を知らなくては話にならない。
「そうだな……一言で言えば、エネルギー変調が可能な術式記憶金属って感じかな」
しばし宙を仰いで考え込むと、稔は言葉を選びながら藍に説明を始めた。
「なにそれ?」
もう少し解りやすく教えてくれとせがむ藍に、稔は小さな黒板を取り出すと、
「たとえばだ。 ここに炎の魔力があるとする」
「ふむふむ」
チョークで図を書きながら、丁寧にミスリルの性質を説明し始めた。
「それをその金属に流すだけで、その魔力が一切のロス無しで水や風の魔力に自動変換されるって性質を持っていると思えばいい」
炎+ミスリル=水 or 風 とミノルが公式のようなものを書き込むと、
「稔、それでは曖昧すぎるだろう? どんな種類の魔力も超伝導で受け入れてからその魔力の指向性を変調し、任意の魔力周波数に……」
稔の大雑把な説明に我慢が出来なかったのか、ラメシュワールが怒涛の勢いで技術的な説明を開始する。
学者にありがちな「自分のレベルで話しをする」というラメシュワールの悪癖に、
「余計わからんわ」
稔は笑ってその言葉を遮った。
「あんまりよくわかんないんだけど、結局何が出来るわけ?」
稔の懐にしがみつきながら、藍はもっと解りやすくて具体的な使用例の説明を稔に求めた。
ふむ。 と、稔は顎に手をあててしばし考え込むと、
「これはほんの一例なんだが、術式のエネルギーを吸着することで擬似的な解呪を行ったり、今まで特定の条件下でしか行えなかった儀式のほとんどが、いつでも使用可能になるだろうな」
何でもないようにそんな言葉を口にした。
「ぶっ……! なにそれ!? そんなもの世に出したら、えらいことになるわよ!!」
魔術師の常識を革変するような内容に、藍が思わずツバを飛ばす。
それはエネルギーにまったくロスの無いソーラーパネルの充電機能と、原価0でハウス栽培が出来ると言う畑違いな夢の技術を一つに纏めるようなものだ。
あいかわらず発想が突飛すぎて突いてゆけない藍であったが、おそらくあらゆる魔術を無効化し、今までは無駄になっていた種類の魔力をリサイクルできる技術だと言うことは理解した。
稔の言ったことが本当なら、それはもはや人類の宝といっていいレベルの大発見だ。
その製造方法を得るためなら、多くの国の魔術結社が戦争をも辞さないだろう。
とんでもなさすぎるその価値に、藍は素直に喜ぶことができず、その目に怯えの色が混じりはじめる。
その肩がかすかに震えていることに気がつくと、稔は優しく藍を抱きしめた。
「藍。 お兄ちゃんは、お前たちさえ無事ならば、世界がぶっ壊れても構わないと思ってるんだ」
「なんかすごくいい台詞に越えるけど、思いっきり何かが破綻してるわよ、それ!」
稔の破綻した価値観を再確認すると共に、藍は容赦なくその腹筋でガチガチに固まった腹へと肘を叩き込んだ。
「こらこら、人の腹につつくな。 モンジャの原料がでちゃうだろ。 心配しなくてもイリジウムは極めて希少な金属だし、元素変換でイリジウムを作るなんて荒業は、俺とラメシュワールが揃っているからできる芸当だ」
イリジウムは希少金属な上に、錬金術でもほとんど研究されていないため、その研究はほぼ手付かずと言って差し支えない。
さらに、近代になってから見つかった元素の類は、その固定観念のために極めて魔術と相性が悪かった。
まず俗世全体に蔓延っている『これは科学的な物質であり、魔術とは縁遠い』という認識が、魔術を阻害するのだ。
「とりあえず、作った後のことは後回しでいいじゃないか。 早く完成させよう。 僕は結果が知りたくて仕方が無いんだ」
