第二十三章:失神KO!?【黒毛和牛】ミノル、リングに沈む
目を閉じて効いていたなら、それはまるで激しい雹が降ってきたような音だった。
重量級の二人が、リングの上で殴りあう。
いや、それは潰しあうとか削りあうと表現したほうが正しいだろう代物だった。
シアナやララエルといった女性陣は、その凄絶さのあまり正視にたえず、頭を抱えてただ嵐が過ぎ去るのを待ち続けている。
手数ならミノルの方がやや上だろう。
だが、その攻撃を巧みにガードしながら、フェイントを交えて攻撃をしかけるドミニオの前に、ミノルはどんどん後ろに追いやられてゆく。
「どうした? 息が上がってるぞ、ミノル」
回し蹴りでガードした体ごと弾き飛ばしながらドミニオが嘲笑う。
「……うるせぇ!」
体制を立て直そうと後ろに一歩下がろうとしたミノルの背に、コーナーポストがあたる。
「なぁ、ミノル。 リングって狭いだろ?」
逃げ場をなくしたミノルにドミニオがゆっくりと押し迫る。
……ダメだ、呑まれる!?
ミノルの足が一瞬止まった、その隙を逃さずに、ドミニオはその太い右腕をなたのように振りかざしてきた。
「右の頬をぶたれたら」
ドミニオの右フックが、ガードしたミノルの腕を弾き飛ばす。。
「左の頬も差し出すが言い!!」
続けて放たれたドミニオの左フックがミノルのこめかみを直撃し、ミノルが白目をむいて崩れ落ちた。
そしてうつ伏せに倒れたミノルの頭掴むと、頭と股間を掴んで、逆立ち状態で持ち上げ、ブレーンバスターの体制を取る。
「シッカリ息を止めろよ? 結構効くからな!!」
そして、そのまま勢いをつけて自分の体ごと後ろに叩きつけた。
だが、
「……ふ・ざ・け・ん・な!」
ミノルは空中で体を捻り、勢いを付けて足から着地すると、そのままドミニオの腰を掴んで、電光石火の勢いで後ろに放り投げた。
「うぐっ!?」
頭をしたたかに打ち付けて、ドミニオが痛みに転げまわりながら距離をとる。
その後をミノルがややふらついた足取りで追い、その無防備な脇腹を蹴り上げる。
「うげっ」
そして仰向けにひっくり返ったドミニオの上に、倒れ込むように座り込むと、ミノルはその拳の雨を容赦なく振り下ろした。
「……ま、まて、ミノル。 ローププレイクだ」
ミノルが油断なくドミニオを警戒しながらその足を確認すると、たしかにドミニオの右足がローブに引っかかっている。
「ちっ!」
ニヤリと笑うドミニオの顔の横の地面に正拳を叩き込むと、ミノルは舌打ちをしてその体の上から立ち上がる。
「……本当に馬鹿だな、ミノル。 殺す気でやってるんじゃないのか? 言っておくが褒めてるぞ。 お前はプロレスラーに向いている」
ヨロヨロとロープにつかまりながらドミニオが体を起こす。
「そんな褒め勝たされても……嬉しく無ぇよ!!」
それを歯軋りしながら睨みつけるミノルのほうも、既に肩で息をしている。
「どうした? そろそろスタミナ切れか?」
必死で呼吸を整えようとするミノルの様子に、ドミニオが舌なめずりをする。
「黙れ!」
強がってみてたところで、その疲労の蓄積は隠しようも無い。
全身からは、ポタポタと滝のような汗が流れていた。
