第十五章:具合の【黒毛和牛】悪い子はいねーが?
「病人はいねぇぇぇぇかぁぁぁぁぁぁ」
爆音と共にドアを開いて入ってきたその巨大な生き物は、あっけに取られる家主を尻目に、玄関マットで足を綺麗にぬぐってから家の中に突進してきた。
椅子を蹴倒し、テーブルを跳ね除け、轟音と共に目を血走らせながら突き進む様は、ほとんどパニック映画のワンシーンのようだ。
そして、その黒い生き物は、目指す患者を見つけるなり、叫び声を挙げながら高く飛び上がる。
そして……
「ひぃっ!?」
我が子を守ろうとする母親が、娘を抱きしめてへたりこむ上に、その巨大な影が覆いかぶさった。
……悪ノリしすぎである。
「これって、見ている分にはただの変態ですね」
恐怖のあまり気絶寸前の親子を、巨大な雄牛がぐしぐしと頬擦りしている後ろで、モルディーナがポツリと呟く。
……びりっ。
目を向けると、それはシアナが服の袖を噛み千切る音だった。
「……」
無言でミノルを睨みつけるその目は、嫉妬の炎が燃え盛り、メラメラと音が聞こえてきそうである。
理由はいうまでも無いだろうが、正直な話、横にいるだけで身の危険を感じるほどの執着ぶりだ。
「おまえら好き勝手言ってくれるが、これはちゃんとした治療だぞ!?」
完全に気を失った親子の上から身を起こし、ミノルは後ろの二人に文句をつけた。
彼がいったい何をしているのかというと……
陰陽道の典型的な防御方法に、『身固め』と言う術がある。
これは、術者が庇護対象の上に覆いかぶさることで、悪鬼や呪いから身を守る方法だ。
そしてもう一つ、『撫で物』という呪術がある。
こちらは、人形などに体を擦り付けることで、罪や穢れ、病や呪いを人形に映す呪法だ。
ここまで説明すればお気づきになるだろうが、この二つに共通するものは……そう、呪い対策。
ミノルは、なぜか疫病に倒れた患者に対して、この2つの呪法を施しはじめたのである。
幸い、この2つの術は受動的なものであるため、術を禁じられたミノルでも行うことが可能だった。
もっとも、その様子は先ほどの通り……ただの変態であったが。
「そろそろ説明してくれる? ミノ君。 いったい、なんで病魔退散じゃなくて解呪を施しているのか。 そして、なんでその術で患者の容態が回復するのか」
問いかけるシアナの声は、真冬の水よりも冷たい。
その極寒の視線に晒され、冷や汗をかきながら、ミノルはぼそりと呟いた。
「そりゃ、この現象が病じゃなくて祟りだったからさ」
その視線の先で、うなされていた少女の顔が安らかな寝顔に変わる。
ほっと一息つくと、ミノルは身を翻して家の出口へと向かった。
「詳しい説明は歩きながらする。 と言っても、俺も全てわかっている訳じゃないから、満足な答えは出せないと思うがな」
「さて、そろそろ情報をまとめようか」
9割方の患者の呪いを吸収し終えたところで、アンソニーや神人達と合流しながらミノルがおもむろに口を開いた。
「まず、この疫病が、病魔や病原菌によるものではないということはすぐにわかった」
シアナとアンソニーを除く全員が、唐突に何を言い出すのだと言う顔をした。
「あー ミノ君の家系はもともと医術に特化した家系だもんね」
シアナが納得したように頷くと、アンソニーがその台詞の後を継いだ。
「おまえら、ミノルのことを病魔だの破壊神だ言うとるけどな、こいつの専門はやっぱり破壊神……もとい医神や」
ミノルの祖先である牛頭天王は、スサノオ、シヴァ、薬師如来と言った様々な神仏と同体とされているが、もっぱら病魔を祓う厄除けの神として信仰されることが多い。
それゆえ、ミノルもまた幼い頃から陰陽道を学ぶ一環として、外科医の肩書きを持つ父親から医学を叩き込まれていた。
「俺の本性はおいといてだ。 この問題は思った以上に深刻だと言っておこう。 今はこの村だけで済んでいるが、あと半月もすればこの熱病の被害は国一つ飲み込むぐらいにまで拡大するぞ」