経済や社会への影響に興味の無いラメシュワールは、そんな藍の懸念を無視して苛々と稔の作業を急がせる。
「そうだな。 とりあえず、イリジウムをベースに、エーテル化したアルミニウムと金を定着させるぞ。 祭神はイリジウムで、上から金、次にアルミニウムの序列で祭儀を行う。 後でパラジウムを入れるかもしれんが、たぶんこれがミスリルの基本の配合になるだろう」
科学用語と魔術用語が混沌と入り乱れた台詞を吐きながら、稔は手早く着替えを持って禊に出かけた。
そして体を清めると共に、狩衣に烏帽子という衣装に身を包んだ稔は奇妙な儀式を準備しはじめた。
祭壇に置かれたのは、銀色に輝くイリジウムのインゴット。
その前には、なにやら位牌のような形をした金属が二つ並んでいる。
「高天原に神留坐す 皇親神漏岐神漏美の命を以て 八百万の神等を 神集に集賜ひ 神議に議賜て 我皇孫尊をば 豊葦原の水穂の国を 安国と平けく所知食と事依し奉き……」
その祭壇を前に、稔は低く腰に響く声で『中臣祓』と呼ばれる祝詞を唱え始めた。
「かけまくもかしこき いりすのまがね こがねのみたま あるみにうむのみたまのまえのひろまえに かしこみかしこみもうしひさく……」
やがてそれが、全く聞きなれない奇妙な祝詞に変わるにつれて、藍の目は呆れて点になる。
「ねぇ、なんでミノ兄は、イリジウムやアルミニウムを神として祭ってるの?」
ちょいちょいとラメシュワールの肘をつついて、藍はその奇妙な儀式について質問を浴びせた。
だが、その瞬間、ラメシュワールの目がカッと見開かれる。
「そこがこの技術のすごいところなんだよ!」
その瞬間、完全に人が変わったラメシュワールの口から、怒涛のような解説があふれ出し、愛は思わずのけぞった。
「いいかね、よく聞きたまえ。 そもそもこの技術は一つの物質をべースにし、エーテル化させた物質を憑依させることで、複数の存在が一つの物質として機能し、さらにその物質のもつ都合のいい部分だけをアクティブにすることができるのだ!」
「あ、ああ、あのですね。 もうすこし、このあたしにも解るように、出来るだけ専門用語の無い説明で」
完全に聞く相手を間違えたことを悟りながら、藍は必死に会話のレベルを下げるように懇願する。
だが、暴走モードに入ったラメシュワールは、ノンストップどころか息継ぎ無しの勢いでさらに専門用語の洪水を垂れ流した。
「魔導工学に造詣の無い君のために説明するなら、エーテル化とは、物質の性質などを上位世界に移動させることでデータ化し、その性質のみを取り出す技術の事。 いままで非生物の物質をエーテル化することに成功しているのは錬金術の一派のみであったのだよ。 まぁ、この僕が同じことに成功したからもはや彼らだけの特権ではなくなったがね。 ふふふふふ」
自慢と同時に、その絶好調な舌は、さらに移動速度を上げて解説を続けるが、もはや藍には何がなんだかわからない。
「本来それは、第一物質を作る際に、余分な性質を消去するために発達した技術だった。 現在は異世界でエーテル化した物質をこちらで再物質化させることで、異世界の産物をこの世界に持ち込むという使い方をしている。 逆に言えば、彼らの技術ではその程度が精一杯ということだ。 なお、現在の錬金術の技術では、一つの物質に複数のエーテルを付与した場合、内部でエーテル同士が混同してしまうのでエネルギーは減退もしくは外へと向かう純粋なエネルギーとなって拡散してしまう。 これは物理的な爆発という形で具現化するので極めて危険だ。 それに物質にはもともとエーテルが内包されているため、エーテルを定着させるのは、エーテルを持たない第一物質にのみ可能な技術。 だが、第一物質に一つのエーテルを注いだところで、単にエーテル体を元の物質に還元するだけの事にしかならない。 わかるかね? 無駄なのだよ!」
