第三十一章:奪われた死と【黒毛和牛】解なき命題
「おー出てきたぞ!」
漆黒の霧が薄れ、その中に漂う少女の姿を見つけて誰かが叫んだ。
その指し示す方向を見ると、無数の泡が飛び交う上空に、時折黒い点の様な物が見え隠れする。
ひときわ禍々しい気配を放つそれが、魔龍の核であることは、誰の目にも明らかだあった。
その光景を、人の姿をとったミノルはシアナと並んで、朝日に照らされた丘の上から見ていた。
「まるでウルトラマンだな」
胸に埋められた小さな水晶球をなでて、やや顔を赤くしながらミノルが愚痴る。
まるでコスプレみたいで恥ずかしいとさんざんゴネたのだが、いまさら付け替えるほど時間が無いからと、強引にシアナに押し切られたのだ。
「ウルトラマンが何かはよく知らないけど、無理しなければ1時間ぐらいは動けるはずよー。 でも、その水晶球の光が消えたら、その体は崩れて二度と使い物にならなくなるから注意してね?」
その体は、ララエルから貰った素体をシアナが流用し、一時的にチャクラが稼動するように改造をくわえたものだ。
さすがに十分な魔力を出力させるには無理があったらしく、今も体のあちこちに埋め込んだ呪符が小さな火花を上げている。
「さて、行くか」
あまり時間が無いと感じたミノルは、体を翻して駆け出そうとしたが、その腕をシアナが掴んだ。
「その前に……ミノ君。 ちょっとしゃがんで?」
「なんだ?」
むりやり袖を引いてしゃがませると、シアナはミノルの顔を両手で挟んで固定した。
「それから、目を閉じて」
「……なんで?」
ニコニコしながら命令するシアナに不吉なものを感じ取り、ミノルの顔を冷や汗が流れる。
「いいから!!」
「やだ。 そういうときのお前は信用ならん」
「もぅっ! 目を開けていたら恥ずかしいでしょ?」
目を半眼にして抵抗するミノルに、シアナは唇を尖らせて拗ねたあと、ニヤリと笑ってミノルの目を手で覆い隠した。
ミノルの唇に柔らかい何かが触れる。
「さっきの試合前に、おでこにチューされた仕返し」
「俺はおでこだっただろ? ……倍返しはずるいぞ」
「あ、倍返しだったら もう一回やらないとね」
逃げるミノルを押し倒し、シアナがその上に馬乗りになると、二人の影が絡み合うように一つになった。
「いいねぇ、初々しくて。 お、ミノルの奴もだえてるぞ?」
「あれは舌が入りましたわねー シアナさん、ねらい目は歯の裏側と上顎ですわよ?」
無責任な応援をする外野にシアナが親指を立てて応え、まるで首を絞めるかのようにミノルの顔を強く抱きしめる。
やがてシアナが満足げに体を起こすと、ドミニオがぐったりしたミノルの襟首を掴んで引きずるようにして引き剥がした。
「満足したようだし、そろそろ行ってこい。 時間もそんなに無い事だしな」
「それにしても、シアナさんなかなか大胆ですわね」
「やだ、私ったらつい」逃げるミノルを見て、つい肉食獣の本能が暴走したようである。
顔を赤らめて恥らうシアナを見て、ミノルはその二面性の恐ろしさにゲンナリした。
「ほら、さっさとしろミノル。 それともパンツの替えが必要か?」
「……い……いらんわ」
そういいながらも、寝返りをうつフリをして、こっそりとズボンの中を確かめるミノル。
何事も無かった事にホッとすると、安堵の溜息をついた。
デミニオが思わずプッと噴出すと、
「なっ、なに笑ってる!」
ミノルはさらに顔を茹蛸のように赤らめてワタワタと起き上がった。
その、慌てた様子を見て、目に涙が浮かぶほど笑うと、ドミニオは真面目な顔をして石鹸水の入ったタンクをミノルに手渡す。
「ほら、お前のファンシーな武器だ。 一人で乗り込むなんて我侭を言ったんだから、しっかりケリつけてこい」
本当は、隊列を組んで一気に敵を粉砕するはずだったが、ミノルが強引にそれを留めたのだ。
そして、魔龍の核に一人で乗り込むと言い出したミノルにむろん全員が反対したが、そんなことをすればミノルは力ずくで目的を成し遂げようとするだろう。
「言われなくてもすぐに終わらせる。 そっちは外からの監視と、何かあったときのバックアップを頼んだからな」
そういい残すと、ミノルは石鹸水の入ったタンクを担いで一人歩き出した。
「さてと、飛べない牛はただの牛だってか?」
未だ宙を漂う魔竜の核を見上げ、ミノルがひとりごちる。
その距離、およそ200mほど。
「さすがにあそこまでジャンプするのは無理だな」
かぶりをふって苦笑すると、おもむろに石鹸水のタンクを取り出し真言を唱え始めた。
「ノウマクサンマンダボダナン・ビシツネイベイ・ソワカ」
頭の中に、インドでもっとも篤く信仰されている太陽神の姿を思い描く。
気品溢れる王者、万物の維持を司るモノ、その力は三歩で世界の果てまで到達し、神の恩恵をこの世の隅々まで届ける光の象徴……
思い描いた神の姿が自分と重なるイメージをすると、ミノルの体の中に流れる気の回路が神の回路とつながり、その漆黒のオーラは純白の神の光へと変換され、ミノルの体の中に満ち溢れた。
