第二十五章:守護神の帰還【黒毛和牛】人の子の罪
一方、村の教会では、ミノルが薄れてゆく闇の気配に神経を尖らせていた。
「それで、村の中の様子はどうですの?」
ドミニオに呼び出されて、ララエルが衣服の乱れを直す暇も無いままミノルの寝ていた部屋へと駆けつけた。
そして状況を整理すべく、情報端末となる魔導具を立ち上げる。
ノートパソコンに似たソレは、工芸神の化身である召喚獣がこちらでコンピューターの技術を再現したもので、今では向こうの世界とインターネットで情報をやり取りすることすら可能な代物だった。
もっとも、独自のOSをつんでいるせいか、使用できるソフトが少ないのが最近の課題らしいのだが、この世界で使用することに特化したソフトウェアは非常に優秀で、もはや第3の魔術と呼ばれるまでに進化しつつある。
「誰かが呪詛のエネルギーを一箇所にまとめているようだな。 村の北西に特異点が発生している」
耳をひくひくと動かして、ミノルがかき集められた呪詛の行方を捜す。
「さすが専門家ね。 チャクラは全部塞いであるのに、違和感だけでここまでの精度の情報を導き出せるなんて、正直いうと化け物としか言いようが無いわ」
ララエルは、ミノルの眉間に真鍮でできたワイヤーを繋ぎ、その透視した情景と村の地図を端末の画面で照らし合わせた。
「そっちもえらく便利なもの使ってるじゃねぇか。 ……べ、べつに羨ましくて言ってるわけじゃないからな」
人の脳に直接アクセスし、その脳裏に浮かんだ映像をPCに転送する"眠り王子"という名のアプリケーションの効果だ。
もっとも、お値段はミノルの小遣いで手が出せるレベルではない。
「ドミニオ、動ける聖騎士を全員集めてきて。 助祭たちも、できるだけ多くの天使を召喚しておいて頂戴」
物欲しげに眺めるミノルをこっそり横目で笑いながら、最悪な事態に備えて、ララエルは戦力の随時投入を避け、一気に全力で潰す方針を固めた。
その命令に従い、周囲の助祭が、急にあわただしく動き始める。
教会の中が騒がしくなる中、ミノルはふと何かを思いついて体を起こした。
「おい、シアナ。 そういえば、俺がそっちの素体にまとめておいた呪詛の塊はどうなってる?」
村の敷地全体に広がっていた呪詛はあらかた回収されてしまったが、ミノルが村人の体から回収した呪詛はまだこちらの手元にある。
もしかしたら、その残った呪詛を媒体にして、こちらから呪詛の本体に干渉する事を思いついたのだ。
「まって。 今、出すから」
ミノルの糸をすぐに読み取り、シアナがゴソゴソと懐から桜色のポーチを取り出し、その中に仕舞ってある第一物質の結晶を取り出した。
「あっ!?」
そのとき、驚くシアナの手元から黒い炎のようなものが立ち上り、まるで毒蛇のように宙を舞う。
黒い炎を放ったのは、普段ミノルが使っている器を結晶化された代物だった。
「な、なんと邪悪な! ……アト・ギボール・ル・オーラム……くそっ!!」
その闇の塊に気付き、廊下にいたドミニオがヘブライ語の祈りの言葉を唱えたが、魔術を封印していたことを思い出して悪態をつく。
数秒遅れて他の助祭たちも迎撃しようと経典を読み上げるが、蛇のような形をした闇はあっという間に教会の外へと逃げ去ってしまった。
「ミノ君が体を張って封印した呪詛を引き抜くなんて、いったい何者!?」
呪詛の抜け落ちた第一物質の結晶を手に、シアナが驚愕の声を上げる。
「いや……呪力と言うよりも、祟りの原因となった罪の深さが原因だな」
あきれ返った口調でミノルが呟く。
「俺も誰かさんの趣味に付き合わされたせいで、体力・精神力ともに弱ってる。 それで呪力も弱まったんだろ」
廊下で悪態をつく覆面天使を横目で睨みつけると、その当事者は急にミノルから目をそらし、逃げた呪いの塊を追って礼拝堂のほうへと駆け出した。
「それにしても、いったいこの村の人間は何をやらかしたんだ?」
疲れのせいか、投げやりな口調でミノルがため息をつく。
「さぁ、そこまでは。 でも、現場に行けば何かわかるかもしれませんわ。 もちろん呪詛の専門家の方も協力してくださいますわよね?」
完全武装したララエルが、同じく完全武装した天使たちを従えてミノルに微笑みかける。
「ちょっと! ミノ君疲れボロボロなのよ!? 勝手に巻き込まないで!!」