そう断定するミノルにアンソニーは首を捻って異議を唱えた。
「その根拠は? そんな大規模な術には見えへんねやけどな」
その言葉に頷きながら、ミノルはその理由を口にする。
「まだこれは準備段階だからな。 というか、副作用のようなものだ」
「どういうこと?」
首をかしげ、シアナがその言葉の意味をミノルに問う。
「シアナは蠱毒という術を知ってるか?」
質問に対して、さらに質問を返してきたミノルに、シアナはいやそうな顔をしながら記憶の中からその言葉の意味を掘り起こした。
「あー あの毒のある生き物を壷の中で共食いさせて作る気持ち悪い毒ね」
それは主に東アジアで行われてきた忌まわしい闇の魔術である。
理論としては、毒をもつ生き物を共食いさせて、その毒と苦痛から生まれる怨念とを、一匹の生物の体の中に凝縮すると言うものだ。
「そう、それだ。 これはその蠱毒と同じような理論で形成された儀式だ。 閉鎖的な村で小さな疫病を発生させて、その病人と家族の放つ陰の気をどこかに凝縮して術のエネルギー源にしようとしてやがる。 いわば、一種の人蠱の法という奴だ」
それは、数ある呪術の中でも最低最悪と呼んで差し支えない邪法だった。
「つまり、この村の人間は呪術の生贄ってことね。 ……人をなんだと思ってるのかしら」
青ざめた顔でシアナが呟く。
その横を歩くアンソニーはと言えば、薄く笑いながらそれがどうしたといわんばかりにミノルを見返す。
人を呪うなど、大して珍しい話ではない。
その手段が多少残忍であったところで、それがどうしたというのだ?
おそらくそんなことを考えている顔だ。
この獣人神官の冷徹な本性を知るミノルは、苦笑しながら視線を外した。
ありとあらゆる魔術には、代償というものが必要になる。
しかも、村一つを疫病に染めるならともかく、国一つともなると、それ相応の代償を用意する必要があるのだ。
忌まわしいことに、その代償が人間であるケースは珍しくない。
……もっとも、それにしたところでこの呪詛の量は異常なのだが。
村の地面のほとんどが、高濃度の呪詛に汚染されている。
よくこんな場所で生きてこれたものだ。
「生贄を用意するってことは、犯人は魔術師かしら?」
「いや、こいつは人の仕業じゃねぇな」
心当たりを探すシアナに、ミノルは煮え切らない口調でそう言い放つ。
「どうして? 召喚獣なら、こんな代償なくても理由さえあれば呪詛可能でしょ?」
召喚獣に対し、人間がなんらかの不貞を働いた場合、それは呪術を行う代償として認められる。
ゆえに、犯人が召喚獣なら、誰かの行動を『無礼である』と定義すれば良い。
それだけで、召喚獣は自分の格に応じた規模の『祟り』を発動することができる。
「たしかにそうなんだがな……味が違うんだよ」
「味?」
地面を見つめながらミノルが言葉を捜す。
「そう、呪いを自分の体に集めたときの味みたいな物が、何と言うか……この世界のやつの波長と違うんだ」
確証は無い。
だが、ミノルの感覚がそう告げているのだ。
「つまりこの疫病は、どこかの召喚獣の仕業ってことやな」
アンソニーの言葉にミノルは頷く。
だとすれば、この辺境の村に、神の怒りを買うだけの何かがあるということだ。
「でも、やり方がセコくない?」
シアナがもっともな疑問を口にする。
神ならば、もっと一気に神罰として呪詛を撒き散らすのが普通だ。
祟りの目的は、人々に自らの怒りをアピールするためであって、地味にやったのでは意味が無いのだから。
なぜ人間のような真似をする必要があるのか、そこが理解できない。
「そうだ。そこがおかしい。 つまり、犯人はこれだけの呪術を構成する実力がある……守護神クラスの召喚獣で、なおかつ何らかの理由で一気に呪力を開放できないヤツなのかなぁ? ……そこがどうにもわからん」
