第三十二章:釣った魚は【黒毛和牛】二度蘇る
「ミノ君、サイテー」
「最低だな」
「最低ですわね」
いきなり最低三唱で始まるこの会話。
もちろん帰ってきたミノルへの評価である。
現在、ミノルはモルディーナを精霊として連れ帰った言い訳……もとい事情を説明するために、神社にある自室で針の筵の上に座っている。
ちなみに比喩ではない。
浮気を告白する亭主のように「モ、モルディーナを精霊にして配下に加えた!」といった次の瞬間、シアナの手によって問答無用で石座布団と呼ばれる拷問器具にかけられたのである。
ご存知の方も覆いと思うが、石座布団とはトゲトゲした石の上に座らせ。さらにその膝へ重石となる石畳を載せてゆくというものだ。
「なんだよ! じゃあ、あのままドカーンボカーンで終わらせればよかったのか!?」
ゲームに出てくる吊天井というトラップを、ちょうど逆さにしたような形の座布団の上に座ったまま、開き直ったミノルが卓袱台をドンと叩くと、ドミニオとララエルは目を逸らしながらもさらに好き勝手なことを呟く。
「……怪獣映画ならそれで終わりだよな」
「誰が怪獣だ! 俺は一応人だぞ!!」
一応とつくあたり少しは本人にも自覚があるらしい。
「あの状況からラブコメに持ってゆく辺り、将来が恐ろしいですわね」
「まて、ラブと付くのも不本意だが、後ろにコメとつくのは何の略だ!?」
そんな中、一人シアナだけは陰気な目をしたまま重い石畳をミノルの膝の上に追加した。
「反省がたりてない。 この、浮気者……タラシ……スケコマシ」
ガコッ、ガコッ、ガコッ。
一言愚痴るたびに石畳が一枚ずつ増える。
「う、うごぁっ!? なっ、なんとでも言え! というか、石畳をふやすな!!」
額に青筋を立てたシアナが、さらに一枚石畳を追加する。
最後には石畳が足りなくなって、シアナ自身がその石畳の上に座り込んだ。
「まぁまぁ、シアナさんもそのぐらいで。 ミノルさんが可愛そうです」
「お、お前がいうなーっ! と言うか、ミノ君に付きまとうなこの泥棒ネコ!!」
そんな微笑ましい(?)二人の後ろには、当然のようにモルディーナがニコニコと笑顔で寄り添っている。
「そうはいきません。 私、ミノルさんに仕える精霊ですから」
まるで別人のように落ち着いた口調でニッコリと笑う。
どうやら、彼女は本当に生まれ変わってしまったようだ。
……たぶんミノルにとっては都合の悪い意味で。
「しかしお前もずいぶんといい度胸してるな。 あれだけのことやっておいて、よく笑顔で俺たちの前に顔だせたものだ」
眉をピクビクと痙攣させながらドミニオがモルディーナを睨む。
事実上、魔龍に手も足も出なかったことにプライドを傷つけられたのか、彼がモルディーナを見る目にはかなりのトゲがあった。
「ミノルさんの傍で精霊として尽くすつもりなら、このぐらいで引っ込んでられません」
だが、つい昨日まではどこにでもいる村娘だった少女は、一国の守護神ににらまれても笑顔のままいけしゃあしゃあと言い切る。
おそろしいほどの強心臓だ。
「ほ、ほぉ…… えらく入れ込んでるじゃないか」
その不遜な態度に、ドミニオが青筋の血管を太くしながら引きつった笑みを浮かべると、
「はい。 ミノルさんに『俺の精霊になってくれ』といわれたとき、一生を捧げる決意をしましたから」
両手を顔にあてて、頬を赤らめながら恥らうようにそんなことを言い出す。
「そ、そんなこと言って無いぞ!?」
ぎょっとしたミノルが慌てて否定するが、モルディーナは笑って、
「あら、そうでした? でも、似たようなことは言いましたよね? ミノルさん何とおっしゃいましたか?」
と、邪気の無い微笑みを浮かべて首をかしげる。
「たしか……お前が何を考えているかわかるまで精霊として仕えろといったはずだ」
目を明後日の方向に向けながら、ミノルが自分の言葉を思い出す。
「つまり、私の心を全て知りたいと言う意味ですよね? まさかそんな熱烈な口説き文句がミノルさんの口から出るなんて予想外でしたよ」
