第十七章:俺たちは【黒毛和牛】暑苦しくない!(と思う)
なぜだろう?
この村は、懐かしい人においがする。
「おーい」
あれから4年。
手がかりすら掴めなかった彼の匂いが。
もしかして、彼はこの村のどこかにいるのだろうか?
彼の帰りをずっと隣の町で待ち続けていたが、やはり彼を探して旅にでも出ればよかったのだろうか?
「おーい、宮司。 聞こえてる?」
呼びかけられた声に、考え事をしていたアンソニーが、ふと我に返る。
「なんや……神人Aかいな。 なんぞ用かい?」
「神人Aはないでしょ。 例の天使の親玉がいきなり乗り込んできたんですよ。 なんとかしてくれません? あんなの手に負えませんって」
「はぁ? 大将じきじきにかちこみかい!?」
思った以上の大事である。
腰に挿した御神刀の感触を確かめ、アンソニーは狼藉者を止めるべく、玄関へと駆け出した。
そして彼の見たものは……
「な、なんじゃこの変態は!?」
「さぁ、勝負だ! 黒毛和牛!!」
供の天使もつれず、単身ミノルの部屋にずかずかと足を踏み入れる主天使を、神官や巫女は唖然として見送る。
そして鼻息も荒く主天使が神社に乗り込んで来たときに見たものは……
「誰が黒毛和牛だ! 天使のお前にそこまで言われる筋合いはねぇ!!」
大量のヌイグルミに埋まった目付きの悪い少年の姿だった。
ちなみに、そのヌイグルミはすべて真っ黒な牛で、しかも目付きの悪い三白眼……誰をモチーフにしたか一発でわかる代物である。
「貴様、いったい何をしてる?」
スカイブルーの瞳を点にしながら主天使が尋ねる。
「見てわかるだろ」
言いたくないとばかりに、ミノルは横をむいて唇を尖らせた。
短く刈り上げた金髪の頭に手を当てて、しばし考え込む主天使。
「……乙女チックにヌイグルミと戯れている?」
「呪詛の中和中だ!!」
半ば現実逃避の入ったボケをかます主天使に、ミノルが顔を真っ赤にして噛み付く。
どうやら、この主天使もなかなかすっとぼけた性格をしているようだ。
「おい、俺からも質問して言いか?」
その、意外とノリのいい主天使を半目で睨みながら、ミノルジト目で天使を睨んでいた。
「かまわん」
「お前……プロレスマニアだろ!!」
先ほどまでは、いかにも第天使らしく純白の法衣に金の鎧と兜を身に着けていた主天使だったが、今は同一人物とは思えない衣装に身を包んでいた。
真っ赤なショートパンツに、リングシューズ。
派手な意匠のジャケットを背中に羽織り、逞しい裸の胸を誇示するように開き、その顔には目の部分だけを覆うような覆面をしている。
背中に彫られた一対の翼のタトゥーだけが、唯一もとの姿の名残を漂わせていた。
「わかるか?」
「見ればわかるわいっ!!」
どこからどう見ても覆面レスラーである。
「しかも、衣装に刺繍されたスペイン語、さらにわざわざマスクをつけているところを見ると、貴様ルチャドールだな!?」
ルチャドールとは、メキシコで盛んなプロレス、ルチャリブレの選手をさす言葉だ。
特に人前では決してマスクを脱がない拘りがある事で知られている。
この主天使、たしかに先ほども素顔を隠すような兜を着用していた。
「ほほう? なかなかモノを知っているようだな。 私のことはエル・ドミニオ、もしくは怖れをこめて金獅子と呼ぶが言い」
「”支配”だと? ゴリラみたいな体しやがって。 そのナリで空中殺法とか、似合わねぇんだよ!!」
ルチャリブレは、その素早い動きと華麗な空中技が広く知られている。
また、小柄な選手が多いのもその特徴だ。
「なんだと!? この私の鍛え上げた体のドコが悪い! 貴様こそ、たいして変わらない体してるだろ」
並外れた巨躯を誇るミノルだが、その前に立つドミニオはさらに一回り大きい。
「はっ、言ってやろうか?」
ミノルが立ち上がると、その体格差がハッキリとわかる。
およそ195センチのミノルよりも頭半分ほどドミニオのほうが背が高い。
もしかすると身長は2mをこえるだろうか?
