第34話 正式委任
「昨日伝えた話だが」
翌朝、エドヴァルドは執務室に重臣数名を集めていた。ガストン、カルル、財務担当のベルネ、城下管理官のハルネット。そして私も呼ばれていた。
私は壁際に立っていた。これが何の話か、まだ分かっていなかった。
「妻に、内務全般の管理を正式に委任することにした」
部屋が静かになった。
「……よ、よろしいのですか、侯爵」
ガストンが言った。いつもより声が高かった。
「これまでの半年で実績が出ている。薬品庫の整備、食糧倉の管理計画、帳簿の問題発見、流行病の封鎖。異論はあるか」
エドヴァルドが室内を見回した。答える者はいなかった。
実績、という言葉が頭の中で繰り返された。私がやったことを、この人はそう呼ぶのか。
「ガストン」
「……はい」
「妻の管轄に入る部署への指示系統は今日から変わる。分かったか」
「……侯爵のご命令であれば」
ガストンが私の方を向いた。白髪まじりの眉が、わずかに動いた。
「お任せします、夫人」
頭を下げた。小さく、だが確かに。
私は一歩前に出た。
「ご協力をよろしくお願いします、ガストン様」
礼を返した。それだけだった。何かを言い足す必要はない。ガストンが頭を下げたことは、私への譲歩ではなくエドヴァルドの命令への服従だ。それを勝利と思うのは違う。
カルルが手元の書類を眺めながら、口の端を少し上げていた。
「委任状は今日中に書く」とエドヴァルドが続けた。「各部署への通達もカルルが回す。レティシア、何か必要なものがあれば言え」
「……ありがとうございます」
それだけ言った。感謝以外の言葉が出てこなかった。
* * *
部屋を出ると、ミレイが廊下で待っていた。
「夫人!」
「……声が大きいです、ミレイ」
「だって! 正式に認められたんですよね!」ミレイが両手を組んで、声を少し低くした。「正式に! 内務全般の管理を!」
「そうですね」
「すごいことですよ! 最初に来た時、薬品庫を一人で整備していたのを覚えていますか私! あの時から考えたら——」
「ミレイ」
「はい」
「声が大きいです」
「……すみません」
でも、ミレイは笑っていた。ほんとうに嬉しそうな顔だった。私は少し前を向いて歩き続けた。
正式委任。
半年間、頼まれていないのにやっていたことが、今日から「自分の仕事」になった。権限が生まれた。正式な肩書が生まれた。それはつまり——責任も生まれた、ということだ。
今まではミスをしても「勝手にやっていたこと」で済んだかもしれない。これからは違う。
……それで良い、と思った。
責任が生まれるということは、本当にここに居場所ができたということだ。仮の場所ではなく、任されている場所として。
* * *
午後、委任状の写しが届いた。エドヴァルドの署名がある正式な文書だった。
私は部屋の机の上にそれを置いて、しばらく見た。
前世で働いていた時、仕事を「任されている」という感覚を持てたことがあっただろうか。指示通り動いて、数字を出して、また次の指示を待って——それの繰り返しだった気がする。今生でも、実家にいた頃は姉たちのお茶会の場を整えるだけで、それを「仕事」と呼ぶのは少し違った。
これは、違う。
内務全般の管理。薬品、食糧、帳簿、医療記録、それに関わる全部署への権限。
「……次は何をしようか」
独り言が出た。帳簿の複式への完全な切り替えはまだ途中だ。倉庫の在庫管理の記録様式も、まだ統一できていない部分がある。あと、春に向けた食糧の見通しも——。
扉が叩かれた。
「夫人、侯爵様からお言伝です」
使いの者が言った。
「冬の兵站の見通しを確認したい。明後日、時間を取れるか」
私は少し考えた。
兵站。兵站は、食糧や物資の調達と輸送を指す。内務と兵站が重なる部分がある。それを「一緒に確認したい」——つまり、共同で作業するということか。
「承知しました、と伝えてください」
使いの者が下がった。
私は再び委任状を見た。
半年前、薬品庫に入った時のことを思い出した。誰も管理していない棚。記録のない瓶。「ここを整えなければ」という感覚だけで動き始めた日のことを。
あれが、今ここに繋がっている。
不思議だ、と思った。