目を細めて再びニッコリ。
「ち、ちがーう! 俺はそんな意味で言ったんじゃ……」
「違うのですか? つまり、わたしの気持ちを弄んだと?」
ちょっと悲しげにうつむくが、すべて演技である。
げに、女は恐ろしい。
「そ、それも違……」
言い訳を口にするミノルの横で、カタンと何かの音がした。
ゾクゾクするような悪寒を感じながらその音のした方向を見ると、シアナが般若のような笑顔で、果物用の小さな包丁を握り締めている。
「し、シアナっ! 包丁なんかもって何をする気だ!?」
こんなちいさな包丁で刺されても痛くも痒くも無いはずなのだが、その背筋も凍るような殺気に当てられてミノルがのけぞる。
「何をですって? そんなの決まってるでしょ?」
……チャキッ。
包丁を木製の鞘から抜き取り、それを正眼に構える。
「ミノ君を三枚に下ろして私も死んでやるぅーっ!!」
鞘を後ろに投げ捨て、絶叫と共に包丁を振り回すシアナ。
その刃は、精霊の力を帯びて深い緑色の光を放っている。
たまらずミノルは石畳をほうり投げて逃げ出した。
「やめろ、それに三枚に下ろすのは魚だ!!」
「うるちゃーい! 黙れ! 黙って食材になれ!! そして私と胃袋の中で、永遠に結ばれるのぉっ!!」
「刺さってる! シアナ! ホントに刺さってるから!! ダメだ、誰か止めてくれ! こいつマジで殺る気だぁっ!?」
「うふふふふふ あははははは ミノ君の血の色真っ赤できれいねー 内臓はどんな色なのー? わたし、ミノ君の心だけじゃなくて体の中も全部知りたーい! ねぇ、ミノ君、きもちいいDETHか? ねぇ、ねぇ、ねぇっ!?」
二人が命がけのじゃれあいをする中、ふと外のほうから刺す様な殺気の塊が近づいてくる。
バーン……と、荒々しく襖を開けて飛び込んできたのは、自らの守護神と共に失踪したはずのアンソニーだった。
「ゴルァ、この黒毛和牛! オドレは何さらしてくれんねんっ!!」
そう言いながら卓袱台にたたきつけたのは、一枚の委任状とかかれた書類。
「えーっと、なんですの? って、これ!!」
書類を確認したララエルが驚きの声を上げる。
「このクソボケ! ワシとラメシュワールにこの街の管理を委譲して、自分は出奔するとか言うアホな届出を召喚師ギルドに出しよった! おかげでギルドからこの街に強制送還くらったわ!! おるぁ、ミノル! これはどういう了見や!? ちょっとツラ貸せぇっ!!」
荒々しく叫ぶアンソニーだが、ふと何かとてつもなく恐ろしいものの気配を感じて後退る。
「なに……アンソニーもミノ君に手を出す気?」
どんよりとした表情で、包丁を片手にゆらりと立ちあがるシアナ。
その下では、ミノルが取り返しの付かない状態になっていた。
「し、シアナが最終形態モードになっとるぅっ!?」
身の危険を感じて逃げようとしたが既に遅し。
神社の中で、今回の事件における最大の恐怖が吹き荒れた。
「どういうも何も、もともと俺は仮の守護神としてこの街を預かっただけだ!」
シアナと言う恐るべき嵐が吹き荒れた後、ミノルはアンソニーと向かい合ってブスっとした顔でそう告げた。
「そらそうなんやけど……お前、そりゃあんまりちゃうか? やっと4年かけて安定した生活を手に入れた街の連中にしてみたらえらい迷惑や。 せやからこそ、ワシとラメシュワールは身を引いてこの街から出て行く事にしたんやぞ?」
ワシャワシャとシャンプーを泡立ててアンソニーが不満げに呟く。
シアナに血塗れにされた二人は、血糊を洗い流すべく現在は仲良く入浴中である。
「人の都合など、神の知ったことか。 もともとお前の所の宗派でやってきたところなんだから、守護神が変わってもすぐに受け入れられるだろ。 そもそも、この街を出てどうするつもりだったんだ? ラメシュワールにしても、あれだけのことをした後では行き場があるまい。 召喚獣を引退するつもりだとか言われたんじゃないのか?」