肩も腕も、胸も胴回りも一回り大きくて、並んでみるとミノルの体が細く見える。
その自分よりも巨大な敵を見据えて、ミノルは叩き付ける様に叫んだ。
「羨ましいんだよ! なんだよ、その体! どうやって鍛えたんだ!?」
「……は?」
ふたたびドミニオの目が点になる。
「俺も体には自信があった! だが、貴様は……それ以上だ!!」
ミノルは、悔しげな顔をして、手近にあったヌイグルミをギリギリと握り締める。
「ぶっ……ぶはははは! そ、そうか! それはすまなかった!! ぶっ、ぷくくくくく」
きょとんとした後、その言葉を理解したらしく、ドミニオは腹をかかえて笑い出した。
「な、何がおかしい! 悔しいが、お前の筋肉は俺よりすげぇ。 素直に認めてやったのに笑うな!!」
恥ずかしいのか耳まで真っ赤になるミノル。
「……ミノ君の趣味って……わかんない」
後ろで見守っていた神人とシアナは塩の柱と化していた。
「いや、やられたよ。 困ったな。 あまり可愛い事を言うと、惚れちまうぞ?」
苦笑しながら腹をかかえるドミニオ。
困ったことに、敵であるはずのミノルは、ドミニオにとってどうにも憎むことができないタイプの人間だった。
「気持ち悪い冗談言うな! 男に惚れられても嬉しくねぇよ!!」
もっとも、本人はその反応がえらくお気に召さなかったようではあるが。
「……貴様が敵でなかったら、一緒にいい酒が飲めただろうな」
視線を緩ませて、右手を差し出すドミニオ。
「ふん……見た目じゃ完敗だが、まだ勝負は終わってねぇからな! あと、俺はまだ未成年だ!!」
その手を恥ずかしそうにミノルが握り返す。
敵味方を越えた、実に暑苦しい友情(?)が誕生した瞬間だった。
「あぢっ!?」
「すまん。 呪詛を体に定着させておくの忘れていた」
見れば、握られたドミニオの手から黒い煙が立ち昇り、肘の辺りまで真っ赤に焼け爛れていた。
「き、貴様、よくそれだけの呪詛を背負って動けるな」
目に涙を浮かべて手に息を吹きかけるドミニオ。
触れただけでここまでの火傷を負う呪力である。
その身に宿したなら、守護神といえども意識を失いかねないほどの呪詛に晒されて、平然と会話ができるミノルの方が何かおかしいのだ。
それと同時に、この村を覆っていた呪詛が、想像以上に凄まじいことにドミニオは戦慄を覚えていた。
「専門家だからな。 それよりなんでそこまでダメージ受けているんだ?」
手をかざしてドミニオの火傷を治療しながら、ミノルは首をかしげる。
仮にも主天使ほどの霊格があれば、痛みをおぼえこそすれ、火傷を負うほどのダメージはうけないはずだった。
「しかたないだろ、人間の体ではとても耐えられまい」
肩をすくめてそう言い放つドミニオに、今度はミノルがあんぐりと口を開いた。
「おまえ、人間の体で喧嘩するつもりだったのか!?」
黒毛和牛もビックリである。
「天使の体でプロレスしても楽しく無いだろ? さっき、人の体に召喚しなおしてもらった。 貴様こそ、自分の結界の外に出るとただの牛になるらしいではないか。 牛の体で天使と喧嘩する気だったのか?」
当たり前のように語るが、どう考えても賢いとはいえない選択だ。
しかも、人の身で敵の本拠地に乗り込んでくるなど豪胆を通り越して無謀の域に入る。
「悪かったな。 人の体になるための素体がねぇんだよ。 しかし、プロレスしたい一心でわざわざ自分の魔力まで封じたのか? どうりで対敵対神用の結界にも引っかからないわけだ」
ミノルが頭をかかえて呻き声をあげる。
他の宗派の召喚獣に備えてしかけておいた結界が、反応すらしなかった事に疑問を抱いていたが、まさかそんな方法で潜り抜けられるとは思ってもいなかったのだ。
「あたりまえだろう? そうでなくては面白くないではないか」
