第36話 仕事の喜び
翌朝から、いつも通りの仕事に戻った。
薬品庫の月次の確認、食糧倉の補充記録の照合、帳簿の複式切り替えの続き。どれもやることが決まっている仕事で、手が慣れてきていた。倉庫担当のレルムが記録を続けてくれているので、照合に時間がかからなくなった。
「夫人」とミレイが言った。
「何ですか」
「昨日、少し顔が明るかったですよ」
私は手を止めた。帳簿から顔を上げる。
「……そうですか」
「はい。共同作業が終わって戻ってきた時。気づいていませんでしたか?」
「気づいていませんでした」
ミレイが「やっぱり」という顔をした。
私は帳簿に目を戻した。昨日、執務室で計算表を修正した後、廊下を歩きながら「心地よかった」と思っていた。それがそのまま表情に出ていたのだろうか。
——前世でも、仕事の相手がちゃんと聞いてくれる経験は、あまりなかった。
数字を出しても、確認してもらえなかった。「了解」の一言で終わることが多かった。エドヴァルドは違った。「この数字は正しいか」と聞いて、「道路が凍る」という情報を出して、私の計算が変わるのを見ていた。
……あれが、普通の「仕事を一緒にする」ということなのかもしれない。
「夫人、昼食はどうしますか。いつも通り部屋にお持ちしましょうか」
「そうしてください」
「かしこまりました」
ミレイが出ていこうとした時、廊下から足音がした。
扉が叩かれた。
「どうぞ」
顔を出したのは、エドヴァルドだった。
ミレイが「あっ」と小さく声を出した。私は帳簿を閉じた。
「昼食をここで取っていくか」
思いがけない言葉だった。
「……よろしいのですか」
「用があったわけではないが」
エドヴァルドが部屋の中を一度見て、窓際の小さな机の方に目を向けた。二人が座れるくらいの大きさはある。「そこで構わないか」という意味に取った。
「……はい」
ミレイが「すぐに二人分の昼食を——」と言いながら、廊下に飛び出していった。その時の顔が少し赤かったのは、気のせいではないと思う。
* * *
昼食は静かだった。
エドヴァルドが向かいに座っていた。食事が運ばれてきて、二人で食べた。城の食堂や大広間ではなく、私の仕事部屋の小机での食事は、不思議な感じがした。
「清書は終わったか」
「昨夜のうちに。今日の午後にお届けするつもりでした」
「後で取りに来る」
「承知しました」
それから少し沈黙が続いた。食事の音と、遠くで使用人が動く音だけがある。
仕事の話以外を、どう話せばいいか分からない。
そう思って、でも「仕事の話をしなければ」とも思わなかった。この静けさは、不快ではなかった。エドヴァルドが黙っていることに、追い詰められるような感じがない。ただ、同じ時間を同じ場所にいるだけだった。
「この仕事は長くやっていたのか」
エドヴァルドが言った。
「……どの仕事ですか」
「帳簿の類い。数字の管理全般」
「前の、別の場所でも似たようなことをしていました」と私は言った。前世のことを指す言葉として、これが一番近い。「体に染み込んでいる感じです」
「そうか」
またしばらく静かになった。エドヴァルドが食事を進めている。私も食べた。
これは——悪くない時間だ、と思った。
* * *
食事が終わって、エドヴァルドが立ち上がった。
「また、いつでも」
そう言った。
声の調子が少し違った。「またいつでも昼食を共にしてもいい」という意味なのか。「また何か必要があれば声をかけていいという意味なのか。それとも、別の何かなのか。
私には分からなかった。
「……はい」
そう答えるしかなかった。
エドヴァルドが出ていって、扉が閉まった。少ししてから、ミレイが廊下から戻ってきた。
「夫人」
「なんですか」
「一緒に昼食を——!」
「仕事に戻ります」
帳簿を開いた。ミレイが何か言いたそうにしていたが、私は数字を見ることにした。