「よし」
力が十分に給ったことを感じ取り、ミノルが石鹸水にその力を流し込みながらコックを捻ると、神の力を帯びた泡が勢いよく流れ出す。
さらにミノルは目を閉じて、その泡が階段の形になるイメージを頭に描いた。
そのイメージに導かれるように、泡がシュワシュワと音を立ててその姿を変えて固まる。
「ま、こんなものか」
目を開けると、そこには黒い霧を突き抜けるように聳え立つ、泡でできた虹色の塔が出来上がっていた
ぽんぽん……と、入り口の泡を足で踏んでその硬さを確かめると、泡でできた階段は危なげも無くその体重を受け止める。
次の瞬間、風を切る音と共に、泡の隙間を縫って黒い蛇が飛び掛ってきた。
が、ミノルは神の力を右手に集めると、なんなくそれを受け止め、握り潰す。
……ジュワッ
ミノルの手に触れるなり、黒い蛇は白い煙を上げて無に還っていった。
「最後の抵抗と言うやつかな。 むなしいものだ」
次々に飛び掛ってくる黒い蛇のような霧の塊を、純白に輝く右手で防ぎながら、ミノルは階段に足をかけ、泡の塔を上り始める。
「さすがに鬱陶しいな。 ……唵!!」
聖音と共に右手に溜めた力を解放すると、ミノルの手から無数の泡が撒き散らされて黒い霧を一網打尽にする。
「急がないとこの体のほうが壊れちまうな」
不自由な体を嘆きながら足を進めると、やがてもっとも闇の波動の強い場所が見えてくる。
「あれか……」
ミノルが手を振ると、泡の塊がさっと別れて魔龍の核がその姿を現した。
それは黒い梵字の刻まれた巨大な水晶球のようなもので、中に一人の少女が埋め込まれていた。
時折その表面から黒い炎のような煙が噴出していたが、その煙の量も時間と共に出力が落ちているのが明らかにわかる。
その水晶球の表面に手を当てると、ミノルはそっと囁くように声をかけた。
「……聞こえるか? モルディーナ」
その声が聞こえたのか、水晶の中の少女がそっと目を開く。
「私を殺しにきたんですか?」
水晶の壁に遮られ、くぐもった声がそう応えた。
「殺されたかったのか?」
「……はい」
ミノルの責めるような問いかけに、モルディーナは泣きそうな声で小さく答える。
水晶玉の表面が小さく震えていた。
「それはすまなかったな。 残念だが、それはできない」
冷たい声でミノルが答えると、モルディーナは苦しげに顔を歪ませながら顔を上げた。
「私に……この世界に生きて、苦しみ続けろと言うのですか?」
その目に涙が浮かぶが、そのしずくは地面に落ちる前に黒い霧へとかわる。
その霧が、モルディーナの意志とは無関係に黒い蛇の形をとってミノルに襲い掛かった。
霧を片手で掴むと、ミノルはそれをあっけなく握りつぶしながら、
「そうだ。 すべてを終わりにして、後は人任せなんて事は絶対に許さない」
厳しさを繕った声で力強く断言する。
ミノルの目をそっと見つめ返すと、その目は捨てられた猫を見つけて困り果てた人のように途方にくれていた。
こんな姿になった自分を、彼は無理だと知りながらも、まだ救おうとしているのだ。
だが、その優しさがモルディーナにとっては何よりも苦痛だった。
自分の好きな人が、他の誰かと幸せに生きる世界など、苦痛以外の何だと言うのだろう?
そしてその苦しみをまったく理解せずに、その好きな人から求められる辛さをなぜ解ってもらえないのだろう?
「……殺してください。 嫌なんです。 これ以上誰かに裏切られるのも、誰かを憎むのも」
ミノルから注がれる愛が、誰にでも注がれる博愛に過ぎないと思い知るのはもうたくさんだった。
どうせ愛されるなら、むさぼるような執着と共に、自分だけを愛して欲しい。
その自らの貪欲さ故に、モルディーナはさらに深く傷つく。
「ダメだと言ってるだろ? それに、死んだところで何も変わらない。 また現世に生まれなおして人生を歩みなおすだけだ」
解っていない。
彼がどれだけ自分を苦しめているのかということを。
貴方を忘れて、新しい人生を歩むならそれはそれでいいだろう。
だが、今の自分のままで貴方の傍で生きることには、もう耐えられないのだ。
「……なら、貴方の手で消してください。 二度と生まれ変わらないように、魂のかけらすら残さず」
できる事ならそれが最上だ。
かなうなら、貴方を思う気持ちを抱えたまま、貴方の手で私を終わらせてください。
「ダメだと言っている。 なぜ解らない?」
ミノルは悲しそうな顔をしてそんな台詞を吐く。
「解らないのはお互い様です。 だいたい、私が誰のせいでこんな苦しい思いしているとおもってるんですか! 嫌いです! 出てって! 二度と顔を見せないで!!」
自分でも何を言っているのかわからない。
ただ、彼にそんな顔をされるのが嫌だっただけ。
不意に、ミノルの顔が強張り、口がギュッと結ばれる。
……ついに愛想を付かされたのだろうか?