「お前は鍛えすぎだよ、ミノル」
体力に余裕を残すドミニオが、そう告げながらミノルの肩を掴もうとする。
その手を振り払いながら、ミノルがフラフラとロープ際まで後退った。
「それがお前の最大の弱点だ。 その極端に脂肪分の無い体では、長時間戦うことができない」
「……う、うるさい!」
その顔に焦りを浮かべながら、距離をとらせるためにミノルが牽制のローキックを放つ。
だが、その足を右手で捕らえると、ドミニオは間合いを詰め、ミノルの左の脇に自分の左腕をいれた。
そして右手を素早くミノルの右の腰に滑らせて、そのまま側転をするようにミノルの体を回転させる。
「……う、うわぁ!?」
そして空中で仰向けになったミノルの体を、自らの右膝の上に落とした。
ケブラドーラ・コン・ヒーロと呼ばれるルチャリブレの投げ技だ。
「うがっ……!!」
そして背中を押さえて苦しがるミノルに背後から忍び寄り、その首と同体に足を絡め、コブラツイストをかけたまま、体を後ろに引き倒す。
ギリギリと体を締め付ける痛みにミノルの顔が苦痛で歪む。
だが、この技の恐ろしさは……
「ほら、ミノル。 両肩がマットについているぞ。 ……1、……2」
「ふ……ふぬぅっ!?」
慌てて体を起こそうとするが、こんどはドミニオの体が邪魔で、自ら全身を自ら締め付ける形になる。
絞め技とフォールを同時に行う、プロレスというルールを最大限に活かした実に冷酷な技だ。
「諦めろ、お前の負けだ!!」
勝利への確信に笑みを浮かべ、ドミニオはミノルの首を締め上げて急速にスタミナを奪い去る。
……すまん、シアナ。
俺、勝てなかったよ。
薄れ行く意識の中、ミノルは心の中でシアナへの謝罪を呟いた。
体力の尽きたこの体では、ドミニオの腕を振り払うこともできない。
あと数十秒もしないうちに、スタミナが尽きてマットに沈められてしまうだろう。
だが、我ながら不利な状況でよく戦ったと思う。
やれるだけの事はやった。
なんか、妙にスッキリしちまったよ。
もう……いいだろ?
そう呟く頬に、一滴の涙が伝い落ちた。
ミノルはそのままゆっくり目を閉じ……
「こらーっ!! 起きなさいよ、馬鹿牛! せめて最後まで足掻きなさい!! いつからそんな諦めのいい子になったの!?」
リングサイドで喚くシアナの声が耳に入る。
いつもなら魅入られるほど綺麗な顔が、今は涙と鼻水でグチャグチャになっていた。
……無茶言うなよ。
ミノルが心の中で苦笑する。
魔術も封じられているし、気功も使えない上に、体力まで限界なんだぞ?
いったい俺に何が残っているというんだ?
まったく、酷い女だ。
お前にそんな顔されたら痛くて苦しくてもギブアップできないだろ。
「うぐっ……かっ、くぅっ」
ミノルは目を開いて、苦しげに息をしながらもドミニオの腕に指をかけた。
「健気だな。 感動ものだよ。 だが、そろそろ終わりにさせてもらう!」
ドミニオの腕にさらに力が入り、ミノルの体がミシミシと音を立てて軋む。
だが、そんな中、ミノルはその顔を苦しげに歪ませながらも……笑っていた。
そして、その繊細な指の感覚を頼りに、ドミニオの肘をゆっくりと触診する。
……見つけたぞ!
