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黒毛和牛召喚記  作者: 卯堂 成隆
序章:黒毛和牛の初恋
3/72

暴走子牛が割れた鍋なら【黒毛和牛】天然少女が閉じる蓋

「やめなさいっ!!」

 突如投げられたその幼い声に、屋台のテーブルを細かい木片に変えていた子牛は露骨に顔をしかめた。

「誰だ!? オレの邪魔すん……な……?」

 不埒な妨害者を撃退すべく振り向くと、そこには目を疑うような存在がいた。


 思わず、その前脚で目をゴシゴシと(こす)るが、それは夢や幻ではない。

 逆光のせいで顔はよく判らないが、光の糸を束ねたような繊細な銀色の髪、触れることをためらってしまいそうなほど滑らかなミルク色の肌、抱きしめたら折れるどころか崩れてしまいそうな細い体。


 なによりも、その纏う気配がただの人とは違いすぎる。

 匂いたつような美……とでも言うのだろうか?

 見るもの目を惹き寄せて離さない何かが体から放射されているのではないかと感じるほどだ。

 この世のものとも思えぬ存在に、それまでの怒り狂っていた仔牛が我を忘れてポカンと立ち尽くす。


「君、召喚獣でしょ? この世界の困った人を助けるために呼び出されたんでしょ? 神の使いがこんなことしちゃダメ!!」

 その台詞を聞くや否や、子牛の頭からブチブチと何かが切れるような音がした。


「喚ばれたんじゃなくて堕とされたんだよ! 悪かったな! ついでに言うなら誰がこの世界の奴らのために働くか!!」


 その境遇があまりにも腹ただしいのか、子牛は獅子の激怒もかくやという迫力で吼え猛る。

 だが、周囲の虫や小鳥が気絶して落ちてくるほどの怒気に触れたにもかかわらず、少女は逃げなかった。

 あまつさえ、瓦礫や木片が散乱する中を、少女は危うげな足取りで近づいてくる。


「お、おい、まて! おまえそんな所歩いたら危ないだろって、おいっ!!」

 危なっかしい足取りに不安を覚えた次の瞬間……

「あっ……ひあぁぁぁぁぁぁっ!」

 少女は鉄筋コンクリートからはみ出た太い針金に足をとられて転倒する。

 その落下地点には、鋭くとがった木片。


 少女は、自らに降りかかるであろう痛みに恐怖し、ギュッと目を閉じた。


 ……ぽすん。


 痛みのかわりにあったのは、なんとも柔らかな感触。

 おそるおそる目を開けると、そこにあったのはつややかな黒い毛皮。

「重……くはないけど、とりあえずどけ」

 いつのまにか少女と木片の間に子牛が割り込んでいた。


「あ、ありがと」

 顔を赤らめながら少女が飛びのくと、子牛はフンっと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 そのピンクの鼻先が、こころなしか赤く染まっている。


