第十九章:女狐の誘惑と【黒毛和牛】追い詰められる黒牛
シアナとドミニオが出て行った後、ミノルの自室には、ミノルとララエルだけが取り残された。
他の面々は、ミノルの機嫌の悪さを恐れて早々に退散している。
……漆黒の冷気が霧のようにたちこめ、床や柱がパチパチと帯電している場所に居残りしたいと思う人間はおそらくほとんどいないであろう。
「出ていっちゃいましたわね、彼女」
そんな空気を完全に無視し、ララエルがまるで人事のように呟く。
彼女の心臓に毛が生えてないとしたら、きっとかわりにウロコが生えているに違いない。
しかも、蜥蜴や魚のウロコではなくて、ドラゴンのウロコだ。
「誰のせいだと思ってる! 誰の!!」
怒号と共に、漆黒のオーラがミノルを中心に爆発するが、ララエルはそれを十字架をかざして防御する。
さすがに負荷が大きすぎて十字架が粉々に砕け散るが、慌てず騒がず懐から次の十字架を取り出して平然と構えた。
それどころか、微笑みを浮かべて、平然と嫌味を飛ばす。
「シアナさんが出て行ったのは、主に貴方の心無い言葉のせいでは?」
「……うぐっ!?」
言葉の刃が、ミノルの繊細な部分に突き刺さる。
すべての責任がミノルにあるのではないが、その主な原因であることを否定できないだけに、何もいいかえせない。
ミノルは、まるで冬眠するクマのように頭を抱えてうずくまっってしまった。
「……ついでだからお前に確認することがある」
冬眠寸前の体制からなんとか這い上がり、ララエルに恨みがましい視線を向けると、ミノルは気を取り直してむっくりと起き上がり、えらそうな口調でララエルへの尋問を開始する。
「答えられる範囲でなら」
笑い出しそうな衝動を、口元に手をあててこらえながら、ララエルはミノルの要求に応じた。
「単刀直入に聞こう。 この村にかけられた祟り、これはいったいどういうことだ?」
わざと曖昧な問いかけで相手の様子を伺ってみるが、その台詞を聞いたララエルは眉をピクリと動かし、
「……祟り?」
初めて聞いたとばかりに怪訝な表情を浮かべた。
「そんなことも知らなかったのか!?」
意外な反応に、ミノルの頭の中をクエスチョンマークが埋め尽くす。
「知らなかったのかとおっしゃられても……私では答えかねますわ。 この村の困窮についても昨日はじめて報告を受けたわけですし。 恥を晒すようですが、そもそも呪詛については貴方ほど知識はありませんもの」
「なんだと!? じゃあ、この件に関してはお前ら何も知らないのか?」
……おかしい。
その辺の術者ならともかく、ドミニオほどの召喚獣や、それを従える術者が、この程度の現状を正しく把握できないはずがない。
つまり、ララエルはこの土地について何も調べていないということだ。
この女、何を考えている?
ふつう異常があったら調査ぐらい済ませておくだろう?
いや、まてよ?
発想を転換して、調査してもわからなかったと仮定したら?
まさか、ララエル達を妨害している勢力がいると言うことか!?