鏡の前でポージングをして悦に入ってるドミニオを、できるだけ視界に入れないようにしながらミノルは投げ遣りな調子でそう呟く。
「……」
アンソニーはその言葉に答えることができず、黙って頭を洗い始める。
その沈黙が、ミノルの推測を肯定していた。
「ミノくーん。 石鹸足りなーい」
不意に、敷居の向こうからシアナの声が響く。
彼女もまた、自分の浴びた返り血を落としている真っ最中だ。
「香りの種類はどうするんだ?」
「ローズウッド!」
ミノルが手を翳すと、その手からニュルリと石鹸が生み出される。
この手の化学物質の創造はミノルの十八番だ。
表面に目つきの悪い牛のロゴマークをプリントすると、ミノルはそれを無言で敷居の向こう側に投げた。
「ほらよっ!」
スコーンと、小気味良い音が響き、甲高い悲鳴が聞こえたような気がしたが、あえて無視した。
「痛ぁーい。 ミノ君め、あとで覚えてらっしゃい」
石鹸のぶつかった頭をさすりながら、シアナが目に涙を浮かべる。
「それよりもシアナさん。 隣の男湯で面白い会話してますわよ?」
そう言って微笑むのはララエル。
彼女もまた飛び散った血を落とすためにシアナと一緒に体を洗っていた。
どちらかといえば、シアナの長い髪にこびりついた血を一人で洗うのは大変だったため、主に手伝いという理由が大きい。
シアナの頭を洗っている間、その柔らかな胸の感触が背中にあたって、悔しいやら羨ましいやら。
とりあえず1割で良いからよこせと言いたくなる。
シアナの純白に近い肌色と違い、健康的な蜂蜜色の肌も色っぽくて、思わず小さく歯軋りをしてしまった。
「ララエルさん、お行儀悪いですよー?」
悔し紛れにそんなことを言いながらも、シアナは洗面器を取り出して、壁に当てる。
「いいんじゃないですか? こんな可愛い罪なら神もきっとお許しになります」
片目を瞑ってララエルが微笑むと、
「ウチの神様は壁の向こうで体洗ってる馬鹿牛なんだけどねー」
シアナも笑って耳を澄ませた。
「それにな。 今のこの国の守護神キライなんだよ。 インドラだっけ? シアナを見るたびに口説きやがって…… あの、ロリコンが!!」
ミノルが険しい目付きで垢すりタオルを握り締めるが、たんなるヤキモチである。
「国を出る理由がそれか!? というか、ロリコンって、お前がそれを言うかミノル!!」
「うるせぇな! オレはロリコンじゃなくて、好きになった相手がたまたまあんなんだったんだよ!!」
顔を真っ赤にしながら、タオルを擦って腕を洗うミノル。
泡立ちが足りなかったらしく、顔をしかめて再び石鹸と一緒にタオルをこすり合わせる。
「あぁ、そうだ。 鉱山の件だがな」
何かを思い出したようにミノルがそう切り出す。
「どないしたんや?」
「採掘をすべてモルディーナにやらせてくれ」
「採掘を? あのお嬢ちゃんがか?」
真面目な顔をしてアンソニーが聞き返す。
「ああ。 モルディーナを精霊にしたのは話したよな? 実は彼女、俺の宗派が作り出す属性のうち、金行を司る精霊になったんだ」
ミノルとの契約によって生み出される精霊の属性は、五行、十干、八卦など、多種多様極まりない。
だが、精霊に任命したのはいいが、どんな力を持った精霊になるかは本人の資質次第だ。
ミノルと深い縁で結ばれた彼女のことだから、てっきりミノルと同じ水に関わる属性になるかと思いきや、出来上がったのは水を生み出す属性"金"の精霊であった。
「ほほう? それで?」
興味を覚えたらしく、アンソニーがその長い体毛を洗う手を止める。
「たぶん、彼女なら人が山に入って採掘しなくても、ただの土塊から必要な金属を生み出すことができる。 土生金の法則だ」
「つまり、鉱毒を出さずに好きな金属を得られるっちゅーことか。 そら便利やな」
精霊の力を借りるには、代償として祈りが必要である。
これからこの街の工夫は、体力自慢のツルハシを持った男達から、法衣に身を包んだ神官に変わってしまうだろう。
魔法の存在するこの世界においても初の試みだが、想像するとなかなかに愉快な光景だ。
