第二十六章:堕ちた守護神【黒毛和牛】主は冷たい土の下に
誰もが耳を疑う中、最初に口を開いたのはミノルだった。
傍らで目を見開いて、信じられないという表情をしているアンソニーを振り返り、自らの心を落ち着けるようにゆっくりとした口調で質問を投げかける。
「おい、アンソニー。 こいつの言っていることは真実なのか? 先代の守護神の契約者だったお前ならわかるはずだ」
その言葉に、アンソニーはゆっくりと頷いた。
「ミノル、こいつは行方不明になった前任の守護神や! 契約者のワシが言うんやから間違いない」
闇の中にたたずむ、正体不明の人物に向かい、アンソニーが驚きと警戒を含んだ複雑な表情でその男を見つめる。
かつて守護者が失踪したとき、その契約者であったアンソニーは、神殿から新たなる守護神との契約を結ぶ事と、異なる任地への移転が決められていた。
鉱山に冒された町は神殿に見捨てられ、毒と邪気に埋もれてこの世から消え去るはずだったのだ。
だが、失踪したはずの神の気配がまだこの近くに存在している。
自らの召喚獣が、そう遠くない場所に息を潜めている事を知ったアンソニーは、召喚師ギルドの命令を拒んだ。
どんな理由があったのかはしらないが、彼は自分をどこからか見守っていて、必ずこの町に帰ってくる。
彼は最後に「すぐ戻ってくるから、この街で待っていてくれ」と言ったのだ。
そしてアンソニーはその時たまたま街に滞在していたミノルを新しい守護神になるよう口説き落とし……ミノルの下僕となりながらも、ずっと待つことを決めたのだ。
いつか彼のたった一人の相方が戻ってくることを信じて。
だが、彼の待ち人は……すっかり様変わりをしていた。
「なつかしいな、アンソニー。 君が僕を迎えに来てくれる日をどれだけ待っていたことか」
目を細めてこちらを見つめる青年の眼差しは闇に染まり、視線に触れるだけで沸々と鳥肌が立つ。
「いったいお前がここで何をしとんねん!? いや、連絡もよこさんといままでどこに隠れておったんや!!」
アンソニーが、目を見開いて叫ぶと、
「あいかわらず口の悪い奴だね。 4年ぶりの再会だと言うのに、言うことはそれかい?」
クックッとくぐもった笑い声を立てながら青年は苦笑した。
そして、次の瞬間、その背中に黒い陽炎のようなモノが湧き上がる。
「……隠れていたんじゃない。 封印されていたんだよ。 この先にある祠にね」
忌々しそうに背後を指で示すと、ラメシュワールは皮肉気な表情をアンソニーに向けた。
その眼差しの暗さに、封印されていた4年間の月日の長さを思わずにはいられない。
「なんで……そんなことになったんや!?」
「ひどい話だよ。 まぁ、あえて君に聞かせるような話じゃないけどね」
思い出したくも無いとばかりにかぶりを振って額に手を当てるラメシュワール。
「それから3年かかったよ。 直接エフタを呪うことは出来なかったが、その召喚者は僕のかけた呪いで地獄の苦しみを味わいながらこの世を去った」
暗い笑みを貼り付けて、ラメシュワールがうっとりと目を細める。
いったいどれほどの呪いを送ったのかはわからないが、その満足げな表情を見る限り、決して楽な最後ではなかったのだろう。
ララエルの顔を横目で見ると、彼女は知らないほうが良いといわんばかりに首を横に振った。
「そして、僕を歓待するふりをして騙した司祭も、ほら、この通り」
足元に転がる司祭の死体を踏みつけると、楽しそうにグリグリと踵を捻る。
その足に力を篭めると、ゴリッと嫌な音がして周囲に赤い液体が飛び散った。
「残るはあと一人。 僕の領地を我が物顔で汚してくれたあの男だけだ」
潰れた屍骸を見下ろしながら、顔についた血を汚らわしいもののように指で拭い取り、ラメシュワールは冷たい鉄の壁のような、冷たくて全てを拒絶するかのような無い声で低く呟いた。
「お前…… かわってもたな」
ぽつりと呟くアンソニーの声に、ラメシュワールは無理やり作ったような笑顔を向ける。
「あれから4年だよ。 神としては短い時間だが、人としては長い時間だ。 ましてや心変わりするには十分すぎる時間だと思わないか?」
「ワシ、お前が帰ってくるのまっとったんやぞ?」
お帰りとは言わない。
もう、待ち人が戻ってこないことを理解してしまったから。
「……ごめんね。 でも、僕はきみよりも復讐を選んでしまったんだ」
ここにいるのは、民のためにその心血を注ぎ、その民によっていつも心を痛めていた優しい神ではなかった。
