迷える深き思考の森と【黒毛和牛】尽きることなき求道の旅へ
「はい、よく出来ました」
ミノルがしぶしぶと頭を下げると同時に、どこからともなくそんな声が響く。
音の主を探すと、えらく人目を引く容姿をした人物がシアナのすぐ横に佇んでいた。
豪奢な金色の髪に、エメラルドのような瞳。
女にしては高く、男にしては低い身長。
中性的な顔立ちもあいまって、まったく性別が判別つかない。
銀髪のシアナの隣に並ぶと、それだけで耽美な絵画の世界の出来上がりである。
「あの、どちらさまでしょう?」
シアナがそう尋ねるが、その返事が帰ってくるよりもはやく、ミノルの怒鳴り声が響き渡る。
「アドニス!? テメェ、よくもぬけぬけと!!」
ミノルからアドニスと呼ばれた人物は、弦楽器のような深みのある声で笑うと、指を振りながらミノルの正面に向き直った。
「だめですよ? 今、そこのお嬢さんに怒られたばかりでしょう。 私に喧嘩を売るとまた叱られるんじゃないですか?」
やさしく諭すような言葉でありながら、どうにも神経を逆撫でるその人物は、まるで山猫な笑みを浮かべる。
「だったら、喧嘩じゃなくて決闘だ! 俺と戦え、この卑怯者!!」
「お断りします。 子牛と決闘なんてしたら笑いものじゃないですか」
ミノルを嘲笑いながら、見事な金髪をさらりと手で撫で付ける。
ただそれだけで、周囲の人間の背中にゾクっと衝撃が走るような色香が漂った。
「それに今、あなた自分に非があると認めたでしょ? なら、向こうの世界で行った破壊活動にも謝罪があってしかるべきですよね?」
見惚れるような笑顔を浮かべながらも、言うことはエグい人物である。
「そ、それは……」
「謝罪として、こちらの神殿でキッチリ働いてくださいね。 それとも、その点についてもそこのお嬢さんに叱っていただきましょうか?」
「き、汚ねぇ……!」
シアナをだしにミノルの攻撃を封じ込めることに成功すると、その人物はクルリと周囲の人間に向き直った。
「あ、自己紹介が遅れましたね。 私は召喚師ギルドの導師を務めておりますアドニス。 そこのミノル君のお父上に頼まれて、彼をこの世界に堕とした召喚師です」
「「えぇぇっ?」」
アドニスが少年とも女ともつかぬ艶やかかな声で告げると、シアナをはじめ周囲の野次馬たちが驚きの声を上げる。
召喚師ギルドの導師とは、文字通り召喚師ギルドの指導者であり、神殿の重鎮。
その地位は、その辺の王族よりも高い。
もし彼らの機嫌を損ねるようなことになれば、その国は召喚獣という恩恵を失い、労働力も生産力も、なにより軍事力が低下する。
ともすれば、神罰の名の下に召喚獣が派遣され、大規模な破壊活動が行われるかもしれない。
それは、国の滅亡を意味していた。
つまるところ、とんでもないVIPなのだ。
「あぁ、おかまいなく。 私、特別扱いされるのは嫌いですから」
「いや、さすがにそういう訳には…」
その場にいた騎士の一人が恐る恐る答える。
特別扱いされたくないなら、わざわざ名乗りを上げるなよ……その場の全員が心の中でツッコミを入れた。
「いやいや、本当に堅苦しいのは嫌いなんですよ。 あ、でも、無礼な人も嫌いですからそのつもりで」
そしてこの人畜無害スマイルである。
『こいつ、性格悪い……』
その場にいる全員が思った。
「ちなみに……そこの始末に終えないお子様は、子牛の姿にされたのがえらくご不満で、この私を蹴り殺そうとして暴れていたのです。 おかげで狭苦しい場所に隠れるハメになり難儀しました」
当然ながら、周囲の視線が一箇所に集まる。
「し、しょうがないだろ! こいつは俺が黒毛和牛って渾名で呼ばれるのが大嫌いだと知っていて、わざとこの姿にしたんだぞ? 一度ぐらいミンチにしたっていいじゃねぇか!!」