「でもな、モルディーナ嬢はお前の精霊やろ? お前がこの街を出るっちゅーのにそんな事まかせても意味無いんちゃうか?」
祈りを糧として生きる精霊は、他の宗派の支配する地域では信仰を集めることができず、飢えて死んでしまう。
ミノルの作り出したこの神社に永住し、ミノルへの信仰のエネルギーを分けてもらって生活するしか方法が無いわけだが、そんな状態ではこちらからの祈りも遮断されてしまうので精霊として活躍すことはできない。
「それなんだがな。 インドラとドミニオに頼み込んで、カルコス山を俺の領地として貰い受けることにしたんだ」
カルコス山は、ドミニオの治める国との境目に聳える大きな山であり、今回の騒動の原因となった銅を産出する山でもある。
鉱毒で散々な目にあったラメシュワールが、この山の採掘を禁止する事は目に見えて明らかだったし、そうでなくても水を汚染し毒を垂れ流すこの山は、ドミニオにとっても頭の痛い問題だった。
「あと、ポセイドンの伯父貴に頼んで、モルディーナの精錬できる金属の種類に"山の銅"をくわえてもらっておいた」
「山の銅って……山の銅かいな!?」
有名なオリハルコンとは『山の銅』という意味の言葉であり、ギリシャの哲学者ソクラテスが記したところによれば、伝説の大陸アトランティスで使われた神秘の金属で、炎のように輝くと伝えられている超レアメタルだ。
そのアトランティスの主神こそが海神ポセイドンであり、かの神に頼めば貴重なオリハルコンを扱う精霊を生み出すことも可能である。
ちなみに、ポセイドンの聖獣が牛であることから、ミノルはかの神を"伯父貴"と呼んで慕い、ポセイドンからも"甥っ子"と呼ばれて可愛がられていた。
なんとも顔の広い牛である。
「でだ。 モルディーナはその山でオリハルコンの精霊として留守番してもらう予定だ」
「なんとも贅沢な精霊やな…… しかしなんや、お前あの嬢ちゃん置いてどっかゆくつもりなんか?」
意外だといわんばかりに驚くアンソニーに、ミノルはニヤリと笑って自らの予定を話し始めた。
「ああ。 しばらくは、シアナと二人で旅に出る予定だ。 ……そろそろあいつも見習いじゃなくて、ちゃんとした召喚師の資格ほしいしな」
壁の向こうで、その台詞を聞いたシアナがキャーキャーと小声で悶えていることも知らずに、優しい目をして笑う。
「あー どっかで実績積んで、ギルドに報告せなあかんのやったな」
本来ならとっくに資格を得ていなければならないシアナだが、彼女が昇進出来ない理由の数々を思い出し、アンソニーが苦笑いをする。
今となっては全てがいい思い出だ。
「この4年間は、色々と問題ばかり起こしていたし、この辺でキッチリ点数かせがないと本気でやばい」
体を洗い終わったミノルが、そう気合を入れなおしながら、頭からお湯を被って石鹸を洗い流すと、後ろから暇そうなドミニオが声をかけてきた。
「ミノル、湯につかる前にひと汗かかないか?」
ワニワニと手を握りながら殺気だった笑顔を浮かべるドミニオ。
ちなみに風呂に入るときもマスクはけっして外さない。
「何をする気だ!?」
「リターンマッチだ! 私が勝ったら、オリハルコンの独占権を……」
完全に目が欲に曇っている。
「聞いてやがったのか、この俗物天使! その前に素っ裸で男と組み合う趣味はねぇっ!!」
「だまれ! 我が国でルチャを広める資金のため、私はお前を倒すっ!!」
その後の見苦しい戦いについては、ミノルとアンソニーの愛と友情のツープラトン攻撃により、僅か1分で収束したとだけ記しておこう。
「シアナさん、風邪ひきますわよ?」
裸で震えながら、笑顔で悶えるシアナを横目で見てララエルは苦笑しながらそう注意をする。
「らいじょうぶれす……いま、すごく幸せれすから……くちゅんっ!」
ララエルは一つため息をつき、洗面器に耳を当てたままクシャミを繰り返すシアナを無理やり壁際から引き剥がすと、強引に湯船へと引きずり込んだ。