第二十一章:大ピンチ?【黒毛和牛】牛も歩けば罠に嵌る
「ここが決闘の場所か」
ミノルがその広場にやってきたのは、すでに日もとっぷり暮れてからだった。
周囲にはかがり火が焚かれ、リングをオレンジ色の光で照らし出している。
しかしそれでは照明が足りなかったらしく、現在は助祭達が光源を確保しようと光の精霊を呼びかけを行っていた。
光の精霊への代償として焚かれた没薬の香りが鼻に付く。
戦いの舞台となるリングが設営されたのは、村の中心にある広場だった。
本来ならリングの設営はひどく手間のかかる作業だが、あらかじめ組み立てたものを転移魔法で呼び出したのだから、実に早いものだ。
「やっと来たか。 待ちかねたぞ、ミノル」
リングの上で足場の感触を確かめながら、ドミニオはすでに軽くウォーミングアップを始めていた。
その上気した背中から、うっすらと湯気が立ち昇っている。
「待たせて悪かったな…… あんたの相方にイジメられたおかげで、ずいぶんと時間喰ったよ」
ミノルが皮肉を口にすると、ドミニオは笑いながらリングを降りてきた。
「そりゃ、ご愁傷様だ。 で、その姿でやる気か? 俺はプロレスで勝負したかったんだが」
ミノルの姿は、相変わらず牛のままだった。
ララエルが人の体になるように交渉してきたはずだが、ひょっとしてしくじったか?
相方の姿が見えない事に、ドミニオの背中を冷や汗が流れた。
だが、ミノルの様子を見る限り、怒り狂っている様子は無い。
ララエルの交渉が失敗していたなら、もっと険悪な空気をまとっているはずだ。
「そちらの方はララエルが用意している。 ……というか、わざとシアナを煽って俺と引き離しただろ? よくもハメやがったな!」
ドミニオの不安に気付かず、ミノルは恨みのこもった台詞を吐いてドミニオをにらみつけた。
よほど悔しかったのか、無意識にその前足で地面をガリガリと掻いている。
「引っかかるほうが悪い」
その様子を見て苦笑するドミニオだが、内心は自分達の策が成功したことに安堵して、胸をなでおろしていた。
「ずるいぞ。 卑怯者め」
「大人の特権だ。 それよりも、挨拶しなきゃいけない相手がいるんじゃないのか?」
ミノルの怒りの矛先をかわすべく、ドミニオはリングサイドでこちらをじっと見ているシアナの方を振り返った。
「ミノ君……」
シアナが消え入りそうな声で呼びかけるが、ミノルは視線を合わせようともしない。
気まずい時間が二人の間に流れる。
さすがに見かねてドミニオが仲裁のために口を開きかけたが、それを見越したかのようなタイミングで、素体を用意したララエルが助祭たちを率いて現れた。
「お待たせしました。 こちらが素体ですわ」
その後ろを見ると、侍祭たちが大きな棺桶を運んでいる。
「中身を確認するぞ」
ミノルがその棺桶の蓋を開くと、そこには大柄な牛の獣人の体が入っていた。
「背丈と体重は同じだから、質量的にちゃんとつりあうはずですわ。 あとはそっちで微調整してくださいな」
召喚獣の受け皿となる器、そのもっとも基本となる材料は……そう、新鮮な死体である。
実際には、さらにその死体を分解加工して、錬金術で言う第一物質と呼ばれるものに変換されることが多いが、相性さえ問題なければこのような生の死体のほうが高度な召喚には向いているのだ。
「おい、こんなものどうやって調達した!? まさか、罪の無い人間を手にかけたりはしてないだろうな?」
さすがに、ミノルとしても、自分の受け入れた交換条件のために死人が出るのは勘弁してもらいたい。
もし自分のために殺したというのなら、即座に拒絶して大暴れしてやるつもりで、ミノルは気功を練るべく深く息を吐き出した。
「その体の元の主は、傭兵崩れの山賊だ。 買い取って保存しておいた罪人の死体の中から、一番よさそうなヤツを選んでおいた」
鼻から黒いオーラを荒々しく吐き出すミノルの前に立ちはだかり、ドミニオはミノルの誤解をとくべく弁明を口にする。
ミノルはしばらくドミニオの言葉を疑っていたようだが、しぶしぶ納得したような顔で実るが僅かに頷いた。
「わかった。 それならば、一度俺を向こうの世界に送還してくれ。 こっちの体に入りなおす」
ほっと息を吐いたドミニオが、ララエルに視線で合図を送ると、ララエルは地面に大きな円を描き、その中に入るようミノルに指示を出した。
「平穏に去るが良い、良き聖霊よ。 永劫より汝の定められた場所へと。 我らと汝に平穏のあらん事を 」
その詠唱とともに、地面に描かれた円が光り輝く。
同時に、ミノルの体がドサッと音を立てて崩れ落ちた。