ラメシュワールの熱はとどまることを知らず、ただその嵐のような言葉の雪崩は藍の右耳から左耳へと通過するのみ。
「だが、神道の技術は、そのアニミズム(自然崇拝思想)により、そのエーテル化したものを神格化することで、エーテル同士の混同と衝突を防ぐことができる。 さらに素体となる物質を聖域とする事で複数のエーテル体を特定の物質に…… こら、真面目に聞きたまえ」
地面に突っ伏した藍にようやく気付き、ラメシュワールはその凶器のごとき解説にストップをかけた。
「なにやってるんだ、ラメシュワール。 あまりうちの妹を苛めるなよ? ほら、神格化と霊的経路の設定が終わったぞ。 あとは金とアルミニウムの神格をエーテル化してイリジウムの中に見立てた祭壇に移動されるだけだ」
恭しく布で包んだ金属片を手渡し、稔はいい汗を書いたとばかりにふーっと息をつく。
「お、おおお……これが! これが神格化した金属か! すばらしい! たしかにこの中に神の息吹を感じるぞ!!」
興奮して舞い上がったラメシュワールが、その布に包んだ金属をかかえて、インド映画の俳優のような見事なステップで隣の実験室に駆け込んでゆく。
「藍も立ち直ったら実験を見に来るといい。 歴史的な瞬間になるぞ」
ぐったりとして言葉も無い藍を部屋の隅のソファーに運び込むと、稔もまたラメシュワールの後を追って部屋を出て行った。
「うわー すごい光景ね」
復活した藍が隣の部屋でみたものは、ノートパソコンを何台も平行して起動させ、仮想空間内に擬似神殿を作り出している稔とラメシュワールの姿だった。
仮想空間に神殿を作り出すソフトはセコイアというフリーの3Dグラフィックツールなのだが、そのデータを万能章と呼ばれる魔術ベースのノートパソコンに放り込むと、稔はKotohogiという、自作した自動祝詞作成・奏上プログラムで、神殿の中を霊的空間へと作り変えてゆく。
さらにラメシュワールが材料となる物質からエーテル部分だけを抜き出し、エーテルを電気信号に変えて稔の作った仮想神殿へとインストールすると、そこはもはや完全に仮想天界。
そして一旦仮想空間に保存した神格を、今度はラメシュワールと稔が一週間かけて開発した自作ソフト「ジャガーノート」によって、神殿化したイリジウムの中に招き入れる際のシミュレーションを開始した。
さらに二人は万能章にデータを打ち込んで、そのイリジウムの中に作った神殿の"ご利益=能力"を設定し、その祭った神格の性質の中から都合のいい性質のみをピックアップして定着させるシミュレーションに移行する。
「ラメシュワール、金の展性とアルミニウムの皮膜形成の性質は無事に移せたようだが、重量はどうする?」
不意に稔が入力の手を止めて、ラメシュワールを振り返った。
「どうせ持ち運びするなら軽いほうがいい。 誰しもが君みたいな筋肉の塊では無いと理解したまえ。 それよりも、君が作ったエネルギー偏向タリズマンの稼動状況はどうだ?」
こちらは稔の顔を見向きもせずに、ただ無心にモニターを見ながら指を動かしている。
「問題あるはずが無いだろう? 誰に向かって言ってやがる」
稔は男臭い笑みを浮かべると、モニターに向き直ってさらに激しくキーをたたき始める。
実に楽しそうなその光景を見ながら、藍はなんとなく疎外感を感じてした。
自分も稔のように何か魔導工学の分野を勉強していたら、彼らの中に入って行けたのだろうか?
