第三十章:たった一つの【黒毛和牛】不実なやり方
「効いてはいるが、決定打には程遠いな」
ミノルの魔力を根こそぎ奪い、何度か荷電粒子砲を発生させた後、ドミニオが眉に皺を寄せてため息をつく。
魔龍の体にダメージを与えることはできるが、削ったはしから黒い霧が再生してしまうのだ。
いったいどこからそんなエネルギーが沸いてくるのか不思議でしょうがなかったが、とにかく攻撃しなければ始まらない。
「なんてしぶとい相手なの? こっちはそろそろ弾切れよ」
ララエルがエネルギー源であるミノルの聖痕を確認すると、白く描かれた聖人画はすっかり色が薄れ、元の黒々とした毛並みを取り戻しつつあった。
「俺は……弾薬庫か……よ!」
息も絶え絶えなミノルが健気に突っ込む。
正確には弾薬庫ではなく発電所が正しい。
魔術を自分で使用できない以上、気功で攻撃したところで効率が悪いだけだから、こうして他人にせっせとエネルギーを供給するしかないのだが、本人としてはもどかしい限りである。
「そういえば、ミノル。 あれには弱点があるって話だったよな?」
さすがに埒が明かない状況にうんざりしたのか、ドミニオが攻略方法の変更を呼びかける。
「あぁ、喉の部分が弱点という話なんだが、困ったことにどこがその部分なのか見当が付かない」
リグ・ヴェーダの記述が決定打にならない以上、次はマハ・バーラタの内容を試すしかなかった。
「その前に、何か変な条件がなかったか?」
「もしかして、乾いた者も湿った者もってやつか?」
それはマハ・バーラタの記述の中でも、もっとも理解に苦しむ部分であった。
「そう、それだ。 泡を使ってどうにかしたとか言っていた記憶があるが」
「泡をまとって乾いても湿ってもいない状態になったって話だろ。 そんなことをして、あの煙の中を探索するつもりか?」
「いや……それはちょっと」
泡にまみれたところで、それが湿った状態ではないかと聞かれれば、少々自信が無いし、見通しの悪い霧の中に突っ込んだところでどうにもならない。
「ミノ君。 発想の転換ってのはどう? たとえば、自分がじゃなくて相手を泡だらけにするとか」
シアナがやや投げやりな口調でアイディアを出してくるが、
「魔龍に泡風呂でも入らせるつもりか?」
ドミニオの冷めた突っ込みを受けただけで具体的な内容までは出てこない。
「泡風呂……泡……そうか、泡だ!! 自分が泡まみれになる必要はなかったのか!!」
突如ミノルが立ち上がると、神社に向かって走り出す。
「ちょっとー ミノ君、どこ行くのよ!?」
「泡だよ、アレの弱点は泡だったんだ!!」
首をかしげるシアナを背に、ミノルは一人納得した顔をして、荷馬車の中に飛び込んでいった。
「大丈夫かな、ミノ君。 頭の使いすぎで脳味噌の筋肉が肉離れおこしたんじゃなきゃ良いけど」
ミノルやドミニオが魔龍と至近距離で向き合っていた頃、
「くっそぉぉぉぉぉぉ…… 戦闘中とは言え、見張りしかやることが無ぇって暇だなBよ」
すっかりもぬけの殻となった作戦本部のテントの中では神人Cが神人Bと揃って力をもてあましていた。
その横では、この騒乱の元凶であるラメシュワールがロープで縛られている。
さらに魔術を封印する呪符でミノムシ状態になっているので、遠くから見る出、まるで新手のミイラのようだ。
「そう言うなよ。 特に近距離戦が専門のお前が行っても仕方ねぇだろ?」
そういいながら、神人Bはその隣に居るアンソニーの方をチラリと見る。
本来ならミノルやシアナの横で指揮を取るはずのアンソニーだが、その契約者が今回の黒幕とあって、今回は本部で手錠をはめられて監禁されているのだ。
そんな二人の神人をみながら、
「さてと、黒毛和牛とプロレス馬鹿が離れたようだし、そろそろ動くよ? アンソニー」
ラメシュワールが呪符の下からくぐもった声でそんなことを言い出す。
「せやな。 あいつらのことやから、どうせ温い裁きしか下さんやろし」
アンソニーがそう応えると同時に、彼を捕縛していた手錠がガシャリと落ちる。
その指には、いつのまにかヘアピンが握られていた。
「……しまった! いつのまにそんなモノを!!」