ララエルの言葉に頷いて立ち上がろうとしたミノルを、押し倒すようにしてベッドへ引き戻し、シアナが目を吊り上げて立ちはだかる。
「それに、ミノ君が勝ったんだから、あなた達はこの件からは手を引くはずでしょ!? なに思いっきり現場に介入する用意してるの!?」
当たり前のように戦いの準備を整えた天使たちを見回し、シアナが吼える。
「……実質、俺のボロ負けだったけどな」
その後ろで、ミノルが後ろ向きなため息をつく。
よほど失神KOされたのがショックだったらしい。
いつもの自信がポッキリ折られて、もはや彼のプライドは瀕死の重傷だ。
「あーもー シッカリしなさい!!」
ミノルの胸をボスボスと叩きながらシアナが喝を入れようとするが、その目は死んだ魚のようにドンヨリとしている。
「……シアナ、さすがにこの状態じゃ俺の手には余る。 向こうに任せたほうがいい」
「何弱気になってんのよ、ミノ君!! 拗ねてる場合じゃないでしょ!!」
負け犬モード全開のミノルに、シアナが激怒してその頬を抓り上げる。
「ほは言っへもなぁ」
「とりあえず、その不良素体破棄して! いつもの体に戻すから!!」
「ま、また牛になるのか!?」
煮え切らないミノルの態度に、ブチ切れたシアナが強制連行を決意すると、ミノルが眉を八の字にして不満を唱える。
色々と不自由な体ではあるが、牛になるよりはマシだ。
「文句言わないのー! さっさとその役に立たない体から出てきなさいっ!!」
シアナに一喝されたミノルが、泣く泣く人の体を放棄したのは言うまでも無い。
「YEAAAAAAHAAAAAAAA!!」
風を頬で切り、闇の中を奇声を上げて疾走する一団。
いや、一団とその騎牛。
「おい。 色々と言いたいことがあるが、これだけは聞け。 俺は乗り物じゃない!!」
冷たい夜の森の空気を吸い込みながら、ミノルが不満の声をあげる。
その不機嫌な黒牛の背中では、三人の乗客が好き勝手に寛いでいた。
「ほんと、たいしたスピードですね。 あと20秒で村はずれの祠に到着します」
ミノルの言葉にまったく耳を傾けず、冷静に端末を扱いながらそう評価するのは巨乳修道女ララエル。
ゆれる牛の背の上で、よく端末の文字を読み取れるものだ。
「いや、荒地でこれだけのスピード出せるんだからたいしたものだ。 今度、スティアー・ローピング の的にしていいか?」
動物愛護団体からクレーム続出のロデオ競技を持ちかけるのはドミニオ。
落ちてきた木の葉を笑いながら手で払うと、ミノルに振り落とされないよう、太股にぎゅっと力を込めた。
「ダメー! ミノ君と遊ぶのは私の特権なんですーっ!!」
その二人の前で、ミノルの首にしがみつくようにして跨るシアナが、夜の闇よりなお黒い毛皮に爪を立てつつ自分勝手な主張を叫ぶ。
「あー お前ら、その辺にしたってや。 それ、一応ウチの御神体やさかいに」
その横を並走しながらアンソニーがボソリと突っ込みをいれた。
疾走するミノルに追いつけたのは、さすが獣人といったところか。
「ドミニオ! お前空飛べるんだからそっちのほうが早いだろ!?」
いいように使われているのが癪に障るのか、夜の森の中を注意深く観察しながらミノルが文句をつけると、
「こんな暗闇でか? 相手に暗視能力があったら、狙い撃ちにされるぞ」
余裕の笑みを浮かべ、その正当性を主張する。
どうやら、すっかりミノルの背中上がお気に入りらしい。
「そろそろ現場に着きますわよ。 お静かに」
端末のデータを確認しながらララエルがそう告げると、文句を言いたげなミノルも口を閉ざして前に集中した。
だが、突如そのミノルが足を止める。
不意に体を震わせると、背中に乗っていた三人を一気に弾き飛ばした。
「きゃあっ!?」
「うわっ? 何を!?」
「……ひっ!?」
空中で、シアナの襟首をくわえて捕らえると、ミノルはそのままシアナを押しつぶすかのような姿勢でその上に覆いかぶさる。
一方、ミノルの背中から放り出されたドミニオも、空中でその翼を広げると、ララエルを抱えて地面に降り立った。
「おい、ミノル! 何のつもりだ、勝手に乗り物扱いしたことは悪かったがいくらなんで……」
「伏せろ! 爆発すんで!!」
文句を口にするドミニオに、アンソニーが警告を発しながらミノルの体の下にもぐりこむ。
ズズン!!
