第二十章:飢えた天使は【黒毛和牛】絶望への序曲を謳う
「いまさらですけど、よかったんですか? ドミニオさん」
その広い背中にむかってシアナが囁く。
だが、話しかけられたドミニオは上の空で何かブツブツと呟いていて、シアナの言葉がまるで聞こえていないかのようだった。
ミノルへの宣戦布告が終わった後、村の小さな教会に戻ったドミニオは、微妙に元気が無い。
先ほどからなにやら考え込んでおり、心あらずと言った感じだ。
今も鍋の中にコーヒー豆を入れていたのだが、ぼーっとしていたために豆を轢かずにそのままいれてしまっている。
「ドミニオさんっ!!」
「……え? すまない、何か言ったか?」
案の定、シアナの言葉も聞こえてなかったらしい。
そして手元に視線をうつし、「あ……」
恥ずかしそうな顔をして、頭をかきながら豆の始末をする。
そして新しい豆を出してくると、アンティークな粉轢きでガリガリと豆を轢き始めた。
「いえ、もしかして、ララエルさんがミノ君の所に残ったこと気にしてらっしゃるのかなーと思って」
苦笑しながらシアナがそう尋ねると、ドミニオは少しビックリしたような顔をした。
そして、困った顔を浮かべると、
「いや、むしろ心配するのはミノルのほうだろう。 あの容赦ない女は何をするかわかったものじゃないしな」
笑顔でごまかしながら鍋を火にかけ、コーヒー豆をシナモンとたっぷりの黒砂糖をいれて煮出しながら、シアナの顔を横目で気の毒そうな目で見るふりをする。
「な、何をするんですか?」
ごまかされているのは解っているが、内容が内容だけに、シアナも目を白黒させる。
その様子がよほどおかしかったのか、ドミニオはくっくっと背中を丸めておかしそうに笑った。
「なんだ、ミノルのことが心配なのか?」
かわいいね、と囁きながら壺のような形をしたカップにお湯を注いで、器を暖め始める。
「し、心配なんてしてませんっ! あんな人、ドミニオさんに負けて泣いちゃえばいいんです」
ブゥと、シアナが頬を膨らませて拗ねる姿を、ドミニオは優しい目で見つめる。
憎むべき敵なら、さっさと始末をして悩む必要も無いのに。
愛すべき敵だなど……なんてたちの悪い冗談だ?
ほんとに困った敵だな……おまえら可愛すぎるよ。
誰にも聞こえないほど小さな声で呟きながら、カップのお湯を捨てると、ドミニオはシアナに『壺コーヒー』と呼ばれるメキシコ独特のコーヒーを注いで差し出した。
「あ、ありがとうございます」
その濃厚で甘い香りに、シアナが目を細める。
「ほんとは、ちょっぴり悪いことをしたなと思ってる」
ドミニオは自分のコーヒーに口をつけながら困った顔をして呟く。
別にコーヒーがまずかったわけではない。
もっと苦くていただけない、親愛という調味料が入ってしまったからだ。
「なんですか? いきなり」
いきなり謝りだしたドミニオに、コーヒーカップを冷ましながらシアナが小首をかしげる。
「いや、君たちが善意でここに来たことはウチの大将から聞いているし、我々もわかってるつもりだ。 だが、私たちにはそれを歓迎できない理由がある」
善意でも悪意でも、義務感ですらない、シアナとミノルを邪魔した理由。
それは人が『面子』と名づけた、立派なようで反吐よりも醜い、とても傲慢で厄介な理由だった。
「私も神殿の一派閥に属する者です。 もしおなじ状況なら、私達も同じようなことをすると思います」
目線を斜め下に向けながら、シアナがそんな慰めを口にする。
好き嫌いで言えば嫌いな理屈だが、15歳はその理屈がわからない年齢ではない。
理解できるからこそ、お互いの苦しさがわかってしまう。
せめて心から憎めればよかったのにと、シアナは心の中で呟いた。
彼女は、先ほどドミニオが、同じようなことを心の中で呟いたことを知らない。