「どうでもいいから、向う行ってろ。 ジャマすんな! オレはこの辺に隠れている召喚師を探し出して、こんな姿に変えてくれた礼をしなきゃならんのだ!」

 まるでチンピラのような言葉使いだが、どうにもその姿とちぐはぐな雰囲気がおかしい。

 少女は思わずクスリと笑った。


「な、何がおかしいっ!?」

 少女の反応が気に障ったのか、子牛が殺気立った視線を向ける。


「ごめんなさい。 でも、こんな事をするとみんなに迷惑だよ?」

 子牛の黒い瞳を、路傍(ろぼう)を彩るスミレよりも深い紫色の瞳が覗き込んだ。


「……う」

 なぜか視線を合わせることに耐えられなくなり、目を逸らしてうろたえる。

 仔牛が押し黙った子牛に、少女はさらに質問を重ねた。


「ねぇ、なぜこんな酷いことしたの?」

「そ、そんなこと、お前に関係ないだろ!」

 乱暴な言葉遣いだが、そこに先ほどまでの威圧感は無い。


「そんなことないもん。 私にはあなたを止める義務があるから」

「なんだよ、それ? お前は正義の味方のつもりか?」

 子牛の声が低くドスのきいたものに変わる。


「正義の味方じゃなくて、召喚師……の卵かな。 ねぇ、なんでこんな事したの?」

「召喚師だと!? 俺は召喚師と言う奴らが大嫌いなんだよ!! あっちに行け! これ以上オレに構うとぶん殴るぞ!!」

 殺気を膨らませ、少女を跳ね飛ばそうと体を低く構える。

 だが、その場にいるだけで肌があわ立つほどの殺気の中、少女は思いもかけない行動に出た。


 ぎゅっ


「おい……離れろ」

「いや」

 少女は、そのか細い腕で子牛の頭を抱きしめていた。


「離れろって言ってんだろ!!」

「ダメ。 離したらまた暴れるでしょ? 理由を教えてくれるまで離れない」

 その細い腕に、さらに力を込める。


「ぶっ殺すぞ! 脅しじゃねぇからな!!」

「脅しでしょ? ママと喧嘩したときのパパと同じ目をしているもん」

 どうやら、脅したところで無駄らしい。

 華奢な少女に大怪我を負わせるのは、この仔牛の本意ではなかった。


「……変な女」

 気を殺がれた暴れ子牛は、少女を突き飛ばすこともなく、地面に座り込んでこのわけの判らない相手をどうするべきか思案しはじめた。

 少女はその子牛を抱きしめたまま、子供をあやすかのように背中を撫で、子牛の動きを完全に押さえ込む。


 よほど気持ちがいいのか、やがて仏頂面の子牛の尻尾が、無意識に左右に揺れはじめる。

 野次馬の視線が、怖いものを見る目から、何か微笑ましいものを見る目に変り始めた。


 どれくらい時間が過ぎただろう?

 少女はふと思いついたように囁いた。

「ねぇ、名前教えて。 あたしはシアナ」

「……ミノルだ」

 わずかな躊躇の後、子牛はボソリと呟くように答えた。


「じゃあ、ミノル。 もう一度聞くけど、なぜこんな事したの」

「俺をこんな姿に変えてこの世界に堕とした奴がいるからだよ。 元の世界に返るには、そいつをぶっ殺すか、送還の許可を受けるしか無ぇんだ」

 鼻に皺を寄せて凶悪な表情を作り、憎々しげに漏らす。


「お前こそ、なんでオレを止めようと思った。 召喚師の卵だからなんて言い訳は信じないからな」

 不本意そのものの声で、ぶっきらぼうに尋ねた。


「んー なんだろう? 暴れているというより、何か聞いてほしいことがあるような気がしたから? ウチの弟もよくやるのよね」

「なんでお前にそんなこと判るんだよ。 適当なこと言うな!」

 年下と同じにされたのが気に入らなかったらしく声を荒げて立ち上がるが、シアナは驚くこともなく黙ってミノル体に頬を摺り寄せた。


「だーめ。 じっとしてて。 ミノ君の体って、フサフサしてきもちいいねー」

 その顔をやさしく撫で、たじろぐミノルの鼻面に小さな唇を押し当てる。

 生まれてこの方、一度も感じたことも無い柔らかな感触に、ドキリと心臓が跳ね上がった。


「ねぇ、何があったの? ほんとは別の理由があって暴れていたんでしょ?」

 目を閉じてシアナが囁く。


「うちのパパもね、昨日『俺の晩飯にピーマンを入れるとは何事だー!』とか言ってママと喧嘩していたけど、ほんとは仕事で嫌な事があって、イライラしていただけなんだって、後でママが教えてくれたの」

 クスリと笑う少女の微笑みに、ミノルは力が抜けてゆくのを感じながら呟いた。

「おまえの親父、大人げ無いのな」


「ちがうよー そんな事するのは、ママに対してだけ。 ママが言うには、『旦那の泣き言を聞くのは妻の特権』だって言ってた。 その後で、ママはぐーで殴っていたけど、それも愛情なんだってさ」