「無事に向こうの世界に戻ったか……」
いつの間にか冷や汗をかいていたことに気付き、ドミニオが額をタオルでぬぐう。
次はミノルを再び『用意した器』の中に召喚しなければならない。
もし、このまま向こうの世界に放置したなら、この件に関して完全に閉め出しを食らわせることができるが、今度は向こうの世界でミノルが大暴れをするだろう。
その破壊の矛先は、確実に向こうの世界に残してきたドミニオの本体にまで及ぶ。
一方、シアナはミノルの器を回収すべく、すでに動かない黒牛の体に駆け寄っていた。
「……ミノ君、ごめんね」
そう呟くと、シアナは抜け殻となったミノルの体に手を添えて、ゆっくりとその器を分解する。
ミノルの体が、まるで粘土のように形を失い、みるみる小さくなってゆく。
やがて、ミノルの体だったモノは、鶉の卵ぐらいの大きさの黒い球体……第一物質の結晶となった。
シアナがミノルの体を回収したことを見届けると、ララエルはミノルを別の器で召喚するべく、呪文の詠唱を開始する。
「大洋の恐るべき王、大空の瀑布の鍵を握り、大地の洞窟に地下水を閉じこめる汝。 洪水と春雨の王。 河と泉の源を開く汝。 大地の血にたとうべき湿気に向かって、草木の生気となるべく……」
ララエルが唱えているのは、魔術師エリファス・レヴィが残した水の精霊への祈りの言葉である。
普段ならここまで大掛かりな詠唱は必要ないのだが、ミノルから仮の契約しかとりつけてないララエルでは、どうやらミノルを呼び出すのに力が足りないらしい。
そのため、高度な神性魔術の詠唱によって、ミノルと親和性の高い水の聖霊の諸力をかき集めているのである。
最初から本契約とその籠を取り付けているシアナは、いつもミノルを簡単に呼び出すことができるが、こうして大仰な儀式を見せ付けられると、改めてミノルが大物召喚獣であることを思い知らされる。
「わけても汝は汝の永久なる思念と、汝の称うべき本質と見事に似通う諸処の力を創りだし、これらの力を汝は汝の意志を世界に告知する天使の群れよりも高き位置に据え、最後にこの世界を我らをその第三の位置に創り出せり。
この位置に置いて、我らの不断の務めは汝を褒め称え、汝の願いを敬う事。
この位置において、我らは汝を手に入れんと欲して絶え間なく身を焦がし……」
荒い息を吐きながら、ララエルは異界への門を開き、異世界にいるミノルと念話による交渉を開始する。
助祭が後ろから金貨の入った袋を差し出し、それを魔方陣の中に捧げると、その袋が光となってその場から消えた。
ミノルが代償を受け取り、召喚を許諾した証だ。
シアナはほとんど支払った事が無いが、本来召喚獣をこの世界に呼ぶには、多額の報酬が必要なのである。
「汝れこそは、ゴーマ・グリーヴァヤ・デーヴァラージャの末裔にしてその化身、汝との間に交わされし仮初の契約に基づき、神の子たるイエス・キリストの名において、我は汝を呼ぶ」
ララエルの詠唱が最終段階に突入する。
「出よ、牛島 稔!」
その瞬間、ズン! と何かとてつもなく重い何かが地面に落ちたような衝撃が走り、負荷に耐えかねた魔方陣が糸のように千切れ飛ぶ。
「きゃあっ!?」
近くにいたララエルはその衝撃で弾き飛ばされ、そのまま負荷に耐えかねて気を失ったらしく、地面に突っ伏したまま動かなくなる。
地面から突き上げた闇の柱が天を衝き、辺りを照らしていた光と炎が一瞬で飲み込まれて消えう失せる。
星の瞬いていた空は、あっという間に分厚い黒雲に覆われ、稲妻を撒き散らしながら闇の柱を中心に大きく渦を巻きはじめた。
逆巻く風が、轟々と神の怒りの声のように耳朶を打ち、まともに向けられたら正気を失いそうな冷たい畏怖の気配が容赦なくその場にいる全員の心を押しつぶす。
やがて地面が空間ごと歪曲し、召喚地点を中心に擂鉢状に凹み始める。
幸い空間が歪んだだけなので窪みの中に落ちるようなことはなかったが、その地面の底は真っ暗で何も見えず、まるで奈落に通じる穴が開いたように思えた。
「……まったく、冗談じゃない。 私に、こんな化け物と戦えと!?」
誰にも聞こえないような小声で呆れたような台詞を呟くドミニオだが、その顔は餌を目にした獅子のように獰猛な笑みが浮かんでいた。
化け物……まったくその通りだとシアナは思った。
いつも自分が呼ぶときは、かなりのソフトランディングをしてくれているおかげでこんなことになったことは一度も無いが、アンソニーの語るところによると、普通に呼べばその余波だけで街が一つ消し飛びかねないらしい。
おそらくこれでもかなり気を使っている方なのだろう。
