第九章:殴る乙女と【黒毛和牛】リア充サンドバッグ男
「どうだった?」
「意地の悪いことを聞きますね。 ……断られましたよ。 罵倒付きで!!」
「だろうな。 まさか本当に言いに行くとは思わなかったよ」
帰ってきたモルディーナを、ミノルとシアナは優しい笑顔で迎えてくれた。
それどころか、よく逃げなかったな……そう褒めて頭を撫でる。
「やめてください。 わたし17ですよ? 貴方より年上なんですっ!!」
その手を振り払って、照れ隠しに怒ってみせる。
さすがにか細いシアナに手をあげる事はためらわれたが、かわりにミノルの胸を遠慮なく殴りつけた。
……そんなスネた顔をして差別だなんて呟かないでください。
威厳の無いあなたが悪いんです。
だから、そんなに優しく我侭な私を受け入れてないでください。
例えようも無く、どうしようもない感情が、胸の奥で疼く。
この感情の名前はたぶん……
「ちなみにね」
モルディーナの思考を断ち切るように、シアナがそう切り出す。
「あたしとミノ君がこの街に来たとき、この街はあの男が撒き散らした鉱毒でひどい有様だったの」
鉱山の近くにゆけば、その影響はいまだに転がっている。
毒を帯びた土砂、枯れ果てた樹木。
一度銅を掘った坑道からは、雨がふるたびに鉱毒の混じった水があふれ出す。
そこには亜硫酸ガスに灼かれて色あせた雑草のほかに生き物は無い。
「そういえば聞いたことがあります。 うちの村にも、それが原因で引っ越してきた人がいましたから」
その人は、皆肌がどす黒く変色し、まるで魚のうろこのようにボロボロと崩れていた。
銅鉱山から流れる砒素に冒されたのがその原因だ。
銅鉱石には、銅のほかにも砒素やカドミウムと言う有害な物質が含まれていることが多い。
自然環境をこれほど簡単に劣化させる産業も他にないだろう。
「今朝、肌の綺麗な人たちいたでしょー あれが当時の犠牲者よ。 あれは、公害で醜くなってしまった人たちを元に戻すためにはじめた儀式なの」
今では味をしめて定期的に行うようになってしまったが、ミノルは苦笑しながらもその願いに応え続けている。
「でだ、その鉱毒に冒された人たちのために、俺は銅の採掘量を抑えてくれと頭を下げた。 なぁ、その時あの男が何と言ったと思う?」
頭ごなしに天罰を与えることもできただろう。
その身分を考えれば、おそろしく腰の低い対応だ。
「そんなの……聞きたくもありません」
聞いたところで気分が悪くなるだけだ。
なら聞かないほうがいいだろう。
あいにく、彼らの愚痴に付き合えるほどの余裕は無い。
「まぁ、そんなわけでだ。 俺は病魔としての本領を発揮して、銅山の上層部とその関係者を軒並み病気にしてやったのさ」
ミノルは遠い目をして、当時の苦い思い出を振り返る。
「あいつら、俺の前に跪いて『せめて、家族の命だけは』と頼み込んできたよ。 傑作だろ? 他人の家族が病に苦しんでいたときは平気でふんぞりかえっていた奴らがだ」
本人ではなく、その家族を狙うあたりなかなかエグいやり方だ。
おそらくミノルの考えではないだろう。
よくやったと提案者をほめてやりたい。
「でも、許してあげたんですよね? 今は病魔として活躍して無いって言ってましたから」
「あぁ。 かわりに銅山の埋蔵量をごっそりと削ってやったがな。 おかげで、鉱山はほぼ閉鎖。 鉱夫の再就職探しに苦労したよ」
苦笑いで済ませているが、さぞ恨まれたことだろう。
「怒って無いんですか?」
「救いたかったからな」
「憎らしくないんですか?」
「そりゃ憎いさ。 なぜ自分の生き方を変えてくれないと怒鳴りつけてやりたいよ。 いや、節度さえ守ってくれれば、あの男を自らの望むままに生かせてやることもできたんだ」
「愛想が尽きて殺そうとは思わなかったんですか?」
「殺して何になるんだ?」
「スッキリすると思いません?」
「俺の評判が落ちるだけだぜ? そして救えなかったことを、ずっと後悔するのか。 割に合わんな」
「一言言っていいですか?」
「かまわんぞ」
「あなたは人を甘やかしすぎです」
ミノルはただ、ニヤリと笑ってそれに答えた。
「神殿関係者以外からそんな風に言われたのは初めてだよ」
そう答えながら、ミノルはふと何かを思い出したような顔をする。
「なぁ、昨日改宗しないかって勧められただろ?」
「……ミノ君!?」
シアナがそれを咎めた。
まだ結論を出すには早いと言いたいのだろう。
だが、ミノルの言葉は、その予想を大きく裏切るものだった。
「あれ、やめとけ」
「え?」