ミノルの指は、その、鋼のような筋肉の隙間にあるほんの1ミリほどの大きさも無い、しかも動くたびに移動する、経絡と呼ばれる穴をはっきりと捕らえていた。
間髪をいれず、残された力を振り絞って、その経絡に指を突きいれる。
「……は?」
ドミニオは自分の見ているものが信じられずに、気が抜けた声をあげた。
ミノルにはもはや自分の腕から逃げるだけの体力は残されてなかったはずである。
だが、自分の腕がいとも簡単に振り払われた。
いや、肘から先の腕に力が入らないのだ。
「い、いいかげん、離れやがれ!!」
すかさず、ドミニオの膝にミノルが手をかける。
言い知れぬ恐怖を感じたドミニオは、ミノルを突き飛ばしてロープ際まで転がって逃げた。
「い、いったい何をした!?」
ロープを支えに体を起こすドミニオ。
その右腕は、肘から先が完全に麻痺して力なく垂れ下がっている。
「はぁ……はぁ……点穴……東洋医学の奥義ってやつだ。 その腕は……俺が治すまで動かないと思え!」
鍼灸術などの原理を利用し、体中にあるツボを刺激することで相手の動きを封じる秘術である。
その難易度から、実践で使うのは至難の技であるが、相手が動かない状況ならミノルにも使うことができる。
まさに医神の眷属であるミノルならではの反則技であった。
「ず、ずるくないか?」
思わぬ誤算に、ドミニオの頬を汗が伝う。
「や、やかましい! こっちも余裕がねぇんだ。 覚悟しろ!!」
そう叫んだミノルであるが、立ち上がろうとした膝が言うことを聞かない。
以前、絶体絶命の危機はそのままだった。
「その必要は無いな。 ようはその手につかまらなければいい話だろ。 覚悟するのはミノル、お前だ!」
そう告げるなり、距離をとって蹴りを主体に攻めてくる。
これでは点穴に必要な距離まで近づくこともできない。
「うぐっ!?」
フェイントを見切りそこねて、無防備になった脇腹に、強烈な蹴りが飛んでくる。
続いて頭を掴まれ、素早い動きで首にドミニオの足が絡み付き、そのまま宙に放り投げられた。
「かはっ!」
マットの上に大の字に倒れ、肺の空気を残らず吐き出してミノルが悶絶する。
不意にドミニオの気配が消えた。
……なにか嫌な予感がする。
必死になって顔を上げると、コーナーポストをよじ登るドミニオの背中が目に入る。
おそらく、そのトップロープの上からミノルめがけて飛び降りてくるつもりだ。
……やべぇ!?
必死で起き上がり、ミノルもコーナーポストにかけよる。
「……ちっ!」
空中技を放つ寸前でミノルに体をつかまれ、ドミニオが舌を鳴らした。
ならばとばかりに、膝をミノルの頭に押し付け、全体重をかけてマットにたたきつけようとする。
皮肉な事に、その技は『子牛の焼印押し』という技に酷似していた。
「……うぐっ」
ドミニオに頭をつかまれ、重心を崩したミノルは、ドミニオの体を抱えたままフラフラと後ろに彷徨った後、足を滑らてひっくり返る。
そのまま頭を地面に打ちつけ……ミノルはそのまま完全に意識を失った。
ミノルが目を覚ました時、目に入ってきたのは、知らない天井と、シアナの泣き顔と、実にいい笑顔をしたドミニオだった。
「ミノ君!?」
シアナが、泣きながら顔を胸に埋めてくる。
どうやら、失神したあとこのベッドの上に寝かしつけられたらしい。
場の空気が清められているところを見ると、この村の教会の一室だろうか?