「そりゃワシがお洒落さんやからや。 いくらでも持っとるで」
アンソニーの全身を覆う長い毛に紛れ込ませれば、ヘアピン一本程度を隠し持つのはわけも無い話だろう。
神人Cが取り押さえようとするより、アンソニーがラメシュワールを束縛する呪符を引き裂くほうが僅かに早い。
「カンっ!!」
不利を悟った神人Bが、すかさず不動明王の種字を唱えてラメシュワールの動きを束縛しようとするが、その呪力は片手を振っただけで振り払われた。
「残念。 いい腕だが、守護神相手では出力が足りないね」
「……ぐあっ!?」
ラメシュワールが指を突きつけると、神人Bは白目をむいてあっさりと崩れ落ちる。
その間に、アンソニーは神人Cを逆に押さえ込むと、その太い頚動脈に指を当てた。
「さてと……悪く思わんといてくれな」
「……っ!?」
悲鳴を上げる暇もなく、神人Cもその意識を失った。
「良かったのか? アンソニー。 お前の主人は私だが、あの少年のこともずいぶん気に入っていただろう?」
倒れた神人二人を見下ろしながら、ラメシュワールがからかうような声でアンソニーに訪ねる。
「だからこそや。 あのボケは優しすぎんねん。 この騒動の元凶に関しても、絶対に甘い仕置きで済ませるやろ」
ため息をつくと、アンソニーは懐から出した紙と筆で呪符を一枚書くと、神人Cの額に貼り付けた。
すると、神人Cがぼんやりした目をしたままゆっくりと起き上がる。
「あぁ言うどうしようもない奴の始末は、いつもワシの役目や」
呟きながら神人Cに命じて神人Bを縛り上げさせ、その懐から小太刀を抜き取る。
「しばらく見ない間にずいぶんと器用になったね」
目を細めてその術の冴えを褒めると、
「あぁ、この術か。 百姓公……中国における無縁仏を使って他人を操る術や。 前準備の手間はようさんかかるけど、便利やで? たぶんお前にかかればすぐに応用できるやろ」
アンソニーは尻尾を振りながら片目をつむり、神人Cに先導するように命令してから本陣のテントを出た。
外の風景は、夜明けが近くなったのか、東の空がほんのりと明るくなり始めている。
「お、おいっ! そこの男!! 報酬は支払う! 私を助けろ!!」
テントから出るなり、すぐ横の檻に隔離されていた鉱山の主が、鉄格子をガチャガチャゆすりながら神人Cに呼びかけてきた。
「……だとさ。 どないする? ラメシュワール」
後ろから出てきたアンソニーが、面白そうに後ろの盟約者へと声を投げかける。
「……ラ、ラメシュワールと!? 馬鹿な! 奴はたしかに隣村の祠に封印されたはず!?」
「久しぶりだね、クズ野郎。 そうだよ、君のおかげで妻と領地を失った間抜けな守護神さ。 4年前はよくも謀ってくれたね?」
クスクスと笑いながら、アンソニーを押しのけてラメシュワールがその姿を現した。
「お、お前が悪いのではないか! 我が街の守護神でありながら、主要産業である銅の産出を削減しようなどと言うからそんな目にあったのだ!!」
目を剥き、口から泡を飛ばして鉱山の主が口汚くラメシュワールを罵る。
「言いたい事はそれだけ? 隣の領地の守護神と手を組んで僕を陥れた人間らしい、実にくだらない理由だ」
「なぜ貴様そこまで知っている!?」
決して表にでないと思っていた悪事を口に出され、鉱山の主が硬直する。
「僕を封印しようとした時、エフタの化身が自慢げにしゃべっていたよ。 人の妻を人質に取った上に、毒まみれにして、しかも避難できる場所を先に潰して罠に誘い込む。 まったくお利巧さんだね、君たちは」
陰のこもった目で笑いながら、メルシュワールが吐き捨てた。
「唯一の誤算は、その時、ちょうど街には黒毛和牛とその召喚者が滞在していた事だ。 エフタはそのまま僕の街を攻めて乗っ取るつもりだったらしいけど、彼が自らの契約者を守るために代理の守護神を引き受けたせいで、すべての計画が水の泡」
実に愉快だといわんばかりにラメシュワールが嘲り笑うと、鉱山の主はさらに顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