「決めた。 期間限定で、お前から強制的に死を奪う」
「え?」
何を言っているのかわからずに、気の抜けた声で聞き返す。
「期限は、俺がお前の死にたい理由を理解するまでだ」
「な、何を考えてるんですか!? ひどい!! そんなの、絶対に理解できません!! 貴方には無理です!!」
そもそも、理由など知られたくも無い。
ミノルの出してきた恐ろしい提案に、モルディーナはただうろたえるだけだった。
「嫌だ。 理由もわからずに人を殺すなんでできるわけが無い」
断固とした口調で譲らないミノル。
まさに牛のような頑固さだ。
「子供ですか、貴方は!!」
「ガキで悪かったな。 お前より3つも年下だ」
思わず口に出た言葉に、ミノルは仏頂面でそう切り替えした。
「……すっかり忘れてましたよ、そんな設定」
「だから、人生の先達として教えてくれ。 俺の何が悪かったのかを」
困ったことに、ミノルは本気らしい。
「お断りです。 たぶん一生解らないと思いますよ?」
なにせ、男にとって女は永遠の謎なのだから。
「なら、死ぬのは諦めろ」
それを解っていっているのか、余裕の笑みを浮かべるミノル。
「……いいえ。 ほっといても、たぶん勝手に死んじゃいますから」
今の自分の体は、文字通り憎しみを原動力にして生きている。
ミノルと話しているうちに、自分からすっかり憎む心がなくなっていることに気付いていた。
モルディーナは、自分の死が近いことを悟る。
そもそも、こんなお人よしを憎み続けろというのが無理だったのだ。
「なら、この俺に仕え、精霊として生きよ。 そして、約定を司り人の信頼の守り手となるがいい」
モルディーナの体が消えかかっている事に気付いたミノルは、若干焦りを帯びた口調でそんなことを言い出した。
「私が……精霊に?」
精霊には老いも寿命も無い。
つまり、自分に半永久的に苦しめと言っているのだ。
「そして、お前と同じ苦しみを抱える者を救ってやれ」
「無理です」
「そうだ。 裏切りに傷つき、裏切る事の恐ろしさを知る前だからこそできることが……って、ここは頷くところじゃないのか!?」
台詞が空回りした事がショックで、ミノルの眉が八の字を描く。
悪いが、今のモルディーナには自分の事だけで手が一杯なのだ。
神様連中と同じに考えられては大迷惑である。
「ぜんっぜん違います」
ガックリと膝をついてしょぼくれるミノル。
正直言ってかっこよくはなかったが、その素直な部分はどうしても嫌いになれない。
「ほんと、お馬鹿なんですね」
「ほっとけ。 どうせ脳味噌筋肉だよ!!」
いじけるミノルを見ているうちに、モルディーナは自分がいつのまにか笑っていたことに気付く。
どうやら、ミノルの思いは空回りだったが、説得には成功されてしまったようだ。
なんてズルい人。
ふと、モルディーナはあることに気が付いた。
「そっか。 私もいい子にならなくてよかったんだ」
「……急にどうした?」
いきなり態度の豹変したモルディーナに、ミノルが顔を上げて不可解そうな顔をする。
「私、ミノルさんのこと好きだって言ったでしょ?」
こぼれる笑みを抑えきれずに、ついニヤニヤしてしまう。
「そ、そんなこともあったな……うん」
目を逸らし、冷や汗をかくミノル。
……逃がしませんよ?
「諦めませんから」
「え?」
「死ぬのをやめた代わりに、私ミノルさんのことを諦めないことにしました」
そう、この怒りと憎悪は自分の居場所が無い寂しさから来るもの。
なら、自分の力で勝ち取ればよかったのだ。
「な、なにぃ!? ちょ、ちょっと待て!」
案の定、この世の終わりのように慌てふためくミノル。
……失礼な。
乙女が愛の告白をしているのだが、もっと喜んでください。
「精霊になれば、時間はいくらでもありますし。 さぁ、早く私を精霊に!」
「ま、まて、少し考えさせて……」
「ダメです! もたもたしてると、私消えちゃいますよ?」
トドメとばかりに、自分を外界から守っていた水晶の壁を自力で叩き割る。
外へと一歩足を踏み出し、その広い胸へと体を投げ出した。
……あ、ゴツゴツしているかと思ったら意外と硬くない。
弾力があって抱き心地良いかも。
「ふつかものですが、よろしくお願いいたします」
笑いながら耳元でそう告げると、ミノルは天を仰いで絶叫した。
「く、くそぉ! なんで、なんでこうなったぁぁぁぁぁぁっ!?」