 さほど珍しくは無いシチュエーションだが、幼い二人の子供には、まだ理解できない世界だった。


「俺はお前の旦那じゃない」

「でも、悲しいことがあった時は、誰かに話したほうがスッキリするよ?」

 そう囁く吐息が耳にかかる。

 ぞくっ

 生まれて初めて感じるその感触に、ミノルの中で何かが壊れる。


「……女の子を助けたのに、親父に怒られたんだ」

 ぽつりと自分の口からこぼれた台詞に、ミノル自身が驚いた。


「女の子が変なオッサンたちに乱暴されていたんで助けてやったんだよ。 俺の何がいけなかったんだ?」

 とめどもなく無く流れるその声は、弱々しく情けなく、まるで自分の言葉とは思えないとミノルは思った。

「それだけ?」

「いや、そのあと助けた後でその女の子に化け物って言われて、気分が悪くてさ。 ムカついたから、そのオッサンたちの事務所をビルごと瓦礫に変えてやっただけだ」

 社会のゴミを始末して何が悪い。

 憮然として呟くミノルの言い分に、シアナは到底頷けなかった。

 あきらかにやりすぎである。


「そしたら、俺の親父がむちゃくちゃ怒って、俺をこの世界に堕として無力な仔牛にするよう手配しやがったんだ」

「ただの……子牛?」

 シアナは、凄まじい力で破壊された町並みを見回す。


「この体でも気功とかなら使えるし、潜在能力をフルに活用すればこのぐらいのことはできる。 親父にはよく規格外とか言われるけどな」

 規格外どころか、常識外の化け物である。


「ねぇ、ミノル。 友達いる?」

 不意に、シアナはそんな質問を投げかけた。

「…………」

 沈黙が全てを物語っていた。

 こんな化け物じみた力を持っていれば、おそらく誰も近寄ることなどできまい。

 同じ年代の子供と言うならなおさらだ。


 ふと気になって、シアナは質問を変えてみた。

「もしかして、ミノルって神様の子供?」

 召喚獣の正体は、神の姿と力を与えられた異世界の魔術師や神官なのだが、その中に現人神(あらひとがみ)化身(アヴァタール)と呼ばれる別格の存在がいる。

 それは血脈自体に神の力が宿っていたり、魂が神の生まれ変わりだったりする魔術師で、その力は他の魔術師や神官とは比べ物にならない。

 それゆえ、彼らは人の身でありながら神として扱われ、信仰の対象にすらなっている。


「おぅ。 俺の家系は、牛頭天王(ごずてんのう)とか建速須佐之男命たてはやすさのおのみことって呼ばれる神の血を引いていて、神と呼ばれるだけの術者を何人も生み出しているすげー家だ」

 よほど家のことが自慢なのだろう。

 その声は子供らしい誇りに満ちていた


「じゃあ、ミノルも神様?」

「……あぁ。 正式には認められていないけど、たぶん俺も神様に入るんだろうな」

 その力が明らかに人の範疇から飛び出してしまっている事は、幼いミノルにも理解できていた。


 シアナはため息をついてからこう切り出した。

「だったら、なおさらこんな事しちゃダメだよ。 ただ強いだけなら神様とは言わない。 今の君は化け物とおんなじだと思わない?」

 その言葉を耳にした瞬間、ミノルの体がビクリと震えた。

「……うちの親父と同じこと言うなよ」

 シアナの言葉は、ミノルの心をザックリと(えぐ)っていた。


「ほんとは、わかってるんでしょ? ミノルのしたことは、いけないことだよ」

「……うん」

「だったら、しなきゃいけない事あるよね」

「……神が人に謝らなきゃいけないのか?」

「神様だったら、間違ったことでも誤らなくて良いの?」

 シアナはその腕をミノルの顔から離し、周囲が見えるようにその位置を変える。

 気がつくと、通報を受けたらしき騎士団員らしき鎧を身にまとった男たちと、神殿からやってきた神官達が、二人を取り囲むように優しく見守っていた。


「……ごめんなさい」

 しばしの逡巡(しゅんじゅん)の後、消え入りそうな声があたりに響いた。


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