復讐のために人を手にかけた彼は、もう昔の彼ではないのだ。
目の前にいるのは、その神の抜け殻に過ぎない。
「君が僕の帰りをあの町で待ち続け、他の召喚獣と契約する事もなく、ただの雇われ神官として過ごす日々をずっと地面の下から見ていたよ。 そして自分がふがいなくて、歯がゆかった」
それは、いっそ死んでしまったほうがマシだったと思えるぐらい、苦しみに満ちた日々だった。
誰もが、その苦しみを埋め合わせるような言葉を持ち合わせず、ただ黙ってその独白を聴いている。
「だから……その分も彼らにもちゃんとお返ししなきゃね。 あぁ、こんなアッサリと殺すんじゃなかったよ。 もっと、寸刻みにして地獄を味あわせてやればよかった!!」
ぐちゃり……ぐちゃり……
激昂に身を任せ、地面に転がる死体を何度も踏み潰す。
「まて! たしかにお前には復讐する権利があるかもしれない。 だが、それはあんまりだろ!!」
その行為に異を唱えるたのはミノルだった。
日本という国の文化に生まれた彼にとって、死んだ者へと憎悪を向けるのは、まるで理解できないほど残酷な行為である。
「なぜ? 人が神に無礼を働いたのだから、その代償は死をもって清算されるべきだろう」
だが、文化の違いといえばそれまでだが、ラメシュワールにとってその言動はぬるいとしか思えない。
血で斑に染まった顔を凶悪な笑みにゆがめて、底冷えするような視線をミノルに向ける。
「その司祭についてはたしかに仕方が無い部分はある。 だが、この村の人々はどうなる!? お前の呪いの影響で、どれだけの人が苦しんだと思ってるんだ!!」
村人の診察をした時の光景を思い出しながら、ミノルが吼える。
やや悪ふざけをしながらの治療だったが、そうでもしないとあまりにも陰惨すぎておかしくなりそうだった。
やせ衰えた体、熱で赤く染まった顔、衰弱してゆく家族を見守る家人の暗い眼差し。
いかに憎しみが深かろうとも、あんな光景を生み出すのに正当な理由など無い。
「何を言っているんだ、君は。 たかが人間。 どれだけ苦しもうとも僕には関係の無いだろ?」
その怒りを鼻で笑い、可愛そうな子を見る目でミノルを見つめる。
「違う! 彼らにも痛みがあって苦しみがあって……」
自分の見た光景を伝えようとミノルが言葉をつむぐが、ラメシュワールはその台詞を遮って、残酷に現実を突きつけた。
「その人々のために身を削った結果が今の僕だ。 君、それでも神なの? 神なら神らしく、人の都合ごときにに振り回されない品格を身に付けないとね。 そのうち痛い目をみるよ?」
「人は神の都合の良い道具なんかじゃないっ!」
その叫びは、ミノルの理想であり、信念であった。
神でもあるが、人でもあるミノルにとっては、自らのアイデンティティにも関わる概念だ。
それを失ってしまったら、確実に人ではいられなくなってしまう。
「道具だよ? だって、それ以外だというなら、何のために人間なんて作ったのさ」
だが、ラメシュワールはそのミノルの精神的な柱をあっけなく打ち砕いた。
反論しようにも、納得の行くだけの答えが見つからない。
「……ドミニオ。 なんでさっきから黙ってるんだよ。 お前もあいつと同じ意見なのか?」
誰かに答えを求めて、ミノルは傍らの天使に声をかけた。
シアナやララエルは、神を至上とする聖職者と言う立場にある。
ましてや、アンソニーは自分の召喚獣を封印された被害者だ。
この場において唯一ミノルが縋ることが出来たのは、神の僕ではなく、神の魂を仲介する奉仕者という立場のドミニオ一人だけだった。
だが、
「個人的に彼の意見には同意しかねる…… が、お前の意見にも賛同することが出来ない。 神もまた、人にとって都合の良い道具ではないからだ」
その希望を打ち崩すように、ドミニオもまた首を横に振った。
「すまないな。 私はお前を弁護してやりたくても、それだけの理念や言葉を持っていないんだ」
「なんだよ、それ……」
もどかしさのあまり、ミノルが地面を何度も蹴りつける。
「もういいだろ。 さぁ、わかったら僕の邪魔をしないでくれ。 僕はあと一人分の恨みを晴らせば、それで満足なんだ」
冷めた口調でそういいきると、ラメシュワールはミノルの横をすり抜ける。
何か言いたそうにミノルが口を開いたが、その唇から何か言葉がつむがれることはなかった。
それを確認したラメシュワールは、前を見据え、彼の目的地へと足を踏み出し……