ミノルの呟きに、皆が首を捻る。
「いったい誰か……」
「皆目見当がつかん。 誰かこの土地の事情に詳しいヤツに話を聞かないとな」
ミノルが肩をすくめてため息をつく。
「そっか。 じゃあ、ミノ君の出番はここまでね。 キッチリ休みをとってもらおうかしら」
「なんだと?」
シアナが笑いながらそう告げると、ミノルは驚いたように立ち止まった。
同時に、アンソニーが後ろを歩く神人に目配せをする。
「村人全員の病を、ただの牛の体に全部移したのよ? いくらミノ君が気功を使っているとはいえ、体力の限界がきてもおかしくないわ」
そういいながら、シアナはミノルの進行方向に先回りをして立ちふさがった。
「……断るといったら?」
「ミノ君の体に頬擦りするわ。 召喚獣と召喚者。 さぞ呪いの伝播率は良いでしょうね」
『撫で物』という術は、綿が水を吸い込むように無垢な存在に呪を移す方法だ。
もし、今のミノルに健康なものが体を擦り付ければ、その呪力を浴びて倒れてしまうだろう。
しかも、こうなったシアナはてこでも動かないことをミノルはこの経験から学習していた。
仕方が無いといわんばかりにため息をついて、アンソニーに振り返る。
「アンソニー。 神社の宝物殿にシアナの作ったヌイグルミが大量にあっただろ。 撫で物に使うから出しておいてくれ」
こうなれば、大人しく神社に戻って体に溜め込んだ呪を別のものに移す作業に入るしかない。
シアナが無茶をする前に、一刻も早く戦線復帰するのが、最善の策との判断だった。
「あー あの神社のお土産として売り出そうとしたけど、目つき悪過ぎて全く売れんかったやつな」
「売れなくて悪かったな。 モデルは俺だ」
「まぁ、思わんところで役に立ったし、結果オーライや。 ……と言いたいところやけど、先に用事ができたようやな」
耳をピンと立ててアンソニーが周囲を警戒する。
「立ち聞きか? 趣味が悪いな」
ミノルが睨めつける先には、
大きな二枚の翼に、頭上に輝く光の輪。
天使。
そう形容するしかない男達の姿がそこにあった。
「申し訳ないが、貴殿の様子を監視させていただいた」
人数は20人をこえるだろうか?
完全武装した男達が、ミノルたちを包囲するように配置されている。
話しかけてきた天使は、おそらく、人間時のミノルすら上回る体格と、周囲の天使と見比べても比較にならないほどの威圧感を纏っていた。
「……主天使」
神人Bの絶望にも似た呟きを、男は口の端で嘲うことで肯定する。
「で、今なら勝てるって? ずいぶんとナメられたものだな」
ミノルが口角を吊り上げて皮肉げな笑みを浮かべるも、その声に余裕は無い。
普段ならともかく、今の状態では少々面倒な相手だ。
その前を、神人たちが悲壮感を漂わせながら、守るように立ちふさがる。
「悪いが、我々としても立場上このまま貴殿に活躍していただくわけにはゆかんのだ」
悪びれもなく言い放つ言葉に、勝利への確信と余裕が滲む。
主天使と言えば、天使の序列でも上から4番目にあたる階位の存在であり、地上を統括する天使の中では最高位にあたる。
唯一神の勢力を会社に例えるなら、少なくともマイク○ソフトやLV○Hと言った世界規模の大会社における支局長クラスの大物だ。
ミノルは顔をあわせたことがなかったが、おそらくこの地域の守護神と見て間違いないだろう。
「一応、そっちの指導者から許可は貰ってるんだがな」
ダメ元で口にしてみるが、帰ってきたのはやはり冷笑だった。
「話は伝わっている。 だが、現場がそれで納得するなんて思って無いだろ? ……この件は、我々が解決する。 部外者はお引取り願おう」
「面子ってやつか? くだらないと笑い飛ばしてやりたいが、俺たち神々にとってはそれがすべてみたいなものだから仕方がねぇか」
神々の面子……それは信仰そのものにつながる重要な要素だ。
見栄えの良くない神など、誰が信じようか?