「あ、あの街の発展のためには、銅を産出し続ける必要があるのだ! お前もあの若造も、まるでわかっていない!」
自らのやった事をあくまでも正当とするその言い分に、ラメシュワールがうっすらと冷たい笑いを浮かべ、アンソニーは鼻に皺を寄せる。
「街が発展する必要がどこにあるの?」
相手の理論を根底から否定する発言に、鉱山の主は目を見開いた。
「な、なんだと!? そ、それがかつての守護神の言うことか!!」
「街が大きくなって喜ぶのは人だけでしょ? だったら必要ないじゃない。 神の存続のために何者かの信仰が必要ならば、そんなものいくらでも作り出すことができる」
それはマハバラータにおいて神の中の神にして万物の形の創造主、そして最初の人間の生みの親とされるトゥヴァシュトリの化身ならではの暴論であった。
彼にかかれば、土くれから新たな人類を創造することすら可能なのだ。
「……」
青ざめた鉱山の主が黙り込んだのを見計らうと、ラメシュワールはその笑みをさらに深め、くっくっと喉の奥で笑いながら、目の前の折を指先一つで分解し、腕を伸ばして鉱山の主の頭を掴む。
「とは言え、僕も神の1柱だ。 人類を見捨てるというのも気が引ける。 そこで、僕は考えた。 君にその尊い営みの手伝いをさせてあげよう。 実に光栄だろう?」
「な、何をする気だ!? やめろ……やめてくれ! 頼む!!」
危険を察知して、鉱山の主から逃げようと必死に暴れるが、いくら非戦闘系とはいえ守護神クラスの召喚獣の手からただの人間が逃れることなど到底不可能なことであった。
体に流れ込む圧倒的な呪力に耐え切れず、鉱山の主の体が痙攣を繰り返す。
やがてその肌はブヨブヨとした気味の悪いピンク色のゼラチン質に変化し、その手足はみるみる縮んで体の中に飲み込まれるようにして失われていった。
最後には、まるでぐにゃぐにゃとスライムのように体が崩れ落ち、そこからさらに新たなる姿へと再構成される。
「これより先、君が食べることを許されるのは鉱山から流れる毒と、その毒に汚染された土だけだ。 いつかこの地域からすべての毒がなくなる日まで、その姿で生き続けるがいい!!」
すべての作業を終え、ラメシュワールが吐き捨てるようにそう宣言した時、そこにいたのは太った中年男ではなく、巨大で醜いミミズのような生き物だった。
人でなくなった事を未だ理解していないのか、自由の利かない体に悶え、苦しみ、のたうちまわる。
「……きあぁぁぁっ きあぁぁぁぁぁっ」
その生き物はやがて自分の体がどうなったかを理解したらしく、悲しげに軋むような泣き声を上げると、地面を掘り返し、自らの姿を恥じるように地中へと消え去った。
「やっと……終わったか。 知ってはいたが虚しいものだな」
すべての感情が削げ落ちたような顔で、ラメシュワールがポツリと呟く。
「知っとっても、なお抑えきれん事なんざ世の中にはいくらでもあるわな。 それに、復讐は虚しいからやめろやなんて、あまりにも罪を犯した者に都合が良すぎやせんか?」
その心のうちを弁護するかのように、アンソニーは目を閉じてその隣に立ち尽くした。
神人Cの懐からタバコの箱を取り出すと、一本は自分の口に咥え、残りをラメシュワールに差し出す。
ラメシュワールは黙ってその中から一本抜き取ると、指先に魔術で火を起こしてゆっくりと煙を吸い込んだ。
「そうだね。 僕達にはこの虚しさが必要だったんだ。 たとえ僕達の行いが虚しくて不公平で暴力的であったとしても、これ以外の方法で憎悪を消す事はできなっただろうから」
煙のキツさに涙を浮かべながら、ラメシュワールが笑って自嘲の言葉を口にすると、アンソニーはうまそうに煙を吐き出し、遠い目をした。
「ミノルあたりは、憎しみの連鎖はどこかで断ち切らなきゃいけないとか言うで? 青臭いやっちゃからな」
山道の向こうに広がる漆黒の煙を見つめながら、アンソニーは皮肉を口にするが、その表情はひどく寂しげな気配を纏っていた。
「青臭いが正しいね。 もし僕がこのことで誰かに復讐されたとしても、お前は憎むなよ? アンソニー」