そんなことを考えながら、藍は稔たちに背を向けて、その部屋を出てゆこうとした。
「藍、ちょっといいか?」
モニターに目をやったまま、稔はその背中に声をかける。
「相手してやれなくてゴメンな。 5分もあればデータ入力が終わるから、休憩に入る。 玄米茶を淹れてくれ。 熱いのを頼む」
ちゃんと見ているんだぞという意思表示をしながら、藍にそのままどこかへゆくようなことがないように釘を刺す。
「ばーか。 猫舌のくせに変な気回すんじゃないのミノ兄。 ちゃんと集中してないと、バグ出してラメシュワールさんに首絞められるわよ?」
振り返って舌を出しながら、藍は玄米茶を淹れるために厨房へと駆け出していった。
そして……彼らの研究は、ついに最終局面を迎えた。
「よし、すべてのデータがダウンロードされた。 この箱を開ければ、そこには我々の未来が待っている」
ラメシュワールが力強く宣言すると、
「あけるぞ」
稔が息を呑んでおそるおそる手を伸ばし、その金属の収められた専用のゲージの蓋を持ち上げた。
「こ、これは!?」
ラメシュワールが愕然とした声を上げる。
その箱の中に入っていた物質は、彼らの理想とは大きく異なる、まるで水銀のような液体の金属だった。
「くっ…… まるでヒルコだな。 失敗作か」
その、文字通りつかみ所の無い金属を一瞥すると、稔はその状態を日本神話になぞらえて悪態をついた。
思わぬ失敗に、ラメシュワールもまた肩を落とす。
「み、ミノ兄……だいじょうぶだよ! ここまで失敗無しで来れたほうが奇跡なんだから! 次はきっと成功するって! ね?」
項垂れた男二人を励ますように、藍は必死に二人の芽を見上げて言葉をかける。
すると、
「藍、慰めはいい。 しばらくこうしていていいか?」
稔は、いきなり腕を伸ばして藍を抱きしめた。
その逞しい体と、縋るような腕、汗の混じるかすかな男の臭いに、藍の鼓動が急に高まる。
「だ、だめよミノ兄! その……私だってお年頃なの!! いつまでも子供じゃないの!!」
いけない。
これは男じゃなくて"兄"なの!!
藍は心の中で必死にそう叫び続ける。
「ダメだ。 動くな」
だが、稔はその鬼神のごとき力で藍の体をがっしりと抱え込み、どんなに嫌がっても離してくれない。
お願い、もう……やめて。
拒みきれなくなっちゃう。
藍の目から、一粒涙がこぼれた。
そして、そのまま10分ほど経過しただろうか?
不意にミノルとラメシュワールは、お互いの顔を見合わせてニヤリとほくそ笑む。
「行ったか?」
「あぁ、気配はもう無いな」
確認するかのようなラメシュワールの声に、稔が頷く。
そして、稔は藍をその腕から開放すると、低い声で笑い出した。
「くっ……くくくっ……」
「ふ、ふははははは」
ラメシュワールもまた、それに吊られたように笑い出す。
「あーっはっは! おめでとう、ラメシュワール!」
ひとしきり笑うと、稔はその野性味溢れる顔に満面の笑みを浮かべて、ラメシュワールに手を差し出した。
「あぁ、何もかも君のおかげだ、稔。 しかし、君の演技はなかなかよかったぞ」
ラメシュワールもまたニヤリと笑ってその手を握り返す。
「そっちこそ、アカデミークラスの名演だったぜ!!」
お互いを称える稔とラメシュワール。
一人状況が理解できない藍は、きょとんとして二人の顔を見つめた。
「ねぇ、何がどうしたって言うの? あの水銀みたいなもののどこが完成品なのよ!!」
「まぁ、気付かないかもしれないが、あれはわざと液体になるように調整しておいたのだよ」
ラメシュワールが、いつものように眼鏡をくいっと押し上げて、藍にに微笑みかける。
「むしろ、融解の手間が省けるだけ使いやすいかもな。それにアレだろ?」
「ミノルも気付いたか」
ふたたび藍を置いてけぼりにして、男二人がお互いにうんうんと頷く。