ましてや、コレを使役するなど、到底人の身には無理な相談だ。
現に、ララエルほどの凄腕でさえ、あっさりコントロールに失敗して気を失っている。
無理に呼び出せば一瞬でこちらの精神が焼ききれて、そのまま廃人コースまっしぐらだ。
ミノルの身に与えられた禁止召喚獣の称号を、彼がいかに自分を甘やかしていたかを、シアナは生まれて初めて実感した。
そしてその異変は唐突に終わった。
空は一瞬でもとの星空に切り替わり、いつの間にか消えたはずの篝火が、パチパチと薪の爆ぜる音を響かせながら周囲を赤々と照らす。
まるで何か悪い夢を見たかのようだ。
気が付くと、四散した棺桶の残骸をかき分けて、大きな体がゆっくりと半身を起こす。
そして……
「なんじゃこりゃあぁぁっ!?」
体の具合を確かめたミノルが、いきなり大声を上げた。
「……この体、チャクラが全部塞がれてるじゃねぇ!?」
怒りに肩を震わせ、裸のままドミニオに詰め寄る。
「別にいいだろ? 勝負はプロレスなんだから気功が仕えなくても問題ないはずだが? まさか、格闘じゃ勝ち目無いとか言い出すなよ?」
「誰が言うか!!」
「それより、そのご立派な物をはやくしまえ。 俺が自信なくすだろ?」
笑いながら、リングシューズとプロレス用の黒いショートタイツを投げ渡す。
「いいだろう。 何もかもが貴様の思い通りに事をが運ばないことを教えてやるっ!!」
その衣装を手早く身に着けながらミノルが吼える。
「ほら、こいつも付けろ。 リングに上がる以上、お前も戦士だからな」
そう言ってドミニオが投げつけてきたのは、バンダナに目と鼻の穴を開けたような黒いマスクだった。
「まったくどこまで我侭なんだ、貴様は!!」
そう悪態をつきながらも、ミノルは素直にそのマスクを顔につける。
「ん?」
マスクをつけおわり、ミノルがリングに上がろうとしたとき、そのとき不意に背中に誰かの息を感じた。
「……なんだよ。 俺なんかコテンパンにされればいいんだろ」
背中に抱きついてきたシアナに、ミノルは冷たく声をかける。
「だ、だって、負けるとかわいそうでしょ。 ミノ君泣いちゃうし」
ミノルの腰の辺りに顔を埋めるようにして、シアナがなぜか呂律の怪しい声でささやく。
その吐息が素肌にかかって、ミノルの心臓がドキドキと早鐘を打った。
「だ、誰が泣くか!!」
からかわれているはずなのに、その言葉がなぜか嬉しくて、反射的にミノルは憎まれ口を叩く。
「……そのわりには背中が寂しそうよ?」
「人の尻を抱きしめて背中も何もあるか」
「ミノ君の背が高すぎるからいけないんです!」
ミノルがそう言えば、シアナがこう言う。
いつもの二人の距離に戻った気がしがして嬉しいのだが、敵の目の前だというのに緊張感が途切れて微妙に困る。
ミノルは、複雑な想いをかかえたまま、後ろを振り返った。
「ころころと態度変わり過ぎだ。 おまえ、どれだけ俺を振り回せば気がすむんだ?」
ミノルは片膝をついて、視線をシアナと同じ高さまで下げた。
「ちゃんと抱きとめていておいてくれないミノ君が悪いんだもん」
そして不満そうに唇を尖らせるシアナに向かい合うと、ミノルは一つため息をつき、シアナの顔を隠すフードに手をかける。
「……ミノ君。 顔が近い」
「黙ってろ」
そのまま、不意に顔を寄せた。
「あっ……」
シアナの額に、柔らかくて暖かい感触が触れる。
「……あのプロレス馬鹿をブチのめした後でいつもの体に戻ったら、二度と心変わりなんてしないようにしてやる。 覚悟しとけ!」
ふんっと、真っ赤な顔で荒く鼻息をついた後、ミノルはローブに手をかけて、一気にリングの中に転がり込んだ。
その逞しい背中を見上げながら、シアナは自分の額……ミノルの唇の触れた場所にそっと指を当て、急に恥ずかしくなったのか、その表情を隠すように急いでフードを目深にかぶる。
「なんだ、もういいのか?」
リングの上では、ドミニオがニヤニヤと笑いながらミノルを待ち構えていた。
「あいにくと、見世物になる気は無い!」
気合を入れなおしながら、ミノルはそのにやけ面を真っ直ぐに睨みつける。
「じゃあ、今度はこっちに付き合ってもらおうか。 もう一度言うが、ガッカリさせるなよ?」
「それはできない相談だな。 あんたが負けてガッカリするのは確定事項なんでね」
「その台詞、そっくり返してやろう」
ドミニオはギラギラとした目をミノルに向けて、唇を舐めた。
「……おい、ゴングを鳴らせ!」
ドミニオが合図を送ると、助祭の一人が荷物からハンマーを取り出し、教会から失敬してきたであろう大きな鐘を打ち鳴らした。