その言葉に、何かまぶしいものを見たかのように目を細めると、ラメシュワールは釘を刺すように横目でアンソニーを睨んで笑う。
「無理やな。 ワシ、執念深いねん。 お前が何かされたら、地の底まで追いかけて復讐したるわ」
その鋭い眼差しを茶化すように笑みを浮かべ、肩をすくめると、アンソニーは短くなったタバコを足元に落としてから靴で踏み消し、自らの妄執を誇るがごとき軽口を叩く。
「……僕らは救いの無い愚か者だな」
「世の中の奴らがみんなそんなにお利口さんやったら、天国とか用無しや。 現世はこのぐらいでちょうどええねん」
「違いない」
やがて、東の空がシアナの瞳のように紫を帯びた頃、彼らの見つめる黒い煙に変化が訪れた。
「そろそろ行こうか? どうやら向こうも決着が付きそうだ」
ラメシュワールの憎悪というエネルギー源を失った以上、ヴリトラもその不死身の力を失い、やがて彼らに倒されるだろう。
オチュー村に残してきた呪いの水車も、今頃は力を失ってただの水車に戻っているに違いない。
思えば、あの少女にずいぶんと可哀想な役目を負わせてしまった。
「せやな。 そろそろ行かんとミノルが帰ってきてまうわ」
名残惜しそうに彼方を見つめていたアンソニーも、一度目を閉じて想いを振り切るように息を吐き、ミノルたちのいる方向とは逆の方向へと足を向けた。
「……気の利いた台詞の一つでもいえたらいいんやけどな。 口にしたら泣いてしまいそうやから、このまま行くわ。 ミノル、お前の傍はなかなか心地よい仮住まいやったで」
七色の奔流が、押し包むようにして魔龍を圧倒する。
「なんというか、こんなファンシーな攻撃を見たのは初めてですわ」
感動というより、半ばあきれた顔で呟いたのはララエルだった。
「なんと言うか、これはこれで派手なんだが、自分の理想とは違うな」
腕を組みながらそう評価するのは言うまでもなくドミニオである。
彼らの目の前では、無数のシャボン玉が虹色に輝きながら飛び交っていた。
もっともただのシャボン玉ではない。
その一つ一つがミノルが作り上げた一種の結界である。
気体であるヴリトラを小さな結界で削り取って細分化した上で封印し、核となる部分を洗い出そうというのがその狙いだ。
そもそもヴリトラを退治した泡は、インドラに助力を約束したヴィシュヌ神が作り出したもので、インドラ神はその泡をヴリトラに向かって叩き付けるという形で使用したと言う説がある。
それを思い出したミノルは、神域にこもって魔術が使える状態になるなり、そして作り始めたのがシャボン球。
プロレスラーと代わり映えの無い巨漢が、一心不乱にシャボン玉を作る姿は、なかなかギャップが激しく、それを見た巫女や神人達は残らず大爆笑したが、次の瞬間、額に青筋を浮かべたミノルに強制労働に駆り立てられた。
かくして、広い神社の庭では、巨大な盥に水を汲む者、石鹸をそこに入れて溶かす者、ミノルの前にその石鹸水を運ぶ者の3種類の人間で溢れかえっている。
「南麼三曼多勃馱喃 微瑟儜吠 莎訶」
ミノルが真言を唱えて息を吹きかけると、石鹸水の表面があわ立ち、まるで津波のような量のシャボン玉が生まれる。
そしてそれは意思を持った奔流のように門を括りぬけ、外に漂うヴリトラの体へと押し寄せ、すさまじい勢いで黒い霧の密度を薄めていった。
「ミノくーん。 だいぶ効果出てきたみたい。 そろそろ本体探しもできそうよ?」
外の様子を確認しに行ったシアナが声をかけると、ミノルはしゃがんで泡を作りながら顔だけを向けてきた。
「そうか、ならばそろそろ俺も外に出る。そっちの調整はどうなってる?」
ミノルがシアナに問いかけると、
「いつでもいいよー。 でも、応急措置だから10分程度しかもたないと思って」
シアナは頷いて、そう注意を呼びかける。
「わかった。 では、頼んだ」
そう一言告げると、ミノルはその場にどっかり座り込んで牛の姿に変化した。
「了解。 じゃあ、作戦の総仕上げといきますか」
笑いながらシアナが頷くと、ミノルは目をあわさずにぼそりと呟いた。
「ヘマするなよ? 信じてるからな」
「まかせといて。 これでも貴方のたった一人の相方なんだから」