第22話 診療記録を作る
「やっぱり来たね」
ヘルダの診療所の扉を開けると、奥から声がした。
「こんにちは」
「まあ座れ。お茶を出す」
前回と同じ椅子を勧められた。ヘルダは火にかけた鍋をかき混ぜながら、こちらに背を向けて言った。
「あのサンプルの記録表、考えてた。確かに役に立ちそうだと思って」
「そうですか。ありがとうございます」
「礼はいい。ただ、どうやって使えばいいかを教えてくれ」
お茶を受け取ってから、私は持参した羊皮紙を広げた。
「診療記録として残すべき情報はいくつかあります。日付、患者の居住地域、主な症状、治療内容、その後の経過。この五つが基本です」
「居住地域まで? 名前じゃなく、住んでいる場所か」
「はい。名前は個人を特定できれば充分ですが、居住地域は必ず書いておくべきです」
「なぜ?」
ヘルダが振り返って、まっすぐ聞いた。説明を求める顔だ。誤魔化しが通じない目をしている。
「病が広がるとき、場所のパターンがあることが多いです」と私は答えた。「同じ地域の患者が増えているなら、水源か食品か、何か共通の感染源がある可能性があります。記録があれば、パターンを見つけてその源を特定できます」
「……」
ヘルダが腕を組んだ。
「なるほど、そういう使い方か。病人が来てそれぞれ診るだけじゃなく、繋げて見るわけだな」
「そうです。一人ずつ見ていると個別の症例ですが、まとめて見ると共通点が見えてきます」
「あんた、変わった頭してるね」
ヘルダはそう言ってから、少し間を置いて「まあ、悪い意味じゃない」と付け足した。
二人で記録帳の様式を一緒に作った。私が基本の枠組みを書き、ヘルダが「こう書いた方が診療の流れに合う」と修正する。それを繰り返した。一時間ほどで、実際に使える様式が出来上がった。
「明日から書いてみる」とヘルダが言った。
「お願いします。最初は慣れるまで時間がかかるかもしれませんが、書き続ければ記録として機能します」
「あんたは書くのを手伝いに来てくれるのか」
「必要であれば。ただヘルダさんが一人でできる形にするのが目標です。私がいなくても動く仕組みにしなければ意味がないので」
「……そういう考え方をするのか」
「そうしなければ、仕組みが人に依存してしまいます」
ヘルダがお茶を一口飲んで「この仕事、前世でも似たことをしてたんだろ?」と聞いた。
「ええ、少し」
「どんな仕事だったんだ」
「病院で、記録と管理を担当していました。医師でも薬師でもなく、ただの事務ですが」
「事務、ね」ヘルダが笑った。「事務が一番大切だって、現場の人間はみんな分かってるけどな」
私は少し驚いた。そんなことを言ってもらったのは、初めてかもしれない。
「ありがとうございます」
「礼はいいって言ってるだろ。明日から書く。もし何かあれば来てくれ」
診療所を出ると、冬の風が吹いていた。ミレイが「なんかヘルダさんと仲良くなりましたね」と言った。
「仕事の話ができる相手は、貴重です」
「夫人らしいですね」
翌日から記録が始まった。そして記録開始から数日後、ヘルダからの使いが届いた。
「夫人、今日だけで発熱の患者が八人来ました。急いで来てもらえますか」