とんでもないことを言いながら、腹立ちまぎれにその辺の石を蹴り飛ばす。
弾丸のようなスピードで飛んでいったその瓦礫は、近所の風見鶏と共に砕け散った。
「あーやだやだ。 魔術の類は使えないというのに、まだこの馬鹿力ですか…末恐ろしい。 魔王として覚醒する前に、ここで始末したほうが世の中のためかもしれません。 肉もしまっているし、すき焼きにしたらとても美味しそうです」
冗談めいた台詞だが、その目は完全に据わっている。
ミノルの目に再び剣呑な光が点り、周囲にはピリピリとした空気が流れ始めた。
「うーん、その必要は無いと思うんだけど」
緊張感の無い声でそう告げたのは、それまでアドニスの隣でおとなしく話を聞いていたシアナだった。
「シアナさん……でしたか。 先ほどのお手並みは見事でしたが、これはあなたが思っているような存在ではありません。 神殿の予言を司る部署も、彼が魔王としてこの世界を破滅に導く恐れがあると予測を出しています。 そうでなくても、この粗暴な性格ではいずれこの世界に大きな災いをもたらす事になるでしょう。 そうなったとき、誰が彼を止めるというのですか?」
子供をあやすような、別の言い方をすれば明らかに見下したような口調で、アドニス導師はシアナを諭した。
だが
「彼を止めるのは意外と簡単ですよ?」
「……は?」
シアナの言葉に、誰もが耳を疑った。
「この俺を止めるだと? やれるものやらやってみやがれ!!」
プライドを傷つけられて、ミノル不機嫌な表情を向ける。
だが、シアナはミノルとアドニスの間に移動すると、
「はい、おしまい」
といった。
「は? 何を考えているか知らねぇが、邪魔だからどけ。 その性悪導師を八つ裂きにしてやる!!」
「だったら力ずくでやればいいじゃない」
そう言うなり、シアナは腰に手を当てて、ミノルの前で仁王立ちになった。
「さぁ、どこからでもどうぞ? 無抵抗な人間に暴力を振るえるなら」
つついただけでも壊れそうな少女が、その薄い胸を張って凶暴な子牛を挑発する。
「およしなさい! 怪我ではすみませんよ?」
アドニスが止めに入るものの、シアナは頑としてそこを動かない。
「大丈夫。 ミノ君って、うちのパパとよく似てるから」
「どういう意味です?」
不可解な返答をしたシアナに怪訝な声で尋ねると、ニッコリと笑って
「自他共に認める強面の癖に、中身は救いがたいお人よし。 普段は野性的で豪胆なのに、実は全部ただの強がり。 で、しかも情にもろくて厄介ごとばかり引き受ける歩く貧乏くじ。 普段は頼りになるけど、恋愛沙汰になると何も出来なくなるヘタレ男」
その台詞の一つ一つにミノルの体がビクリと反応する。
「ママは『猛獣系草食男子』って呼んでたよ」
「俺のどこがヘタレ男だ! 言ってもらおうじゃねぇか!!」
「そこまで言うなら、押し倒してみなさいよ。 あんたのガキなら何人だって生み育ててあげるわ!」
10歳前後の姿から出てきたこの大胆な台詞に、周囲の人間が残らず硬直する。
シアナが一歩前に出ると、
「……………………あぅ」
ミノルは目を見開いて、全身に脂汗を流し始めた。
「シアナさん、ちなみに今の台詞の意味わかってます?」
「んー パパがさっきのミノ君と同じことを言った時、ママが言った台詞そのまんま使ってみただけ」
「左様ですか」
呆れた声を上げるアドニスを尻目に、シアナは高らかに宣言する。
「これでみんなわかったでしょ? こんな人に魔王なんて無理。 優しすぎるわ」
その台詞と共に、さらに一歩踏み出す。
「判らないほうがどうかしてるのよ」
その台詞と共に、じりじりと後退りをするミノルの鼻面を細い両腕で捕まえる。
力を入れれば簡単に振りほどけるはずなのだが、件の暴れ仔牛は、いやいやと首を振るだけでその動きが完全に押さえつけられていた。