「見ていてわかっただろ。 どこの神だろうがやることは変わらん」
神としては、おそらく口にしてはならない言葉だろう。
横にいるシアナが怒ったような顔をして睨んでいる。
「そうですね。 私の村はあんな風になってしまったけど、それでも担当する天使や司祭の方々が努力をした結果なのでしょう。 それを気に入らないからといって他所を頼った私は、どうしようもなく愚かでした」
彼らはミノルほどお人よしではなかったという、それだけの事。
「いや、苦しかったら救いを求める。 それは人として自然なことだ」
いっそ、責められて怒鳴られたほうが気分的に楽だったに違いない。
過ぎた優しさは、理不尽への怒りを自責に苦しみに変えてしまう。
「……最初から」
独り言のようにそう呟きながら、モルディーナはミノルの手をとり、
「貴方が私の村の神様だったらよかったのに」
その手の甲に唇を寄せた。
それは、モルディーナの済む文化圏の慣習では、徳の高い聖者や貴族に対する敬意を示す行為である。
ミノルが苦笑いをして、その行為を受け入れようとした瞬間――
モルディーナは、その手をクルリと裏返し、ミノルの無骨な掌にキスをした。
手の甲に落とすキスが敬意ならば、掌に落とすキスは……愛情。
「ご、ごめんなさいっ! その、つい無意識に…… いえ、その、深い意味は……いやあぁぁぁぁ!!」
目をまん丸に開いて驚くミノルを尻目に、モルディーナは顔を真っ赤に染めながら逃げるようにその部屋を出て行った。
モルディーナが部屋からいなくなるなり、シアナの手が稲妻のような速さでミノルの尻に伸びる。
ぎゅぅぅぅぅぅぅぅぅっ
「痛てててててて…… こら、シアナ! 何人のケツを抓ってやがる!!」
我に返ったミノルが悲鳴をあげた。
本当は痛くもなんとも無いのだが、経験上平気な顔をしているとよけいに怒るのを知っているので、わざと大げさに怒鳴ってみせる。
「ったく、幼女のくせに何を一丁前に嫉妬してやがんだ、この馬鹿は!!」
芝居のために、こっそり自分で抓った左腕が痛い。
ミノルの目に涙が浮かぶ。
「ミノ君。 手、出して」
「あ?」
そんな涙ぐましい芝居を続けるミノルに、シアナはうつむいたままそんなことを言い出した。
「いいから、さっきキスされた手を出して!!」
「……ほらよ。 これでいいのか?」
言われるままに、ミノルはその右手を差し出した。
その掌をひったくるように引き寄せると、
――かぷっ
シアナは思いっきり噛み付いた。
「おいっ! 痛ぇぞ、シアナ。 全く…… お前は肉食獣かよ」
「だって……我慢できなかったんだもん!!」
泣きそうな声でそう言いながら、赤く残った噛み跡に、小さな舌を這わせる。
「まったく、子供かよ」
憮然とした顔をほんの少し赤く染めながら、ミノルはその行為を受け入れた。
「仮にもこの俺の契約者が、味見程度の事でいちいちうろたえるな! 俺の品位が疑われる!!」
そう心の中で文句を言いながら、シアナの顔を隠すフードをはずし、その真珠のような髪を優しく撫でる。
「嫌なものは嫌なの! ミノ君の馬鹿ぁっ!」
シアナがボスボスと音を立ててミノルの腹に拳を叩き込む。
「……ったく。 馬鹿はお前だ」
その体を優しく抱き寄せ、涙の浮かんだ顔をその逞しい胸に押し当てた。
「口をつけるなら、場所を間違えてるぞ。 ほら、やり直しだ」
そして片膝をつき、顔の位置を同じにすると、シアナの唇を正しい場所へと導いた。
……懐から取り出した魚肉ソーセージへ。
シアナの肩がプルプルと震えだしたのに気づかず、ミノルはため息をつきながら、ゆっくりとシアナを諭す。
「お前もモルディーナも、腹がへったからと言って人を齧るな」
わなわなと拳を握るシアナの口元から、魚肉ソーセージがポロリと落ちた。
「牛じゃねぇんだから、俺の手は別においしく無……ぺぐっ!?」
ミノルにみなまで言わさず、シアナの鉄拳が顎を打ち抜いた。
「ミノ君のバカぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
その後、シアナの体力が尽きるまでの僅かな時間、ミノルがサンドバッグ状態になったのは、言うまでも無いだろう。
その頃、部屋の入り口では、
「人が仕事の続きをしようと戻ってきてみれば……」
アンソニーが、部屋に入れず難儀していた。
「何をしとんねん、あのアホは! 死ぬまでやっとれ、この馬鹿ップル! やっとられんわ!!」
その後ろで、神人と巫女たちが同じ感想を抱いてため息をついた。