「君も優しいな。 でも、私には他にも理由があるんだ」
ドミニオの懺悔は続く。
「そもそも、相手が君たちでなかったら、私もこんなところまで顔を出さなかったと思う」
「どういうことです?」
そういえば、いくらなんでもこんな辺境の問題に守護神が飛んでくるというのも変な話だ。
どこの守護神も、ミノルのようにフットワークが軽いわけではない。
お互いが直接ぶつかり合えば被害が大きくなることもあって、守護神同士が矛を交えるのは最後の手段になるはずだ。
「告白しよう……私は純粋に戦ってみたかったんだ。 噂の黒毛和牛と」
そう語るドミニオの目に粘着質な炎が灯る。
その飢えた野獣のような目、シアナは怖いと思った。
ミノルの目は、たとえどんなに怖くてもこんな肉食獣のようにギラギラした光は放たない。
たぶん……この人はミノルとは本質的に似ても似つかないなのだろう。
「理由はミノくんですか? でも、ミノ君は自分の領域の外では人の姿を保てませんよ?」
それに、彼はあなたのように自ら戦いを求めない。
言い知れない違和感を覚えつつ、シアナは心の中でそう付け加えた。
「そっちのほうは、ララエルがなんとかするだろう。 君にとってはいささか不本意な方法をとると思うがね」
そんなシアナの心の呟きと裏腹に、ドミニオは昏い目をしたニヤリと笑った。
「……なんですか、それ」
「秘密だ。 知ればきっと君は邪魔をする」
ドミニオは、一見してすまなそうな……その実、酷く傲慢な顔をしてシアナの問いかけを拒絶する。
なんて人だ。
シアナは、この男が自の行いがひどく自己中心的である事を理解した上で、自分の欲望を優先させているのだと理解した。
……確信犯。
そう呟くと、ドミニオは人の悪い笑みを浮かべて、「すまない」と心にも無い台詞を吐いた。
「そこまでしてミノ君と喧嘩したいんですか?」
「あぁ、したいね。 君にはわからないかもしれないが」
シアナの問いかけに答えるドミニオの顔には、ネットリとした狂気の影が張り付いていた。
嫌だ……この人からは、血の臭いがする。
ミノルの実力が並外れていることを知っているが、なおこの男と戦うことは避けて欲しい。
とてつもなく嫌な予感がする。
「あぁ、彼は逃げないよ。 君がここにいるからね」
シアナの目から、何を考えているか検討をついたのか、ドミニオが肉食獣の笑みを浮かべる。
ギリッ
シアナは、奥歯を噛み締め、ミノルの元を離れたことを後悔した。
「遊びでやるなら、きっと痛い目にあいますよ? ミノ君、強いですから」
ミノルにコテンパンにされてしまえばいい。
先ほどとは正反対の言葉を心の中で唱えながら、精一杯の強がりを口にする。
いや、最初からミノルに負けて欲しくなんて無いのだ。
つまらないことで喧嘩をして飛び出した自分の迂闊さを、シアナは激しく心の中で罵った。
「確かにミノルは強いな。 彼がなりふり構わずに暴れたら、私ではどうにもならないだろう。 だが、それは一切の制限がない場合の話だ。 純粋に格闘家としての戦いならば確実に私が勝つ」
不安に震えるシアナの心を見透かしたように、ドミニオがシアナの心の弱い部分に言葉の刃を突きつける。
そのゆるぎない自信が怖かった。
「……根拠は?」
震える声でそう問いかけるのが精一杯だった。
せめて勘などと言う、特に根拠の無い理屈ならまだ救いがある。
だが、ドミニオはそんな期待を打ち消すかのように、ひとつ頷くと自らの論説を口にしはじめた。
「見てすぐにわかったよ。 鍛えられてはいるが、彼には戦士として致命的な弱点が3つある」
シアナの全身の血がさーっと音を立てて引いてゆく。
怖くて不安で立ちくらみを起こしそうになり、手近なテーブルに震えながら縋りついた。
そんなシアナの肩を抱くように支えながら、ドミニオが悪魔のように囁く。