難しい顔をしてウンウンと唸ってみるが、ミノルの筋肉でできた脳味噌では明確な答えを出せるはずも無い。
せいぜい翌日になって筋肉痛をおこすだけである。
灰色の脳細胞が切に欲しいと、同じく脳味噌筋肉である父親を思いだしながら、そっと涙した。
「調査はしたのか?」
「事前に、この地区を担当する司祭がレポートを出してますわ。 その内容によると、この地域の信仰が低下したことで、負の龍穴がこの地域に発生し、それで疫病が発生したと」
なるほど、いかにもありきたりなケースだ。
逆に普通すぎて怪しいとも言える。
「つまり、自分で調査はしてないんだな?」
ミノルが念を押して確認するが、ララエルはその言葉に真顔で頷いた。
「ええ。 そんな時間ありませんでしたもの。 私達がこの村に来たのは、つい2時間ほど前ですわ」
なるほど、たしかに時間が足りてない。
ミノルのような呪詛のスペシャリストならともかく、そんな短時間では、武人肌の召喚獣はおろか謀略専門の召喚師でも満足な調査などできはしないだろう。
「この村の病が祟りだというのは確かですの?」
こちらも念を押すようにミノルに確認を取る。
「俺の本質は医神で病魔だ。 そして呪詛神でもある。 疫病も呪詛に関しても専門家だぞ?」
プライドを傷つけられて、ミノルが不満げな声をあげる。
苦手分野である推理や交渉ならともかく、自分の専門である呪詛について実力を疑われれば、さすがのミノルも気を悪くするだろう。
「ならば……うちの司祭が嘘をついている?」
顎に手を当て、何かを深く考えるような仕草をしながら、ララエルは自らの推論を口にする。
「俺を信じるのか?」
自分の言葉に偽りは無いが、ララエルが自分の部下よりもミノルの言葉を信じるかとなると、さすがに自信が無い。
「あら、冗談でしたの? ……嘘よ。 そんな悲しい顔されると、またイジメたくなってしまうわ」
クスクスと意地の悪い笑顔を浮かべると、ララエルは手を伸ばしてミノルの頭をなでた。
「これでも、人を見る目はあるつもりでしてよ?」
「こ、子供扱いするな! 無礼だぞ、貴様!!」
ミノルが真っ赤になって噛み付くが、それがかえって微笑ましいのに本人は気付かない。
「あら、ごめんなさいね。 あまりにもあなたが可愛いから、つい」
いっそ、もう一度胸に抱いて誘惑してみようか?
そのままお持ち帰りできたなら……きっとシアナともういちど大喧嘩をするに違いない。
まったく、想像するだけで飽きない子供達だ。
「とりあえずわたくしは何も知りませんわ。 話をするなら、この村を担当している司祭のほうがよろしかったようですね」
危うい感情を振り切って、話を仕切りなおすと、ミノルは憮然とした顔をした。
「役たたずめ」
「酷い言いようですね。 そもそも、私達もこの地域に着任してまだ1年ですのよ? こんな辺境の部下の把握まで手が回りませんわ…… あら、わたくしとしたことが失言でしたわね」
自分の教区の内情など、違う派閥の召喚獣の前で愚痴るべきではない。
その失言を右から左へわざと聞き流したフリをして、ミノルはそこから得られた情報から、必要な話題を取り出した。
「……隣り合った地域で立て続けに守護神の交代か? 偶然だとは思いたいが、えらく出来過ぎた話だな」
ミノルも自分の教区を持つようになってからわずか4年である。
派閥の間で宗教戦争でも起きたならともかく、守護神が変更されることなどめったにあるものではない。
ありえない偶然ではないのだが、改めて言われると、どうにもきな臭い感じがする。
しかも、ミノルの場合は前任者が失踪している。
その前任者と契約をしていた召喚師……実はアンソニーがそうだったのだが、彼もまたその失踪には疑問が多いらしい。
ハッキリしていることは、その守護神がいまだにこの世界のどこかに存在している事と、一切の目撃情報が存在していない事。
守護神クラスの召喚獣であれば、その魔力の大きさから言ってすぐに足取りがつかめそうなものだが、その行方については、召喚師ギルドでも未だに何もつかめていない状態だ。
「ええ。 わたくしも怪しいとは思います。 ですから、貴方には手を引いていただきたいのです」
「つまりそっちの火式の中できな臭い動きがあるって事か?」
ミノルが真意を探るように顔を見つめると、ララエルはとらえどころの無い笑顔を浮かべてその目を見返した。
「ただの勘です」
あれこれ考え事をするために押し黙ったミノルを、ララエルは黙って見つめる。
ここで何か声をかければ、ミノルはおそらく話し合いをやめるだろう。