「なにをする気? ……僕は自分の領地に戻るだけだよ。 君と事を構える気は無い」
槍を突き出して行く手を遮るドミニオに、ラメシュワールは冷たく不満の声をあげる。
「いや、なに。 さすがに自分の所の民にちょっかい出されて、そのままと言うわけにはいかないだろ」
その言葉と同時に、後ろに控えていた天使や助祭たちがいっせいに戦闘の構えを取る。
「それに……このままお前の好きなようにさせたら、私が格好悪いだろう? ミノルに幻滅されたら、うちの団体に有望な若手選手を迎え入れる計画に支障がでてしまう」
殺気立つ同僚を背に、ドミニオは片目を器用に閉じて不敵に笑った。
その隣にはララエルが立ち、十字架を握り締めながらその台詞を引き継ぐ。
「その通りですわ。 それに、そのような振る舞いをする神が人に愛されると思いになって? あなた、何のために神は人を作ったかとおっしゃいましたわよね? 神はこうおっしゃいました。 我は妬む神であると。 神は愛し、そして愛されたいのですよ。 だから人をおつくりになったのです」
その威圧感に、ラメシュワールの足が止まる。
「復讐に燃えるのは結構やけどな、はっきり言ってワシら以外のモンにとってはえらい迷惑や。 それに、復讐してそれで満足? むなしさが残るだけやでお前。 ほんとはわかってるやろ?」
目を閉じてアンソニーが静かに諭す。
本当はそこまで達観できているわけではない。
だが、憎しみから何も生まれないと主張するなら、まず憎しみを抱えた自分がそれを克服しなくてはならないのだ。
沸騰しそうな怒りと、底の見えない絶望を、意志の力でねじ伏せながら、アンソニーはかつての友人の最後の頚木となるべくその言葉を口にした。
偽りの心でも、奇麗事でもいい。
彼の心に僅かでも救いを与えられるのなら。
でも、もしそれでも彼を止められないというなら……
「なにより貴方。 とてもかっこわるいわ。 自分に酔って非生産的な行為にふけるのも大概にしなさい。 あと、うちのミノ君をイジメた罪は万死に値します」
嫌がるミノルの頭をなでながら、最後にシアナが冷めた声でラメシュワールを断罪した。
「くくっ……くはははは!」
「何がおかしい!?」
急に笑い出したラメシュワールをミノルが咎めると、ラメシュワールはひどく愉快そうに、
「なるほど、たしかに非生産的だ。 私のやったことは、たしかにただの自己満足で結果的に何も意味が無いだろう。 我々の後任はたいした人材だ」
同じぐらい投げやりな調子でそう台詞を吐き捨てた。
「だが、理屈じゃないんだよ。 この灼けるような感情は、どんなに言葉を尽くされても決して収まらないだろう! それに君たちが説得すべきは……もはや私ではない」
不意に、皮肉気な視線とともにニヤリと笑う。
「どういう意味だ?」
なぜか視線を向けられたドミニオが、訝しげに眉を吊り上げる。
「先ほどの司祭、僕を完全に滅ぼすために、士師記になぞらえて少女を生贄に捧げようとしたんだ」
その言葉に、ララエルをはじめとする教会関係者がビクリと反応する。
彼らの協議において、人身御供は最大級の禁忌だ。
「しかも、わさわざ屁理屈を使って自分の娘に仕立て上げたり、史実をなぞるためにこの村から出てゆくように暗示をかけたり、君たちの知らないところで魔女に仕立て上げて、誰もが彼女を喜んで生贄に捧げるように世論を操作したり。 ほんと、ご苦労なことだよね」
まるでヨーロッパの黒歴史と呼ばれる魔女狩りを再現したかのようなやり口に、ドミニオが顔をゆがめ、胃の辺りを押さえる。
「まさか……その娘って」
ふと、ミノルは村に残してきた少女のことが頭を掠める。
そういえば、彼女はミノルとドミニオの決闘のときも顔を見せなかった。
「この村に何があったか、その娘にすべて教えてあげたら、とても喜んでくれたよ」
「そんなわけ無いだろ! お前、自分の都合の良いようにでたらめを吹き込んだな!?」
いかにも騙されそうなモルディーナの純朴さを思い出し、ミノルはギリギリと奥歯をかみ締めた。
「神の誇りにかけて真実しか告げてないよ。 そして、僕は彼女に復讐をするだけの力を与えてあげた。 僕の復讐を完遂する約束と引き換えにね」
そのミノルをラメシュワールが嘲笑う。
「お前……何をした!?」
「自分の目で確かめたまえ」
その言葉とともに、ラメシュワールのはるか後ろで、夜の闇をなお黒く塗りつぶすかのような、漆黒の火柱が立ち上がった。