第19話 城の噂
「夫人、薬が足りなくなることがなくなりました」
廊下で声をかけてきたのは、城で薬の受け渡しを担当している使用人だった。四十代の落ち着いた男性で、今まで挨拶程度しか交わしたことがなかった。
「……というのは」
「以前は急に在庫が切れることがよくあって。ヘルダさんに急ぎで連絡してお待ちいただくことが月に何度もあったんですが。今月は一度もなくて」
「補充計画を立てましたから」
「ありがとうございます」と彼は頭を下げた。「本当に助かりました」
私は少し間を置いてから「そうですか」と答えた。感謝の言葉の受け取り方が、まだ上手くない。前世でも、そうだった。「ありがとう」と言われると、どう返せばいいのか分からなくなる。
「たいしたことはしておりません。在庫を管理しただけですから」
頭を下げて、先を歩いた。
その日の夕方、ミレイが少し興奮した顔で「夫人、城の人たちが夫人のことを話してますよ」と言ってきた。
「何を話しているのですか」
「なんかすごい人が来たって。薬も食糧倉も、夫人がきれいにしたって。ガストン様の管轄の問題まで見つけたって……」
「ガストン様の問題、というのは誰から」
「カルル様が言っていたのを聞いた方から……その方から聞いた方から……なんか広まってるみたいで」
なるほど、そういうことか。
「別に、たいしたことはしていないのですが」
「夫人ー! たいしたことですよ!」
ミレイが少し声を上げた。廊下だったので、すぐに「すみません」と声を小さくした。
「在庫の記録をつけて、数字を照合しただけです。難しいことは何も」
「でも誰もしていなかったことじゃないですか……」
「していなかっただけで、やれば難しくない話です」
ミレイが「もう……」と肩を落とした。
その夜、カルルがエドヴァルドに報告した。
「城内の評判が変わっています。夫人について」
「どう変わった」
「以前は「格下の家から来た夫人」という評価でしたが、今は「城の問題を解決している」「何者なのか」という声に変わっています」
「使用人の評価が、ということか」
「はい。薬品庫の整備、食糧倉の管理、帳簿の件。全てが夫人に繋がっているという認識が広まりつつあります」
エドヴァルドが少し間を置いた。
「夫人は今、何をしている」
「……診療記録の整備に着手しようとしているようです。城下の薬師とも連携を取っていると」
「診療記録まで」
カルルが「はい」と答えながら、内心で面白いと思った。——侯爵が、妻のことをこんなに詳しく聞いている。これは珍しいどころか、初めてではないか。
「直接確認するか」とエドヴァルドが言った。
「……夫人に、ですか?」
「何がおかしい」
「いえ、おかしくはないですが……今まで特に話されていなかったので」
「だから直接確認すると言っている」
カルルは「承知しました」とだけ言った。内心では「やっと」と思った。
城内の評判はゆっくりと変わっている。夫人のことを、誰もが知り始めている。当の夫人は気づいていないか、気にしていないか——おそらく両方だろう。