「一つ聞くが、手を引けというのはお願いか?」
眉間にシワをよせたまま、ミノルは思い声でポツリと呟いた。
「いいえ、これは交渉です」
ララエルは出来だけ表情を浮かべず真顔で答えた。
「なら、見返りを提示しろ」
「意外ね。 もっと駄々をこねられると思っていたわ」
気さくなようで、実は警戒心の強いミノルがあっさりと交渉を受けたことに驚きながら、素直な感想を述べる。
「できればヨシュアの兄さんの顔を潰したくないからな」
目をそらして呟くその顔は、まさにやんちゃな弟のようだ。
仲がよいとは聞いていたが、派閥の違うミノルが自分の派閥の教主にここまでの気を回すことに、ララエルは驚きと同時に喜びを感じる。
「それだけウチの教祖と親しくしているのに、こちらにきてくれないなんて、ほんと残念だわ。 あの方、ちょっぴり拗ねてましたわよ?」
そして、その慕われている教主の方も、ことのほかミノルのことを気にかけていた。
本来なら顔を会わせただけでお互い殺気立つような間柄のはずなのに、奇妙な関係である。
まぁ、双方共にやや変わり者ではあるのだが。
「冗談は休み休み言え。 そもそも、お前らのところの術式は苦手だ。 あの術式で召喚されると、吐き気がして全身に蕁麻疹がでる」
そんなことを考えていると、ミノルの口から、じつに奇妙な理由が転がりでてきた。
なるほど、特定の宗派に強く染まった術者の中には『召喚酔い』と呼ばれる奇妙なアレルギー症状を引き起こすというが、ミノルもどうやらその一人らしい。
「わ、笑うな!!」
「ごめんなさい、でもやっぱり面白すぎるわ」
意外に繊細な弱点に、思わず笑みがこぼれる。
「さて、話を戻しましょうか」
あまりミノルで遊んでもいられないので、ララエルは本題を切り出した。
「こちらからの見返りなんだけど、新しい素体なんていかがかしら? 少なくとも、人型になれるだけのモノなら用意できるけど」
その提案に、ミノルは眉を片方動かしただけの反応しか示さなかった。
「だったら交渉相手が違うな。 シアナがいない今、俺がそんなものを貰っても意味が無い」
たしかにその通りだ。
だが、その応えはララエルの予想の範囲内だった。
「いいえ? そうでもありませんわよ? 何も……召喚師は彼女だけではない」
しばらく、何を言われたのか理解できずにポカンとした表情をしていたが、その意味を理解するに連れてミノルの顔が憤怒で真っ赤に染まり始める。
「ふざけるな!!」
ミノルが契約を結んでよいのはシアナだけ。
それ以外の誰とも契約を結ばないのが、ミノルの矜持でもあった。
契約相手がシアナでないなら、この世界に呼び出されるのですら不愉快だ。
「ふざけてなんていませんわ。 あなた、ドミニオと牛の姿で戦うつもりですの? あまり彼をなめてかかると痛い目にあいましてよ?」
「それは……」
ミノルが言葉に詰まる。
「ドミニオとはプロレスで対決するんでしょ? お得意の気功で瞬殺なんて考えてませんよね?」
「うっ……」
ララエルがここに来た理由の一つ……それはミノルの強力すぎる気功を、言葉によって封じることだった。
お互いの魔術を封じただけの状態では、実はまだミノルのほうがはるかに有利なのだ。
あの大陸弾道ミサイル並の攻撃力をもつ気功を駆使されては、いかなドミニオといえどひとたまりも無い。
ちゃんとプロレスの出来る体を与えて、格闘だけで戦ってもらわなくては困るのだ。
頭脳労働を担当するシアナを引き剥がせたのは、まさに行幸である。
最悪人の体を拒否されたとしても、気功も魔術も使えない状態なら、たかが牛などドミニオの敵ではない。
「何も本契約をしてくれとは言いません。 とりあえず、召喚が可能な仮契約という形でいかがですか?」
わざと高めの価格を提示して、その後妥協案を提示する。
交渉の基本ではあるのだが、あいにくとミノルはその手の知識に乏しかった。
もし、ミノルの妹の藍がこの場にいたなら、嬉々として巻き返しを狙うであろうが、あいにくと現在ミノルは孤立無援である。
ララエルの目的を要約するなら、それはミノルと仮契約を結び、この規格外の魔人をプロレスと言うルールのある戦いに引きずり込むことだった。
「だが……」
「シアナさんの前で無様な姿を晒す気なら、わたくしは別に構いませんわ」
逃げ道を探すミノルの思考を、言葉の罠で束縛する。
「くっ……少し……考えさせろ」
「ご自由に。 でも、あまり時間はありませんわよ? 試合時間の出あと1時間しかありませんから」
自らの策にミノルを完全に捕らえたことを確信し、ララエルは見た目だけは聖女のように微笑んだ。