誰にだって【黒毛和牛】欲はあるだろ?
「おまえ……もしかしてラメシュワールか!?」
あまりにも意外な相手からの電話に、稔がポカンと間抜けな顔を晒すと、藍が「誰から?」と尋ねてくるが、稔はそれを手で制し、まずは話を聞ことにした。
「ご名答だ。 貴殿を見込んで話がある。 こんなことをいえる身ではないのは承知の上で、どうしても話したいことがあるのだ」
その声に、深い憔悴を感じた稔は、自分たちこそ危機的状況にあるにもかかわらず、彼の相談に乗ることを決めた。
「込み入った話になりそうだな」
「あぁ。 すまないが、長い話になりそうなのでそちらに伺ってよいだろうか?」
思いもかけず優しい稔の声に、ラメシュワールはやや戸惑ったような様子を見せたが、他に頼る相手もいないのか、すまなそうに来訪の意志を告げた。
「構わんが…… 俗世で問題を起こすなよ?」
魔術師ばかりがすむこの島の住人は、魔術の無い社会のことを俗世と呼んで、これに関わることを忌み嫌っている。
ゆえに、俗世で問題を起こすことでこの島に俗世に注意が集まるようなことがあれば、かなり大きな責任問題となるのだ。
さまざまな都合により、日本円を貨幣として利用したりはしているものの、この島はほぼ独立政府と呼ぶに等しい政治的形態をとっている。
「心配ない。 俗世に出る気は無いし、そもそも興味も無い。 そっちの島の転移門を使うから、案内を頼めるか?」
栄華諸島のように魔術師だけで形成されている地域は世界中に点在しており、転移門とは俗世を経由することなくお互いの里を行き来きするための交通機関だ。
かといって、そう気楽に使用できるものではない。
次元を捻じ曲げるという難易度の高い魔術を使用するため、一般的には公共交通機関として位置づけされており、国境を越えて移動する場合は入国管理の手続きなども必要である。
飛行機や電車のような定期便も出ており、移動が一瞬であるほかは空港と変わりない施設だと思えば理解が早いだろう。
「それならウチに直接門を開く。 いまから、こちらで色々と準備をするから少し待て」
稔の家は、かつての格の高さゆえに、自宅に転移門を所持している稀有な存在だった。
個人でジェット機と飛行場を所有しているようなものだと言えば、そのかつての格の高さがわかるだろうか?
その門を売れば借金が返せるのではないかという意見もあるが、金があればあるだけ使ってしまうのが稔の親と言う生き物であり、大事な我が家を交通機関として提供し、不特定多数の行き来する場所にしたいなどと誰が思うだろうか?
稔は藍にラメシュワールの入国手続きを依頼すると、電話の声に興味をひかれた神人達にも来客の準備をするように指示を出した。
「準備が整ったらこちらから連絡をする。 そっちは最寄の門のところまで移動しておいてくれ」
「ありがたい。 感謝する」
稔の心遣いに感謝の言葉を述べると、ラメシュワールは別れの言葉を口にして通話をきった。
牛島家の応接間は、稔が神無世界で使用していた神社のように、入異郷の術で作り出した庭園風の場所である。
色とりどりの花と緑溢れる庭園に、緋繊毛の絨毯を敷いて客をもてなすのが、牛島家の慣わしだった。
茶菓子は出さず、客に出すのは念入りに吟味された茶を一杯だけ。
景色を楽しむなら余分なものは不要というのが、牛島家の言い分である。
牛島家に招かれたラメシュワールは、その潔いまでに無駄をそぎ落とした考え方を言葉短く賛美した後、時間が惜しいとばかりに本題を切り出した。
「黒毛……もとい、ミノル。 君はミスリルと言う金属を知っているか?」
その口から飛び出した単語に、稔は怪訝な表情を浮かべて頷いた。
「呼び名に関しては勘弁してやろう。 ミスリルか。 たしかゲームや小説でおなじみの空想上の金属だったと思うが?」
「その通りだ。 現実には存在せず、ただ漠然と便利で強力な魔力を秘めた物質だと認識されているソレだ」
警戒されるのは想定内とばかりに、ラメシュワールは酷薄と呼んでも差し支えない怜悧な顔に、薄い笑みを浮かべて稔の認識を補足する。
「その御伽噺がどうかしたのか?」
だったら何なんだ? と言わんばかりのミノルだったが、ラメシュワールが極めて実利主義的な思考のもの主であることを思い出し、そっとその鋭い目をのぞきこむ。
「……実際に作ってみないか?」
稔の目に好奇心の炎がちらつくのを感じ取り、満足げに頷くと、ラメシュワールはおもむろにそう切り出した。
「作るって、ミスリルをか!?」