「知りたいかね?」
いいだろう、ミノルに弱点があると言うなら言ってみるがいい。
知ってしまえば、何かカバーする手があるかもしれない。
「貴方に話す気があるなら」
奥歯がガチガチとなりそうなのを必死で押さえ、なんとかその一言をつむぎだした。
女は度胸だ。
こうなったら、その手の内を聞き出して、その嫌みったらしい余裕が命取りになるって事を思い知らせてやる。
そう腹を決めたシアナは、全身の血が逆上するのを感じながら、キッとドミニオの目をまっすぐ睨みつけた。
「良い目だ。 だが、そう憎らしげににらまれるのはつらいな」
そう言って、ドミニオが寂しげに笑う。
あぁ、そうか。
シアナは悟った。
彼はミノルと同じく優しい人なのだ。
なるほど、良く似ている。
だが、同時に似ても似つかない。
ミノルが優しくも猛々しい草食動物なら、彼は穏やかだが飢えた肉食獣なのだ。
「よく聞きたまえ」
吐息がかかる距離でドミニオがシアナに囁く。
「一つは、彼の体がまだ成長期だということだ。 未完成の体は、作りかけの建物と同じで脆い。 一見して私と互角に戦える肉体を持っているように見えても、おそらくはるかに打たれ弱い」
残念なことにそれは、時間が解決する以外に解決のしようの無い無い弱点だった。
それを知っていて喧嘩を売るのは大人気無くないかと思ったが、言って聞くぐらいなら最初からこんなことにはならないだろう。
「もう一つは?」
ゴクリと唾を飲み込んでシアナが話しを促す。
「若いということだよ。 おそらく、格闘術を用いて自分と同じかそれ以上の力量の相手と戦ったことはあるまい」
「……うっ」
心当たりがありすぎて、シアナは思わず視線をそらした。
たしかにミノルが喧嘩をする場合は、体術よりもその天才的な気功術を駆使した戦い方をする。
体術もかなり鍛錬しているようだが、体力作りの側面が強く、実戦ではあまり使用したがらない。
気功を使って相手のスタミナを直接攻撃したほうが、相手の体に致命的なダメージを残さないですむからだ。
「最後の一つは……これがもっとも致命的なんだが」
「も、もっとも致命的!?」
シアナがごくりと唾を飲み込む。
「……これは秘密にしておこう」
「な、なんですって!?」
ドミニオが意地悪く笑う。
「いいじゃないか。 本来なら味方ではない君にここまで教えてあげたんだし、むしろ感謝してもらいたいな」
「よ、よくない! さっさと吐きなさい、この喧嘩屋天使っ!!」
顔を引っかこうとするシアナの手を、その大きな手で壊さないように掴むと、シアナの頭を軽く小突いた。
「最後に一つだけ。 心配なら、もっと彼のことをよく見てあげたまえ。 彼の相方だというなら、このぐらい言われなくても知っているべきでは無いかね?」
ドミニオがシアナの目を見ながらそう諭すと、その顔をまっすぐ見ることができず、シアナは斜めを向いたまま力なく呟いた。
「……ちゃんと知ってるもん。 ミノ君は、私とくだらない口喧嘩をしながら笑っているのが一番幸せそうな顔してる。 こんな、血なまぐさい場所に引きずり出しちゃいけない人だって」
諭すつもりが諭されてしまったドミニオは、やれやれと肩をすぼめてため息をついた。
「それについては重ね重ねすまないと思ってる。 だが……」
言葉を区切って、冷徹な表情を作る。
「諦めてくれ」
これで話は終わりだと言わんばかりに、ドミニオはコーヒーの残りを喉に流し込んだ。
「我ながら、なんとも不味いコーヒーだな」
飲み干してから低く呟く。
おいしくないのは、コーヒーだったのか、それとも別のものなのか。
願わくば、次に飲むのは清々しい勝利の美酒であってほしいものだと、ドミニオはカップをテーブルに置きながら心の中で祈りを捧げた。