第2話 城の内部を観察する
「夫人は休んでいていただければ結構です。城の者が対応いたしますので」
朝食の場でガストンが言った。白い眉の下にある目が、柔らかく笑っている。けれど声の奥には、もう少しはっきりとした何かが混じっていた。——余計なことはするな、という意味だ。
「ありがとうございます。ご配慮に感謝します」
私はそう答えた。それ以上は言わなかった。
ガストンは満足そうに頭を下げ、食堂を出ていった。
ミレイが小声で「家令様は厳しい方なんですか?」と聞いてきた。
「厳しいというより、丁寧な方だと思います」
「え? あんなに遠回しに何かを言われて……夫人は気にならないんですか?」
「慣れています」
私は静かにスープを飲んだ。父の家でも、似たようなことを言われ続けた。「三女は大人しくしていればいい」「お前には関係ない」「余計なことを言うな」。慣れている、は本当のことだ。
ただし。
慣れているのと、言われた通りにするのは別の話だ。
食事を終えた後、私はミレイを連れて城内を歩いた。ガストンが見れば「散歩」に見えるよう、特に急がず、特に目立たず。しかし実際には、目につくものを全て観察していた。
廊下の端に積まれた木箱。「何が入っているのか」と一瞬考える。ラベルがない。——問題の一つ。
使用人が通り過ぎる度に、会釈だけして視線で追う。彼らがどこへ行き、何を持っているか。それだけで、城の日常の動線が見えてくる。
「夫人、食糧倉はこちらですよ」とミレイが声をかけてきた。城の東側に出た時だった。
「ありがとうございます。覗いてみてもよいですか」
「……食糧倉、ですか?」
ミレイの顔に「また変なことを」という表情が浮かんだが、彼女は止めなかった。
食糧倉の扉は鍵がかかっておらず、担当の使用人が一人、入口に座っていた。私が近づくと彼はびっくりしたように立ち上がり「これは夫人様、何かご用でしょうか」と頭を下げた。
「少し見せていただけますか」
「は、はあ……どうぞ」
倉の中は、食糧が詰まっていた。麦袋、乾燥野菜、塩漬けの肉。量としては悪くない。しかし私が探しているものが、やはりここにもなかった。
「入出庫の記録は、どちらに」
「き、記録?」
「いつ何がいくつ入庫して、いつ何がいくつ出庫したか、という記録です」
使用人は少し考えてから「……うちの頭が把握しているかと」と答えた。
把握している、というのは「帳面に書いている」ではなく「頭の中にある」という意味だ。前世の感覚で言えば、それは「記録がない」と同義だった。
「分かりました。ありがとうございます」
外に出ると、ミレイが「……何か問題がありましたか?」と聞いた。
「特には」と答えた。
特に、は嘘だ。問題は山積みだ。ただし、声に出す相手がいない。
午後は、帳簿室の前を通った。分厚い木の扉。鍵穴があるが、鍵はかかっていなかった。扉をそっと押すと開いた。
中は書類の山だった。羊皮紙が積み重なり、棚からあふれ、床の隅にも積まれている。日付の古いものも新しいものも、整理されているとは言い難い状態で混在していた。
「……」
誰もいない。この部屋を担当している者がいるとすれば、今はここにいないようだ。
私は部屋を出た。扉を静かに閉める。
「夫人、入ってよかったんですか?」ミレイが少し不安そうに言った。
「扉が開いていましたので」
「そ、そうですね……」
実際には、開いていたから入ったというより、誰が管理しているのかを確認したかっただけだ。返事は得られた。——誰も、いない。少なくとも常時管理している者は。
部屋に戻った後、私は羊皮紙を取り出して、今日確認したことを書き留めた。
〔薬品庫:在庫記録なし。補充計画なし。〕
〔食糧倉:入出庫記録なし。担当者の頭の中にのみ存在。〕
〔帳簿室:整理なし。担当者不明確。〕
並べてみると、共通点がある。——どれも「記録がない」か「記録が機能していない」。
問題の根っこは同じだ。管理の仕組みがない。だから何がどこにどれだけあるのか、誰も正確には把握していない。
私はペンを置いた。どこから手をつけるかは、最初から決まっていた。
薬品庫から始めよう。人の命に直結する場所だから。
羊皮紙に「①薬品庫」と書いて、丸で囲んだ。
夜になれば誰も来ない。明日の夜から、少しずつ始めればいい。