「負けた……のか」
シアナの頭を抱きしめながら、体を起こすこともできずに、力なくミノルが肩を落とす。
「惜しかったな」
ドミニオがそんな台詞をかけてくるが、とてもじゃないが耳に入らない。
鼻がツンと痛くなり、気が付くと頬を熱いしずくがいくつも流れていた。
悔しくて、涙で視界がグチャグチャになる。
「ぷっ……なんだ、ミノル。 泣いてるのか?」
ドミニオがミノルの背中を叩き、頭をガシガシとなでる。
「う、うるせぇよ! 次は負けねぇからな!!」
その手を振り払うと、ミノルは歯をむき出しにしてリベンジを宣言する。
「馬鹿なヤツだな。 ……負けたのはお前じゃない」
だが、ドミニオはなぜか嬉しそうな顔をして、まったく理屈に合わないことを口にした。
「へっ……?」
「勝ったのはお前だよ。 私のフォール負けだ。 決まり手はフィッシャーマンズ・スープレックスと言って、こう相手の片足を抱えてだな、背中に抱えた地様態で背中からたたきつける……」
熱心に解説を始めたドミニオを遮って、ミノルは苦笑いを浮かべた。
「いいよ……そんなプロレス技、言われてもわかんねぇし。 ようするに、まぐれ勝ちって事だろ?」
ドミニオが目を閉じてため息をつく。
「いや、むしろ根性勝ちだな」
「そうそう、ミノ君、ドミニオさんフォールしたまま気絶してたのよ? 試合が終わった後も腕が離れなくて、引き剥がすのに苦労したわ」
シアナが顔を上げ、困惑するミノルに説明を加えた。
「勝った……のか」
まだ信じられないといった顔をするミノルにドミニオが頷き、
「まったく、とんだ大番狂わせだったよ。 おかげでララエルがショックで寝込んじまった」
ボリボリと掻きながら、苦笑いを浮かべる。
「まぁ、負けは負けだ。おとなしくこの村のことはお前に任せる。 敗者はただ去るのみだ」
そういうと、ドミニオは立ち上がってミノルに手を差し出した。
「なぁ、ミノル。 気分はどうだ? 楽しかっただろ」
不意にそんなことを聞いてきたドミニオに、ミノルは困惑したまま、
「……正直勝った気がしないし、殴られるのも蹴られるのも遠慮したい」
と複雑な表情で握手に応える。
実際、内容からすればミノルの完敗だ。
「……楽しくなかったのか?」
ドミニオがこの世の終わりのような顔をする。
「楽しいわけ無ぇだろ」
「……ホントに?」
ドミニオの目からポロポロと涙がこぼれる。
「な、なんで泣くんだよ! おい!! まぁ……そりゃ、ちょっとは楽しかったぞ。 血が滾るというか、何と言うか。 でも、どちらかといえば悔しいかな。 試合には勝ったけど勝負には負けたってやつだ」
「そうか、じゃあ次は心の底から楽しいと思えるような試合をしよう」
一瞬で涙を引っ込めると、ニヤリと不適な笑みを浮かべて、
「逃がさないからな」
と、意味の解らないことをミノルの耳元で呟いた。
「は?」
目を丸くするミノルの肩を掴むと、ドミニオは気持ちが悪いぐらい熱い視線をミノルに注ぐ。
「戦う楽しさを教えてやるって言っただろ? ……俺に惚れ込まれたのが運の尽きだと思え。 お前をかならずルチャドールの虜にしてやる!」
「ま、まて! なんでそうなる!?」
ドミニオの暑苦しい勧誘から逃げようと、ミノルがジタバタもがいていると、シアナがキッとドミニオを睨みつける。
「ちょっと、大人しく聞いていれば! ミノ君は私のです! 勝手に口説かないで!!」
そのまま、ドミニオの前に割り込んでミノルに抱きついてきた。
「お、俺は誰の物でも無……」
怒鳴りつけようとしたミノルだったが、途中で貧血を起こしてフラフラと仰向けにひっくり返る。
「すまん。 少し……寝かせてくれ」
寝転んだまま力なく呟くミノルに、物言いたげ二人は、仕方ないといわんばかりにため息をついて、どちらともなく肩をすくめた。
そして、シアナがミノルの上に毛布をかけて立ち去ろうとした瞬間、ミノルは奇妙な感覚を感じて目を開いた。
「なんだこれは……」
体を起こすと、その奇妙な感覚の正体を確かめようと、ふらつく体を起こしてベッドから降りようとする。
「よせ、まだ歩ける体じゃない」
すかさずドミニオがその体を支える。
「どうしたの? ミノ君」
そして心配そうに顔を覗き込むシアナに、ミノルが一言告げた。
「村を覆っていた呪詛が……消えた。 いや、誰かに奪い去られた」