しかも非力に少女だ。
「降参する?」
「…………こ、これで勝ったと思うなよ!!」
シッポをだらりと下げて吼えたところで、誰がどう見ても全面降伏である。
「ぷぷっ、ひ……ひいぃぃぃ、もぅ、だ、だめ! く、苦しい! ぷははははははははははははははははは」
その瞬間、誰かが腹をかかえて笑い出した。
「て、テメェ! 何を笑ってやがる! 殺すぞ!!」
烈火のごとく怒鳴りつけるが、笑い声の主である導師アドニスは、高そうなローブが汚れるのもかまわず地面に突っ伏して笑い転げる。
よく見ると、周囲の神官や騎士団の面々も口に手を当てて俯いて何かを堪えている。
「く、くそっ、貴様らちょっとでも笑ってみろ……そのケツを月まで蹴り上げてやる!!」
「……や、やめて! 苦しい!! し、死ぬ! ぷはははははははは……あはははは! ゲホッ! 気管にはいった……」
ゲホゲホと体を丸めて地面にうずくまる。
「死ね! いっそキサマなどそのまま死んでしまえ!!」
ここぞとばかりに導師アドニスに蹴りを加えようとするミノルだが、その前に再びシアナが立ちふさがった。
「乱暴しちゃダメでしょ? 無抵抗な人に危害を加えるなんて、かっこわるいよ!」
「……………………危害を加えられているのはむしろ俺の名誉だ」
ぶすっとした顔でぼやくと、そのままおとなしく膝を折って座り込んだ。
「……覚えてろよ、アドニス!」
「ええ、覚えてますとも。 だれがこんな面白いこと忘れるものですか」
「やっぱり忘れろ!!」
「きっぱりお断りします」
「おのれ……神の子たるこの俺をここまで笑いものにして、ただですむと思うなよ!?」
凄まじい殺気をまとってはいるが、もはや彼の言葉に恐怖するものはいなかった。
「どうぞ、ご自由に。 えぇ、そこのお嬢さんの言うとおりでした。 まさか、世界に破滅をもたらす危険因子と聞かされていた悪魔の本性が、こんなかわいい子供だったとは驚きです。 いや、私とした事が迂闊でした」
実に愉快そうな声でそう告げた後、ローブについた土を叩きながら導師アドニスは落ち着いた声でミノルに告げた。
「さてと、そろそろまじめな話をしましょうか。 ミノル、あなたに神殿を代表して罰を宣告します」
子供がやった事とは言え、街を破壊してそのまま笑って許せと言うわけにはゆかない。
「あなたには、この街の復興と、商店街の再開発を手伝ってもらいます。 ようは、土木工事ですね。 得意でしょ?」
この手の罰をミノルに下すのはこれが初めてではない。
なにかあるたびに物を壊すミノルは、この年にしてすでに土木作業のスペシャリストであった。
「ふん、いいだろう」
あくまでもえらそうにふんぞり返る子牛。
似合わない姿でそんな態度を取れば滑稽だということにいまだ気づかないでいる。
「まったく可愛げのない……いや、これは別の意味でかわいいのかもしれませんね」
「だ、誰がかわいいかっ!!」
強く見られたい。
侮られたくない。
子供なら誰でもそう思うだろう。
ましてや男ならそう願わずにはいられないものだ。
この可愛げの無い言動も、全てそんなところから来ているのだろうか。
だが、いつか気づくだろう。
強いということが、単純に相手を圧倒する力を持つ事と等しくは無いということに。
「とりあえずそうですね、まずはお掃除からはじめてください」
どこからか取り出した箒と塵取りをミノルに手渡し、アドニスは心の中で呟いた。
ようこそ、少年。
果てし無き迷いの森へ。
永遠に尽きることなき求道の旅へ。
自分の弱さを自覚することで、君はようやく入り口にたどり着いた。
だが、その少年は
「人間の姿に戻せ! こんな姿で箒がもてるか!!」
子牛の姿で、ただ怒りに打ち震えていた。