「あぁ、ヴリトラの相手した時に見ていたからな」
「そうだ。 データ入力の時に融点と沸点を変えておいた。 ついでにゲージのほうにも沸点をかえるギミックを仕込んでおいたんだ」
「ねぇ、どういうことよ? ちゃんと説明して!!」
「つまりだ。 俺達にはずーっと監視がついていたんだよ。 錬金術師たちからな。 だから物質のデータに仕込みを入れて、データを盗んでもまともに作成できないように調整しておいたんだ」
稔が自慢げに胸をそらすと、
「あれをそのまま作ろうとしたら、大爆発をおこすはずだ」
ラメシュワールが眼鏡を指をあてて陰険な笑みを作る。
「じゃあ、失敗したように見せかけたのは全部演技!?」
愕然とした藍は、おもわず口をポカンと開いた。
「藍が本当にうろたえているから、笑い出しそうでどうしようかとおもったぜ」
藍を抱きしめておきながら、この男はそんなことを考えていたのである。
「つまり、何も問題はなかったのね?」
醒めてゆく心をはっきりと感じながら、藍は冷静をよそおって稔たちに確認をとった。
「その通り! これで巨万の富が君達のものだ!」
ラメシュワールが笑顔で稔の肩をたたく。
「感謝する、ラメシュワール」
「僕は単に借りを返しただけに過ぎない。それに、この成功は君の助力あっての事だ。 胸を張りたまえ」
男達二人の間に"のみ"、清々しい空気が流れた。
まぁ、目的は達成されたのだから、沈んでいるというのもおかしな話である。
そして、稔がくるりと藍を振り返り
「ところで藍。 いつまでも子供じゃないってどういう意味だ?」
まるで不意打ちのようにそんな疑問を口にした。
その瞬間、藍の心の中にある薬缶の中身がその沸点を越える。
「み、ミノ兄は少し成長しなさいっ! このお馬鹿ぁぁぁぁっ!!」
乙女の怒りという名の熱湯で、稔が大火傷をしたのは言うまでも無い。
そして後日。
ラメシュワールが見つけてきた企業にミスリルの技術を売りつけることで、さし当たっての経済危機は救われた。
いや、それを大きく上回る収入により、牛島家の家計はかつてないほどの平穏を迎えていると言って良いだろう。
それにミスリルの生成方法は公開したものの、ミノルとラメシュワール意外にそんな無茶な儀式を行える人材も無く……
ラメシュワールと定期的に協力することで、市場の相場をコントロールすることを提案した藍は、独占的な市場を形成して現在は危機として暴利をむさぼっている。
だが、そんな平穏な時が長く続くはずもなかった。
「ミノ兄! 大変!!」
「今度はどうした!?」
部屋に飛び込んできた藍に、稔はガンプラの原型を作る手をとめて振り返る。
「さっき、台所のテーブルにこんな置手紙が!!」
藍の差し出した手紙には、こんな文面が記されていた。
「可愛い息子と娘へ
いや、がんばってるねー 使い魔に家の預金状況調べさせたら一杯お金があってビックリしたよ。
実はいま、素敵な豪華客船を作っているんだけど、資金繰りがストップしていて困っていたんだ。
そのうち返すから、ちょっとお金借りてゆくね!
あと、この請求書も清算よろしく。
by パパ」
「……預金の残りは?」
青い顔して問いただす稔に、
「聞くまでも無いでしょ。 神人たちのお給料払ったらあとはカツカツよ」
人形のように無表情な藍が、事務的に言葉を返す。
「せめて自分達の口座でも作れたら少し違うのかもしれないけど、それ以前にあの親父の使い魔共をどうやって出し抜いたらいいのか……」
「あんの……貧乏神があぁぁぁぁぁっ!!」
その月、稔は億単位の負債をかかえて馬車馬のように働いたという。
牛島家に安息の日々は来ない。
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