「理解いただけて非常に助かる」
天使の代表らしき男がそう告げると、方位の輪がジリジリと狭まりはじめた。
チャキ……
神人Aが刀を構える音がやけに大きく響く。
「まぁ、待て。 焦るな神人共。 そこの主天使、こちらから提案があるだが」
「聞くだけなら」
叶えるかどうかは内容次第と言外に臭わせながら、主天使が応じる。
「どうせならサシでやらないか?」
「……なに?」
ミノルの提案に、主天使の眉がピクリと動く。
「そのぐらいの我侭言わせてくれてもいいだろ?」
笑いながらの言葉だが、その目は真剣そのもの。
言葉だけは情け無いが、むろん、負けるつもりなど毛頭無い。
主天使も、真意を推し量るようにその目を見つめ返す。
「ちょっと、ミノ君! 何考えてるの!?」
「せや、その体でタイマンなんぞやらしたら……」
シアナとアンソニーが何を言い出すとばかりに止めようとするが、ミノルは聞く耳を持たない。
「あいにくと、守るのは好きだが、守られるのは性に合わない」
済ました顔でそう言い放つミノルの耳を、シアナが引っ張りながら必死で止めようとする。
「ミノ君、そんな事しても、みんなが喜ばないの解ってるでしょ!?」
「痛い。 耳を引っ張るな!」
その反対側からは、同じく耳を引っ張りながらアンソニーが罵声交じりに説教をねじ込む。
「今すぐ撤回せぇ、このドアホ! なんでそんな勝ち目の薄いことに首つっこむねん!! 我侭も大概にしぃや!!」
どちらかといえば平和主義なミノルは、自分から喧嘩を売りに行くような性格ではないが、身内に危険が生じるとよくこのような無茶をしでかす。
不意に誰かの大きな笑い声が聞こえてきた。
目を向けると、目の前の主天使が体を"くの字"にして笑っている。
「何がおかしい」
「いや、話に聞いてはいたが、本当に不器用だなとおもってな」
「「ほっとけ!!」」
ミノルはおろか、シアナやアンソニーまでもが口をそろえる。
「こちらとしても、部下を危険に晒すのは本位ではない。 俺たちの間だけで済ませたいというなら……いいだろう。 その勝負、受けてたつ。 ただし、勝負の方法はこちらで決めさせてもらうぞ」
楽しいものを見つけたと言わんばかりにニヤリと笑いながら条件を提示する。
どうやらこの天使、かなりの武戦派のようだ。
その顔を覆う兜の隙間から覗く目が、ひどく楽しげに輝いている。
「わかった」
ミノルが頷くのを見届けると、主天使の男はニヤニヤと笑いながら背中を向けた。
「2時間後に迎えをよこす。 ……せいぜい負けた時の言い訳でも考えておけ」
そのまま、足取りも軽く天使達を連れて村の奥に去ってゆく。
「さて、吼え面をかくのはどっちかな? そっちこそ、神に泣きつく練習でもしておけ!」
その背中に捨て台詞を浴びせながら、ミノルはふぅとため息をついた。
なぜなら、敵と戦う前に、もっと厄介な身内をどうにかしなればならないからだ。
「……そんな顔するなよ。 どうせこの体が死んだところで、向こうの世界に強制送還されるだけだ」
無言のまま、責めるように立ち尽くすシアナに、ミノルはバツのわるそうな声でそう告げる。
「……それで納得できるなんて思ってるの?」
答えるシアナの声は、少し震えていた。
「な、納得してくれ」
そんな台詞を口にはしてみたものの、目をあわせてさえもらえない。
シアナはクルリと背を向けると、顔を両手で押さえながら、どこかへ駆け出していった。
「あーあ、泣かしてもた」
アンソニーが、軽蔑の目を向けながらポツリと囁く。
その言葉に、ミノルは返す言葉すらなった。
せめて罵倒しながら駆けてゆくなら救いがある。
だが、無言で去っていったのは、本気でまずいかもしれない。
「一言だけ言わせてくれ」
ミノルの前に立っていた神人Aが、怒りで肩を震わせながら叫んだ。
「前々から思っていたが、あんた最っ低だ!!」
彼の守りたい主は、誰かに守られるのが大嫌いなひねくれ者であった。
「俺もそう思うよ」
だが、俺は身内が傷つくのが我慢できないんだ。
ミノルは頃の中で呟く。
仲間のために体を張って何がわるい?
男ってそんなものだろ!?
そんなミノルの心の中の言い訳を聞いたかのように、アンソニーがぼそりと呟いた。
「……ガキめ。 救いがたいわ」