それは地面に杭を打ち込むような、低く重い爆発だった。
一瞬遅れて、硫黄と腐った生ゴミを混ぜ合わせたかのような悪臭が、突風となって襲い掛かる。
「うっ……うえぇぇぇ」
「おえぇぇぇぇっ」
よほど相性が悪かったのであろう。
ドミニオとララエルが、毒を帯びた風に中てられ、気持ち悪さのあまり道の傍にうずくまり、胃の中のものを吐き出した。
「はらいたまえ、きよめたまえ、とおかみえみたまえ」
「あちめ・おおお・のぼります・とよひるめが・みたまほす……」
ミノルの身固めの方術によって守られたシアナとアンソニーが、その安全地帯から口々に清めの言葉を唱えると、周囲に満ちていた悪臭……障気が晴れて清浄な大気が戻ってくる。
「……な、なんだ今の爆発は!? うぇっ……まだきもちがわるいぞ。 うぷっ」
ミノルがうらやむほどタフなドミニオも、大量の邪気をもろに浴びて足元がおぼつかないほどのダメージを受けているようだ。
「か、風の邪法と火の邪法を混ぜ合わせたかのような気配でしたわね。 ……うっく。 まるで、ドミニオと飲み比べをした翌朝のようですわ」
普段の生活を思わせるような発言をしながら、ララエルもまたドミニオの体の下から起き上がった。
こちらは大量の護符を身につけていた聖で比較的にダメージが少なかったようである。
「アテー・マルクート・ヴェー・ゲブラー・ヴェー・ゲドラー・ル・オーラム・アーメン(汝、王国。 峻厳と壮厳と、永遠に、かくあれし)」
ララエルが十字をきって体の中に吸い込んだ邪気を焼き払いながら、ドミニオを引きずってミノルの後ろに移動させる。
「油断したらあかんで。 この先は何があるかようわからん領域や」
アンソニーが周囲を油断なく探りながら警戒を呼びかける。
「……見ろ、前のほうから何かくるぞ」
ミノルが前方を示すと、闇の彼方から一人の男がフラフラと歩いてくる。
「あれは……この村に駐在していた司祭ですわ」
ララエルが男の招待を告げると同時に、その人影はドサリと音を立てて倒れた。
「何があった!?」
駆け寄ってその容態を確かめようとしたドミニオに、男は息も絶え絶えにボソボソと呟く。
「悪魔が……悪魔が蘇った」
「シアナ、治癒魔法を。 まだ助かる」
ミノルが素早く容態を確認すると、後ろに控えたシアナにその場所を譲る。
「光の精霊アウレリア……すべての生命を支えし……」
そしてシアナが詠唱を開始した瞬間。
「ミノル!!」
アンソニーがミノルに注意を呼びかける。
とっさにシアナの襟元を咥えてミノルが後ろに飛び退ると、たった今シアナがいた場所を銀色の閃光が通り過ぎた。
ドスッ
その光は、死にぞこないの司祭を直撃し、その命をいとも簡単に奪い去る。
「ようやく二人目が片付いたか」
闇の向こうから聞こえてきたその声に、全員の視線が集まると、その声の主はにこやかに笑いながら松明の明かりの届く範囲までやってきた。
ミノルよりも浅黒い褐色の肌。
ドミニオと同じような金色の長い髪。
およそ戦闘に向いているとは思えないほっそりとした体つき。
この場にはひどく不似合いな、伶人と呼ぶにふさわしい優美な雰囲気を漂わせながら、その男は微笑みながら一堂を見回した。
「誰だ、お前!?」
緊張をはらんだ声でミノルが問いかけると、男はさわやかな笑みをミノルにむけて優雅に両手を胸の前に合わせた。
「お前……やっぱり生きとったんか」
アンソニーの声が震える。
「やぁ、久しぶり。 しばらく見ないうちに宗旨替えしたのかい?」
その男は、アンソニーに挨拶をすると、ミノルの法へと顔を向けた。
「君が僕の後任の守護神だね」
まるで少年のような高い声で男が名乗る。
「はじめまして、僕の名はラメシュワール・レッディ。 君には工芸神トゥラヴィシュトリの化身といったほうがわかるかな?」
それはアンソニーの契約した召喚獣であり、失踪したはずの先代守護神の名前だった。