第59話 不審な影
「辺境侯爵夫人ですね」
男の一人が言った。
路地の端で私は二人の男を見た。商人でも領民でもない、という感じがした。服装が城下の人間と違う。
「名乗った覚えはありませんが」
答えた瞬間、腕をつかまれた。
「静かにしていただければ、すぐに終わります」
もう一人が背後に回っていた。
パニックにはならなかった。前世でも今生でも、突発的な状況で気持ちが乱れにくいのは変わらない。
——逃げなければ。
腕を引こうとした。だが男の力が強く、動けなかった。
「離してください」
「静かに」
路地の奥へ引かれようとした、その時。
「夫人!」
ミレイの声がした。
「助けてください! 誰か! 誰かいますか!」
ミレイが思い切り叫んだ。顔が白かった。菓子屋の紙袋を持ったまま、立ち尽くしながら叫んでいた。
「誰か! 助けてください!」
私も声を出した。「助けてください!」
路地に声が広がった。
通りから人が来た。市場の商人が何人か。通行人が足を止めた。
「何事だ」
「あれは——侯爵夫人では」
人が増えた。男たちが一瞬止まった。
その間に私は腕を引き抜いた。一歩下がった。ミレイのそばへ向かった。
男たちが互いを見た。計画の失敗を悟ったのだろう。素早く路地の奥へ消えた。
* * *
その場に座り込んだ。
足が動かなかった。動けないわけではないが、動く理由が一瞬なくなった感じがした。
腕が熱かった。つかまれた場所が赤くなっているのが分かった。
「夫人!」
ミレイが走ってきて、しゃがんで顔を見た。
「大丈夫ですか! 怪我は! どこかぶつかりましたか!」
「大丈夫です」
「大丈夫じゃないです、顔が白いです!」
「……ミレイ」
「はい!」
「ありがとうございます」
ミレイが少し止まった。それから目が赤くなった。
「当然です。当然のことをしただけです」と言いながら、震えていた。私よりも、ミレイの方が震えていた。
「ミレイ」
「はい」
「怖かったですね」
「……怖かったです」
ミレイが「でも夫人が無事で」と言いかけて、声が詰まった。
周囲の人たちが「大丈夫か」「城に知らせを」と動いていた。一人の男性が「すぐに城へ人を走らせます」と言った。
私は腕を見た。赤みが残っている。
——誰が指示したのか。
その考えが来て、でも今は考えても分からない。今できることは、城に戻ることだ。
* * *
しばらくして、遠くから騎馬の音が聞こえた。
一頭ではない。複数の馬の蹄の音が、城下の石畳に響いてくる。
速い。