「その通りだ」
とてもラメシュワールの口から出たとは思えないような、その荒唐無稽な申し出に、稔はお茶が冷めるのにも構わずにしばし絶句する。
「いや、いくらなんでも存在しないものを作るのは……」
長い沈黙の後に稔の出した答えは、拒絶にも似た言葉だった。
「できるだろ? 君の作り上げたあの理論を使えば」
だが、ラメシュワールはその台詞を鼻で笑うと、狂気すら感じる鋭い目で稔を見据える。
「あの理論? まさか、マテリアル・パンテオン構造式のことか!? あれはまだ理論として出したばかりの段階だし、実証もまだなら、実際に開発するにも無理がある!! 俺も独力での開発は諦めたヤツだぞ!?」
その意図を読み取り、稔が警戒するように声を荒げる。
一般には魔法薬の権威として名の知れた稔だが、同時に新しい理論による魔術の開発をする抽象魔道理学と呼ばれる、俗世における物理学のような研究者としてもその才能を発揮していた。
マテリアル・パンテオン構造式とは、その抽象魔道理学の学会に先月発表したばかりの理論であり、公表するなり『実現不可能』の判子を押された鬼子のような技術であった。
「そう、君の国にあると神道の勢力の技術と、その神道とはあまり仲の良くない錬金術の勢力の技術の両方が必要不可欠だからね。 あの技術は極めて画期的でありながら、政治的な問題により決して実現することはないであろう。 その意見もおおむね正しい」
そう、ミノルが神道の勢力と袂を分かつ気がなければ、その理論の完成は間違いなく不可能である。
「わかっているなら話は早い。 無理だ」
稔の家で祭っている牛頭天王は、日本神話においてはスサノオノミコトと呼ばれる神であり、その身内と言っても良い勢力を裏切るなど、稔にはとうてい受け入れられない提案だった。
だが、ラメシュワールは、稔にとってこの上もなく甘く香る言葉を用意していた
。
「もし、この僕が錬金術の部分を埋める言ったら? 君の理論を読ませてもらったが、錬金術の理論が必要な部分は、僕の持っている技術で代用が可能だ」
画期的な能力を持つ新素材の開発。
お蔵入りするしかなかった自分の理論の実現。
その技術を担保に融資を受ければ今の状況を解決できる……どれをとっても、身震いがするくらい魅力的だ。
「あ、あ、あんたの方の技術大丈夫なのか?」
ガクガクと震え、小便を漏らすんじゃないかと思うほど興奮しつも、なんとか歓喜を押さえ込んだ表情で稔がそう念を押すと、ラメシュワールは自信たっぷりに頷き、
「僕の契約した神を知っているだろう? なによりも神無世界で実力はみてもらったと思うが?」
崖っぷちにしがみついていた稔の理性を、奈落の底に突き落とした。
「い、いいだろう。 だが、作ったものはどうする気だ?」
血走った目で実るが体を前に乗り出すと、
「僕は根っからの技術者だ。 作ることに興味はあるが、それをどうするかについてはあまり興味が無い。 まずは落ち着きたまえ。ずいぶんと切羽詰っているようだが、察するに……なにか金銭的なトラブルにでも巻き込まれたか?」
銀縁のめがねをくいっと押し上げて、ラメシュワールは稔の肩を抑えて落ち着かせた。
「そ、そこまで察しているなら聞かないでくれ」
みっともないところを見せてしまったと気付き、稔が顔を赤らめて視線を逸らす。
「それは失礼。 まぁ、君には以前迷惑をかけた。 借りを返すのも吝かではない」
無知で野蛮な人間を好まないラメシュワールだが、稔の隠し事の出来ない純朴さは嫌いではない。
それ以前に、天才と呼ばれる自分と同じレベルで意見を交わすことが出来る存在は貴重だ。
他意はないことをラメシュワールが笑顔で示すと、稔は素直に頭を下げて、改めてラメシュワールへの協力を快諾した。
「ありがたい……そのへんは、ウチの妹にも協力してもらうことにする。 経済の専門なんだ」
ミノルはほっとした表情で、すっかり冷めてしまったお茶をすする。
「ふーん、それでミスリルを作ることができたら、その特許をくれるって言うわけだ?」
いきなり呟いたのは、いつのまにか忍び寄っていた藍であった。
「何なら念書でも記しておくかね?」
ラメシュワールが笑ってそう提案すると、
「いいわ。 そんなことをしてもミノ兄の顔を潰すだけだし、ウチに喧嘩を売るって事がどういうことが理解できないほどマヌケには見えないしね」
藍は、興味が無いとばかりに肩をすくめ、こちらの様子を敵を見るような目で見守っていた神人達にも解散するように手で合図をおくった。