どうだといわんばかりにドミニオが胸を張るが、ミノルはうつむいたまま上目使いに睨みつけると、
「言っておくが、俺はこの体でも気功で家一軒ぐらい簡単に消飛ばすぞ」
ボソリとそんなことを呟く。
ただの自慢だが、まったくもっと規格外もいい所である。
「……やっぱり貴様とまともにやりあわなくて良かったと思うぞ」
あのまま総力戦で喧嘩になっていたら、正直どうなっていたかわからない。
ただの牛になっているはずのミノルだが、何らかの手段は用意してあると思われた。
「今更言うか、卑怯者め」
言葉とはうらはらに、ミノル自身は今の状況にまんざらでもなかった。
むしろ、神としての殺伐とした魔術のぶつけ合いよりも、人としての技のぶつかり合いのほうがはるかに好みなのだ。
もっとも、あまり喧嘩の好きなほうではなかったが。
「なんだ、良心の呵責にでも期待しているのか?」
ミノルの声の中に
自らの提案を歓迎するかのような響きを感じながら、わざと心にも無い言葉でからかってみる。
「期待していいのか?」
左の眉をピクリと動かしてニヤリと笑うと、
「まさか。 やっと見つけた全力で戦える相手なのに、そんなもったいないことするかよ」
おなじように笑いながら、そんな返事をかえす。
「ちなみに確認だが、ルールはどうなってる」
ふと、思い出したようにミノルが疑問を口にする。
たしかに格好はプロレスラーだが、勝負の内容がそうだとは誰も言って無い。
これで『野球拳』などと言い出したら、マスクを剥ぎ取って屋根からつるして干物にしてやろうとミノルは心の中で呟いた。
「ルールはむろんプロレスだ。 魔術なし、武器不使用の無制限一本勝負。 3カウントを取られるかギブアップする、もしくは戦闘不能になったら負け」
幸い、帰ってきた答えがまともだったので、ミノルは内心ほっとしながら頷く。
「いいだろう。 こっちが本調子じゃないからって、油断したら殺すぞ?」
「ふん、そっちこそ期待はずれだなんて言わせるなよ?」
二人の巨漢の間に、火花が飛ぶ。
「まてやミノル! おまえ、こんな大事な事、勝手に決めるやつがあるかい!!」
いつのまにか決定事項になってしまった取り決めに、慌ててアンソニーが口を出す。
「ダメなのか? まぁ、聞くつもり無いけど」
意外そうな顔したミノルだが、あっさりと自分の意見を押し付ける。
「その通り。 犬風情が人の楽しみに口をだすな!」
そこにドミニオまでもが援護射撃が加わり、プロレスで決着をつけることが決定事項となる。
もはや誰が味方で誰が敵だかわからない状態だ。
「なんや、この息の合った肉ダルマ兄弟は……」
ようはこの二人、単なる似たもの同士なのか?
そう悟ると、
「……寝る。 疲れた」
と力なく呟いて、アンソニーはシッポを引きずりながら敵前逃亡を宣言した。
だが、そのとき今まで沈黙を保っていたシアナが不意に口を開いた。
「ねぇ、決闘の方法に口を出すつもりは無いから別にいいんだけどさ。 ふたりに言いたい事があるの」
頭の上に?マークを浮かべて、男二人が振り向くと、シアナはその眉の間に皺を寄せて言い放った。
「勝手に喧嘩するのはいいけど、暑苦しいから、どっか他所でやってくれない?」
その言葉に、経緯を見守っていた神人や巫女達もウンウンと頷く。
……シアナさん、応援してくれるんじゃなかったの?
力なく心の中で呟きながら、ミノルはドミニオと並んでガックリと肩を落とした。
「ミノル。 無理解って辛いな」
暗い声で語るのは、赤いパンツも鮮やかな、金髪碧眼のマスクマン。
「諦めるなドミニオ。 いつかきっと俺たちの時代がやってくる。 そう信じよう」
それを励ますように答えるのは、色黒で黒髪の牛少年。
そんな二人を可愛そうな目で見つめる一般人たち。
……どうやら、マッチョ男の時代はまだ遠いようである。